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2話『栞』

「ところで、栞日記の効力も一日までなの?」


 森の中を歩き始めて体感で十分ほど経った頃、ふと思いついて頭に張り付くフミに尋ねた。


「内容によって異なるの。単発、当日、永続と分かれる」

「単発だと『斬』るとか?」

「そうじゃ。腕力向上など、いわゆるバフは当日じゃな。日付を越して残る場合もある」


 その場で書く一字と、その一字から当日の出来事を夜に清書して翌日に残さず、そして清書して後日まで残す。

 うまく三パターンの継続時間を栞日記から落とし込んだらしい。

 この世界のシステムなのか、それとも貫之たちを転移した八百万の神より上位の神が施した、貫之たちだけのシステムなのかはまだ分からない。

 そもそもどうして貫之たちが転移したのかも不明だ。

 もしかしたら臨死の際の夢で、本当は死に直面していたり、病院に運ばれて意識不明の中で見ている可能性も考えられる。

 人生街道から落ちかけている貫之がこの世界で、何かをしてほしいからこの世界にフミごと来たのだとしたら、せめて案内板くらいはあってほしいと思う。

 魔王を倒せとか、世界を救えとか、何らかの指標があれば楽なのに、何の説明がないと行動の範囲が広すぎて逆に困ってしまう。


「なるべく栞日記の細かいルールは把握しておきたいな」

「説明なら妾がするぞ?」

「教えられるのと体験するのとじゃ覚え方が違うよ。漢字勉強がいい例だろ? 見るのと書くのとじゃ違う」

「確かにの。お主はずっと妾で漢字勉強しとったな」


 何事も実際に動かしたり体験することで身に着く。フミから細かく説明を受けても、それは聞いただけだからすぐに忘れてしまうだろう。自分の考えた方法が土台でも、自分で試して成否を経験して身に着けたほうが、いざ緊急の時でも即座に対応できるはずだ。


「だから教えてはくれても自分で実際にやって覚えてくよ」

「それがよかろう。存分に妾を使ってくれ」

「そうなるとインクを調達しないといけないか。栞日記でインクカートリッジ作っても大丈夫かな」

「問題ないと思う。ああ、大事なことを伝え忘れておった。妾……依り代の方じゃが、五割ほど破損すると妾の魂は死んでしまうから大事にしておくれ」

「えっ!?」


 壊れたら死ぬのは人と同じだから驚かないが、五割壊れたら死んでしまうのには驚いた。


「栞日記で直すことはできるんだよな?」

「いや、自分の力を自分に使うことは出来ん。代わりに交換用の部品があれば問題ない。馴染むのに時間は必要じゃが、交換を繰り返せば妾は死なんから、争いごとがなければ別段心配することはないぞ。部品は栞日記で作ればよいからな」

「そうか……」


 問題ないと聞かされても、フミが死ぬと分かると急に不安になった。

 この世界で唯一の味方であるフミが死んでしまったら、正真正銘貫之は一人だ。しかも自身にチート能力があるのではなく、万年筆にあるからたちまち無力で無能な人間になってしまう。

 内政無双のような地球の文化や文明を持ち込むような知識は、執筆するにあたって勉強はしても多くがその都度の外部入力だ。すでにインプットされている知識では、特許を取って左手うちわとは行かない。


「なら何があってもお前を守る方法を考えたほうがいいな」

「それは嬉しいが、金庫に入れるようなことはやめておくれ。壊れる不安はあっても、使われないほうがもっと嫌じゃ」

「……使いやすく、かつ守れる方法を考えるよ」

「頼む。いくら人格を有しても物である本質は変わらん。物は使われてこそ意味があるから、使われずに大事に扱われるのは我慢できん」

「分かった。そこは守るよ」

「ありがと」


 誇張抜きでフミこと万年筆は高級品だ。その見た目から盗まれることもあるし、行政側に奪取されることもありえる。

 どんな状況であっても万年筆の存在を悟られず、守り、尚且つすぐに使えるような方法を考えないとならない。


「それにしても、いつまでたっても森だな。獣道すらない」

「……そろそろ方角を再確認するか。貫之、まだ腕力は上がったままのはずだからまた空に投げておくれ」

「分かった」


 遠目に見える目印がなければどうしても道を外れてしまう。それが遭難の主な原因の一つで、フミはそれを防ぐべく投げるよう要望して、貫之はそれに従ってさっきと同じ要領でフミを空へと投げた。


