テオの書庫
あっという間に眠りに落ちたシアを見届けた俺は書斎へと移動した。
ギシッと音を立てながら椅子に座り、背もたれに深く寄り掛かる。
「ふっ……、あははっ!」
先ほどのことを思い出して、つい笑いが漏れてしまった。誇らしさに似た感情が胸を占めていく。
正直に言って――、シアの感性には驚いた。
古代魔術師が初めに作る内面世界の大半は、何もない無の空間だ。明るかったり暗闇だったりと差はあるが、基本的にただ無限に広がる空間があるだけだ。
それがシアの場合は果てのない星空だった。こんなことは珍しい。
しかも授業のやりとりで、シアは自分のマナと同色である蜂蜜色を希望した。これはただの偶然とは思えない。おそらくシアは自身のマナの色を無自覚に理解していたのだろう。
シアの魔力は俺より少ない。だが、その分を補う以上に質がいい。
現代魔術師の場合、魔力とはその者にあるマナの中から魔力として使用できる部分を指す。現代魔術は等級が高くなるにつれてより多くの魔力量が求められてくる。
だが、古代魔術師の場合は違う。古代魔術師はマナ全体を魔力と捉え、古代魔術は魔力の量よりも質を重要視するのだ。
あの子は素晴らしい古代魔術師に成長できる。あの子の未来は眩しいほどに明るい。まさに原石だ。
「綺麗な星空だったなぁ」
俺の時はあの子の星空とは真逆だった。
俺が作った内面世界の始まりは底無し沼のような闇。師匠の導きによって闇の世界から透き通った海が生まれ、やがては色鮮やかな世界へと変わった。
その空間を再構成して作ったのが、書庫だ。
「はぁ……」
無性に書庫へ行きたくなって、俺は書斎机に伏した状態で目を閉じた。
書庫は俺の内面世界。肉体ごと行けなくもないのだが、普段は意識だけを飛ばして行っている。数えきれないほどに行っているから慣れたものだ。
俺が書斎や魔術工房で調べ物や研究をしているのは本当だ。だが、それと同じように書庫へも入り浸っている。
意識だけを飛ばしているから傍目から見たら昼寝をしているように見えるし、普段はシアがドアをノックすればすぐに気付いて戻るから問題ない。
「んー……」
目を開ければ初期位置である書庫内のカウチソファで寝転がっているので、とりあえず思いっきり伸びをする。
ここは俺が自分のためだけに作った空間だから、明るさも空気感も何もかもが俺好み。絶対的な安全圏でもあるため自然と力が抜けてくる。
「ふわぁ~……」
気が抜けたあまりに欠伸が出た。落ち着くなぁ……。
俺はこのソファでごろ寝しながら本を読んだり、魔力を操作したり、術式を組み上げたりするのがお気に入りだ。まさに面倒くさがりな俺が俺のために作ったスペースだ。
寝転んだまま見上げると高い天井が見えて、そのまま辺りを見渡すと様々な本棚が延々と並んでいる。書庫内はほどよく明るく、温度も湿度も快適。俺にとって最高に居心地がいい空間だ。
蔵書のほとんどは俺の古代魔術そのものだ。
古代魔術は文字にできないだろうって?
文字にはできなくても、本の形にはできるだろう?
