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ウェスタリア・サーガ:亡国の王子と喋るスライム  作者: 信川紋次郎
第一章: 星影の王子と天空の誓約
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黒曜石の影、夜明けに告げられし星の試練


シルヴァンウッドに「黒曜石の将軍」ガイウスの斥候が迫っているという報は、束の間の安息を打ち破り、里全体を即座に戦時下の緊張感で包み込んだ。女子供は大樹の根元に広がる地下洞へと静かに避難を始め、男たちは弓や槍を手に、グレイファングの指示のもと、音もなく持ち場へと散っていく。松明の灯りは最小限に絞られ、月明かりだけが、木の葉の間を縫って地上にまだらな影を落としていた。

リアンは、いてもたってもいられず、何か自分にできることはないかとグレイファングに申し出たが、彼は厳しい表情で首を横に振った。

「お前たちの役目は、明日の夜明けと共に始まる。今はただ、力を温存し、心を研ぎ澄ませておけ。斥候ごときに、我ら森の戦士が遅れを取ることはない」

その言葉には絶対の自信が滲んでいたが、ガイウスの名が出た時の彼の表情の曇りが、事態の深刻さを物語っていた。エルミナは、遠見の魔法で斥候の位置を掴もうと試みるが、このシルヴァンウッドの森そのものが持つ強大な自然の魔力と、おそらく「星の民」が施したであろう結界のようなものに阻まれ、普段のように遠くまで見通すことはできなかった。

「あーん、もう! こんな肝心な時に限って、あたしの『口八丁手八丁なんでも解決お助けサービス』は開店休業状態かい!」

マルーシャは唇を噛み、小さな声で不満を漏らす。彼女の商人鞄には様々な品物が入っているが、この状況で直接役立つものは少ない。プリンが、そんな彼女の足元にすり寄り、「だいじょぶだぜ、マルちゃん。リアンとエルミナ姉ちゃんは、すっげーんだから!」と慰めるように言った。

しばらくして、森の闇に溶け込んでいた「星の民」の精鋭たちが、数人の斥候を捕縛して戻ってきた。彼らの装備は黒を基調とし、その胸には黒曜石で作られた狼の頭を象った紋章が付けられている。まさしくガイウス直属の兵士だった。しかし、斥候のリーダー格と思しき男は、捕らえられる寸前に何らかの手段で仲間へ合図を送ったようで、数名は森の闇へと逃げ込んだという。

「…シルヴァンウッドの位置は、完全にガイウスに知られたと見て間違いないだろうな」

グレイファングは、苦々しげに吐き捨てた。捕らえた斥候は、頑なに口を開こうとしなかったが、その不遜な目つきがガイウスの部下としての傲慢さを示していた。

ルナリアが、静かに口を開いた。

「『黒曜石の将軍』ガイウス…。彼は単なる武人ではない。冷酷にして怜悧な頭脳を持ち、時には魔法や古の禁断の知識すら利用する。かつて、我らが同胞のいくつかの集落が、彼の率いる軍勢によって地図から消された。森を焼き、女子供まで容赦なく手にかけたという…。その男が、このシルヴァンウッドに目を付けたとなれば、我らに残された道は多くない」

その言葉は、里に集う者たちの間に重く響き渡った。ガイウスの名は、彼らにとって悪夢そのものであり、決して忘れることのできない憎悪の対象でもあった。

張り詰めた空気の中で、夜はゆっくりと更けていった。リアンもエルミナも、ほとんど一睡もできずに夜明けを迎える。

東の空がようやく白み始め、朝霧が森を乳白色に包み込む頃、ルナリアがリアンとエルミナを、里の中央に聳える聖なる大樹「星見の古木ほしみのこぼく」の前へと呼び出した。他の長老たちとグレイファングも、厳粛な面持ちでそこに集っている。

