シアの星空
あれから一週間。読み書きの勉強や家事の合間にテオ様から言われていたぐるぐるをしてきたけれど……、やっぱり私にはまったくわからない。体がポカポカする感覚も特にないし、酔ってしまうような感覚にもならない。
テオ様はあのぐるぐるのことを「魔力を感じて扱う練習」と言っていたけれども……。
「あの……、テオ様。私って本当にできているんですか? 本当に?」
「大丈夫。俺を信じろ」
不安に思ってテオ様に何度も訊いてしまったけれど、テオ様は毎回自信たっぷりにそう答えるだけだった。
もちろんテオ様のことは信じているけれど……。実感がないからピンとこなくて不安で悩ましい……。
「さて、と。今日は踏み込んでいこうか」
今日も私はベッドに寝ていて、テオ様は隣で椅子に座っている。でも前回とは違って、今回はいつものペンダントは身につけたままだ。
「今日は何をするんですか?」
「言葉では上手く説明出来ないなぁ。まったく、これだから古代魔術は困る」
自虐を言って笑っているテオ様は自然体だ。おかげで私も変な緊張をしないでいられる。
テオ様は右手で私の左手を握って、フフッとやわらかく微笑んだ。
「じゃあ、シア。目を閉じようか」
「目隠しはしないんですか?」
「今回はいらない。力を抜いて目を閉じて、深呼吸をしていくぞ。俺は時々指を鳴らしながら、シアに話し掛けていく。シアは俺の声と指鳴らしをよく聞いて、ふわふわしよう」
「ふわふわ……」
「そう。俺が指を鳴らすと、意識がふわふわする」
テオ様は落ち着いた声で言って、パチンと指を鳴らした。
「俺が指を鳴らすと、シアの意識はふわふわして、より深い所へと潜っていく」
テオ様がまた、パチン、と指を鳴らす。
……あれ? まだ目を閉じてもいないのに、ちょっとふわってしてきた……かも?
「さぁ、シア。目を閉じて深呼吸だ。吸って……、吐いて…………。そう、上手だ」
パチン。
「もう一度。吸って……、吐いて…………。意識がふわふわする」
パチン。
「もう一度。吸って……、吐いて…………。ふわふわした意識が、深い所へと潜っていく」
パチン。
「最後。吸って……、吐いて…………。深く、深く、潜っていく……」
パチン――……。
テオ様の指鳴らしの余韻が、空間の全体に反響して聞こえた。
「――――……さぁ、シア。シアは今、シアの意識の深い所にいる。そこはとても穏やかで、果てのない広い空間だ」
ふわふわしていて……。
シン、と静かで……。
テオ様の声がよく聞こえる……。
パチン――。
「さぁシア、目を開けて。ここはどんな空間だろう? 明るい? それとも、暗い?」
シンと静かで……。
夜みたいに静かな所で……。
まるで、真夜中に見上げる澄んだ星空のような空間……。
パチン――。
「気温はどうだろう? 夜のように肌寒い? それとも、寒くはない?」
寒くはなくて、凄く居心地がいい……。
空気が澄んでいて、とっても気持ちいい……。
パチン――。
「シアは今、何をしている? 立っている? それとも、寝ている?」
私、は……。立っている……。
んん、あれ?
私、星空の空間に立っている?
パチン――。
「そうだな。シアは今、澄んだ星空の空間に立っている。立っている、ということは、床や地面があるのかな?」
床……?
えっと……。
床でも、地面でも、なくて……。
なんだろう、これ……?
……水面?
私は水面みたいな所に立っていて、足元から波紋が広がっている。
…………?
あ、そっか……。
水面みたいな所に上の星空が映っているから、空間全体が星空に見えているんだ。
パチン――。
「シアが今いるその空間が、シアの中心となる空間だ」
パチン――。
「さぁ、シア。ここで魔力をぐるぐるしてみよう」
ぐるぐる……。
う、上手くできるかな……?
「できるとも。この空間はシアの中心だ。シアに必ず応える空間だ」
パチン――。
「ほら、シア。ぐるぐるしてみよう」
人差し指も一緒にぐるぐるしてもいいですか?
「いいとも。さぁ、シア。ぐるぐるしてみよう。ぐるぐる、ぐるぐる……」
ぐるぐる、ぐるぐる……。
「そう、その調子だ。ぐるぐる、ぐるぐる……」
ぐるぐる、ぐるぐる……。
「うん。上手だな、シアは」
うぅ……。
テオ様、やっぱり自分じゃわからないですよ。
「あははっ、できているから大丈夫だ。俺と話をする余裕が出てきたな、シア」
ん……?
えっ? あれっ?
あのテオ様、これってどういう状況ですか?
夢?
私って眠っているんですかっ?
「シア、落ち着いて。大丈夫だよ。シアは今、シアの内面世界にいる。俺はその空間にいるシアに、話し掛けている」
パチン――。
私の……、内面世界……?
あの、テオ様……。どういうことかよくわからないです……。
「不安に思わなくて大丈夫だ。その空間はシアにとって一番大切で安全な場所だ」
パチン――。
「俺が指を鳴らす毎に、その空間の形と自分の感覚が定まっていくのがわかるだろう?」
……はい……。
最初はよくわからなかったんですけれど……、今はわかります。
ここは凄く綺麗な星空の空間で……、それに何だかとても安心する感じがします。
「うん、それでいいんだよ。さぁシア、続きをしようか」
……はいっ。
さっきまではびっくりしていましたけれど、今は大丈夫ですっ。
テオ様、私はどうすればいいですか?
「シア。右の人差し指でぐるぐるしているから、左手が空いているだろう? そのぐるぐるした魔力を、左手の掌に集めてみよう」
えっ……と……?