左手でパチンッと指を鳴らして、最近術式を弄っている古代魔術の本を呼び出す。
中にあるのは紙のページでも文字でもなく、俺の研鑽と術式改良の経験そのものだ。
このように本の形をした古代魔術は、文字を読むための代物ではない。俺の想像と経験を振り返り、追憶し、新たな術式を構成するための糧となるのだ。
もちろんここには古代魔術の本や、術式の材料となる想像や感覚以外の本もある。いつぞや王都の図書館でしたように既存の本を複製した物だ。
無断複製? 盗用? 知るか。どうせこの書庫には俺の許可がない限り俺しか来れない。
俺には本の収集癖がある。稀覯本の類いから珍しい装丁の書籍まで、俺の興味を惹けば収集の対象だ。
何冊かは家の書斎に実物もあるが、同じようにこの書庫にも置いている。
「こんなもんかな……」
本を開きながら弄っていた術式に区切りをつけて、俺は本を閉じた。本から手を離すと自然と元の本棚へと収まっていく。
俺はそのまま左手に軽く意識を向けた。
「コール」
俺の呼び掛けで、左手に一冊の本が現れた。黒地に金箔を押した重厚な本。
この本こそが古代魔術師である俺の核だ。
俺がこれまで想像し作成し経験し蓄積してきた古代魔術のすべて。
この書庫に収まっている存在すべてを内包した結晶。
すなわち、この空間、この書庫そのもの。
俺は統合書コールと命名している。
古代魔術とは何かを無理矢理に言語化するとしたら「育てる想像」と俺は答えるだろう。
現代魔術は呪文専用の単語という既存パーツを正しく組み立てて呪文というカタチを構成することで魔術を使う。
一方で、古代魔術には既存パーツもなければ決まったカタチも存在しない。すべて一から手作りだ。
その材料となるのは古代魔術師本人がそれまで蓄積してきた想像や感覚や経験――。すなわち、その古代魔術師を形作る物すべてだ。
すべての古代魔術は古代魔術師一人ひとりが作っているから、一つとして同じ術式も魔術もない。
たとえ他の古代魔術師の魔術を模倣しようとしても、そうして模倣した魔術はその古代魔術師だけの魔術だ。
実際に俺も師匠から数多くの術式と魔術を学んだが、師匠とまるっきり同じという術式や魔術は存在していない。
当たり前だ。俺と師匠は別人なのだから。
「……」
俺はコールの表紙をそっと指先で撫でた。
俺は自分だけの魔術を――このコールを育てている。俺の想像が、知識が、経験が、このコールと俺自身を育てているのだ。
コールを左手に持ったままソファから起き上がって、書庫内を自由にぶらつく。
整然と本棚が並んでいる光景が本当に好きだ。ただぶらつくだけでも楽しいし、気分が穏やかに安定する。
特に目的もなくのんびりと歩く俺の前方を、のっそりと大きな黒い影が横切った。
「セブ、おいで」
俺が呼ぶと本来の姿をしたセブが足取り軽やかに近寄ってきた。
大きな頭を下げて額を俺に押し付けてきたので、コールを空中に置いて両手でわしわしと額と首を撫でてやる。
ここは俺の内面世界だが、同時に使い魔達の住み処として解放している。自由に出入りを許可しているので、ここでセブが昼寝をしたりルーが休息をとったりしているのだ。
同じ使い魔でもリーはもはや家猫だな……。今も俺のベッドで寝ているに違いない。
「セブ、乗るぞ」
俺が言うとセブは嬉しそうに尻尾を振った。
俺を背に乗せたセブは気ままに書庫を歩き始める。書庫は広いからこの姿のセブでも十分に活動可能だ。
セブ達は既存の生物ではなく、俺が作った魔術生物だ。いわば俺の子供みたいなものだから可愛いし、コイツらも俺には親に対するような感情を向けてくる。
俺は実際には親子の情という物を知らない。俺にとって師匠が母親みたいな物で、姉弟子と兄弟子が姉と兄みたいな物だ。
「……」
自分の成り立ちが脳裏をよぎり、少し憂鬱な気分になる。
――まだへその緒がついた赤子の頃にごみ捨て場へ捨てられた俺は、まったく碌でもない魔術師に拾われて飼育された。
奴は俺を人間と見ていなかった。単なる魔術研究の動物として飼育し、実験し、使っていた。
そこに愛情なんてものが存在するはずもなく、筆舌に尽くしがたいおぞましい行為も数多くされた。
俺が奴から学んだのは言語だけだ。それも会話相手としてではなく、喋る便利な実験動物としてだ。
俺が奴の元から逃げたのは推定五歳の頃。奴が留守にしたタイミングでたまたま地下牢の鍵が開いていたから可能だった。
俺が逃げたのは生きるためではなく、研究動物として扱われる苦痛から逃れるためだった。
それまで俺は冷たくじめじめとした地下牢と薄暗い研究室しか世界を知らなかった。逃げ出して初めて経験する太陽の眩しさと温かさ、外気の爽やかさ、草や地面の匂いに酷く混乱したのを覚えている。
