大地の最後の咆哮、託されし未来と嘲笑う深淵
【大地の最後の咆哮、緑光の奔流】
「…ヴォルフ…か…? …すまぬ…我が名は…グランフォード…『星霜の…玉座』を…そして…未来を…お前たちに…託す…」
大地の守護者グランフォードの、虚ろな瞳にかすかに宿った最後の理性の光。その言葉と共に、彼の岩石と古木でできた超巨大な体躯は、内部から眩いばかりの翠色の光を放ち始め、急速に膨張していく。それは、もはや自爆という破壊的な現象ではなく、彼自身の生命エネルギーと、この聖域「巨人の寝床」に宿る大地の聖なる力の全てを凝縮し、周囲を蝕む虚無の汚染を根こそぎ浄化しようとする、壮絶にして崇高な最後の抵抗であり、未来への祈りだった。
「グランフォード! やめろォォォッ!」
ヴォルフが、血の涙を流しながら絶叫する。だが、もはや誰にもグランフォードを止めることはできない。
「みんな、伏せて! 風の盾を!」シルフィードが叫び、残された全ての風の力を集めて巨大な風の障壁を展開する。エルミナもまた、最後の魔力を振り絞り、光の防御結界を重ねて張った。リアンは、仲間たちを庇うようにその前に立ちはだかり、胸のお守りと父の指輪を強く握りしめた。
次の瞬間、翠色の光の奔流が、グランフォードの巨体から爆発的に解放された。それは、まるで超新星の誕生を思わせるほどの圧倒的なエネルギーの奔流であり、聖域「巨人の寝床」全体を包み込み、天を衝くほどの光柱となって立ち昇った。その光は、周囲の虚無の瘴気を焼き尽くし、黒く変色した大地を浄化し、枯れ果てた木々に新たな生命の息吹を吹き込もうとするかのように、激しく、そして優しく広がっていった。
【虚無の浄化と守護者の魂】
どれほどの時間が経過したのだろうか。永遠にも感じられた光の奔流がようやく収まった時、リアンたちが目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。あれほどまでに虚無の瘴気に汚染され、死の世界と化していた「巨人の寝床」は、その大部分が元の清浄な姿を取り戻し、大地からは若草が芽吹き、枯れ木には小さな緑の葉がつき始めていた。巣食っていた「虚無の魔物」たちもまた、聖なる大地の力の奔流に完全に浄化され、その痕跡すら残さず消滅していた。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。グランフォードの超巨大な体躯は、完全に消え失せていた。彼が最後に立っていた場所には、巨大なクレーターが残り、その中心には、まるで彼の魂そのものが結晶化したかのように、巨大で美しい翠色の水晶が、静かに、しかし力強い生命の鼓動を宿して鎮座していた。
ヴォルフは、そのクレーターの縁に力なく崩れ落ち、大地に額を擦り付けて慟哭した。「グランフォード…! 我が同胞よ…! なぜ…なぜお前ばかりが、これほどの犠牲を…!」
他の仲間たちもまた、そのあまりにも壮絶な光景と、大地の守護者の崇高な自己犠牲に、言葉を失い、ただ深い悲しみと、彼の覚悟に対する畏敬の念に打たれていた。この世界を守るということは、これほどまでに過酷で、そして悲痛なものなのかと、彼らは改めて思い知らされたのだ。
【託された未来、星霜の玉座の謎】
リアンは、グランフォードの最後の言葉――「…『星霜の…玉座』を…守れ…未来を…お前たちに…託す…」――の意味を、その重さを、噛み締めていた。父アルトリウスの手帳にも、「星霜の玉座」は単なる王権の象徴ではなく、ウェスタリア大陸の均衡を保つための古の超文明の遺産であり、「虚無」の侵攻を食い止める最後の砦となる可能性が記されていた。グランフォードは、その全てを知っていたのだろうか。
リアンが、おそるおそるクレーターの中心に残された巨大な翠色の水晶に近づくと、彼の胸で輝いていたシルフィードの「風の涙」と、父アルトリウスの形見である竜の紋章の指輪が、再び強く共鳴し始めた。そして、その翠色の水晶から、グランフォードの穏やかで、しかし力強い思念が、リアンの心に直接流れ込んできた。
