ヴェルミリオンの陽光と忍び寄る虚無、最初の守護者を求めて
【ヴェルミリオンの陽光と忍び寄る虚無】
「黒曜石の将軍」ガイウスの野望が潰え、王都ヴェルミリオンが解放されてから数週間が過ぎた。街は、ソフィア王妃とリアン王子の指導のもと、少しずつではあるが着実に復興の道を歩み始めていた。瓦礫は撤去され、焼けた家々は再建され始め、市場には徐々に活気が戻りつつあった。民衆の顔には、まだ戦いの傷跡と未来への不安が色濃く残ってはいたものの、圧政から解放された安堵と、若き王子リアンへの淡い期待の光もまた宿っていた。
リアンは、慣れない政務や復興作業の指揮に追われる日々を送っていた。王子としての責任の重さを痛感しながらも、エルミナやイザベラ軍師の助けを借り、懸命にその務めを果たそうとしていた。胸に下げたお守りに宿る「調和の聖具」の力は、彼の内で静かに脈打ち、その制御と理解を深めるための鍛錬も欠かさなかった。
しかし、ヴェルミリオンに差し始めた束の間の陽光の裏で、ウェスタリア大陸全体を覆い尽くさんとする、より巨大で根源的な闇が確実にその濃度を増していた。エルミナの星見の顔は、日を追うごとに険しさを増していく。
「リアン王子…星々が…星々が悲鳴を上げています」ある夜、彼女は切迫した表情で告げた。「『虚無の星』が、かつてないほどにその力を強め、ウェスタリア全土の生命力を吸い上げ、世界そのものを無に還そうとしているかのようです…」
ヴォルフもまた、自身の内に眠る「七星の守護者」としての古の感覚が、その脅威を敏感に捉えていた。「これは…単なる災厄ではない。もっと根源的な…世界の存在そのものを否定する力だ。我ら守護者が、再び集うべき時が来たのかもしれん」
カイトとセレスは、ドラグニア国内の偵察任務から戻り、各地で発生している不気味な現象――大地が生命力を失い砂漠化する、人々が原因不明の虚脱感に襲われる、森の精霊たちが姿を消す――を報告した。マルーシャは、その商才を活かして他国からの情報を収集しようと奔走していたが、どの国も不穏な噂と混乱に満ちているという情報ばかりだった。プリンは、そんな仲間たちの不安を察してか、いつもより静かにリアンの傍らに寄り添っていた。
【虚無の爪痕、各地からの凶報】
エルミナやヴォルフの懸念を裏付けるかのように、ウェスタリア各地から、ヴェルミリオンの王宮へと次々と凶報が舞い込んできた。
北方の極寒の地「フロストバイト山脈」では、大地そのものが巨大な黒い亀裂に飲み込まれ、そこに存在したはずのいくつかの小規模な集落が、人知れず一夜にして消滅したという。生存者の報告によれば、亀裂からはこの世のものとは思えぬ異形の怪物たちが這い出し、全てを喰らい尽くしていったとのことだった。
東方の豊かな港町「アクアリア」では、原因不明の奇病が猛威を振るい、感染した者は徐々に体温と感情を失い、まるで魂を抜かれたかのように生ける屍と化していくという。その病は急速に広がり、街は恐慌状態に陥っていた。
南方の温暖な「サンシャイン諸島」では、美しいエメラルドグリーンの海の色が不気味な赤黒い色へと変わり、巨大な触手を持つ異形の海獣が沿岸の村々を襲撃し、多くの漁船が消息を絶った。
これらの報告は、これまでの「七つの災厄」とは明らかに異質で、より直接的かつ広範囲に、そして何よりも「生命そのものを無に還す」という明確な意志を持った、「虚無の侵食者」による本格的な侵攻が始まったことを示していた。
【七星の誓約、守護者探索の始まり】
ヴェルミリオンの王宮、かつてヴァルガス王が私室として使っていた重々しい会議室で、ソフィア王妃、リアン、エルミナ、ヴォルフ、そして騎士団長ダリウスと軍師イザベラが集まり、緊急の軍議が開かれた。カイトとセレスも、森の民の代表として、またリアンの仲間としてその場に列席している。
「もはや一刻の猶予もありません」ソフィア王妃は、厳しい表情で切り出した。「『虚無の侵食者』の脅威は、我々の想像を遥かに超える速度で大陸全土を覆い尽くそうとしています。ドラグニア一国で、いや、いずれの国も単独ではこれに対抗することは不可能でしょう」
