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王都の内外で様々な出来事が起こっていた今回のクーデター。最大の激戦だったのは、この東宮の正門をめぐる攻防だった。だが、東宮警護隊の側の圧勝におわり、勝った側も負けた側も被害は軽微だった。
だが、今回のクーデターの中でもっとも凄惨な状況になったのは別の地点だった。
クーデターの首謀者は王弟ドナルド。その右腕であり、実際にクーデター計画を立案し、各部隊を指揮していたのは軍務卿のマール将軍だった。
マールは軍務大臣の地位を利用して、今回クーデターに参加し、反乱側の主力部隊になる国軍の各部隊の指揮官たちを、あらかじめ自身の腹心たちに入れ替えていた。この夜は各部隊にまずは演習名目での訓練を命じていた。そして、反乱がおこった。
そんな中で、マール将軍自身が直接部隊を指揮して向かった場所がある。サクラギ離宮だ。
マール将軍の部隊が離宮に接近してきたとき、もともとさほど多くはなかった警護の兵たちは、すぐに逃げて行った。
そのためマールの部隊はほとんど抵抗を受けることなく、すぐにサクラギ離宮に入場することができたのだ。
マールは部隊に中庭で待機するように命じ、少数の副官たちを連れて、離宮の建物の奥へ入っていく。
何度か訪れたことがある離宮。内部の様子は熟知している。
マールは自信満々の足取りで離宮の奥の目的地へと歩いて行った。
途中、マールの行く手をさえぎるものは誰も現れなかった。離宮警備の武官も離宮の主に仕える侍女たちもみな、とっとと逃げるか、みつからないようにどこかの物陰に隠れたのだろう。
無人の離宮内を一団はすすみ、やがて離宮の主の居室前までたどりついた。
一瞬、マールの脳裏にこの離宮の主もどこかへ逃げ出していたら…… などという考えがよぎったが、居室の前で大声で案内を乞うマールに部屋の中から涼やかな返事がきて、安堵の笑みを浮かべるのだった。
「失礼する」
「これは、マール将軍。こんな夜分にいかなるご用件かしら?」
「大変でございます、姫様。かねてより悪逆非道なる行いの噂があった王太子殿下が、今宵ついに反乱を起こしたもようでございます」
「まあ、あのおバカヘンリーが!」
「すでに、国王陛下は王太子殿下の手にかかり、ご落命なさいました。ですが、ご安心ください。このマール、このように真っ先に姫様のもとへ参り、無道な簒奪者である王太子の弑逆の手から、姫様をお守り申し上げます。さっさ、姫様こちらへ」
マールがミレッタ王女に迫り、その手を取ろうとしたのだが、ミレッタ王女はその手に気づかない様子で、笑い声を放ちはじめた。ほとんど狂ったように。
「ついにやったわね、あのおバカ! これでユリウス兄様があのおバカヘンリーを討ち倒して、そのまま王位についたとしても、だれも文句は言わないわ! ふふふ。さっそくみなに命じなければ!」
一瞬、目の前で歓声を上げている王女の姿に呆然としたマールだったが、すぐに首を振って正気を取り戻す。そして、
「い、いいえ、それには及びません。すでに、我が主、ドナルド殿下が軍を率いて出動し、逆賊ヘンリーを討ち滅ぼそうと動いておられます!」
「ん? なんで叔父上ごときが? あの人に軍を動かすなんてできないでしょうに? そんな権限はないはずですわよ?」
「それなら、心配ありません。私が軍務大臣ですので、私の権限でどうにでもなるのです」
「あら、なら、その権限をフルに使って、すぐにドナルド叔父から軍の指揮権をはく奪しなさい! そして、辺境へ向かっておられるユリウス兄さまの代理人として、私へすべての権利を譲渡してしまいなさいよ。うん。その方がいいわよ。そうよ。いますぐにそうなさい、ね?」
妙に迫力のある声音で、とんでもないことを言い出した。おもわずその言葉に素直に従いそうになる自分に気付く。あわてて首を振った。
「だ、だめです。そんなことできません! 逆賊ヘンリーはドナルド殿下が討ち果たさねばならないのです!」
「そんなことはないわ。むしろ、ユリウス兄さま、ううん、私こそが、その役にふさわしい。そうして、戻ってこられたユリウス兄さまが、おバカヘンリーどころかドナルド叔父ごと闇に葬り去ってしまってもいいわね」
「なんということを!」
「あら、これって案外いい考えかも!」
「いい加減にしてください! 姫様! こんな時に冗談もほどほどにしてください。そんな場合ではないのです! 今は緊急事態なんです!」
焦るマールをじっと見つめてくる。
「あら? 冗談のつもりなんかじゃないのだけど? さっきからあんたがついてるデタラメとちがって」
キョトンとした表情で首をひねる仕草、思わず見とれてしまった。美しい。だが、その唇からこぼれてきた言葉は――
バレている!
驚愕で目を見開きつつ、見つめるしかない。
この姫様はただ容姿が整っただけの世間知らずだと思っていたが、案外、周りをよく見ているのかもしれない。
ほしい! このすました美しい顔を恐怖と屈辱で歪ませたい! 俺の前で恥辱にまみれながらの命乞いの懇願をさせたい!
マール自身の中でどす黒い欲望が急激に膨らんでいった。
「もういい! 茶番はやめだ! そうだよ。俺は嘘をついてるんだよ!」
「でしょうね。私の目はごまかせないわよ」
「そうさ、今晩、反乱を起こしたのは俺たちの方さ。王太子じゃなくな」
「……」
「俺とドナルド様とでクーデターをおこし、国王や他の王族たちを皆殺しにして、この国を乗っ取るつもりなのさ」
「あら、素敵じゃない」
「あんたも王族の一員だから殺してもいいのだが、俺は寛大だ。特別にあんたの命だけは助けてやるぜ! なにしろ、あんたはこんなにべっぴんさんなんだからな! 俺の愛人にして、生涯俺のなぐさみものとして、囲ってやるぜ! エヘヘヘ」
とうとう、マールの本性が現れた。その言葉の終わらないうちに、再度腕を伸ばし、ミレッタの腕をつかんでこようとする。
大抵の女なら、目の前で男がそんな豹変をし、下卑た目をしながら迫ってきたなら、驚きのあまり身動きもできず、恐怖で悲鳴すらあげられなくなるものだ。
王女という身分とはいえ、この女も所詮は深窓の令嬢にすぎない。マールの野蛮な行動に、なすすべもなく蹂躙され、屈服させられるはずだった。
マールは欲望に目をギラギラさせながら、ミレッタの体を引き寄せ、まずはその唇を味わいつくそうと――
ギュンッ!
マールが覚えているのはそこまでだった。