「――やはりずれておった。こっちに向かっとくれ」


 投げてから数秒で、今度は頭に直接戻ってきたフミは、いま向いている方向から左斜めに腕を伸ばした。


「了解」


 二度目となればもう驚かず、貫之は素直に指示に従ってその方角へと歩き出す。


「それにしてもフミがいてくれてよかったよ。栞日記が使えるとしてもフミがいなかったら何もできなかった」


 間違いなく自力で栞日記の存在を思い出すことは出来なかっただろう。栞日記自体五年以上使っていなかったから、使えるとしても条件を自力で満たすことはまずなかった。


「それはこちらも同じじゃ」


 ぎゅっとフミの抱擁が強まる。

 道具とはいえ愛用していた相棒から頼られると嬉しく、疲れても足取りは軽い。

 野生動物との遭遇も幸か不幸かなく、少しずつ日が陰りながらも歩を続めた。


      *


 体感で二時間ほど森の中を歩いていると、木々の奥に見えるさらなる木々が途切れ始めてきた。


「はぁ……はぁ……ようやく森から出られる」

「お疲れさん。ほれ」


 普段から運動をしないから二時間の森の中の移動はかなりの疲労だった。足は重く、足の裏も鈍く痛い。靴も急造だから痛く、怖くて見られないが靴ずれしていると思うほど踵や甲が痛かった。

