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ウェスタリア・サーガ:亡国の王子と喋るスライム  作者: 信川紋次郎
第二章:目覚める厄災と集う星々、ウェスタリア動乱
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白竜の谷と母の涙、そして最初の厄災


【不吉な星図、急かされる旅路】

夜明けの冷気が肌を刺す。焚火の残滓が微かな煙を上げていた。エルミナとセレスから昨夜見えたという不吉な星々の配置について詳しく聞いたリアンたちの表情は、一様に険しかった。「黄金の穂波」――その名は、ドラグニア王国でも有数の穀倉地帯であり、秋には文字通り黄金色の稲穂が波打つ豊かな土地を示していた。そこが機能不全に陥れば、ただでさえ圧政に苦しむ民衆の生活は破綻し、反乱軍の数少ない兵糧確保の道も断たれてしまう。

「『七つの災厄』…それが本当に始まったというのなら、悠長にはしていられないわね」マルーシャが、いつもより低い声で呟いた。彼女は商売柄、各地の産物や流通にも詳しく、「黄金の穂波」の重要性を誰よりも理解していた。「厄災だなんて、商売の邪魔にしかならないわよ! まったくもう!」憤慨するように言いながらも、その手は素早く動き、残り少ない非常食の確認と再分配を始めている。

リアンは、胸のお守りを握りしめた。天空の祭壇で得た「調和の聖具」の力は、未だその全貌を見せず、彼の内で静かに脈打っている。だが、エルミナたちの言葉は、その力を正しく理解し、制御する必要性を痛感させた。

「急ごう。母上の元へ。そして、この目で確かめなければならない、ウェスタリアに何が起ころうとしているのかを」

リアンの言葉に、一行は力強く頷き、白竜の谷への到着を急ぐことを決意した。

【古の隠れ道、谷への扉】

ヴァルガス軍の斥候が所持していた古い地図の断片は、まさに天の助けだった。カイトの卓越した追跡術と森の知識、そしてセレスが森の精霊たちから得る微かな助言を頼りに、一行はドラグニア南部の険しい山岳地帯へと分け入っていった。道は、人の往来が途絶えて久しいことを物語るかのように荒れ果て、巧妙に自然の中に溶け込んでいた。時には、巨大な岩壁の狭い裂け目を通り抜け、時には、深い谷底に架かる朽ちかけた蔓の橋を渡る。道中には、古の民が施したと思われる古い罠の残骸や、風化した石碑などが点在し、かつてこの道が何らかの重要な目的のために使われていたことを示唆していた。

「この道…まるで、世界から隠されているようだぜ」プリンが、リアンの肩の上で周囲を見回しながら呟いた。

数日間の困難な行軍の末、一行はついに巨大な滝壺の前にたどり着いた。轟音と共に流れ落ちる水のカーテンの向こうに、カイトが指差す洞窟の入り口が微かに見える。

「ここだ。地図によれば、この滝の裏が『白竜の谷』へと通じる秘密の通路…『竜の涙道』と呼ばれているらしい」

一行は、水飛沫を浴びながら滝の裏へと回り込み、暗く湿った洞窟へと足を踏み入れた。

【白竜の谷、希望の砦】

長く曲がりくねった洞窟を抜けると、そこには陽光に照らされた、息を呑むほどに美しい谷が広がっていた。四方を険しい白亜の山脈に囲まれ、まるで天然の要害となっている。谷の中央には、天空の色を映したエメラルドグリーンの湖が静かに水を湛え、その周囲には緑豊かな牧草地や畑が広がっていた。谷のあちこちには、岩壁をくり抜いたり、大木を利用したりして建てられた質素だが堅固な家々が点在し、畑を耕す農夫の姿や、湖畔の広場で槍術の訓練に励む兵士たちの姿が見える。それは、ヴァルガス王の圧政から逃れてきた人々が、厳しい状況下ながらも希望を失わず、懸命に生きている証だった。

リアンたちの突然の出現に、谷の見張りをしていた兵士たちが驚き、鋭い視線と共に槍先を向けてきた。

「何者だ! 如何にしてこの谷へ入った!」

エルミナが一歩前に進み出て、懐から取り出したドラグニア王家の紋章が刻まれた小さな銀の角笛を静かに掲げた。それは、ソフィア王妃が信頼する者にのみ与える信託の証だった。

兵士たちの表情が、警戒から驚愕、そして歓喜へと変わっていく。

「そ、その角笛は…! まさか、エルミナ様でいらせられますか! そして、その後ろにおわすは…もしや…リアン王子!?」

兵士の一人が、震える声で叫んだ。その声は谷に響き渡り、畑仕事の手を止めた農夫や、訓練中の兵士たちが、次々とこちらへ駆け寄ってくる。

【母子の再会、託される想い】

兵士たちの先導で、一行は谷の中心、湖を見下ろす小高い丘の上に建てられた、最も大きな館へと案内された。そこは、ソフィア王妃の居館であり、反乱軍の司令部も兼ねていた。

