エインシェント
翌日の午前。急いで洗濯を終わらせてリビングに戻ると、テオ様は書斎や工房ではなくリビングのソファにいてくれた。
テオ様は本を読んでいたけれど、私がじーっと見つめていると堪えきれずにプッと笑いを吹き出した。
「朝から催促の圧を感じるんだよなぁ……」
「だって、授業の続きが気になるんです」
「熱心だなぁ。ほら、おいで」
「はいっ」
本を閉じたテオ様がポンポンと隣を叩いて私を呼んでくれたので、私はすぐに反応して近寄ってストンと座った。
が、すぐにソファから腰を浮かせる。
「あっ、お茶……」
テオ様が昨日みたいにたくさん話をしてくれるのなら、喉が渇かないように飲み物は必要だろう。
私はキッチンへ行こうとしたけれど、テオ様が裾を引っ張って引き止めた。
「わざわざ淹れなくていい。水で構わないだろう?」
そう言って、テオ様は何もない空中から空のコップを二つ取り出した。
テオ様がコップを軽く爪先でつつくと、カランと涼やかな音を立てながら氷が現れて、綺麗な水がサーッと注がれていく。
コップを受け取った私はコップを少し傾けて氷を揺らした。氷入りの飲み物を飲む時はこうして氷を揺らして静かに遊ぶのが密かな楽しみだ。
「シア、昨日出掛けた時に俺以外の魔術師を見てどう思った?」
氷と戯れていた私はテオ様の問い掛けに顔を上げて視線を移した。
テオ様は悠然と組んだ左足に手を添えた姿勢だ。
「色々と不思議でした」
「例えば?」
「魔術師が呪文を使っているのが不思議で、変な感じでした」
率直に言う。
この氷水だってテオ様は呪文一つ唱えていないのに、昨日見掛けた魔術師は全員が呪文を使っていた。呪文を使わないテオ様を見慣れている私には、魔術師が呪文を唱える光景が何とも不思議で新鮮だった。
私の答えにテオ様はクックックッと笑っている。
「変って言ってやるな。俺の弊害だろうがな」
「やっぱり昨日見た魔術師とテオ様は違うんですか?」
思いきって訊いてみると、テオ様は目を閉じてフフッと意味ありげに笑った。
「今日は時間もあるし、昨日よりゆっくり色々と話せるかな。それで最終的に……、俺の魔術について話せるようにしていくか」
そう言われて、自分の目が勝手に大きく見開いていくのがわかった。
テオ様の魔術……、そんなの興味しかない!
ワクワクしながらテオ様をじーっと見つめていると、テオ様は笑いを堪えるように咳払いをして話し始めた。
「シア、昨日の話は覚えているか?」
「はいっ」
訊かれてコクンと頷く。
もちろん一言一句の全てを覚えているわけではないけれども、話の流れと内容は覚えている。
頷いた私にテオ様はフッと微笑んだ。
「まずは軽くおさらいだ。昔マナを使えた一部の人々は、マナの使い方を文字や言葉の形で後世へ残したいと考えた。そうして文字や言葉として残せる形へと改変したマナの使い方の一部が魔術であり、魔術を使うためのマナが魔力だ」
「使い方の一部、なんですね」
私が繰り返して言うと、テオ様はとても嬉しそうに優しく目を細めた。
そこを私に気付いて欲しかったみたいだ。
「そう、一部だ。神話の時代には届かなくても、マナは万能に近い力だった。魔術として残した使い方だけでは到底表せないほどにな。
シア。魔術以外で人間が行う不思議なこと、というと何が思いつく?」
「えっと……」
問われて、私は考えてみる。
不思議なこと、不思議なこと……。
魔術以外で、不思議なこと……?
