虚無の奔流と未知なる漂着地、砕け散る心と最後の灯火
【虚無の奔流、未知なる漂着地】
シルフィードの最後の力と、リアンの持つ三つの遺産――父の指輪、「風の涙」、そして「調和の聖具」を宿すお守り――が激しく共鳴し、空間を引き裂いて生み出した次元の裂け目。それは、救いへの道というよりは、虚無の深淵へと続く奈落の入り口のようだった。リアン一行は、その荒れ狂うエネルギーの奔流に飲み込まれ、意識も時間も空間も歪むような、凄まじい感覚に襲われた。激しいGが内臓を圧迫し、無数の不気味な幻影が脳裏をよぎり、魂そのものが引き裂かれるかのような激痛が全身を貫く。
どれほどの時間が経過したのか、あるいは一瞬の出来事だったのか。やがて、彼らはまるで打ち捨てられた人形のように、荒涼とした、そしておよそ生命の息吹を感じさせない未知の大地へと叩きつけられた。
リアンが最初に意識を取り戻した時、目に映ったのは、血のような赤黒い雲が低く垂れ込める、不気味な紫色の空だった。大地は黒くひび割れ、そこかしこから硫黄のような刺激臭と、腐敗したような瘴気が立ち上っている。ねじ曲がり、黒く変色した奇妙な植物がまばらに生え、遠くからは、獣の呻き声とも、風の哭く音ともつかない、不快な音が絶えず響いてきていた。空気は重く淀み、全身にまとわりつくかのような濃密な虚無の気が満ち満ちていた。
「ここは…どこだ…?」リアンは、激しい頭痛と吐き気に耐えながら、かろうじて上半身を起こした。仲間たちの姿を探すが、すぐには見当たらない。彼らは、次元の奔流の中で散り散りになってしまったのかもしれない。
【シルフィードの不在、砕け散る心】
リアンは、折れそうな心と痛む体に鞭打ち、必死に仲間たちの名を呼びながら、この呪われたような大地を彷徨い始めた。やがて、岩陰に身を寄せ合うようにして倒れているエルミナとセレスを見つけ、少し離れた場所で、巨体を横たえ呻いているヴォルフと、その傍らで警戒を続けるカイトを発見した。マルーシャとプリンは、幸いにもリアンの比較的近くに落下していたらしく、マルーシャは気を失っていたが、プリンが彼女の顔を必死に舐めて意識を呼び覚まそうとしていた。
全員が深手を負い、その顔には疲労と絶望の色が濃く浮かんでいる。そして、そこにいるはずの、風のように優雅で、そして嵐のように力強かった風の守護者、シルフィードの姿はどこにもなかった。
「シルフィードさんは…シルフィードさんはどこだ…!?」リアンの掠れた声が、虚無の大地に虚しく響く。
エルミナが、涙を堪え、震える声で答えた。「彼女は…私たちをあの次元の裂け目に押し込んだ後…アズラエル様の追撃を食い止めるために…たった一人で…」その言葉は、シルフィードの自己犠牲を、そして彼女が生きてここにはいないであろうという残酷な現実を、リアンたちに突きつけていた。
「そんな…馬鹿な…!」カイトは、その黒曜石のような瞳から大粒の涙を流し、大地を強く叩いた。セレスもまた、顔を覆って嗚咽を漏らし、同胞であり尊敬する守護者を失った(かもしれない)深い悲しみと怒りに打ち震えていた。ヴォルフは、天を仰ぎ、獣のような慟哭を上げた。またしても、守護者の仲間を、目の前で失ってしまったのだ。マルーシャは、ただ泣き崩れ、プリンはリアンの足元で、悲しげに、そして弱々しく鳴き続けるだけだった。
シルフィードの不在は、リアンたちの心に、これまでで最も深く、そして癒やしがたい傷跡を残した。
【絶望の荒野、アズラエルの呪縛】
この場所がどこなのか、皆目見当もつかなかった。エルミナの星詠みも、この異様な空の下では星々の位置が完全に異なり、何の導きも得ることはできない。セレスも、この大地からは精霊の気配をほとんど感じ取れず、ただ濃密な虚無の波動だけが、まるで嘲笑うかのように満ちていることを告げるだけだった。
