風哭の迷宮と守護者の慟哭、試される魂の在り処
【風の古祠、試される魂】
「…古き歌を識る者よ…その魂に竜の息吹を宿す者よ…汝、何故この風の聖域を汚し、我が眠りを妨げる…? 答えよ、竜の子…お前は、この風切り峠に、何を探しに来た…?」
祠の奥深くから響き渡る、厳かで、しかし深い悲しみを湛えた女性の声。それは、風そのものが語りかけてくるかのように、リアンたちの魂に直接響いた。周囲では、ストーム・グリフォンたちが依然として威嚇の姿勢を崩さず、鋭い爪と嘴を彼らに向けている。
リアンは、荒れ狂う風の中で、声を張り上げた。
「我々は、ウェスタリアを覆い尽くさんとする『虚無の侵食者』の脅威に立ち向かうため、そして、古の予言に記された『七星の守護者』の力を借り受けるために参りました! あなたが、もしこの聖域を守護する『風の守護者』であるならば、どうか我らに道を示していただきたい!」
しばしの沈黙。風の轟音が、まるで守護者の逡巡を表すかのように強まった。やがて、声が再び響く。
「…言葉だけでは信じられぬ。虚無の影が深まるこの時代、希望を騙る偽善者もまた多い。お前たちが真にその覚悟を持ち、その言葉に偽りがないというのならば、この風の聖域が課す試練を乗り越え、その魂の在り処を我に示してみせよ」
その言葉と共に、祠の入り口を塞いでいた巨大な一枚岩が、ゴゴゴという地響きを立てながらゆっくりと動き始め、奥へと続く、風が渦巻く暗い洞窟への道が開かれた。それが、最初の試練の始まりだった。
【荒れ狂う風の迷宮、絆の試金石】
一行は、覚悟を決めてその洞窟――「風哭の迷宮」と呼ばれる、風の試練の場――へと足を踏み入れた。内部は、その名の通り、絶えず強風が吹き荒れ、方向感覚を狂わせる。視界も極めて悪く、鋭い風の刃が容赦なく襲いかかり、鎧の隙間から肌を切り裂いた。道は複雑に入り組み、時には幻影が行く手を惑わせ、時には悪戯好きな風の精霊たちが、彼らの持ち物を隠したり、進路を妨害したりした。
「うわっ! みんな、離れないで!」マルーシャが、突風に煽られて飛ばされそうになるのを、ヴォルフがその巨体で辛うじて支える。リアンたちもまた、互いにロープで体を繋ぎ、声を掛け合いながら、一歩一歩慎重に進んでいく。
「この風…まるで意思を持っているかのようだぜ…」プリンが、リアンのマントにしがみつきながら、か細い声で言った。「オレたちを…試しているのかも…」
その言葉通り、迷宮は単に物理的な障害だけでなく、彼らの精神力と仲間同士の絆をも試しているかのようだった。焦りや疲労から、些細なことで仲間同士の意見が衝突しそうになることもあったが、エルミナの冷静な仲裁や、カイトの寡黙ながらも的確な判断が、一行の結束を辛うじて保っていた。
【守護者の悲しみ、過去の残響】
迷宮を進むうち、一行は風が一時的に凪いだ、比較的広い空間に出た。そこには、風化しかけた古い石碑や、掠れてほとんど判読不能な壁画が残されていた。セレスが、その壁画にそっと手を触れると、彼女の瞳から一筋の涙が流れ落ちた。
「これは…悲しい記憶…」セレスは震える声で言った。「この壁画には、かつて『風の守護者』様が、信頼していた仲間たちと共に、この聖域を侵そうとした『虚無』の先兵と戦った様子が描かれています。しかし…その戦いはあまりにも過酷で、多くの仲間たちが犠牲となり…そして、最後には…守護者様ご自身も、最も信頼していた者に裏切られ、その心に深い傷を負われたと…」
壁画には、確かに、風の力を操る美しい女性の姿と、彼女を守るように戦う勇猛な戦士たち、そして最後に、その女性が血の涙を流し、絶望の表情で天を仰ぐ場面が、おぼろげながらも描かれていた。