 するとフミは貫之の頭を軽く叩いた。

 叩いたと言っても羽で叩かれる程度の強さで、受けると同時にたちまち疲労感と体中の痛みが引いていく。足も一気に引いて軽くなった。


「おっ?」

「お主の体調を歩き出す前に戻したんじゃ」

「そこまで出来るのか。チートとか言っても万能すぎるだろ」

「美容整形、ダイエットもお手の物じゃ。多分永続で出来るから、これを商売するのもよいな」

「誰もが美男美女になれる。若返りも出来るなら人は集まるな」

「それと一緒にトラブルや面倒ごともな」


 ワンタッチで若返りと美容整形できるなら、貴族や富裕層は間違いなく近づいてくる。有益となれば独占しようと動く輩もいよう。

 これもチート能力に付きまとう定番のトラブルだ。


「栞日記で商売をするかは落ち着いてから考えよう」

「じゃな」


 体調を回復した貫之は、森の端の木陰に身を隠し、慎重に様子をうかがった。

 森の外には、切り開かれた道と、扇状に広がる広場があった。その奥――三十メートル近い高さの建物が並び、まるで城壁のようにそびえている。

 城壁に見せかけて、実は中が建物。防御と実用性を兼ねた設計だろう。

 そして、人がいた。

 街の入口には、両開きの門。その前には列を成す人々と、二種類の乗り物があった。

 一つは馬が引く馬車。もう一つは、汽車のような構造をした自走式の車両――


「馬車と……あれは自動車、か?」

「にしては形が汽車に近いの。つまり、蒸気機関車じゃな」


 円筒状の車体、前方に取り付けられた煙突。資料でしか見たことはなかったが、これは間違いなく蒸気自動車。

 ならばこの世界の文明レベルは産業革命期相当と推測できる。

 人々の服装もまた、紳士的なスーツスタイルで統一されていた。


「……ってことは、一八〇〇年ごろか。うーん、なんとも微妙な時期だな」

「文明無双するにしても、斬新さは望めぬからの。むしろ科学の発展が始まった分、やりにくいかもしれん」


 確かに、文明格差が大きければこそ現代知識で英雄にもなれたかもしれない。だがこの時代は違う。発展は始まっていて、知識も意識もそれなりにある。

 貫之のような一般人が、たかが知識で革命を起こすには既に時期が悪すぎた。


「文明レベルは分かった。で、あの高い建物は防壁の役割も兼ねてるよな。なら、正面の門以外からは街に入れそうもない」

「その通りじゃ。それらを踏まえてお主はどう動く?」

「……問題は人種的に、俺は確実に外国人って見られることだな」


 異世界転生なら最初から現地人の肉体で始まる。

 だがこれは転移。日本人のままこの世界に放り込まれた。

 もしこの世界が閉じた人種社会であれば、門をくぐる前から警戒されるだろう。入国拒否、監視、あるいは捕縛。

 そうした現実を考えると、対策は一つ。


「……フミ、『栞日記』で外見を変えるってのは?」


 問いかけると、フミの小さな体がきゅっと貫之にしがみついた。

 肩に乗る腕の力が、ほんのわずかだけ強まる。


「できる。容姿を変えることは、妾の神通力でも可能じゃ。……じゃが、の」


 言葉を選びながら、フミは静かに言葉を紡ぐ。


「妾としては……貫之には、貫之であってほしいんじゃ。仕方ないこととは分かっておる。でも、他の姿になってしまうのは、ちと……寂しい」

「そうは言われてもな。東洋人的な人が入り浸ってるならいいけど、いなかったら一発で注目を集めて職質とかされるぞ」

「そもそも産業革命前後の戸籍の管理はどうなっとるんじゃ?」

「……知らない」


 現代知識でもろもろ語っているが、そもそも地球の産業革命時代の戸籍管理なんて知らないし、この世界なんてもっと知らない。


「ならばあれこれ考える前に動くのもアリではないか? 少なくとも妾たちの力があればごり押しは出来る」

「なるようになれか」

「もちろん、妾はお主の判断を尊重する」


 提案はするが推すことはしない。あくまで全権を持つ貫之に任せると言うことだ。

 無責任と思う反面、道具に責任を持たせるのもおかしな話である。


「……挑戦してみるか」


 無難なのが現地人の顔を模倣して入るか、または体を透明にして忍び込むかだ。

 しかし理由は不明でも異世界に来たのに安全策だけを取るのは、矜持に反する気がする。それに問題が起きてもフミがいれば逃げることは可能だから、挑戦をする意味はあるはずだ。

 貫之はそう決意して理由付けを考え始める。


「とりあえず栞日記でここの言葉を覚えよう。それは出来るだろ?」

「出来る。『吸』『言』『語』『学』と書いて、言葉を学習するイメージをもって現地人に触れれば会得できる」

「そうなると触れる口実が必要だな」


 どの時代でも初対面の人間に触れられていい人はいない。近寄れば警戒するし、時代に関係なく危害を加えられるかもとして反撃もあり得るだろう。ましてや人種や服装と合わせて異なるのだからより拍車をかける。


「……フミ、フミが俺に透明化させて、俺は俺で文字を書いて準備することって出来る?」


 先ほどのフミが単独で栞日記を使ったことを思い出して尋ねた。


「妾自身がするのと、依り代で発言する栞日記は別じゃから、お主に妾が掛けたうえでお主が独自の力を使うことは可能じゃ」

「同時に二字は疑似的に可能ってわけか」

「ただし、使える文字は共通じゃから注意しろ」

「いまのところフミが使った文字はなに?」

「『脱』『服』『靴』『引』じゃな」

「これ、常に今日使った字を覚えてないと、いざって時にかぶるな」


 早めにメモ帳を用意し、文字通り栞日記として書き留めておかなければ問題になりそうだ。ともかく貫之は自分の腕に、気が付いてから今までに書いた文字を万年筆で書き記す。


「じゃあフミ、俺の体を透明化してくれる?」

「ほい来た」


 軽く頭を小さな手ではたく感触が来る。自分の手を見ると、あるはずのところに手がなかった。左手、右手、自分の下半身を見てもそこにはなにもなく、違和感が一気に脳内で炸裂した。


