箱の中
私はいつの頃からか、朝の通勤の時間が嫌いではなくなってきた。席を探せば座れないこともない。しかし、ドアの側に立って、流れる景色を見ているのが、ルーティンになっている。野菜が日々畑の上で生長していく様を確かめるのが楽しみの一つになっている。
「一緒にわたしの心の中に入るの?」
―そう。霞さんの。あくまでものの例え。
「どうゆーこと?」
おぼろげになりつつある少年との出来事の記憶が、小さな水溜りの底から水が湧き出てくるように音もなく浮き上がってきた。
頑丈そうな立方体の箱が見える。真鋳か何か。とても固くて重そうだ。それには蓋がしてある。
「重い。とても一人では持ち上げられそうにないわ」
―一緒にやってもいい?
「お願い」
―せーの。
その蓋は擦れる音を響かせながら開いた。中に黒い塊が見える。
―それは、霞さんの恐れ
「わたしの恐れ」
―まずは、それを外に出してみて
「また手伝ってくれる?」
―今度は一人でやった方がいい。
そう言われて私は戸惑った。改めてその黒い塊をじっと見つめる。
「分かった。やってみる」
―がんばって。
手触りは無いに等しい。初めての感触だった。重みは微かに手に感じられる程度だ。
―そう。
私は安心したくて少年を見る。彼は微笑んで頷く。
―外に出してみて。
私は言うままに、両手でそれを拾い上げる。
―そう。
「次にこれをどうしたらいいの?」
―そのまま空に放り投げるようにしてみて。少年はパントマイムのように、何かを頭の上に放り投げる真似をする。
私はそれを頭上に放り投げた。
―そう。それでいいよ。
少年は声を上げて笑った。手を叩いて喜んでいる。私は少年の気持ちについてゆけないで、少年には反応できずに、自分が放り投げた物を、空に浮ぶ雲を見上げるように見てみる。
黒いそれは、無色透明の空気に水玉のようにばらばらになりながらシャボン玉が上がっていくように高く上がっていく。
「うわぁ」思わず声が出た。
つづく