リアンは、その悲劇の記憶に、言葉を失った。それは、彼自身が抱える無力感や、仲間を失うことへの根源的な恐怖と重なり、彼の心を重く締め付けた。父アルトリウスもまた、信頼していた者たちに裏切られ、孤独な戦いを強いられたのではなかったか…。
【心の闇との対峙、リアンの問いかけ】
数時間に及ぶ探索の末、一行はついに「風哭の迷宮」の最深部、風が聖なる歌のように吹き抜ける「風の祭壇」と呼ばれる場所にたどり着いた。そこには、風そのものが人の形をとったかのような、半透明で流麗な、しかしどこか儚げで深い悲しみを湛えた美しい女性の姿――風の守護者シルフィード――が静かに佇んでいた。彼女の長い銀髪は風にたなびき、その瞳は嵐の前の空のように暗く淀んでいる。彼女の周囲には、依然として数体のストーム・グリフォンが、忠実な番人のように控えていた。
「…よくぞここまで辿り着いた、定命の者たちよ」シルフィードの声は、風の音そのもののようだった。「だが、お前たちに、この世界の絶望を変える力があるとでも言うのか? 幾多の英雄たちが、理想を掲げては挑み、そして無残に散っていった。希望など、もはや風と共に消え去った、虚しい幻影に過ぎぬということを、まだ理解できぬか」
その言葉は、氷のように冷たく、エルミナの心にも深く突き刺さった。彼女が星詠みで垣間見る絶望的な未来の数々が、シルフィードの言葉を裏付けているかのようだった。
リアンは、シルフィードの瞳の奥にある、計り知れないほどの深い悲しみと、世界に対する諦観、そして孤独を感じ取った。彼は、ゆっくりと剣を鞘に収め、彼女に真っ直ぐに向き直った。
「それでも…俺は諦めたくない。絶望の中でこそ、どんなに小さな希望の光でも見つけ出し、それを仲間たちと繋いでいくのが、今を生きている者の責任だと思うからだ。あなたは…あなたは本当に、このまま全てが虚無に帰することを望んでいるのか? あなたのその美しい風が、ただ嘆きと破壊のためだけにあることを、本当に受け入れているというのか!?」
【風の心、最後の問いかけ】
リアンの魂からの叫びに、シルフィードの瞳が、ほんのわずかに、しかし確かに揺らいだ。だが、次の瞬間、彼女の周囲の風が再び激しく荒れ狂い始め、ストーム・グリフォンたちが一斉に敵意をむき出しにして唸り声を上げる。
「…ならば示せ、竜の子よ!」シルフィードの声は、風の咆哮と重なり、悲痛な響きを帯びていた。「お前のその言葉が、ただの綺麗事や若気の至りではないという証を! お前のその力が、真にこの世界を救うための聖なる力なのか、それとも新たな絶望と悲劇を生むだけの忌まわしき破壊の力なのかを…この私に、その魂を賭して示してみせよ!」
シルフィードの体が、眩いばかりの翠色の光を放ち始めた。風の元素が彼女を中心に巨大な竜巻となって渦巻き、その力は「竜の寝床」でリアンが感じた古の竜の守護霊のそれに匹敵するほど強大だった。それは、彼女の最後の試練であり、彼女自身の凍てついた心の葛藤そのものが具現化したかのようだった。
リアンは、エルミナ、ヴォルフ、カイト、セレス、そしてマルーシャとプリンを見渡し、彼らの瞳に宿る信頼と覚悟を受け止めた。そして、シルフィードの魂の叫びに真正面から応えるため、再び剣を強く握りしめる。
この風の試練を乗り越え、彼女の閉ざされた心を解放し、真の「風の守護者」の力を借り受けることができるのか。そして、その先にある「七星の誓約」とは一体何なのか。
風切り峠の上空では、ヴェルミリオンを覆っていた赤黒い凶星の光が、さらにその不吉な輝きを増し、遠くから新たな絶望の波動が、まるで嘲笑うかのように微かに伝わってきていた。