最初の授業
魔術具通りから帰宅して私が洗濯物をたたんでいる間に、テオ様がお茶を淹れてお茶請けも準備してくれた。
テーブルの椅子に座って、テオ様と一緒にのんびりと休憩する。
テオ様が選んだ茶葉はほどよい渋みの向こうに甘味があって、私が自覚していなかった心身の疲れを洗い流してくれた。
「やっぱり家は落ち着きます……」
「お疲れ様」
お茶を飲んでホッと脱力していたら、向かいの席でお茶請けのナッツをつまんでいたテオ様が苦笑した。
「夕食は俺が作ろうか?」
「あっ、大丈夫です。もう準備してあるんです」
そう――。
最近テオ様が作ってくれた保冷庫の中に、朝から仕込んだ物がすでに眠っているのだ。
生姜とニンニクを混ぜた調味液に、鶏肉をじっくりと漬け込んでいるのだ。
後は表面に粉をはたいて、熱した油でカリッとジュワッと揚げる……!
私もテオ様も大好きな一品だ。
そしてデザートにはベリーのソルベ。揚げ物を食べた口がさっぱりするはず。
テオ様が保冷庫に冷凍機能も付けてくれたから、ソルベみたいな変わった物も作れるようになって本当に料理が楽しくて仕方がない。
揚げ物とソルベの味と食感を想像して思わずニヤニヤしていたら、テオ様は可笑しそうに笑いながらテーブルに頬杖を突いた。
「なら、楽しみにしておくよ」
「楽しみにしていて下さい」
お互いに向かい合ってクスクスと笑い合う。
こうして気持ちが通じ合うとくすぐったいような楽しい気持ちになる。
「そういえば、あの保冷庫も魔術具なんですよね?」
「そうだな。俺が術式を組んで作ったからな。確か前にも話したと思うが、魔術具は魔術師が魔力を用いて作成した物だ。ここで注意なのが『魔術師が作った』という点だ」
「? どういうことですか?」
テオ様が何を言いたいのかがわからない。
不思議に思っていると、テオ様は微笑みながら小首を傾げて私に問い掛けてきた。
「シア、魔術師って何だと思う?」
「ん……?」
そう訊かれると難しい……。
テオ様と出会う前なら「呪文を唱えて魔術を使う人」が答えだったけれど、テオ様は呪文を使わずに魔術を使うし……。
「えっと……、魔術を使う人?」
テオ様は満足げにニコッと笑って「そうだな」と応えて、更に続ける。
「なら、魔術って何だと思う?」
「えぇぇ? 何って、何かこう……、不思議なこと……?」
どうにか答えを捻り出した私に、テオ様は上機嫌そうにクスクスと笑っている。
「そうだな。もっと言うなら『魔力を使って起こす不思議なこと』だな」
「なる、ほど? 魔力……」
「じゃあシア、魔力って何だと思う?」
「ええぇっ?」
質問をたたみ掛けられた私は思わず天井を仰ぎ見た。
「えっ? 不思議な力、とか……?
――テオ様ぁっ、笑わないで下さいよっ!」
ずっと上機嫌で笑っているテオ様の反応がもどかしくて、私はたまらずにテーブルへと突っ伏した。
ああ、テオ様がご機嫌で笑う声がする……。
「あははっ。いやぁ、悪い。シアの反応があまりにも理想すぎて、つい嬉しくてなぁ」
「?」
どういうこと……?
そろそろと顔を上げてテオ様を見ると、テオ様は笑いで目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭っていた。
目が合うと、フワッと優しく微笑まれる。
「合っているよ。魔力は不思議な力だし、魔術は不思議な力である魔力を使って起こす不思議な何かだし、その魔術を使う人間が魔術師だ」
「は、はぁ……。ふわふわですね……?」
「ふわふわでいいんだよ」
困惑する私に、テオ様は満足げに頷いた。
「小難しい定義なんざ放っておけばいい。魔術の真髄なんてふわふわでいいんだ」
「いいんだ……」
「いいんだよ」
テオ様は繰り返して言うと、ギシッと音を立てて背もたれに深く寄り掛かった。
「シア。魔力の話をしようか」
そう切り出されて、私はドキッとした。
「えっと……、授業ですか?」
「まぁな。そう身構えずにふんわり聞いておけばいい」
思わず姿勢を正した私にクスッと笑ったテオ様は、ポットからカップへお茶を注ぎ足した。
立ち上った香しいお茶のいい香りが緊張を少しずつほぐしていく。
「俺がシアの魔力について話をした時に、疑問に思わなかったか?