その後の俺は人目を避けるために人里離れた森で暮らし、雑草や虫を主食に細々と生き長らえていた。そこへ薬草調査のためにその地を訪れていた師匠に遭遇して拾われたのは偶然だった。
……いや違うな、と。あの時を思い返しながら苦笑する。
あれは拾われたというよりも捕獲されたと表現するべきだ。
憎悪の対象である人間を噛み殺すつもりで飛び掛かった俺を、あの魔女はあっさりと片手で制圧し捕獲したのだ。
人間に対して敵意を剥き出しにするしかない俺を、人間らしい感情も生活習慣も知らなかった俺を、師匠とルナリア達は根気強く育ててくれた。
そのおかげでこうして俺は多少人間らしく生きているのだ。本当に師匠達には感謝をしている。
……まぁ、絶対に本人達には直接伝えないがな。
「フッ……」
俺は軽く苦笑しながら書庫を見回す。
俺が本好きな理由は知識欲の塊である古代魔術師だからというだけではなく、本は人間らしさを表す象徴だと思うからだ。
読書をしている間は自分が人間なのだと感じることができる。だから俺はこの空間を書庫の形に作り上げた。
この書庫は、俺を人間たらしめる場所だ。
「セブ」
嬉しそうに甘えた声を出すセブの頭を撫でる。俺の前でしか見せない愛らしい姿だ。
セブは俺が初めて作った使い魔だ。俺の情緒を安定させる目的で、師匠は幼い俺に使い魔の作り方を教えた。
俺と子犬のセブはいつも一緒だった。食事も風呂も一緒だったし、夜はセブの温かな体を抱きしめて眠った。あの頃に感じたセブの毛並みの気持ちよさは今も体が覚えている。
大きくなった今はほどよい位置から俺を見守り、寄り添い、互いを支え合う相棒だ。
それでもたまには夜中に俺のベッド横で丸まって甘えて眠るような可愛い側面も持っている。
セブは最高の家族で、俺の安寧を守る番犬だ。
「セブはいい子だなぁ」
温かなセブの頭を撫でると気持ちよさそうに耳を倒して甘えてくる。本当に可愛らしい奴だ。
セブにとって俺は創造主であるが、セブは俺のことを親兄弟のような大切な存在だと思ってくれている。リーやルーも同様だ。
「親、か……」
シアのことを思う。
シアは俺と同じく孤児で、実の親については何も知らない。
だから俺は――、秘密裏にシアの素性とこれまでの生育環境について調べた。
その結果判明したのは、シアの母親は中流家庭の出であり、父親はバルカ周辺を巡るキャラバン隊の一員だということだ。
両親は夫婦ではなく、行きずりの関係で母親はシアを身籠った。だが未婚の母親には一人で赤子を育てる力がなく、シアが生後二ヶ月になった頃に少額の寄付金と共にシアを孤児院へ引き渡した。
孤児院の院長は子供達の情操教育には積極的ではなかった。更に子供達は早いうちから働くことを強制され、孤児院の厳しい経営状況を支える力となっていた。
シアは大人の温もりを知らないまま住み込みで屋敷に働き始めたのだが、屋敷の使用人仲間もシアを可愛がるような真似はしない淡白な者ばかりだったようだ。
完全な余談だが、俺はシアの両親の現状についても把握している。
母親はシアを産んだ数年後に別の男と家庭を持ち、シアの異父弟妹が産まれている。父親はシアの存在を知らないどころか母親である女のことも忘れて、相変わらずキャラバン隊員として旅をしているようだ。
俺はシア本人に両親について話す気はない。知ったところで決していい気分にはならないだろう。シアがその気にならない限りは黙っていようと決めている。
何はともあれ、だ。不遇な環境で育ったシアにとって、俺は初めて手を差し伸べた大人ということになる。
俺の存在が親代わりとまでは言えないだろうが、少しはシアのためになっていると思いたい。
「……」
――――魔術研究の動物にすぎなかった俺が、畜生以下の存在だった俺が、師匠達とセブのおかげで人間らしい感情を獲得した俺が、この先シアをそれ相応に導くことが本当にできるのか?
これはイザードの奴隷商でシアを買うか否かを初めて考えたあの瞬間からずっと自問自答していることだ。
それでも俺はシアを手元に置き育てると覚悟した。
覚悟した以上、途中で放り出す無責任な真似はしない。
手探りの毎日ではある。未だに何が正解なのかもわからない。
……だが。シアの無邪気な表情を見ていると穏やかな心になるし、シアと同じ空間にいると俺も居心地がいい。
シアは俺の大事な家族だ。何があっても絶対に守り抜こう。
――シアが俺を完全に必要としなくなる、その時まで。
「なぁ、セブ」
セブの頭を丁寧に撫でながら言うと、セブは嬉しそうに尻尾を振って応えた。