館の扉が開き、中から現れたのは、ウェーブのかかった豊かな金髪をまとめ、簡素ながらも気品のあるドレスを身に纏った、凛とした佇まいの美しい女性――ソフィア王妃その人だった。彼女の蒼い瞳は、リアンのそれとよく似ていた。

「リアン…! ああ、本当に…リアンなのですね…!」

ソフィアは、リアンの姿を認めた瞬間、それまでの気丈な表情を崩し、母としての愛情に満ちた涙をその美しい瞳に浮かべた。リアンもまた、幼い頃の記憶の断片と、目の前の温かく力強い母の姿が重なり、込み上げてくる感情を抑えることができなかった。

「母上…! ただいま戻りました…!」

言葉にならない想いが二人を包み込み、彼らは固く抱きしめ合った。それは、長年の離別と苦難を乗り越えた、魂の再会だった。

ソフィアは、リアンの無事な成長と、彼がその身に纏うようになった新たなる力の気配――それは「調和の聖具」と共鳴する竜の血脈の輝きだった――に、驚きと喜び、そして一抹の不安を感じ取っていた。

リアンは、エルミナ、マルーシャ、プリン、そして新たなる仲間であるカイトとセレスを、母ソフィアに紹介した。ソフィアは、一人一人の手をとり、その労苦と勇気に心からの感謝の言葉を述べた。特に、「星の民」であるカイトとセレスに対しては、シルヴァンウッドでの助力と、彼らがリアンと共に来てくれたことに深謝した。

「よくぞ…よくぞ戻ってきてくれました、リアン。あなたこそが、このドラグニアの…いいえ、ウェスタリア大陸全体の、最後の希望なのです。亡きアルトリウス王の遺志を継ぎ、この地に再び光を取り戻すために…」

ソフィアの言葉には、民を想う女王としての強い意志と、息子への深い愛情が込められていた。

【反乱軍の現状と最初の厄災、王子の決意】

再会の喜びも束の間、ソフィア王妃や、彼女を支える反乱軍の幹部たち――白髪の老練な騎士団長ダリウスや、若く聡明な女軍師イザベラなど――から、現在の反乱軍が置かれている厳しい状況が説明された。ヴァルガス軍による「白竜の谷」への包囲と圧力は日増しに強まり、物資や兵糧は慢性的に不足し、民衆も疲弊しきっているという。

リアンの帰還は、絶望しかけていた反乱軍の士気を大いに高めた。彼が「天空の祭壇」でガイウスの軍勢を退け、「調和の聖具」の力を得たという噂は、瞬く間に谷中に広まり、人々は彼を「希望の王子」「竜の子」と呼び、新たな期待を寄せ始めた。それはリアンにとって大きなプレッシャーでもあったが、同時に、自分が果たすべき使命を改めて自覚させるものでもあった。

その夜、リアンはエルミナとセレスが見たという「黄金の穂波」地方の星々の異変について、ソフィアと幹部たちに詳しく報告した。ソフィアの表情が、痛ましげに曇る。

「やはり…あの『黄金の穂波』でも凶兆が現れましたか…。あれは、古の予言に記された『七つの災厄』の、最初の顕現なのかもしれません…」

その時、館の扉が激しく叩かれ、血相を変えた伝令兵が転がり込んできた。

「申し上げます! 『黄金の穂波』地方より緊急の飛竜便が! 大地が石のように硬化し、作物は枯れ果て、家畜は倒れ、そして…人々が次々と原因不明の病で石のように動けなくなっているとのこと! もはや、ただの凶作や疫病ではありませぬ! あれは…呪いです!」

その報告は、会議室にいた全員に戦慄を走らせた。

リアンは、母と、そして仲間たちの顔を見渡し、静かに立ち上がった。その瞳には、もはや迷いはなかった。

「母上、行かせてください。その『黄金の穂波』へ。そこで何が起きているのか、この目で確かめます。そして、それが『災厄』と呼ばれるものならば、俺が必ずそれを止めます。それが、ドラグニアの王子として、そしてこの力を宿す者としての、俺の最初の使命です」

ソフィアは、リアンの瞳に宿る揺るぎない決意と、彼が放つようになった指導者としての風格を見つめ、万感の想いを込めて、しかし力強く頷いた。

リアンの新たな、そして真の戦いが、今まさに始まろうとしていた。

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