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ウェスタリア・サーガ:亡国の王子と喋るスライム  作者: 信川紋次郎
凍星(いてぼし)の残響と再生のカンパネラ
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虚無の鉄槌と魂の牢獄、白竜の谷に響くは誰が声


【虚無の鉄槌、変わり果てた英雄】

「星詠みの調停者」による「魂の再調整」――それは、実質的な魂の改造であり、リアンとその仲間たちから人間的な感情と自由意志の大部分を奪い去り、ただ命令を忠実に実行するだけの冷酷な「執行者」へと作り変える非情なプロセスだった。

数ヶ月が経過したのか、あるいはこの異次元の聖域では時間の流れそのものが異なるのか、それすらも定かではない。

かつてドラグニアの希望の王子と呼ばれたリアンは、今は「執行者リオン」として、その白銀の髪を虚無の風になびかせ、感情の光を一切宿さぬ蒼氷の瞳で、ウェスタリア大陸の各地に残るわずかな抵抗勢力を文字通り「除去」していた。その力は「再調整」によって歪められ、増大し、かつての仲間たち――同様に感情を抑制され、ただ「リオン」の指示に従うエルミナ、ヴォルフ、カイト、セレス――と共に、無慈悲な破壊を繰り返していた。彼らが通った後には、ただ虚無の静寂と、黒い塵だけが残った。

ウェスタリアの民衆にとって、彼らはかつての英雄ではなく、世界の終焉を告げる絶望の象徴、裏切り者として恐れられ、そして深く憎まれる存在となっていた。

しかし、「リオン」が、かつて母ソフィアと再会した白竜の谷近くの、思い出の小さな泉のほとりを破壊した際、彼の心の奥底、魂の最も深い場所で、何かが微かに、本当にごく微かに疼いたのを、彼自身はまだ自覚していなかった。

【エルミナの密かな抵抗、星屑の観測】

「実行ユニット・エルミナ」もまた、表向きは「リオン」の忠実な部下として、その星詠みの力を索敵や情報分析に利用していた。彼女の感情は抑制され、星々との深遠な繋がりも調停者によって歪められていたが、それでもなお、彼女の魂の奥底には、リアンへの、そしてウェスタリアへの想いが消えずに残っていた。

そして、彼女だけが気づいていた。リアンの魂の最深部に、調停者たちによる「再調整」をもってしても完全に消し去ることのできなかった、極小の、しかし決して消えない光の粒子――父アルトリウスの最後の言葉と共に託された「星屑」――が、今もなお微かに瞬いていることを。

エルミナは、調停者に気づかれぬよう、その歪められた星詠みの力を駆使し、密かにリアンの魂の「星屑」に意識を集中させ、それが何を意味するのか、どうすれば再びその輝きを取り戻せるのかを、絶望的な状況の中で探り続けていた。それは、彼女にとって最後の、そしてあまりにも細く、脆い希望の糸だった。

【マルーシャの絶望とプリンの奇跡(の兆し)】

一方、虚無の荒野に「失敗作」として放置されたマルーシャは、奇跡的に生き永らえていた。彼女は、プリンの冷たくなった体をきつく抱きしめ、食べるものも飲むものもなく、ただ絶望の中でゆっくりと死を待つだけの状態だった。もはや涙も涸れ果て、その瞳は虚ろで、かつての陽気な彼女の面影はどこにもない。

だが、数日が経過したある夜、彼女が朦朧とする意識の中でプリンの体を撫でていると、その冷たい体から、本当にごくわずかだが、確かな温もりと、シルフィードの「風の涙」を思わせる清浄な翠色の微粒子が、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ放たれるのを感じた。

「…プリン…ちゃん…?」

マルーシャは、それが最後の夢か幻覚ではないことを確かめるように、プリンの体をさらに強く抱きしめた。まだ息はない。その体は冷たいままだ。だが、あの温もりは、あの光の粒子は、確かに存在した。彼女の壊れかけた心に、ほんのわずかな、しかし無視できない何かが灯った瞬間だった。

【ウェスタリア最後の砦、ソフィアの苦闘】

その頃、ウェスタリア大陸では、ソフィア王妃が騎士団長ダリウス、軍師イザベラ、そしてシルヴァンウッドから辛うじて逃げ延びたグレイファングら「星の民」の生き残りと共に、ドラグニア王国の辺境、人知れぬ山岳地帯に築かれた秘密の砦で、最後の抵抗を続けていた。

ヴェルミリオンは陥落し、マキナもボルグも、そして他の国々もまた、「虚無の侵食者」と、そして変わり果てた「執行者リオン」とその部隊の前に、次々とその抵抗力を失っていった。各地から届くのは、もはや絶望的な凶報ばかりだった。

「執行者リオン」――それが自分の息子リアンであるという残酷な事実は、ソフィアの心を日々蝕んでいた。だが、彼女は決して諦めなかった。

「リアンは…あの子は、必ず自分の心を取り戻します。たとえ、どれほどの闇に囚われようとも…母である私が、あの子を信じなくてどうするのですか…」

ソフィアは、胸に下げたアルトリウス王の形見のペンダントを握りしめ、涙を堪えながら、それでもなお、ウェスタリアの民のために戦い続けることを誓っていた。

【魂の残響、白竜の谷へ】

「星詠みの調停者」から、「執行者リオン」とその部隊に対し、新たな命令が下された。

「ドラグニア王国の抵抗勢力の最後の拠点、『白竜の谷』を完全に殲滅し、ソフィア王妃を捕縛、あるいは抹殺せよ。それが、ウェスタリア『リセット』計画の最終段階への移行条件となる」

「白竜の谷」――その言葉を、調停者の無機質な声から聞いた瞬間、「リオン」の虚ろな蒼氷の瞳の奥で、何かが一瞬だけ、本当にごく微細に、激しく揺らいだ。それは、あまりにも些細な変化で、彼の傍らにいたエルミナでさえ、かろうじて気づくのがやっとだった。だが、その揺らぎは、確かに存在した。

一行は、調停者の力によって、瞬時に「白竜の谷」の入り口付近へと転移させられた。かつてリアンが母ソフィアと再会し、仲間たちとの絆を深め、そして「黄金の穂波」へと旅立った思い出の場所。しかし、今の谷は「虚無」の気配に薄らと覆われ、かつての清浄な雰囲気は失われつつあった。

谷に降り立った「リオン」の前に、ふと、かつての自分自身の記憶の断片――ソフィア王妃の優しい笑顔、エルミナと交わした言葉、プリンと駆け回った草原――が、陽炎のように現れては消えた。

「…ここは…?」

「リオン」の唇から、初めて、命令以外の、そして感情の欠片を宿したかのような、か細い声が漏れた。

彼の魂の奥底で、父アルトリウスが遺した「星屑」が、その呼びかけに応えるかのように、これまでで最も強く、そして切なくまたたいた。

エルミナは、その微細な変化を、そしてリアンの魂の奥底で瞬く星屑の輝きを、敏感に感じ取っていた。これが、これがリアンを取り戻すための、そしてこの絶望に満ちた世界を救うための、最後の、そしてあまりにも危険な最後のチャンスかもしれない、と彼女は直感した。だが、そのためには、彼女自身もまた、大きな賭けに出る必要があった。

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