左手に、集める……?
え……?
テオ様、どうすればいいんですか……?
「シア、大丈夫だ。俺の言う通りにしてごらん。さぁ、目を閉じて。左手を前に出して、掌を上にする」
こう、です……?
「そうだ。その左手の掌に、ぐるぐるしている魔力が集まってくる」
パチン――。
「さぁ、やってみようか。ぐるぐる、ぐるぐる……」
ぐるぐる、ぐるぐる……。
「大丈夫。出来ているぞ」
パチン――。
「その調子だ。ぐるぐる、ぐるぐる……」
ぐるぐる、ぐるぐる……。
「うん、それくらいだな。ぐるぐるを止めていいぞ」
は、はいっ。
パチン――。
「今シアの左手には、魔力が集まっている。集まって、まぁるい球になっている」
まぁるい、球……。
パチン――。
「さぁ、シア。目を開けて、左手にある物を見て確認してみよう。左手のまぁるい球は、どんな色をしている?」
えっと……。
蜂蜜色?
ちょっとキラキラしてる……。
パチン――。
「それがシアの、魔力の色だ」
パチン――。
このキラキラしている蜂蜜の色が……、私の、魔力の色……。
パチン――。
「そうだ。それがシアの、魔力の色だ。まぁるい球は、どんな大きさだろう?」
えっと……。
鶏の卵よりも、ちょっと大きいです。
パチン――。
「手に持った温度はどうだ? 温かい?」
ポカポカしています。ポカポカしてあったかい……。
……もしかして、これって魔力の温度ですか?
パチン――。
「そうだ。自分で気付けたな。それが、シアの魔力が持つ熱だ」
色とか温度とかあるんだ……。
「それが、自分の魔力を知るということだ」
パチン――。
へぇー……。
テオ様……、何だかとても嬉しいです。
自分の魔力が目で見えたり触れたりするだなんて、思っていませんでした。
私にも本当に魔力があるんだ……っ。
すっごく、すっごーく嬉しいですっ!
「あははっ。よかったなぁ、シア。
ところで……、シアが嬉しそうに持っているその球のことなんだがな? それはこの内面世界でシアの古代魔術を育んでいく核となる存在なわけなんだが」
…………は?
えっ?
ちょっ、ちょっと待ってくださいテオ様っ。
これ、そんなに大事なものだったんですかッ?
ところで、じゃないですよテオ様ぁーッ!
「あははっ! まっ、そんな存在なわけなんだが。これからこの球はどんな風に変化していくと思う?」
えぇっ? この種が、ですかっ?
パチン――。
「ほう? 種なんだな? どんな物が育つんだろう?」
んー……と……? なんだろうこれ……。
何か……、こういう大きな樹です。
頭の中ではわかるんですけれど、テオ様には伝わりますか?
パチン――。
「あぁ、わかるとも。繊細なガラス細工みたいな大樹だな。葉が透き通っていて、星空を映した実がついていて……、とても綺麗だな」
ええと、この種はどうすればいいですか?
なんか……こういう感じに、地面に埋めてあげないとダメですよね?
テオ様、私の言いたいことがわかります……?
頭の中ではわかっているけど上手く言えないんです。
パチン――。
「あぁ、わかるよ。ふかふかの地面に埋めてやりたいんだよな。シアがしたいようにしよう。
それじゃあシア、埋めるための場所を作ろうか。右人差し指でぐるぐるして作ってみよう。ぐるぐる、ぐるぐる……」
ぐるぐる、ぐるぐる……。
……あ、あれ? 地面を準備するつもりだったのにふわふわ浮いちゃいました。
パチン――。
「いいんじゃないか? じゃあ、シア。そーっと埋めて、休ませてやろうか」
えっと……。
埋めたらこのまま目の前に置けますかね? 水面には置きたくないです。
パチン――。
「置けるとも。ほら、置いてごらん」
えっと……。
…………置けちゃいました。
ふわふわしてて、ゆりかごっぽいですね。
パチン――。
「うん、浮いているなぁ。このままゆっくり休ませてやろうな」
……はい。
「さぁて、と。シア、そろそろこの空間から帰ろうか」
えぇっと……。はい、わかりました。
でも、どうやって……?
…………?
え、あれっ?
後ろにテオ様いたんですかっ?!
「あははははっ! さぁシア、帰るぞー。俺の右手を掴め」
はぁい。
……何だか一気に疲れました……。
「帰ったらゆっくり休もうな。さぁシア、帰ろう」
パチン――……。
「――――シア、目を開けてごらん」
テオ様に促されて、私はそっと目を開けた。
見慣れた自室の天井だ。私の左手をテオ様が握っている。
「えっと……?」
困惑しながらテオ様を見ると、テオ様は楽しそうにフフッと笑って手を放した。
「お疲れ様。このまま寝ていなさい」
「夢……、じゃなかったんです?」
「夢じゃない」
テオ様の表情はとても穏やかで満足そうだ。
「古代魔術師は皆、自分の中にああいった内面世界を保有している。あの空間で想像や感覚を保管して、自分の古代魔術を作って育てるんだ」
「……」
夢じゃなかった……。
実感があるような、ないような……?
首を傾げている私にテオ様は苦笑している。
「テオ様にもあんな場所があるんですか?」
「あるとも。下手をするとウチの書斎や工房以上に籠るお気に入りの場所だ」
「へぇー……」
どんな場所なんだろう?
興味はあるけれど……、とりあえず今は眠たくて少し昼寝がしたい……。
「さ、寝なさい。よく頑張ったな」
「はぁい……」
テオ様が頭を撫でてくれて、私はスコンと眠ってしまった……。