「虚無卿アズラエル…奴の言った通りだ…どこへ逃げようと、虚無からは…この絶望からは、決して逃れられないというのか…」
リアンは、アズラエルの圧倒的な力と、その最後の言葉を思い出し、心の奥底から這い上がってくる深い絶望に囚われそうになるのを必死に堪えていた。
食料も水もほとんど底をつき、傷の手当てもろくにできない。仲間たちの間には、焦燥感と疑心暗鬼、そして諦めにも似た無気力な空気が漂い始めていた。
「本当に…本当に助かる道なんて、もうどこにもないんじゃないのか…?」
「もう…全て終わりなんだ…こんなところで、みすみす死ぬのを待つだけなんだ…」
そんな弱音が、誰からともなく漏れ聞こえてくる。かつてあれほど強固だったはずの仲間たちの絆も、このあまりにも過酷な現実の前では、脆くも崩れ去ろうとしていた。
【彷徨う魂、内なる闇との戦い】
生き残るため、というよりは、ただ死から逃れるためだけに、一行はこの不気味な虚無の荒野を、当てもなく彷徨い始めた。だが、この大地は「虚無」の力に深く汚染されており、彼らの弱った精神に容赦なく幻覚や幻聴を送り込んできた。
リアンは、シルフィードを見殺しにしてしまったという激しい罪悪感と、リーダーとして仲間たちをこのような窮地に追い込んでしまったという重圧に、心が押し潰されそうになっていた。夜ごと、夢の中ではアズラエルが嘲笑いながら囁きかけてくる。「お前のそのちっぽけな希望など、所詮はその程度よ。お前が何かをしようと足掻くたびに、大切な仲間は傷つき、世界はさらなる絶望に染まるのだ…お前こそが、破滅を呼ぶ『竜の子』なのだ…」
ヴォルフは、グランフォードとシルフィードの無残な最期、そして自分が力に溺れ、破壊の限りを尽くした忌まわしい過去の罪の幻影に、昼夜を問わず苦しめられていた。彼は、再び「戦乱の巨斧」の呪いに似た、制御不能な破壊衝動に駆られそうになるのを、歯を食いしばって必死に抑え込んでいた。
エルミナでさえ、星々の沈黙と、仲間たちの間に広がる絶望的な空気に、その清らかな心が折れそうになるのを感じていた。彼女の瞳から、かつての聡明な輝きが失われつつあった。
【虚無の狩人、最後の灯火】
数日間、ほとんど飲まず食わずで虚無の荒野を彷徨い続けたリアン一行は、ついに体力も精神力も完全に限界に達し、ねじ曲がった巨大な枯れ木の根元で、まるで打ち捨てられたゴミのように倒れ込むようにして休息を取っていた。もはや誰も言葉を発する気力もなく、ただ虚ろな目で、希望の欠片も見出せない紫色の空を見つめているだけだった。
その時、カイトが、最後の力を振り絞るようにして、かすれた声で警告を発した。
「…何か…来る…! しかも…多数…!」
闇の中から、この地の過酷な環境に完全適応し、さらに凶暴性と狡猾さを増した「虚無の狩人」と呼ばれる異形の魔獣たちが、飢えた赤い双眸を爛々と輝かせながら、一行を取り囲むようにしてその姿を現した。その数は数十体に及び、今のリアンたちでは、到底太刀打ちできる相手ではないことは明らかだった。
「ここまで…なのか…」
リアンは、薄れゆく意識の中で、もはやこれまでか、と全てを諦めかけた。その時、彼の胸に下げられた父の指輪と、シルフィードの「風の涙」、そして「調和の聖具」の力を宿すお守りが、まるで最後の力を振り絞るかのように、ほんのわずかに、しかし確かに、温かい光を放ち始めたのを感じた。
それは、この絶望の淵で、彼らに残された最後の道標となるのだろうか。それとも、ただの空しい抵抗の光に過ぎないのだろうか…。
「虚無の狩人」たちが、その鋭い爪と牙を剥き出しにして、一斉に襲いかかろうとした、まさにその瞬間――。




