凶翼の急襲と父の遺志、新たなる旅路の始まり
【凶翼の襲来、白竜の谷の警鐘】
軍議が終わり、リアンが母ソフィアから託された新たな使命の重さを噛み締めていた、まさにその時だった。谷の静寂を切り裂き、けたたましい警鐘の音が鳴り響いた。見張りの兵士が、司令部の扉を叩き破るようにして転がり込んできた。
「申し上げます! 谷の北壁上空より、所属不明の飛行部隊が接近中! その数、およそ三百! ワイバーンではありませぬ…あれは…ガーゴイルの大群です! 旗印は…『黒曜石の将軍』ガイウスのものと確認!」
その報告は、司令部にいた全員に戦慄を走らせた。ガイウスの動きは、常に彼らの予想の斜め上を行く。
「迎撃用意!」騎士団長ダリウスの怒声が響き渡る。「女子供は地下聖堂へ避難させろ! 各隊、持ち場につき、谷の防衛線を死守するのだ!」
白竜の谷は、瞬く間に戦場へと変わった。兵士たちが慌ただしく動き回り、谷の岩壁に設置された古いバリスタや投石機が軋みを上げて空を睨む。
リアンは、ソフィアの制止を振り切り、仲間たちと共に司令部を飛び出した。谷の上空には、既にガーゴイルの黒い群れが不気味な影となって迫りつつあった。その翼は硬質で、陽光を鈍く反射し、甲高い、耳障りな鳴き声が谷間にこだまする。
「なんて数だ…!」マルーシャが息を呑む。
「あれは、以前シルヴァンウッドで見たものより大型で、武装も強化されているようです」エルミナが冷静に分析する。「単なる威力偵察ではない…本気でこの谷を陥とすつもりか、あるいは…」
【空からの脅威、連携の防衛戦】
ガーゴイルの群れは、谷の上空に到達すると、一斉に急降下を開始した。その鋭い爪からは岩石が投下され、一部の個体は口から小型の火炎弾のようなものを吐き出し、谷の家屋や畑に火の手が上がり始めた。民衆の悲鳴が響き渡る。
「くそっ、好きにはさせない!」
リアンは、胸のお守りに意識を集中し、白銀のオーラを剣に纏わせる。「調和の聖具」の力は、彼の意志に呼応し、以前よりも格段に制御しやすくなっていた。彼は、空に向かって力強く剣を振り抜き、白銀の斬撃波を放つ。斬撃波は数体のガーゴイルをまとめて切り裂き、その残骸が地面に落下した。
「カイトさん、セレスさん、援護を!」
「承知!」カイトは、風切り音すら立てずに矢を放ち、次々とガーゴイルの急所である赤い眼を射抜いていく。彼の矢は、まるで生きているかのように正確に標的を捉えた。
セレスは、両手を天に掲げ、祈るように詠唱を始めた。「風の精霊たちよ、我が声に応え、聖なる風の障壁を!」彼女の呼びかけに、谷間に強い上昇気流が発生し、ガーゴイルたちの編隊飛行を乱し、その動きを著しく鈍らせた。
エルミナもまた、杖から強力な光の魔法を連射し、ガーゴイルの火炎攻撃を相殺し、燃え盛る家屋には水の魔法で消火活動を行う。
「プリン、マルちゃん! 負傷者の救護と、子供たちの避難誘導を頼む!」
「ぷるるん、任せとけだぜ!」「あいよっ、王子様! このマルちゃんがいる限り、指一本触れさせやしないわ!」
マルーシャとプリンは、降り注ぐ火の粉や石つぶてを避けながら、負傷した兵士や怯える子供たちを、騎士団長ダリウスが指示する安全な地下聖堂へと懸命に誘導した。
【ガイウスの陽動とソフィアの覚悟】
戦闘は熾烈を極めた。リアンたちの奮闘と、白竜の谷の防衛部隊の必死の抵抗により、ガーゴイルの数は徐々に減ってはいたが、敵の攻撃は執拗で、谷の被害も拡大していく。
「どうもおかしい…」戦闘の最中、女軍師イザベラが、苦々しい表情で呟いた。「これだけの戦力を投入しておきながら、ガーゴイルたちの攻め手があまりにも単調すぎる。まるで、何か特定の目標を破壊するためというよりは、我々の戦力をこの場に釘付けにし、消耗させるための陽動のように感じられます…」
ソフィア王妃もまた、その可能性に気づき、その美しい顔に深い憂慮の色を浮かべた。「ガイウスの真の狙いは、リアン…あなたなのかもしれません。あるいは、この谷に隠された、何か別のものを…?」