「……占い、ですかね?」
「うんうん。他には?」
「うえぇっ?」
テオ様、容赦ない。
氷水を飲みながら悪戯っぽく細めた目で私を見ている……。
えっと、えーっと……。
「あっ! 神殿で赤ちゃんにする祝福、とか?」
「うん。まだ出てくるか?」
「えぇぇ……。祝福の反対で呪い、とか?」
「いいぞ。他は?」
「……もうお手上げですっ!」
少し拗ねて言うと、テオ様は楽しそうに笑った。
「占いは占術、神殿の祝福は神聖術、呪いは呪術だな。
他には……、人工的に石ころを魔鉱石へ変えたりする錬金術。精霊と対話して力を借りる精霊術。香りで潜在能力を引き出したり心を操る調香術。キリがないからこの辺りにしておこうか」
「魔術とは違うんですね……」
てっきり魔術は何でもできると思っていたけれど、それはちょっと違っていたみたいだ。何だか少しガッカリした気分になってしまった。
そんな私をテオ様は微笑ましそうに見守っている。
「魔術でも似たようなことはできる。が、やっぱり専門家とは少し違うな」
「……魔術が何なのかがわからなくなってきました……」
混乱してきた……。
思わず眉間にシワをギュッと寄せて頭を悩ませていると、テオ様は笑いながらシワをチョンチョンとつっついてきた。
「文字や言葉として残せるように改変したマナの使い方、その最たる一部が魔術だ。この『最たる』というのがポイントだ。人々が後世に何を残したかったのか? それは神話の時代から人々が行ってきた生活の術だ。
火や水や風や土を自在に使い、狩猟採集を行い、暗闇を光で照らし、怪我や病気を治す……。
もちろん他にも色々あるが、根幹部分はこの辺りだろう」
テオ様は話しながら掌を上にした左手を前へ出して、火水風土を次々と出しては消し、空中で斬撃をふるい、光の玉を出し、その光を掌に溶け込ませた。
なるほど……。
「魔術は人が生きるのに大事な術、なんですね」
私が納得するとテオ様は「そうだな」と満足げにゆっくりと瞬いた。
「そんな魔術は広く人々に認知された。そうして人々の多くは不思議な現象を起こすことを魔術、不思議な力のことを魔力と認識するようになった」
「なるほどー……」
私もそう思ってきたから納得しかない。
腑に落ちた思いで氷水を飲もうとしたら、氷はすっかり溶けてなくなっていた。話を聞くのに夢中でほとんど飲めていなかった。小さくなった氷を口の中で転がすのが好きなのになぁ……。
少しガッカリしながら氷のないコップを見ていたら、テオ様がクスッと笑いながらコップをつついて小さめの氷を追加してくれた。
テオ様は本当に私のことをよく見てくれている。嬉しい。
「ここまでは大丈夫そうか?」
「は、はいっ。何となくですが……」
「何となくで十分だ。ふんわりでいい、ふんわりで」
テオ様はそう笑うけれども、テオ様がせっかく教えてくれているのだからもったいない。
そういえば前にもテオ様から「ふんわり聞いておけ」って言われた気がする。
確かあれは……、錬金術のことだったっけ?
「錬金術でも魔力って言うんですよね?」
私が訊くとテオ様は「よく覚えていたな」と嬉しそうに笑って少し声を弾ませた。
私に何かを説明する時のテオ様は楽しそうでよく笑う気がする。
私に教えるのがそんなに楽しいのかな……?
「錬金術は魔術からの派生で、親戚みたいなもんだ。だから錬金術の界隈でも使用するマナのことは魔力と呼ばれている。その流れから、錬金術で作られて魔力由来で動く道具を魔道具、魔術師が魔力を用いて作った物を魔術具と区別しているわけだ」
「へぇー……」
なるほど、魔術と錬金術は親戚……。
確かに錬金術で作られた魔道具の効果は魔術っぽさがある。
「魔術と錬金術が親戚だから、テオ様は魔道具の改良ができるんですか?」
「いや、単に俺が趣味で錬金術を齧ったからできるってだけだ。工房の倉庫には趣味で作った魔道具もある」
「えっ」
サラッと凄いことを言われた気がする。
魔道具が作れるということは、テオ様は錬金術も使える、ということなのでは?
唖然としてテオ様を凝視していたら、テオ様は何故か照れ臭そうに視線を逸らして頬を掻いた。
「さて、このまま魔術について話を進めていきたいが……。ここからは長くなりそうだからな、少し早いが昼飯の支度をしようか。二人でやればすぐだろう?」
テオ様に言われて、私は暖炉の置き時計を確認する。
確かにいつもと比べると早めの時間だけれども、テオ様の話をちゃんと聞く時間を作る方が優先だ。
「わかりました」
「よし。氷水で少し冷えたからなぁ……。温かいスープを作ろう、スープ」
「えぇ……? 最初からお茶を淹れておけばよかったんですよ」
「冷たい物が飲みたい気分だったんだ」
そんな他愛のないことを話しながら、テオ様と二人で簡単な昼食を作っていく。
ソーセージ入りのポトフ風スープ。
焼きたてが美味しいチーズトースト。
スープにジャガイモを入れたからボリュームは十分。ソーセージから旨味が出ているし、黒胡椒も効かせたからいい感じだ。
チーズトーストはいつも美味しい。チーズは正義だ。
「さて、と。どこまで話したっけ?」
「テオ様は錬金術も使える、ってところまでですね」
「なるほど、魔術について話を進めようとしたところからだな」
お互いにクスクスと笑いながら温かなお茶を一口楽しむ。
テオはソファに深く身を沈めて、再び話し始めた。
「元々マナは想像と感覚で使えていた。そんなマナの使い方を文字や言葉の形に組み直して理解しやすくした物、その最たる一部が魔術だったな」
調子を取り戻したテオ様の話を、私は興味津々で聞き入っている。
「マナの使い方を文字や言葉の形へと変えたことで、これまでマナを使う過程にはなかったとある物が誕生した。
現代におけるマナの使い方――特に魔術師が魔力を使って魔術を発動させる際に必要なこと、それは何か。シア、わかるか?」
「えっ?」
早くも質問がきた。
前屈み気味で話を聞いていた私は、思わず体を仰け反らせて黙ってしまう。
えぇ? な、なに……?