「時は満ちた」ルナリアの瞳が、朝日にきらめく露のように、鋭くも清らかな光をたたえていた。「これより、『星の試練』を告げる」

彼女はまずリアンに向き直った。

「『竜の子』リアンよ。汝には、このシルヴァンウッドの森の最奥、我ら『星の民』ですら滅多に足を踏み入れぬ聖域『竜の寝床』へ赴き、そこに眠るとされる古の竜の守護霊と対話し、汝がその力を正しく継ぐに値する者であると認めさせねばならぬ。それは、汝自身の魂の強さと、真の勇気を試す試練となるであろう」

次に、エルミナへと視線を移す。

「そして『銀の月の乙女』エルミナよ。汝には、里の北に位置する『星詠みの泉』にて、その清らかなる水面に映る乱れた星々の軌道を読み解き、来るべき大いなる災厄の中から、ウェスタリアを照らす一条の希望の光を見つけ出し、それを『竜の子』に示すことが求められる。それは、汝の清廉な精神と、星々の言葉を理解する類稀なる資質を試す試練となる」

ルナリアは、二人を交互に見据え、言葉を続けた。

「この二つの試練は、表裏一体。互いに深く結びついておる。片方が欠ければ、もう一方も成就することは叶わぬ。そして、もし試練を乗り越えることができなければ、我ら『星の民』の全面的な助力を得ることはおろか、このシルヴァンウッドから生きて出ることも難しいやもしれぬ。心せよ」

リアンとエルミナは、試練の過酷さと、それに込められた意味の重さを痛感した。ガイウスの軍勢が刻一刻と迫っているこの状況で、果たして自分たちにそれが成し遂げられるのか。だが、退くという選択肢はなかった。

二人は互いに顔を見合わせ、そして力強く頷いた。その瞳には、不安を乗り越えた確かな覚悟が宿っていた。

「お受けいたします」リアンの声は、まだ若いが、決意に満ちていた。

「必ずや、星々の導きを掴んでみせます」エルミナもまた、静かに、しかしきっぱりと言い切った。

マルーシャは心配そうに二人を見つめ、プリンは「リアン、エルミナ姉ちゃん、頑張れよ! オレ様、ここでいい子にして待ってるぜ!」と小さなのようなものを握りしめている。

グレイファングが、それぞれの試練の場所を知る若い戦士を、リアンとエルミナの案内役として一人ずつ指名した。リアンには寡黙だが精悍な若者「カイト」が、エルミナには聡明そうな若い女性「セレス」が付き添うことになった。

「王子、エルミナ様、ご武運を…」ハルクが、まだ痛む肩を押さえながら、力なく声をかけた。

リアンとエルミナは、仲間たちに「必ず戻る」と短い言葉で約束を交わし、カイトとセレスに導かれ、それぞれ異なる森の小道へと足を踏み入れた。「竜の寝床」と「星詠みの泉」――二つの聖地を目指して。

彼らが出発して間もなく、森の外縁を見張っていた斥候から、シルヴァンウッド全体を震わせるかのような緊急の伝令が届いた。

「グレイファング様! ヴァルガス軍本隊、確認! その数、およそ三百! 黒曜石の将軍ガイウスの旗印と共に、シルヴァンウッドに向けて総攻撃を開始する模様! 空には、多数のガーゴイルの影も!」

その報告は、もはや一刻の猶予もないことを示していた。

グレイファングは、苦渋に満ちた表情で天を仰いだが、すぐにその隻眼に闘志を滾らせ、聖なる大樹の前に集った戦士たちに檄を飛ばした。

「『星の民』の誇りにかけて、一歩も退かぬ! 『星の試練』が成就するまで、何としてもこのシルヴァンウッドを守り抜くぞ! 我らが牙を、鉄の爪どもに思い知らせてやれ!」

「ウォオオオオオッ!」

森の戦士たちの雄叫びが、朝霧を切り裂いて天に響き渡った。

リアンとエルミナがそれぞれの試練に挑む中、シルヴァンウッドの存亡をかけた、絶望的な防衛戦の火蓋が、今まさに切られようとしていた。


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