何故、すべての人が魔力を秘めているのか。
何故、魔力を使える人と使えない人がいるのか」
「……思いました」
テオ様は私の魔力について「ある程度の量はあるけれども使えない」と言っていた。
そもそも私に魔力があるなんて思っていなかったのに、人間全員に魔力があるだなんて考えつくはずがない。
しかも私の場合は「本来なら魔力が使えないのにテオ様が使えるようにする」というイレギュラーなパターンだ。
「人には様々な力があるのはわかるか?」
「ちから……?」
「例えば精神力や生命力、気力、体力もそうだな。自分の体力や精神力はどんな感じなのか、何となくイメージがつくだろう?」
それは……、確かに。
少なくとも三ヶ月半前の私は全滅だったけれど、今では上向きになっていると思う。
特に生命力と気力がそうだ。契約破棄をしてから食欲が増したり体や心が元気になって、何だかググッと増えた感じだ。
私がそう答えると、テオ様は満足げに頷いた。
「そうだな。そんな風に生命力などでは想像がつくが……。ここに魔力が入ると、どうだ? ピンとこないだろう?」
「……はい。さっぱり、わからないです」
体の中にあるイメージすら思い浮かばない……。
本当にあるのだろうか、と今でもまだ疑問に思う。
「ここからは少し長い歴史の話だ。楽にして聞いていなさい」
テオ様は前置きを言って、お茶で口を湿らせた。
私も言われた通りにリラックスしようと思い、お茶をコクンと一口飲む。
「今からずっと遥かな昔……、人がまだ文字を持っていなかった神話の時代だ。
その頃の人々は誰もが不思議な力を持っていた。不思議な力のことを人々は『マナ』と呼んだ。全ての人々が自分が持つマナを理解していて、誰もがマナを手足のように操ることができて、色々なことができた。
火も水も自由に使えたし、採集にも狩猟にも困らないから飢えることもないし、暗くなっても明るく照らせたし、怪我や病気があってもマナで治すことが出来た。マナは『出来ないことがない』とされるほどに万能な力だった」
「まな……」
自分の話をじっと聞き入っている私が嬉しいのか、テオ様は楽しそうに目を細めている。
「そのまま人々は仲良く平和に暮らしました、で終わればよかったんだが……。マナは武器にもなり得た。狩猟に使っていたマナは他者へ向けられるようになり、喧嘩から争いへ、やがて大きな戦争へと移行した。
マナは万能な力だ。その影響で大多数の人々が犠牲となり、数多の動植物が失われ、大地は死が蔓延る場所へと変貌した」
いつの時代も力を持つ人の行動は変わらないなぁ……と思ったけれど、そもそもこれは神話の時代の話だった。
ご先祖様がコレなら、さもありなん、だ。私は少し微妙な気持ちになった。
「そうした人々の暴虐に怒ったのが、とある神様だ。神様は人からマナの使い方を忘れさせて、人がマナを使えないようにした。――こうして、神話の時代は終わった」
神様が直々に出てくるなんてさすが神話の時代だ。
……いや、神様が直々に出てこなければならないほどに悲惨な状態だった、ということか。
人同士の争いに留まらず世界さえも壊しているのだから当たり前だ。どんなに温厚な神様でも人の有り様に激怒するに決まっている。ーーだが。
「神様はどうしてマナを直接取り上げたりしなくて、わざわざ忘れさせたんですか?」
随分と遠回りなことをしている気がする……。
ちょっと困惑している私に、テオ様はひょいと肩を竦めてみせた。
「神様が人からマナそのものを取り上げなかったのは、マナが生命力や精神力と同じように生き物を形作る大切な要素の一つだからだ。生き物はマナがなければ死んでしまうから、神様が人からマナを取り上げたら人は生きていられない。どんなに人が愚かであっても、神様は人を生かすことを選んだわけだ」
そうか。神様は人を滅ぼしたかったわけではないんだ。
神様からしてみれば人はどうしようもない存在だろうに……。私が神様だったら絶対に赦さなかったと思う。
「さて。神話の時代は終わって、人々が自分達の力で生きるために泥臭く足掻く古代の時代へとなった。
マナが使えなくなった人々は戦争どころじゃない。しかも人々が生きていく場所は、神話の時代に祖先が破壊し尽くした大地。今や死が蔓延る世界だ。
まず、十分な水を得ることが困難だ。植物は少なく、動物も僅かにしかおらず、人々は満足な食べ物を得ることも出来ない。しかも昼間は灼熱で夜は極寒という環境……、地獄に等しい死の大地だ。
そんな状況下で人々はどうにかして生きようと懸命に足掻いた。今日を明日を生き残ろうと、精一杯だった」
……自業自得とはいえ、人々にとって辛い状況だろう。
いや、違う。そもそもその時代に生きている人はご先祖様の愚行とは無関係な無実の存在だ。無実の子が親の罪を否応なしに背負わせられたようなものだ。
私が神妙な面持ちでテオ様の話を静かに聞いていると、テオ様はフッと表情を和らげた。
「かつて神話の時代、神様は人からマナの使い方を忘れさせた。だが人を生かすことも選んでいた神様は、人が生き残るための鍵を密かに残していた。
――死と隣り合わせで懸命に生きていた人々の中に、不完全ながらもマナを使える者が現れるようになったんだ」
「えっ? 大丈夫なんですか?」
思わず大きな声が出てしまった。
そんなことをしたら、また争いや戦争が起きてしまうのでは……?