「昨日シアは何度か目にしたはずだ」
昨日? 昨日はテオ様と一緒にアルドリールの魔術具通りへ行った。
そこで目にした、魔術師が魔力を使って魔術を発動させるために必要なこと……?
「…………呪文?」
「そうだ」
私の呟きにも似た答えに、テオ様は満足そうに微笑んだ。
「さぁ、ここからは現代の魔術についてだ」
神話から古代へ、そして現代までやってきた。
私はワクワクしながら、話を続けるテオ様の目をまっすぐと見続けた。
「呪文が生まれたことで、魔術は教えやすく学びやすくなった。そうして誕生したのが魔術学校だ。入学した者は最初に魔力と魔術についての基礎を学ぶことになる。
ほら、ちゃんとした料理を作るためには材料や調理方法についてある程度の前提知識が必要だろう? それと同じだ」
料理好きな私にわかりやすい例えをしてくれるテオ様の優しさが嬉しい。
そうして喜ぶ私をテオ様は優しく見守っている。
「魔力と魔術について基礎を学んだら、次は自分が持つ魔力の理解を深めていく。
人が持つ力について話しただろう? 人は自分の生命力や精神力などは何となくイメージして理解ができる。それらと同じように自分の魔力をイメージして理解できるように、そして理解した魔力を自在に使えるように、自分自身と見つめ合って心身を鍛える訓練だ」
「何だか難しそう……」
「神話の時代では人々は自分のマナを理解した上で自由自在にマナが使えたんだ。それと同じだな」
「……うーん……?」
早くも私にはわからないことになってきた……。
しかめ面で首を傾げる私にテオ様は「まぁふんわり聞いておけ」と朗らかに笑った。
「魔力について学んだ。魔術について学んだ。自分の魔力もわかるようになってきた。
さぁここから呪文の勉強が始まる」
「呪文の勉強が思っていたよりも遅かったです……」
魔術師は呪文を唱えれば魔術が使えるものだと長年思ってきた私にはそう思えてしまう。
考えを振り払おうと頭を左右に振っていたら、テオ様に苦笑されてしまった。
「前も軽く話したが、魔術は武器だ。剣士だって正しく武器として剣を使うためには土台が必要だ。剣術について学んで、満足に剣が振るえるように己の体と精神を鍛える。それと同じだ。
土台ができていない中途半端な状態で呪文を学んだら、最悪の場合だと魔術が暴走して死者が出る。それを防ぐためにも、呪文を学ぶのは土台作りが出来たこのタイミングとなる」
……そうだ。魔術は武器なんだ。神話の時代だってそれで戦争が起きて、たくさんの人が亡くなったんだ。
浮かれつつあった気持ちが引き締まる。
「シア、そんなに固まらなくていいぞ? ほら、深呼吸」
カチコチになっていたら、またテオ様に苦笑されてしまった。
深呼吸、深呼吸……。
素直に深呼吸する私を見て、テオ様は微笑ましい物を見るように目を和ませていた。
「さて。簡単に呪文の話をするが、ここから先はふんわり聞き流せばいいからな。呪文には専門の単語と文法が存在する。つまり特定の言葉を決まった法則で組み立てるってだけの話だ」
何だか難しそう……としかめ面で思った途端に、テオ様は表現を崩してくれた。
「一つ例として実践しよう」
そう言って、テオ様は掌を上にした左手を前に出した。
「シング・トレス・フロワ・ファイア」
テオ様が流暢な発音で唱えると、左手の上に小さな火が三つ浮かんだ。
えっ?
