光の源
私に光がないのは、私のせいではない。
だって注がれるべき人から光源になるものをもらわなかったんだから。そして、おそらく母親である彼女もそうなのだろう。母親に会いたいと、これくらい明らかに確かめられる思いに至ったのは初めてだった。仮にあったとしても、何も話すことはない。光がない母と娘が、そのことについて一体何を語り合うというの。ただ、その事を理解した私として母親と向き合いたい。私は一度も母親に向き合おうとはしなかった。
もし、しておけば、人として、母と娘とは違う位置関係や距離間をもてたかも知れない。こんな仮説めいた思いからは何も生まれない。そう思って打ち消そうとすればするほど、涙がこみ上げてきた。そして、自分が自分である秘密を認めた。あの人の娘であることであり、それは消し去ることのできない刻印のように私の体の奥のどこかに押されているということも。
私がそうだったように彼女もまた、そういう人間だった。私は数学の照明問題を解き終え出鉛筆を置くように、それ以降思考を終えた。そして問題を解き終えた後のように、そっと目を閉じた。
未解答の問題は、解かれると事実になる。事柄の中身は変わっていない、判っていくだけで道程になったり、事実になったりする。帯びている意味合いが変質していくものなのだ。霞は、たった今自分の歯車が音を立てて動いたのを聞いた。
霞は憐憫の情を、一つまみほどを母のもう見ることのない背中にかけてやりたかった。それ以上の同情や慈愛は不要だ。もう感傷に浸ったり、過去の思い出を美化する作業は誰からも求められてはいないのだ。ただ私は新たに見つけた道程を頼りに新しい道を歩いて行きたい。母親と何かを共有していることに揺れる心を抑えた。
窓の下に広がる校庭を眺めた。陽射しが強い青空に似た景色が胸に広がる感触があった。景色をただの景色として受け入れることのできる心境にあった。
校庭で友人と走った時のことが思い出された。霞はいつも一番足が速かった。ある少女とどちらが速いか、競うように併走した。空気を引き裂いてその子を引き離して、独りで疾走する。周りで見ていた数人の友人の驚きが沈黙として響き、その後で少女を応援する声が聞こえる。校庭の端まで走り抜けても霞は疲れなかった。
爽快感。
その時にその事を知った。乾いた風に両目からは一粒涙がこぼれた。疾走した後の気持ちは、泣きはらした後の気持ちによく似ていると霞は思う。
不思議。
ここに来て泣いたことは一度もないのに・・・・・・。泣いても何も解決はしない。ただそのあとは、スムーズにことが運ぶことがよくあった。
今の苦痛の原因は、自分にあるのではないことが判った。自らの努力不足、怠慢にあるのではない。自分の手の届かないところに存在する事柄が原因で、かつその問題は永遠に解決されない。解決されないものを問題として放置しておくことは霞には耐えがたかった。問題とは、解かれ、解決される宿命にあるのだと、彼女は定義していた。問題に定規で2本線を引き、道程と書き換え、まぶたの中でノートを閉じた。
大きな欠落したもの様な場所を自分は抱えていると、霞は思い始めていた。アスファルトの道がある日突然大きく陥没したニュースを見たあの日。思わず自分の胸に手を当ててそのニュースに釘付けになった。ただ、音声は少しも耳に入ってこなかった。自分も同じものを内部に抱えている。それは砂漠に水を注いでも注ぐそばから地底に水を吸い込んでいくように、わたしの中の穴も何を注ぎ込んでも埋まることのない。
天井を見上げると一片の埃がゆらゆらとゆれながら落ちて来るところだった。何故かその埃が自分のように思われた。左のまぶたが小刻みに震えた。
省エネで生きよう。
精神の省エネと霞が独り考えた生き方で溜め込んだはずのエネルギーはいつの間にか自分の中から消えていた。どこかに吸い込まれるように。溜め込んだエネルギーが当てにならないことを悟った霞を助けたのは、いつか自分にご褒美がもたらされるという神話だった。だがその褒美はいつになっても彼女には与えられなかった。恵まれるものは更に恵まれ、そうでないものは更に貧しくなるという現実の前に、おとぎ話の主人公に与えられる幸せは訪れなかった。もう誰にも期待しないし、求めてもいけない。と霞は人生の早い時期に悟り、その悟りを友に歩んできたはずだった。
友人たちと就職活動を始めると少し様相が変化を見せた。自己実現。なりたい自分になれる! 自分を変えるチャンス。そんな文言が不思議と目に付く。そんな誘いに導かれるように、学校という職場を選んだ。子どもたちの笑顔に囲まれた生活ができるのではないか。一体どうして私はこんな場違いなところに来てしまったんではないか。もし、運命というモノがあるとしても、ロマンをまとった響きを感じない。霞は思う。それはむしろ、無機質で機械的な響きに似ている。線路のように一度そこに乗るとそこから外れることはできない。いくつかのポイントが用意されてはいるものの、レールかは外れずに進むことは約束されている。
私は何度となく諦めてきた。一度諦めればそれで終わりだと思うと、しばらくそのレールに乗って進んでいくとまた諦めなければならない何かに当たる。この先ずっとこの諦めの繰り返しを私は約束されているのだろうか。普段なら気持ちの沈みがちになるこの思考も今はレールの上をスムーズに走っていく。しかし、今はスムーズに進むこの私の思いもこのレールから外れたいと脱線を望む力によって軋んだ音を立て、突然点灯した赤信号に急ブレーキをかける列車の如く。レールに火花を散らし、自分のレールに抗いたくなるのだった。
この仕事は子ども達に光を注ぎ込まなければならない。そしてそれを続けなければならないの。ただ自分にはその注ぐべき光などない。むしろ、光をもらいたいのは私の方で、私は光を求めて、この職を選んだ。でも、ここに来て分かったことは、その光は教師が浴びせた光を子ども達が鏡のように反射しているのだってこと。子どもは教師によって在り方が大きく変わる。光の注ぎ方を知らない教師には否応なく牙をむく。光を上手に注げる相手には美しい輝きでもって応える。彼らの存在はそれ自体が諸刃の剣。
職員室の隣のデスクに座る小河直樹という教師が言っていたことを思い出す。放課後、子どもを残して勉強を教えているとき、自分が胡坐をかいた祖父のひざに抱かれているときのことを思い出すと。語る直樹からは、普段は見せない笑みがこぼれ、全身から光が出ていた。それは確かに靄がかった光だった。湯気のような形状をした光が直樹の体のいたるところから放射状に発せられていた。
つづく