「うわ、気持ち悪っ!」


 自分で指示しておいてなんだが、あるのにないとなるとそのギャップから脳が混乱してしまった。


「あれ、フミ、万年筆は消えてないぞ」


 貫之の体と身に着けている服は消えたが、万年筆は消えずに宙に浮いていた。ちょうど貫之が右手で持っている高さだ。


「基本的に依り代となる道具に、自身の神通力は掛からんのじゃ」

「じゃあひび割れとかしても栞日記で直すことは出来ないってこと?」

「そうなる。故に交換をして馴染ませる必要があるわけじゃ。神通力を掛けることは出来ないが、それで作り上げた物なら問題ない」

「……汎用性の高い能力な反面制約も色々とあるってことか」

「いや、多分それは全ての依り代の共通の決まり事じゃ」

「そうなの? あとで整理しないとこんがらがるな」


 ともかく今はこの世界を知ることだ。

 幸い万年筆は見えるから、あとは感覚だけで左手に狙いを定めて『吸』の文字を書く。


「貫之、依り代は妾が預かる。そうでなければ宙に浮く万年筆として注目を浴びるからな。少しばかりじゃが一人で行っておくれ」

「……分かった」


 フミの言う通り、宙に浮く万年筆をもって人前に出ればすぐにバレてしまう。見えないからこそ安全だが、唯一の味方であり相棒を手放すことには躊躇してしまった。

 それでもこの世界を知るためにも右手に持つ万年筆をそっと地面へと置き、頭から重みが消えたことを確認して貫之は森から街道へと出た。

 街道では徒歩、馬、馬車、蒸気自動車と特に交通ルールが敷かれている様子もなく、速度も方向もバラバラで、衝突しないのが不思議なほどだった。

 改めてこの世界の人を観察すると西洋人の姿をしていた。一見すると過去の世界にタイムスリップしたのではと誤解してしまうが、分かりやすい身体的特徴が人々の目にあった。


「赤、青、緑……」


 茶色を基調に虹彩はその他の色をしているが、ぱっと見でも分かるほどにこの世界の人々の目の色は多彩だった。

 真っ赤な赤があれば、真っ青な青、新緑の緑と、アニメでしか見ないようなはっきりとした色の目をしている。

 ここまであからさまに目の色が違う人はいないから、明らかにここは地球とは異なる世界だ。

 貫之はとりあえず徒歩で移動する旅人らしい男性に近づいて、この世界のことと言語と言った知識を安全にインストールするイメージをもって右手で触れた。

 瞬間、貫之の中にあった日本語と日本に関する知識に並ぶように、この世界の言語と、それを形作る文化や常識が一気に流れ込んできた。

 対象者の人生を経てインプットしてきた限定的であるが『この世界』のことが、貫之の脳内にインストールされる。

 イメージの段階で『安全に』と加えたおかげで、知識は無理なく統合されていった。もしそれがなければ、何ギガ、何テラバイトもの情報が一気に流れ込んだことで、思考が破綻していたに違いない。

 おかげで、この世界、この大陸、この国、この国の言葉を理解することが出来た。

 貫之は旅人から離れてフミの元へと戻る。

 万年筆が己の神通力非対象なのは都合がよかった。フミも姿を消しているから所在が分からなくても、万年筆は見えるから困ることはない。

 万年筆は地面から十センチほど高さのところで浮いており、掴むと万年筆以上の重さを感じた。


「フミ、万年筆掴んでる?」

「無論じゃ」


 手探りで万年筆の下に手を伸ばすと確かにフミの感触があった。衣服と小柄な肉体の柔らかさがある。

 先はフミの栞日記で自身と貫之、両方を透明化した。なら貫之が解除をすれば二人とも戻るはずで、貫之は感触だけでフミを左手から左肩に乗せるよう動かし、肩に重さが掛かるのを確認してから左手に『戻』と書いて自分の胸に押し付けた。

 力の出口は二手に別れても、共通する条件とエネルギー源は同じだ。ならばどちらで掛けても戻らない道理はなく、当てた瞬間に透明だった空間に貫之の体が出現した。


「お疲れさん。情報は得られたかの」

「ばっちり。文字も学んでたみたいで覚えられたよ。それじゃフミにもインストールを……」

「いや、妾はお主に教わりながら知っていきたい。どちらも同じ知識を持つと同じ意見しかでないからの。妾は別意見を言えるようにしとく」

「それはいいけど、この世界――ミロストリア大陸の言葉も?」

「それはやっておくれ。言語だけでいい」

「分かった」

『与』と書いて、フミを鷲掴みにしてこの世界の言語のロベロ語をインストールする。

「さて、では街に入り込むとするかの」

「行きますか」


 貫之は改めて森を抜けた。

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