砕ける祭器、目覚める古神と将軍の執念
【亀裂より迸る混沌、将軍の苦渋】
リアンのお守りから放たれた凄まじい光と熱が、「魂縛りの祭器」の黒水晶と激しく衝突した瞬間、祭壇全体が甲高い悲鳴を上げたかのようにきしんだ。黒水晶の表面に走った亀裂は瞬く間に全体へと広がり、そこから制御を失った禍々しい紫色の魔力と、祭壇本来の清浄な青白いエネルギーが混ざり合い、まるで相反する二つの奔流が激突するかのように、空間を歪ませながら噴出した。
「おのれ、ドラグニアの小僧ォォッ! 我が長年の研究の成果を…この私が心血を注いで完成させた至高の祭器をォォッ!」
仮面の魔術師が、その仮面の奥から初めて焦燥と怒りに満ちた絶叫を上げた。彼の足元で、祭壇の石畳が次々と砕け散っていく。
ガイウスは、その光景を冷徹な双眸で見つめていた。彼の表情に大きな変化はない。だが、その指先が、腰に下げた長剣の柄を強く握りしめているのが、彼の内心のわずかな動揺を物語っていた。
「…計算以上の力か。いや、あの小僧というよりは、あの胸に下げたお守りの方か。だが、それ故に興味深い」
彼の呟きは、混沌とした騒音にかき消されそうだった。
【魂縛りの終焉、目覚める古の意志】
リアンのお守りから放たれる聖なる光の奔流は、なおも勢いを増し、「魂縛りの祭器」の亀裂へと容赦なく流れ込んでいく。それはまるで、邪悪な呪いを内部から浄化し、破壊するかのような激しさだった。やがて、黒水晶は限界を超え、パリンッという乾いた音と共に砕け散った。「魂縛りの祭器」は完全にその機能を停止し、爆発こそ免れたものの、周囲に強烈なエネルギーの衝撃波を放ちながら崩壊していく。
その瞬間、祭壇の奥から姿を現していた巨大な石のゴーレム――「天空の祭壇の守護者」――が、苦悶とも解放ともつかぬ、地響きのような咆哮を上げた。その赤紫色に禍々しく染まっていた瞳から邪気が急速に消え去り、本来の深く澄んだ青白い理性の光が戻ってくる。しかし、長年にわたる「魂縛りの祭器」による束縛と、祭壇そのものの汚染は、守護者の精神にも深い傷跡を残していた。その力は極めて不安定で、解放された巨躯は激しく痙攣し、その両腕を無差別に振り回し始めた。
「グオオオオオオオッ!」
守護者の瞳には、もはや敵も味方も映っていないかのようだった。ただ、この聖域を汚す全ての存在に対する、純粋な怒りと破壊衝動だけが渦巻いているように見える。
祭壇全体が、エネルギーの均衡を完全に失い、激しい地響きと共に本格的な崩落を開始した。巨大な石柱が倒れ、床が抜け落ち、ヴァルガス兵たちは恐慌をきたして逃げ惑う。
【星核の間への道、最後の希望】
「リアン王子! 今です!」
この大混乱の中、エルミナの声が鋭く響いた。リアンは、胸のお守りが以前にも増して強く輝き、祭壇のさらに奥、星々が凝縮されたかのような清浄な光を放つ一点を指し示しているのを感じていた。
「エルミナさん、あそこだ! あの光の先に…『調和の聖具』が!」
「はい! 信じましょう、王子自身の力と、お守りの導きを!」
二人は視線を交わし、固く頷き合う。カイトとセレスが、崩れ落ちる瓦礫や、暴走し始めた守護者の巨腕を巧みにかわしながら、リアンとエルミナのために必死に道を開く。
「王子、エルミナ様、お急ぎください! この祭壇は、もはや長くは持ちません!」カイトが叫ぶ。
セレスもまた、森の精霊たちに呼びかけ、崩落する岩を一時的に食い止めたり、ヴァルガス兵の追撃を妨害したりと、その神秘的な力で一行を援護する。
「マルちゃん、プリンちゃん、みんな、こっちよ! 少しでも安全な場所へ!」
