03
「ぐぬぬ……」
マールとドナルドは歯ぎしりしながらうなっている。
「し、しかし、あのときとこれとはまったく違う性質のものであり……」
「あら? わからないのかしら? この水差しのように道具の中にある物質を魔法で変化させるのではなく、軍部が想定しているのは攻撃魔法ですわよね?」
「ええ、その通りです」
「つまり、魔法発動者から、ある程度離れた場所にいる相手をすくなくとも殺傷もしくは行動不能にするだけのダメージを与えなくちゃいけません」
「……それが、なにか?」
キョトンとしている近くの席の大臣にゆっくりと話しかける。
「魔法を離れた場所に向けて放つ、なおかつ、それは大きな威力をともなわなくちゃいけない。その両方ともが、実現するのに必要とする魔力量の大きさを途方もないものにしますわよ。それこそ、この水差しで用いるモノの何万倍も。一発撃つごとに、この魔力カートリッジが十個もニ十個も空になるぐらい」
ミレッタ王女は水差しの取っ手の黒い部分を撫でる。
「ところが、そんなに大量の魔力を一度に流し込んでしまうと、この水差しで使われている材料は魔法が発動する前にどれも壊れてしまいますわ。魔導石も魔断石も魔晶線もみんな」
「それなら、もっと研究をすすめて、大量の魔力を流しても壊れないような物質を探して……」
「ええ、膨大な時間と費用をかけて、国中どころかヨックォ・ハルマ中のすべての研究者たちを集めて研究するんなら、そんな物質を見つけることも可能だと思いますわ。千年後ぐらいまでには」
「千年後……」
「すくなくとも、我が国の軍の秘密研究所だけで数年で見つけ出すことなんて夢のまた夢のようなものですわね」
「そ、そうなのですか……」
だが、マールの副官が早口になって反論を始めた。
「しかし、それはミレッタ王女殿下の個人的な考えなのではないでしょうか? 我が国の軍部の研究所は、とても質が高く、能力にあふれた研究者がたくさんいるのです。そのような物質などたやすく見つけてしまうのではないでしょうか?」
鷹揚にうなずきながら、ミレッタ王女はとろけるような微笑みをその発言者へ向けた。
「むろん、我が国の軍部の研究者たちへの信頼は揺るぎはしませんわ、たとえゴーレムの件で目も当てられない失態を演じたばかりだったとしても」
「そ、それは……」
「それでも、この技術を軍部が独占して秘匿し、極秘に研究開発するよりも、民間へ広く開放し、在野の研究者たちにも物質探しに協力してもらった方が、はるかに有効ですわよ。なにしろ、民間の研究者たちの方が、個々の規模は小さくても、総量では資金の面でも人数の面でも、国軍の何倍もの規模なんですもの」
「しかし、質は……」
「質の面も申し分ないですわよ。なにしろ、我が国・軍に雇われていて待遇が保証されている研究者たちとは違って、彼らは自分たち自身で成果を出さなければすぐにお払い箱にされて、なにも得ることができないのですもの。必死になりますわよ」
「「「……」」」
そうして、会議の結論はでた。
ミレッタ王女が主張したとおりに、水差しに使われた新しい魔道具技術は軍部によって接収されることなく、民間に開放されつづけることになった。
その方針は、周辺諸国の中では唯一にして異例の判断となる。
もちろん、同じような会議はウェスト王国の近隣諸国でも開かれていた。ただ、それらの国々にはミレッタ王女のような人物はいなかった。
その結果、その新しい技術はそれぞれの国の軍部によって接収され、秘匿されることとなる。必然的に、その技術を用いた民生品の開発は行われず、もっぱらウェスト王国からの輸入品に頼ることとなった。
そうして、ウェスト王国の経済がこの貿易によって大いに活性化されるのは、それからしばらくのちの話である。
『すばらしいお話でしたわ、魔王様』
ミレッタの脳裏に念話が届いた。背後に控えているサヌからだ。その念話には笑いの成分が多分に感じられる。
『ありがとう、サヌ』
『ふふふ、魔王様がお出かけ直前に国王暗殺用魔道具の製作を命じたときのあやつの反論そのままでしたわね。うふふふ』
『おだまり!』
『それはそうと、あんた、さっきからなに隣の男とこそこそしゃべっているのよ? いつの間にお兄様の護衛官と仲良くなったのよ?』
『いえ、仲良くなどとは…… この者と話したのは、今しがたのが初めてでございます』
『あら? どういうこと?』
『なんでも、この男、ベイスと将来を誓い合った仲らしいですので』
『ベイス? だれ、それ?』
『……』
サヌは呆れたようにかすかに首を振っている。
『魔王様の小間使いでございます』
『小間使い? 私の?』
『はい、人間の』
「まあ!? なんてこと!」
まだ続いている会議の内容とはまったく関係のないところで、驚きの声を上げたものだから、出席している全員の視線がミレッタ王女に集まっていた。
「あ、もうしわけございませんわ。ちょっと思い出したことがあったので……」
おしとやかに頭を下げる姿を目にした途端、だれもが目元をほころばせている。
そして、すぐに会議の議題の方へ集中力を切り替えていった。
『びっくりするじゃない! ベイスっていったら、立体刺繍の娘よね?』
『はい、さようでございます、魔王様』
『あの子が…… へぇ~』
なにやら、自分の席について一心に考え巡らせている。それを見守りつつ、サヌは思うのだった。
――今、魔王様は、今知った事実をどう利用しようかと考えていらっしゃるのだわ。
どう考えてもロクでもないことにしかならなさそうで、サヌはだれにも気が付かれないようにこっそりとため息を吐くのだった。