ポカンと口を開く私に「そう思うだろう?」とテオ様は苦笑する。
「幸いだったのは、こういった者達が本当にごく僅かであったこと。そして、マナの使い方が神話の時代と比べて不完全であったこと。マナが使える者達は再び戦争の火種になるどころか、人々の厳しい生活を支える貴重な存在となった。
やがて世界はゆっくりと再生していく。死が満ちていた大地は生命に溢れる世界へと変わっていった」
「……神様、人に甘すぎるのでは……?」
思わず声に出して呟いた私に、テオ様は「そうだなぁ」と苦笑する。
テオ様はお茶を飲んで、再び話し始めた。
「安定した暮らしを得た人々は人口を増やしていき、ついには『文字』を生み出した。これまで身振り手振りと口伝で伝えてきた先人達の知識と経験を、文字の形で後世へと繋ぐことができるようになったんだ。そこで文字を持たないままマナの使い方を辛うじて繋いできた一部の者達は、どうにかしてマナの使い方を文字に――言葉に起こそうとした。
ここで問題となったのは、マナは想像と感覚で使う物だったことだ。無意識に呼吸する方法を言葉で説明するのは難しいだろう? それと同じで、マナの使い方をそのまま言葉や文字に変えることは困難だったし、理解も困難だった」
「想像と感覚……?」
呼吸の例えがちょっとわかりにくい……。
私が首を傾げていると、テオ様も両腕を組んで首を傾げた。
「そうだなぁ……、もっと例えるならヒラメキのような感覚だな。ヒラメキの感覚なんて、文字や言葉にすることは出来ないだろう? 苦し紛れに『ほら何かこう……、ピンとくる感覚だよ』とか伝えたとしても『何だそりゃ? どうやるんだよ?』『もっと具体的に言ってみろよ』となって理解が難しい」
あ、それなら何となくわかったかも……。
納得して何度も頷いていると、テオ様は可笑しそうにクスクスと笑った。
その後に、テオ様は私へと向ける目を綺麗に細める。
「だからマナの使い方を知る一部の者達は、マナの使い方を文字や言葉で伝わるようにしたいと考え、文字や言葉としての形へと改変を試みていった。試行錯誤の末に、マナの使い方はついに新しい形へと完成した。そうして形を変えたマナの使い方は、無事に後世へと受け継がれてきた。
そして、現代――。
受け継がれてきたマナの使い方の最たる一部を魔術、魔術を使うためのマナを魔力と呼んでいる」
「……すごい……」
私は鳥肌が立っている。
そんな私の目を、テオ様はまっすぐと見据えた。
「何故、すべての人が魔力を秘めているのか。――全ての生き物がマナを持っているからだ。
何故、魔力を使える人と使えない人がいるのか。――人々の中にマナの使い方を知る者が現れるようになったからだ」
「……」
「ほら、さっきのふわふわが何となく理解出来ただろう? 魔力は不思議な力であるマナだし、魔術は魔力を使って起こす不思議な何かだし、その魔術を使う人間が魔術師だ」
「……」
話が壮大で放心してしまった……。
呆気にとられている私を見ながら、テオ様はフフッと笑ってお茶を飲み干した。
「さ、今日はここまでな。ご清聴どうも」
「……お、面白かったです……っ!」
私はまだ放心しながらも、それだけは伝えたくて振り絞って言った。
テオ様は嬉しそうにケラケラと笑いながら席を立つ。
「さて、俺は工房にいるからな。用があったら呼んでくれ」
「はぁい……」
テオ様は私の気が抜けた返事を背中で聞きつつリビングを出ていってしまった。
「……」
――お、面白かった……。
知らない話を聞くことは楽しいし、何よりも先生がテオ様なのが安心する。
テオ様の声は本当に聞きやすいし、私が理解しやすいようにとできるだけ噛み砕いて言葉を選んでくれているのが凄く伝わってくる。
何だか壮大な物語を聞いた気分だ……。いや、実際にそうなんだろうけれども……。
「頭が回らない……」
脱力した私はナッツをポリポリと齧りながらテーブルに伸びた。
何だかもういいや……。夕食の準備までこうしていよう……。




