赤黒き凶兆の下、王都への道と忍び寄る影
【赤黒き凶兆の下、王都への道】
「戦乱の巨斧」の所有者であったヴォルフを仲間に加えたリアン一行は、一路、破滅の危機に瀕する王都ヴェルミリオンを目指していた。空には依然として、エルミナとセレスが警戒する赤黒い凶星が不気味な光を放ち続け、大地の微かな振動は、まるで巨大な何かが目覚めようとする胎動のようで、一行の不安を絶えず煽っていた。
ヴォルフは、まだ完全には体力が回復していないものの、その巨躯と、戦斧を失ってもなお衰えぬ闘志で、頼もしい戦力となっていた。道中、彼はぽつりぽつりと自身の過去や、「七星の守護者」としての断片的な知識を語り始めた。
「我ら『七星の守護者』は、星々の巡りに応じて、このウェスタリアに顕現する。世界の均衡が大きく崩れ、災厄が目覚める時、我らもまた、その宿命に従い立ち上がるのだ…」彼は遠い目をして語った。「だが、その力はあまりにも強大で、時には持ち主自身をも破滅へと誘う。俺のように…『戦乱の巨斧』もまた、元々は星の力を宿した聖具の一つだった。だが、いつの頃からか邪悪な呪いに汚染され、所有者を狂戦士へと変える呪いの道具と成り果ててしまったのだ…」
リアンは、父アルトリウスが遺した手帳を読み進めていた。そこには、ヴォルフの言葉を裏付けるかのように、「七つの星の聖具」に関する記述や、それらが「七つの災厄」と対をなす存在である可能性を示唆する一節があった。そして、王都ヴェルミリオンの地下に眠るという「星の揺り籠」と呼ばれる古の祭壇が、大陸全体の地脈と星々のエネルギーを制御する重要な場所であることも記されていた。
【ガイウスの鉄条網、絶望の先の民】
王都ヴェルミリオンに近づくにつれて、街道の様子は一変した。ヴァルガス軍による厳重な検問所がいくつも設けられ、バリケードが道を塞ぎ、通行は厳しく制限されている。村々は荒れ果て、畑は放置され、その日暮らしの食料にも事欠き、飢えと絶望に打ちひしがれる民の姿が目についた。彼らは、兵士の姿を見ると怯えたように身を隠し、その瞳からは生気が失われている。
「これが…今のドラグニアの現実なのか…」リアンは、言葉を失い、拳を強く握りしめた。
一行は、カイトの先導で検問を巧みに避けながら、獣道や森の中を進んでいった。しかし、ある時、彼らはガイウスが仕掛けた巧妙な魔術的な罠に遭遇する。それは、周囲の風景に溶け込むようにして張られた不可視の結界で、足を踏み入れた者の精神に直接作用し、恐怖や絶望といった負の感情を無限に増幅させる悪質なものだった。
「うっ…頭が…!」マルーシャが苦しげにうめき、プリンも怯えてリアンのマントに潜り込む。
「これは…精神攻撃系の結界魔法…! 皆さん、気をしっかり持って!」エルミナが叫び、聖なる光の魔法で結界の邪気を中和しようと試みる。セレスもまた、森の精霊たちに呼びかけ、清浄な風を送り込んで結界の力を弱めようとする。リアンは、胸のお守りを強く握りしめ、内なる「調和の聖具」の力に意識を集中させた。白銀のオーラが彼から放たれ、結界の邪悪な波動を打ち消していく。数刻の抵抗の末、結界はついに霧散したが、一行は精神的に大きな消耗を強いられた。
途中で出会った、王都から命からがら逃げてきたという避難民の老婆は、涙ながらに語った。
「王都は…もはや地獄ですじゃ…。ヴァルガス王は狂ってしまわれた…。そして、あの黒い鎧の将軍…ガイウス様は、『反乱分子の粛清』と称して、毎日のように多くの民を捕らえ…王城の地下へと連れて行っておりまする…。噂では…そこで…何かの儀式の生贄にされているとか…」
【ヴォルフの戦いと父の指輪の微動】
その避難民の老婆たちを、後から追ってきたヴァルガス軍の小隊が襲おうとした。彼らは、ガイウスの私兵部隊「鉄の爪」の残党らしく、その目には残虐な光が宿っていた。