マルーシャは、負傷したハルクやヨルン、そして動ける兵士たちと共に、祭壇の比較的被害の少ない外縁部へと必死に避難誘導を行っていた。彼女の顔は煤と埃で真っ黒だったが、その瞳には決して諦めないという強い意志が宿っていた。プリンも、その小さな体で瓦礫の隙間を駆け抜け、遅れた者に道を示したり、マルーシャの手助けをしたりと健気に動き回っている。
【ガイウスの執念、仮面の魔術師の奥の手】
ガイウスは、祭壇の崩壊と守護者の暴走、そしてリアンたちが「魂縛りの祭器」を破壊し、「星核の間」へと向かおうとしているのを、なおも冷静に見据えていた。彼の計画は、確かに大きく狂わされた。だが、この程度のことで諦める彼ではない。
「…面白い。ならば、その『調和の聖具』とやら、我が手で確かめてやろうではないか」
ガイウスは、崩れ落ちる足場をものともせず、リアンたちの後を追うように「星核の間」へと向かい始めた。その動きには一切の迷いがなく、むしろこの混沌とした状況すら楽しんでいるかのようだった。
「全軍、王子とその仲間を何としても阻止せよ! 祭壇の守護者は放置で構わぬ、まずはあのドラグニアの小僧を仕留めるのだ!」
彼の命令は、混乱するヴァルガス兵たちに新たな目標を与え、彼らは再びリアンたちに牙を剥こうとする。
「おのれ…おのれ貴様らァァァ!」
一方、仮面の魔術師は、自らの最高傑作である「魂縛りの祭器」を破壊された怒りと屈辱に身を震わせていた。彼は、懐から黒曜石で作られた不気味な短剣を取り出すと、自らの左腕を深々と切り裂いた。鮮血が噴き出し、それが祭壇の石畳に滴り落ちると、禍々しい紫色の魔法陣が浮かび上がる。
「我が血肉と魂を捧げ、禁断の契約をここに結ばん! 出でよ、深淵の眷属よ! 我が怨敵を喰らい尽くせ!」
魔術師の絶叫と共に、魔法陣から黒い霧が噴き出し、その中から異形の影が複数体、ゆっくりと姿を現し始めた。それは、この世のものとは思えぬ、おぞましい姿をした魔物たちだった。
【星核の輝き、対峙する宿命】
リアンとエルミナは、カイトとセレスの決死の援護を受け、ついに「星核の間」と呼ばれる、祭壇の最奥に位置する小部屋へとたどり着いた。そこは、まるで星空そのものを切り取って封じ込めたかのように、無数の小さな光点が壁や天井で明滅し、言葉では言い表せないほど神秘的で清浄な気に満ち溢れていた。そして、その部屋の中央、水晶でできたかのような透明な台座の上には、七色の虹彩を内包し、まるで呼吸するかのように穏やかな光を放つ美しい宝珠――「調和の聖具」――が静かに安置されていた。
それは、まさしく希望の光そのものだった。
リアンは、吸い寄せられるように聖具へと手を伸ばした。その指先が、宝珠に触れようとした、まさにその瞬間――。
「そこまでだ、リアン王子」
背後から、氷のように冷たい、しかし圧倒的なプレッシャーを伴った声が響いた。
「その玩具は、お前のような子供には過ぎたものだ。我がコレクションに加えてやろう」
ガイウス本人が、その漆黒の鎧に付着した埃を払うこともなく、「星核の間」の入り口に音もなく立ちはだかっていた。彼の瞳は、台座の上の「調和の聖具」と、そしてリアンを、まるで鑑定するかのように冷ややかに、そして執拗に見据えている。
ほぼ同時に、解放された祭壇の守護者が、行く手を阻むヴァルガス軍の兵士たちを薙ぎ払いながら、その巨大な体躯で「星核の間」へとゆっくりと、しかし確実に歩を進めてくるのが感じられた。その青白い瞳の奥には、リアンを見つめる、何かを探るような、あるいは問いかけるような、古の意志が宿っているように見えた。
「調和の聖具」を巡り、リアン、ガイウス、そして目覚めた古の守護者――三者の運命が、崩壊しつつある天空の祭壇の心臓部で、まさに激突しようとしていた。仮面の魔術師が呼び出した深淵の眷属たちもまた、この最後の聖域へと迫りつつあった。