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ようやくミレッタの居室に、静寂がもどってきた。
まるで何事もなかったかのようだ。
中庭に駐屯していたはずのマール直属部隊も、宿舎へでも引き上げたのか、いつの間にか姿を消している。まあ、もっともそれ以降もその部隊の者を見た者はどこにもいないのだが。
ただ、ミレッタの居室の床にマールが伸びているだけだった。
――っ!
マールが身じろぎした。
うっすらとまぶたを開き、あたりをうかがう。どこかの床の上だ。そのまま上半身をおこした。
「ここは……?」
何が起こったのか思い出そうとして、頭に猛烈な痛みを感じた。手を当てると、べっとりと手のひらに何かが付着する。自分の血だった。
「どうして、俺は――」
「やっと起きたわね」
声をかけられた方をみると、マールが普段から恋焦がれている女の姿があった。途端に、記憶がよみがえってくる。
クーデターの中で、俺はこの女を押し倒そうとして――投げ飛ばされた?
「あんたの記憶を確認させてもらったわ。つまり、叔父上があんたと組んで反乱を起こそうとしたわけね」
「反乱……? 反乱……! 反乱っ! クーデター!」
混乱していた記憶がまとまる。
「クーデターは? ドナルド殿下の挙兵はどうなった?」
「あら? 結構、静かなものよ。一応、サヌに様子を見させに行かせてるけど、ここからじゃ王都の方はなにも起こってないように見えるわね」
「……バカなッ!」
「きっとあのおバカが先手を打っておいたってとこかしら」
愉快そうに微笑んでいる。自分が笑っていることに本人も気が付いていないかのようだ。
「そんな……」
ふっと、気配を感じた。視線を向けると、いつのまにかそこにマールも見覚えがあるミレッタの侍女が待機している。今、一瞬、背中にコウモリの羽のようなものが見えた気がした。たぶん、見間違えだろう。
「姫様、王都の反乱は大した戦闘もなく、ほぼ国王側の手によって鎮圧されたようでございます」
「そ、わかったわ」
「はっ」
マールは気落ちし、首をうなだれていた。だが、すぐに首を振って思い直した。
いやっ! そんなはずはない! 計画は万全だった! 万が一にも失敗するはずはない!
万全の準備をしていたクーデターだというのに、こうもあっさりと鎮圧されるなんてありえない。まったく信じられないことだった。
だから、今耳にしたことをあくまで拒否するつもり顔を上げたのだが、なんだか頭がスースーする。それに口元もいつもより涼しい。
顔に手を当てて、確かめる。だが、そこにいつもあるはずの髪の毛やひげの感触がない!
マールにとって自慢のひげ。いつも入念に手入れをしているからか、会う人のだれもがほめそやしたひげが――生えてない!
ふと視界の隅に姿見があるのに気が付いた。そこに今の自分の姿が映っている。
お、俺の髪が! 俺のひげが!
年相応にかなり薄くなったとはいえ、それなりにふさふさしていた髪が消え、成人してから一度も剃ったことがなかったひげが見えない!
そんなっ!
「あんたが俺の髪とひげを剃ったのか?」
「あら? 私がそんな汚らわしいことなんかするわけないじゃない。お兄様のならともかく、こんなむさくるしい男のなんて、触りたくもないわ」
「じ、じゃあ、なんで俺の――」
「ああ、それはちょっとした呪いをかけてあげただけよ」
「呪い?」
「ええ、あんたの顔と頭に二度と毛が生えない呪い」
「……ッ!」
「今回の無礼はそれで許してあげるわ。命でつぐなっても足りないぐらいだけど、お父様やあのおバカヘンリーをやっつけようとしたことに免じて、命だけは助けてあげるわ」
「……」
その整った顔に実に邪悪な笑顔を張り付けて、この元聖女のお姫様は哄笑するのだった。
マールはそれを見つめながら背筋が凍るような寒気を覚えていた。
も、もしかして、俺はとんでもない女に懸想していたのか?
体が勝手に震え出すのを止めることができなかった。
「そ、そうだ。部下は? 部下たちは、どうなった?」
「部下? ああ、一緒に来てた連中のこと? それなら、とっととかえっていったわよ、土に……」
「帰っていった? 上司である俺を置いてか?」
「ええ、そうよ。あと、庭にいた連中もね」
「な、なんて奴らだ! 俺をさっさと見捨てやがって! 俺があいつらにどれだけ目をかけてやっていたと思っているんだ!」
青ざめ、悲痛なうめき声をあげるしかない。だから、ミレッタはボソッと『土に』と付け加えていたのを聞き逃した。
「まあ、あんたたちの企ては、失敗ね。ご愁傷様」
「くっ……」
「さて、もういいわ。これ以上、あんたに用はないわ。さっさと帰ってってくれるかしら? 私も忙しいのよ」
かたわらに控えている侍女がマールに近づき、強引にその腕をとって立ち上がらせる。そのまま出口へと導いていく。
「は、離せっ!」
抵抗しようとしたが、無駄だった。侍女の方が圧倒的に力が上のようだ。手も足も出ない。
結局、居室の外まで運び出され、そのまま手荒に放り出された。
「な、なにをする! 俺様は軍務卿だぞ!」
抗議の声を上げる間に、周囲を離宮警護隊の武装をした兵たちに取り囲まれていた。だれもなにも口にしない無言の兵たちだった。結局、そのまま離宮の外までマールは連れ出された。そして、離宮前の道路にゴミでも捨て去るように投げ捨てられたのだった。
失意に暮れるマールを運び出した警護隊の兵士たち、鎧や兜の隙間からのぞく体には、肉が付いておらず、白い骨がむき出しになっていた。そして、彼らが身動きするたび、鎧の中からカラカラと骨同士がこすれる音が響いているのだった。せんのない抗議の声をあげつづけるマールは気が付いてはいなかったようだが……
その後、マールがどうなったのかわからない。ただ、数日ののちに、全身の毛という毛が抜け落ち、二度と生えることがないという奇病(呪い?)にかかったという男がいずこかの国境を越え、ウェスト王国を去っていったのだけはたしかだった。