「逃げるネズミどもは、一匹残らず始末しろとの命令だ!」
「そうはさせるか!」
ヴォルフが、拾った鉄棍を構え、咆哮と共に飛び出した。戦斧はなくとも、その巨体から繰り出される一撃は凄まじく、ヴァルガス兵を次々と打ち倒していく。その戦いぶりは荒々しいが、以前の無差別な破壊衝動に駆られた狂気はなく、明確に弱者を守るための、そして仲間を守るための確かな意志が感じられた。
リアンたちも加勢し、敵を撃退する。戦闘の最中、リアンの右手の指にはめられた、父アルトリウスの形見である竜の紋章の指輪が、初めて微かな熱を帯び、まるで生きているかのように、王都ヴェルミリオンの方角を指し示すかのように、その黒曜石のような表面が淡く脈動した。
「この指輪が…?」リアンは、その不思議な感覚に戸惑いながらも、父の遺志が自分を王都の奥深くへと導こうとしているのを感じ取った。
【王都潜入計画、マルーシャの情報網】
ついに、ヴェルミリオンの巨大な外壁が見える場所まで到達した一行。しかし、王都はヴァルガス軍とガイウスの私兵によって鉄壁の守りが敷かれ、上空にはガーゴイルやワイバーンが絶えず旋回し、蟻一匹這い出る隙もないように見えた。正面からの突入は、もはや自殺行為に等しい。
「こんな厳重な警備じゃ、ハエ一匹だって入れやしないわね…どうしたものかしら…」マルーシャが、顎に手を当てて唸った。しかし、彼女はすぐに何かを思いついたように、パチンと指を鳴らした。「待ってて! 昔、このヴェルミリオンでちょっとした裏の取引をしたことのある、信用できるんだかできないんだか分からないけど、顔だけは広ーい商人仲間がいるのよ! 彼らなら、もしかしたら…王都の地下に張り巡らされた古い下水道とか、秘密の抜け道を知ってるかもしれないわ!」
その提案は、まさに暗闇に差し込んだ一筋の光だった。一行は、マルーシャのその古い知人を頼って、王都の城壁外に広がる貧民街や、裏社会に繋がるルートを探し始めることにした。
【地下水道の入り口、待ち受ける刺客】
マルーシャの驚くべき交渉術(そして、彼女が隠し持っていたいくつかの貴重な宝石や香辛料を使った効果的な「手土産」)により、一行は数時間後、ついに王都の地下へと通じるという、古い下水道の入り口の一つを見つけ出すことに成功した。そこは、街の最も寂れた地区の、打ち捨てられた古い倉庫の地下にあり、強烈な悪臭が漂い、不気味な静寂に包まれていた。
「さあ、王子様、ご一行をご案内~って言いたいところだけど、ここから先はあたしも未知の世界よ。気をつけて進みましょ!」マルーシャが、鼻をつまみながら言った。
リアンが先頭に立ち、一行が薄暗い下水道へと足を踏み入れようとした、まさにその時だった。闇の奥から、シュシュッという鋭い風切り音と共に、数本の黒い毒矢が音もなく放たれた。
「危ない!」
カイトが叫び、リアンを突き飛ばすと同時に、自らの弓でその毒矢を辛うじて撃ち落とした。
下水道の奥深く、松明の光が届かぬ暗がりから、黒装束に身を包み、顔を不気味な仮面で隠した複数の人影が、まるで亡霊のように音もなく姿を現した。その手には、特殊な形状の短剣や吹き矢が握られ、その体からは暗殺者特有の冷たい殺気が放たれている。
「ドラグニアの王子リアン…そして、その首に高額な懸賞金がかけられた『七星の守護者』戦斧のヴォルフ。お前たちの命、我が君に捧げるに最も相応しい獲物と見た」
暗殺者の一人が、抑揚のない、まるで機械のような声で冷たく言い放った。彼らは、西方の影の国、ナイトフォール公国所属の精鋭暗殺部隊「影の刃」の者たちだった。彼らがガイウスの依頼で動いているのか、それとも独自の目的でリアンたちを狙うのか、それはまだ分からない。
王都潜入を目前にして、リアン一行は、新たな、そして最も危険な種類の敵との戦いを強いられることになった。