黒板に描き残す
教室に残る子供達の歓声の響きに身を浸す。こんなことも最近のわたしはできるようになった。今日も和やかに、子ども達一人ひとりと心を通わせた一日だった。黒板には数人の子が帰りしなに残していった落書きがある。
ふと、順一という少年との記憶が窓から吹き込む心地よい風のように訪れる。
黒いシャボン玉のような塊が空に昇っていったのを物語の中に迷い込んだ様な気持ちでわたしはぼんやり眺めている。
―そうしたら、また中を覗いてごらんよ
私が少年に促されて箱の中を覗いてみると、形のある何かが見える。
「何だろう」
―これは、霞さんの恐れに覆われていて見えなかった気持ちだよ。さあ、取り出してごらん。
「うん」
わたしの手は迷うことなくその何かに伸びた。細い毛のような半透明な糸に編まれた布に包まれている様に見えるそれは丁度両の掌に載るくらいの大きさだった。目の前にそれを眺めてみる。これがいつかの自分の思いなのか、信じられない思いがするが、あながち嘘でもない。本当のことと信じられそうである。信じてしまえば簡単なのに、どう信じてよいものやらどう感じてよいものやら、考えあぐねているわたしに少年が語りかける。
―ほうら、それだよ。そんなこと思わなくていいのさ。ただ聞いたことや感じたことをそのまま素直に受け入れていーんだよ。
「わかってる。でも、それがいつもできないの・・・・・・」
―大丈夫。すぐにできるようになるから。
わたしはその半透明な糸で編まれた何かを引き寄せて、恐る恐る胸に抱いてみる。
―どう?
―うん。不思議な感じ。でも嫌な感じじゃないわ。ちょうど好きな音楽を聴いている時のような、落ち着く感じ。少し体の真ん中が温かくなってくる気がする。
―その調子。そのまま続けて。
―温かさが全身に広まって、足の先まで降りて来るの。
―わかるよ。霞さんの周りの空気も少し温度が上がったよ。
宙を見上げていたわたしが自分の掌から重みがなくなったのを感じ、掌を見ているとそこにはやはり何もなくなっている。
―じゃあ、次の箱に行こうか。
こうしてわたしたちは、いくつもの入れ物にある少年曰くわたしの以前の感情を確かめて歩く体験をした。そんな思い出に浸っていたかと思って、時計を見たが針は一分も進んでいなかった。もっと長い時間が経っていたように感じた。薄れ行く順一少年との記憶を留めておきたくて、彼の似顔絵を黒板の右端の日付に使われている11月22日の「月」のマグネットの下に描いてマグネットですぐにかくした。
つづく