「呪文はこんな風に専門の単語を決められた法則で構成した物だ」
「――――ッ」
「シア?」
「テオ様が呪文を使ったぁぁッ?!」
衝撃だ……。
衝撃すぎる……。
そして、違和感しかない……ッ!
愕然としていたら、テオ様はプッと吹き出して笑った。
「あははっ。なんだその面白い反応はっ」
テオ様は声を出してケラケラ笑っているが、左手の火はそのまま安定して保っている。
「ほら、シア。戻ってこい。説明を続けるぞ?」
「……はぁい」
冷静さを取り戻そうとお茶を飲む。
うんうん、美味しくていい香りだね。
さっ、戻ろう。
スンと澄ました私に、テオ様は小さくクスッと笑った。
「今の呪文で大まかな構成が伝わるだろう。まず最初にくるのは、発動する魔術の等級だ。
現代魔術には十段階まで等級がある。初級、二級、三級と上がっていき、最後が十級だ。コレはシング、初級魔術だな」
「へぇー……」
私は関心の声をあげる。
テオ様が「ふんわり聞いていい」と言ったのだから、私はふんわり聞くことにした。
「等級の次は、発動する数だ。火が三つあるだろう? トレスは三つという意味だ」
私がふんわり聞いているので、テオ様もふんわり説明してくれそうな気配がしてきた。
「その次は、発動する魔術の追加効果だ。今回の追加効果は、冷たくすること。フロワは冷たいという意味だ」
「冷たい……?」
「手を近付けてごらん」
火が冷たい?
不思議に思って首を傾げていると、テオ様はクスッと笑って左手を私の前へと寄せた。
試しに手を伸ばして近づけてみると……、火なのにひんやりしている。凄く不思議な感覚だ。
「そして、最後。発動する魔術のベースがくる。コレは火、ファイアは火という意味だ。初級魔術・三つの・冷たい・火」
「へぇー……」
難しいけれども、興味深くて面白い……。
わからないなりに感嘆の声をあげる私を微笑ましそうに見ながら、テオ様は左手の火をフッと軽く吹き消した。
「このように、呪文には専門の単語と文法が必要だ。文法を間違えたら発動自体しないし、単語を間違えたら違う魔術となる。だから素でスラスラと呪文を唱えられるようになるためには、ひたすら専門の単語を覚えないといけない。文法の法則も覚えてしっかりと身に付けないといけない。
とはいえ、全部を覚えるのは難しいからな。現代の魔術師はメモや小さな辞書を持ち歩いていることが多い」
「……」
ああ……、読み書きが出来ない私には絶対に無理だ……。やっぱり勉強には読み書きが必要なんだ……。
落ち込みそうになったけれども、テオ様は「ふんわり聞いておけ」と言っていたのだから深刻に考えないようにしなきゃ……。
そんな私の様子を注意深く観察しながら、テオ様は続けた。
「最後になったが、魔術学校の入学に必要な資格は二つだ。
一つは、ある程度の|魔力量を保有していること。もう一つは、マナを魔力として使う才能があること」
「……」
私は「ある程度の魔力量はあるけれども使えない」だから、そもそも魔術学校の入学資格がないんだ。
わかっていたことだけれども……、やっぱりガッカリしてしまう……。
しょんぼりと下を向いていたら、テオ様が私の頭をわしゃわしゃと撫でつけた。
愛のある弄りに顔を上げると、テオ様は何かを企んだような顔でニヤニヤしている。
「ま、シアには関係のない話だったな。シアは魔術学校へ入るわけではないし、シアが魔力を使えるようには俺がするわけだしな」
そう。
私はテオ様に教わるのだから魔術学校は関係ない。
そして、本来なら魔力が使えない私をテオ様が使えるように――。
「……」
そんな方法があるのなら、世の中が魔術師だらけになると思う。
マナは誰だって持っている。
マナの使い方も伝わっている。
あとはどうにかしてマナを――魔力を使う才能をどうにかすれば、多くの人が魔術師になれるんだ。
どうにかして……、どうにかすれば……。
どうにか……。
「……本当に私も魔術を使えるようになるんですか……?」
不安になってテオ様をおずおずと見ると、テオ様は何かを企んだような顔でニヤニヤしていた。
「俺ならできるなぁ」
「テオ様の魔術でどうにかするんですか……?」
「そうだなぁ」
「どうやるんですか……?」
「それは言葉では説明出来ないなぁ」
…………。
ん?
「言葉では説明出来ない魔術、なんですか?」
「そうだなぁ。言葉や文字では説明も理解も難しいなぁ」
ん? んん……?