ヴォルフが、重々しく口を開いた。「古の『星々の歌』によれば、『七星の守護者』は、それぞれが太古の星の力を宿した聖具を持ち、それらが全て共鳴し、守護者たちが力を一つに合わせることで、『虚無』の侵攻を退ける大いなる結界『アストラル・ノヴァ』を張ることができると謳われています。ですが、そのためには、七人の守護者全てがその使命に目覚め、古の誓約の地で、新たなる誓いを立てねばなりませぬ」
リアンは、父アルトリウスが遺した手帳を取り出した。そこには、ヴォルフの言葉を裏付けるかのように、「七星の聖具」と「アストラル・ノヴァ」に関する記述、そして、いくつかの守護者が眠りについているとされる聖域の場所を示唆するような、暗号めいた地図と詩文が残されていた。
「父上もまた、この『虚無』の脅威に気づき、守護者たちの力を集めようとしていたのかもしれない…」リアンは、手帳の文字をなぞりながら呟いた。
最初の探索対象として、手帳の記述とヴォルフの朧げな記憶から、ドラグニア北東部の険しい山脈地帯「風切り峠」の奥深くにあるという古の祠――そこに「風の守護者」の聖具と手がかりが眠っている可能性が高い――が候補に挙がった。
【諸国との連携、それぞれの思惑】
軍議では、諸外国との連携についても話し合われた。
マキナ皇国の若き女帝リリアンヌからは、先の「天空の祭壇」でのリアンたちの活躍と、そこから放たれた清浄なエネルギーの奔流が、皇国のマザー・クリスタルの衰弱をわずかながらも食い止めたという感謝の言葉と共に、クリスタルの異変と「虚無」の関連性を共同で調査し、対抗策を練りたいという正式な申し出が届いていた。しかし、皇国内部には、ドラグニアとの同盟に強く反対する保守派貴族の抵抗も根強く、予断を許さない状況だった。
獣人連合ボルグの賢狼王ヴォルフガングからは、信頼できる使者が派遣され、「虚無」に関する情報交換の要請と、同じく「七星の守護者」であるヴォルフとの直接の面会を求める丁重な書簡が届けられた。彼は、種族を超えたウェスタリア全体の同盟の必要性を訴えていた。
しかし、自由諸島連合やエレメンタリア法国といった他の大国は、自国内で発生している「七つの災厄」の亜種とも言える混乱(海賊のさらなる凶暴化、広範囲な魔力の暴走と魔物化現象など)への対処に追われ、大陸全体の危機への関心は依然として薄いようだった。そして、ナイトフォール公国は、不気味な沈黙を守り続けていた。
【最初の試練、風の守護者の聖域へ】
軍議の結果、リアンはエルミナ、ヴォルフ、カイト、セレス、マルーシャ、そしてプリンと共に、最初の「七星の守護者」である「風の守護者」の手がかりを求め、「風切り峠の古祠」へ向かうことを決断した。ソフィア王妃は、リアンにドラグニア王国の精鋭騎士数名を護衛として与えようとしたが、リアンはそれを固辞した。
「母上、これは俺自身の、そして俺たち自身の戦いです。ドラグニアの兵力は、王都の守りと民の保護に集中してください。必ずや、希望を持ち帰ります」
その言葉には、もはや迷いはなく、若き王子としての、そして「竜の子」としての確かな覚悟が込められていた。
出発の直前、ヴェルミリオンの空が突如として暗雲に覆われ、これまでとは比較にならないほど強大で、そして禍々しい「虚無」の気配が、まるで巨大な手のひらが街全体を押し潰すかのように、王都を圧迫した。王城の鐘が、甲高い悲鳴のような警鐘を乱打し始める。
「来たか…!」リアンは剣を抜き放ち、空を睨みつけた。
「虚無の侵食者」の先兵と思われる、黒い霧を纏った異形の怪物たちが、ヴェルミリオンの外壁付近の空間を歪ませながら、次々とその姿を現し、街へと侵入しようとしていた。
リアンたちの新たな旅は、いきなり首都ヴェルミリオンの防衛戦という、過酷な試練と共に始まろうとしていた。「風の守護者」を求める彼らの探索は、無事に開始できるのだろうか。そして、このヴェルミリオンを、「虚無」の魔の手から守り抜くことができるのだろうか。