『…我が力は…この聖なる大地に…そして若き竜の子よ…お前のその清浄なる魂に…僅かながら宿るだろう…他の守護者たちを…見つけ出し、彼らの力を束ねよ…そして…『星霜の玉座』の…真実を解き明かし…この世界を…』
その思念と共に、翠色の水晶から一筋の緑光が放たれ、リアンの胸のお守りに吸い込まれていった。リアンは、自分の内に、大地の力強さと、決して屈しない不屈の魂が流れ込んでくるのを感じた。これが、グランフォードが遺した「大地の守護者」の力の一部と、彼が託した未来への道標だった。
【深まる世界の闇、それぞれの決意】
しかし、聖域の一時的な浄化も束の間、ウェスタリア全土を覆う虚無の気配は依然として濃厚であり、むしろその闇はさらに深まっていることを、エルミナとセレスは敏感に感じ取っていた。マキナ皇国の危機もまだ完全には去っておらず、他の地域からも、風に乗って絶望的な知らせがシルフィードのもとへと届き続けていた。
マルーシャは、あまりの惨状と、終わりの見えない戦いに、もはや言葉を発することもできず、ただ虚ろな目で遠くの空を見つめていた。「もう…何が正しくて、何が間違ってるのかも分からないわ…ただ…これ以上、誰かがこんな風に死んでいくのは、もう見たくない…」その呟きは、風にかき消されそうだった。プリンも彼女の足元に寄り添い、小さなため息をついている。
カイトは、黙って折れた矢を拾い集め、新たな矢羽根を削り始めていた。その表情はこれまで以上に険しく、彼の瞳の奥には、もはや怒りとも悲しみともつかぬ、冷たく燃えるような決意の炎が宿っていた。
ヴォルフは、グランフォードの犠牲を無駄にしないため、そして残る「七星の守護者」たちを同じ運命から救うため、改めて「虚無」との戦いを、そして自らの守護者としての使命を全うすることを、その魂に深く誓っていた。彼の巨躯からは、悲しみを乗り越えた、鋼のような覚悟が感じられた。
【新たな旅路への誓い、しかし虚無は嘲笑う】
リアンは、グランフォードから託された大いなる力と、あまりにも重い想いを胸に、仲間たちと共に再び立ち上がった。「俺たちは進まなければならない。グランフォードさんの想いを、そしてこのウェスタリアの未来を、決して無駄にはしない! 必ず…必ず『虚無』を打ち払い、この地に光を取り戻すんだ!」
グランフォードが遺した翠色の水晶――今や「大地の涙」と呼ぶべき聖遺物――から、次の守護者の居場所を示すとされる、かすかな、しかし確かな光の道筋が、北西の方角へと伸びているのが見えた。それは、険しい雪山と氷河に覆われた、ウェスタリア最北の秘境「氷狼の牙」山脈を指し示していた。そこに、「氷の守護者」あるいは「水の守護者」が眠っているのだろうか。
しかし、一行が新たな決意を固め、その光の道筋が示す次なる目的地へ向かおうとした、まさにその時だった。浄化されたはずの「巨人の寝床」の大地に、再び、今度は以前とは比較にならないほど巨大で、そして深い黒色の亀裂が、まるで嘲笑うかのように走り始めたのだ。そして、その亀裂の奥深く、奈落の底から、これまでとは比較にならないほど強大で、そして絶望的なまでに冷たく、嘲笑うかのような邪悪な気配――それは、もはや「虚無の先兵」や「使徒」などというレベルではない、さらに上位の存在、「虚無の君主」の一角を思わせる何か――が、ゆっくりとそのおぞましい姿を現そうとしていた。
「…フフフ…ハハハ…愚かなる人間どもよ…守護者一人の犠牲ごときで、この大いなる虚無の流れを止められるとでも思ったか…? お前たちのその矮小なる希望こそが、我が主、そして我々自身にとっての、最高の糧となるのだ…!」
甲高い、しかし威厳に満ちた、聞く者の魂を凍りつかせるかのような声が、天から響き渡った。
一つの危機を乗り越えた先に待ち受けていたのは、さらに深く、そして広大な、抗いようのない絶望だった。リアンたちの戦いは、まだ本当の、そして最も過酷な厳しさを迎えていなかったのだ。