エルミナは、戦いながらも星詠みを試みようとするが、上空を乱舞するガーゴイルから放たれる邪気と、戦闘による魔力の乱れで、星々の声はほとんど聞き取ることができなかった。しかし、彼女は遠くドラグニア王都ヴェルミリオンの方角に、一際暗く、そして急速に力を増している不吉な星の輝きを、確かに感じ取っていた。
【死闘と決着、残された謎】
ガーゴイルの攻撃は、夜が近づくにつれてさらに激しさを増した。リアンは、仲間たちとの連携を密にし、お守りの力を最大限に引き出しながら戦い続けた。彼の剣技はもはや、かつての未熟な王子のそれではなく、竜の力と王家の技、そして仲間を守るという強い意志が融合した、力強くも美しいものへと昇華しつつあった。
ついに、ひときわ巨大で、禍々しいオーラを放つリーダー格のガーゴイルが、リアンめがけて突進してきた。その爪は鋼鉄をも引き裂き、その咆哮は大地を震わせる。
「させません!」エルミナが光の鎖でその動きを一瞬封じ、カイトの必殺の矢がその左目を射抜く。怯んだガーゴイルに対し、セレスが呼び寄せた巨大な岩の槍が突き刺さり、そして最後に、リアンの白銀の剣が、その心臓部である黒く脈打つ魔石を貫いた。
リーダー格のガーゴイルが断末魔の叫びと共に墜落すると、残ったガーゴイルの群れは統率を失い、まるで潮が引くように一斉に谷から撤退を始めた。しかし、その撤退の仕方もまた、まるでプログラムされていたかのように迅速かつ整然としており、不気味な後味を残した。
激しい戦闘の後、白竜の谷には、安堵のため息と、しかしそれ以上に深い疲労、そして多くの負傷者と破壊された家屋という痛々しい爪痕が残された。
撃ち落としたガーゴイルの残骸を調べると、その爪には神経を麻痺させる特殊な毒物が塗られていたこと、そして一部のガーゴイルが、谷の奥にある古びた祠――アルトリウス王の墓所と伝えられる場所――を集中的に狙っていたことが判明した。
【新たな旅立ち、父の遺志を胸に】
その夜、ソフィア王妃は、リアンを自室へと招いた。彼女は、ガイウスの真の狙いが、リアン自身、あるいはアルトリウス王が遺したものにある可能性を強く感じていた。そして、これ以上白竜の谷に留まることは、リアンにとっても、谷の民にとっても危険であると判断した。
「リアン、これを持って行きなさい」
ソフィアは、リアンに古びた革張りの分厚い手帳と、ドラグニア王家の紋章である翼を持つ竜が刻まれた、黒曜石のように美しい指輪を託した。
「それは、あなたの父上…アルトリウス王が、その生涯をかけて遺したものです。手帳には、彼が追い求めた『星霜の玉座』の真実、『七つの災厄』の正体、そして『虚無の侵食者』に対抗するための研究の断片が記されています。そしてこの指輪は、王家の正統な後継者を示す証であると同時に、ある特定の場所で、古の竜の力を呼び覚ます鍵となると言い伝えられています…」
リアンは、父の遺志と母の想いの重さを、その手帳と指輪からひしひしと感じ取った。
「母上…」
「行きなさい、リアン。あなたの仲間たちと共に。まずは、『戦乱の巨斧』の気配が残るあの峠の先、そしてその災厄を鎮める手立てを探すのです。そして、『七星の守護者』たちを見つけ出し、彼らの協力を得るのです。それが、今のあなたにしかできないこと…」
リアンは、母の言葉を胸に刻み、力強く頷いた。エルミナ、カイト、セレス、マルーシャ、そしてプリンもまた、リアンと共に行くことを改めて誓った。
数日後、傷を癒し、旅の準備を整えたリアン一行は、ソフィア王妃と白竜の谷の民たちに見送られ、新たな冒険へと出発した。彼らが目指すは、まず「戦乱の巨斧」の謎を解き明かすこと。そして、その先に待つであろう、さらなる「災厄」と「守護者」たちとの出会い。
リアンたちが、谷を守る最後の岩門をくぐり抜け、その姿が見えなくなった直後、遠く王都ヴェルミリオンの方角の空が、一瞬、禍々しい赤黒い光に染まったのを、エルミナだけが鋭敏に感じ取った。それは、まるで巨大な何かが産声を上げたかのような、不吉な波動だった。
ガイウスの真の計画が、ついに動き出したのかもしれない。リアンたちの前途には、想像を絶する困難が待ち受けていることを、その空は静かに告げていた。