えっ?
は?
「…………」
私は今かなり変な表情になっていると思う……。
奥歯に物が挟まったようなムズムズ感から微妙な顔になっている自覚がある。
そんな私の反応にご満悦なテオ様が、また語り始めた。
「古代の時代――。人々はマナが使える者のことを『エインシェント』と呼んだ。エインシェントは人々の生活を支える存在となり、人々は厳しい環境下でも生き残ることが出来た。
時代は下り、文字が生まれた。一部のエインシェントは、マナの使い方を後世へと伝承する手段として、エインシェントの術を文字や言葉の形へと改変した。改変されたエインシェントの術の最たる一部が、現代の魔術だ」
「えいんしぇんと……」
たどたどしく繰り返すと、テオ様は満足そうな笑みを浮かべた。
「その一方で、文字と言葉には頼らずに昔ながらの方法で術を次代へと伝承するエインシェントも残っていた。文字や言葉の形に残せて呪文で使う魔術が伝承しやすいのに対して、呪文を持たずにマナを使うエインシェントの術は伝承が難しく、人数もかなり少ない。
それでも細々と確実に、古来のエインシェントは伝承されて、現代まで残ってきた」
「……ぇ」
息がしにくい。
全身の毛穴がブワッと開く。
目が大きく見開かれる。
そんな私に、小首を傾げたテオ様は悠然と微笑んだ。
「俺はその一人だ」
鳥肌が立った。
「テオ様が……、えいんしぇんと……」
たどたどしい言い方をする私に対して、テオ様はいつもと変わらない様子で楽しそうに笑った。
「俺が呪文を使わないのは、エインシェントに呪文は必要ないからだ。俺は現代魔術も学んだから呪文も使えるが、正直に言って面倒くさい」
テオ様はさっきは呪文を使って出した三つの冷たい火を、今度は呪文なくあっさりと出した。まるで遊ぶかのように左人差し指でクルクルと火を器用に操っている。
……衝撃からどうにか戻った私は、乾ききった口でお茶を一口飲み込んでからテオ様を見た。
「じ、じゃあ……、テオ様は正確には魔術師ではないんですか?」
私の質問に、テオ様は「それが少しややこしいんだ」と面倒くさそうにため息をついた。
「俺は確かにエインシェントだが、現代でいう魔術方面への伝承に力を入れてきた系統のエインシェントだ。おまけに、エインシェントは良くも悪くも目立つ。だから俺みたいな魔術方面に特化したエインシェントは、普段は単純に『魔術師』を名乗っている」
「名乗っているだけ、なんですか?」
「ま、誇りの問題だな」
テオ様は拗ねたようにソファの背もたれに体を思いっきり倒した。
「魔術世界において、今現代に広まっている魔術は『現代魔術』、俺みたいなエインシェントの術は『古代魔術』と区別される。その流れでいつしか現代魔術を使う魔術師を『現代魔術師』と呼び、古代魔術を使う魔術師を『古代魔術師』と呼ぶようになった。
他者が俺達をただ単に魔術師と呼ぶのには慣れているし、俺達だって単純に魔術師と名乗っている。使っている術だって普段から魔術と言っているし、使っているマナも対外的には魔力と呼んでいる。
だが――、俺達は『エインシェント』だ。遥か古代から伝承してきた誇りがある。そこだけは譲れない」
一気に言い切ったテオ様は、それまでずっとクルクルと遊んでいた冷たい火をパンッと火花のように打ち消した。
「とまぁ『俺が使う魔術は古代魔術でした』というところで、今日はここまで」
「……ふぁい……」
何だかもう頭が溶けそうだ……。
放心状態の私に、テオ様はケラケラと笑った。
「おいおい、大丈夫か? ふんわり聞いておけと言っただろうが」
「そんなの無理です……」
「真面目だなぁ」
テオ様はまるであやすかのような優しい手つきで私の頭をよしよしと撫でた。
「そのままソファで伸びていなさい。夕飯は俺が作るし、洗濯物も取り込んでおくよ」
「……ふぁい……」
お言葉に甘えてゴソゴソとソファに体を馴染ませると、テオ様はまた笑って私の頭を優しくポンポンと撫でてからキッチンへと向かった。
キッチンとパントリーから聞こえてくる物音とテオ様の気配が心地いい。
「……」
テオ様は、えいんしぇんと……。
……エインシェント……。
…………何だか……かっこいい……。
放心した頭で色々と考えた結果、最後に残ったのはそれだった。




