群れども
リンクを見ると赤い盾の古さがわかります。
共産主義はなぜ失敗したか。ここでちょっと目を離し共産主義メカニズムが
なぜ失敗したかを話していこうと思う。彼らの主張はこうである。「資本主義では競争で負けた資本家は労働者になる。こうして資本家は減っていき労働者が増える。少数者の資本家に多数の労働者が勝つ」だがここまでこれを読まれた方にはわかるであろうが資本家は労働者になどならない。閨閥を作るのである。かつて資本家に没落はほとんどないのだ。無能でもその血が財産なのだ。
タタ・グループ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
ビルラグループ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%A9
タタ財閥ようやくインドにも財閥が出来た。ビルラ財閥と言うのもあるがこれを断然引き離しているらしい。サッスーンの権益を引き継いでいる「サッスーン商会」の重役に今日ナヴァル・タタがある。「ティスコ製鉄」、軍界から政界間で全て支配。インド原爆実験、原子力産業も支配している。セポイの反乱は新式銃の弾の油が豚や牛にあることから始まり1957年空1959年まで泥沼の殺し合いが続き、イギリス人の新式銃とインドの内紛のためイギリスが勝った。象を使った八つ裂きなどもあったらしい。しかし東インド会社は消滅した。そこからインド人独自の財閥をとタタが紡績工場を設立したがサッスーンの手の中にあることは前述したとおりである。
ブリティッシュ・アメリカン・タバコ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%B3
ガンジーが逮捕された総督はオッペンハイム一族。「ブリティッシュ・アメリカン・タバコ」の会長である。アヘンからタバコに変わったわけだ。ガンジーのバックこそビルラ財閥だったがその中核の繊維業こそモンテフィオーレ一族の、ドイツのエンカ社だった。モンテフィオーレってロスチャイルドと奴隷売買やったところじゃ。。。
タタ財閥は金塊の密輸入でも有名であるインド航空。スイスに力を注いだ、自動車のバックはダイムラー・ベンツ。製鉄もドイツのクレックナー、電機は大株主がイギリスのゼネラル・エレクトニック・カンパニー。あれイギリス?
ダイムラー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC)
ゼネラル・エレクトリック・カンパニー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%8D%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%BC
「P・O汽船」など輸出業が盛んでなければ農業支配は出来ない。インドは国際的農業被支配国だが「P・O汽船」の母体「イギリス・インド汽船」の支配者が、インチケープ伯爵、その遺産の総合商社「インチケープ社」元会長オアは「リオ・チント・ジンク」重役、世界最大の食品会社「ユニリーバー」の会長、第三世界の鉱物と食品全てを握っているのである。
ユニリーバー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%90
ビルラ財閥はナイジェリアや、ケニアに進出し第三世界同士での交易もあるが、所詮は井の中の蛙。タタがインドを支配し、ネールやガンジーを仮代表にするシステムだ。ここでは非常に首相の暗殺が多い。
「ラザール・フレール」ニューオリンズに開業するがロスチャイルドの手先ではなかった。ロスチャイルドより巨額の資金を持つ(18世紀)シュぺヤー家を選んだのであった。ところがメキシコでピアソンが巨大油田を発掘。石油利権をロスチャイルドに売る。そしてラザールフレールの株を半分買収。ニューヨーク、ニューオリンズという大銀行を目差した。フランス・ロイスチャイルドのジェームズが、ニューオリンズに支店を開業、デビット・ウェイル家、グンツブルグ家の閨閥を持って「ラザール・フレール」はロスチャイルドのものになる。
パナマ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%83%9E
タックスヘイヴン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%83%B3
バナマ、タックスへブン。ケイマン、タックスへブン。バミューダ諸島タックスへブン,不思議なのはタックスへブンにどのくらい売り上げを回すのかと言うことだ。ケイマンを任されていたジェームズ・ゴールドスミスは凄い。
ロビンソークルーソーの作者デフォーは南海会社設立、東インド会社に似た移行する会社であった。あっという間に南海会社は倒産。
キュラソーには石油の精製会社をロスチャイルドが設立。キュラソー財団の理事はエリー・ロスチャイルド、一年に一度、「地中海クラブ」の船で、ロスチャイルド詣。
地中海クラブ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%AD%E6%B5%B7%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
国際穀物商社ブンゲはロスチャイルドとシュテルンの共同経営。社長がヒルシュ、ユダヤ人移民の達人。ベルギー経済はロスチャイルドが支配。コンチネン
タル・グレインはルーマニアの穀物から始まる。ベルギー人穀物商人フリブールはベルギーでロスチャイルドのバクー油田でその傘下に入る。穀物を運ぶ船はレ
カティ一族。「リオ・チント・ジンク」->「バークレイズ銀行」->「イスラエルディスコント銀行」
穀物メジャー
http://kotobank.jp/word/%E7%A9%80%E7%89%A9%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC
カーギル
http://kotobank.jp/word/%E7%A9%80%E7%89%A9%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC
アーチャー・ダニエル・ミッドランド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
(現在穀物メジャーは二社)
ルイ・ドレフィス、穀物会社社長にナサニエル・サミュエルズ「クーン・ロープ商会」では顧問会議のトップ「アメリカン・エクスプレス」のNO1でもある。
「アメリカン・エクスプレス」は元「ロスチャイルド・インターコンチネンタル銀行」、スターリンの無理な穀物輸出もここ。農民餓死何百万。。。
ジェームス・ゴールドシュミットの生涯ケイマン島のこぎれいなビルはタックスへブンの会社だらけ。ケイマンゴルフは格好の時間つぶし。ここからスイスの金塊に金が化けているのだ。モナコ・リヒテェンシュタインはその入り口。さてケイマンアイランズという管理会社がある、社長はジェームズ・ゴールドスミス。
チャーチルはメキシコ油田ピアソンと婚姻関係。さてジェームズゴールドスミスは若きころパティーニョ財閥のイザベルと婚姻。だが妊娠したイザベルは子供を残して死亡。ヨーロッパ一のホテル王として父親の金を医薬品に投資したあと、勢力を少しづつ食品にうつし、カヴェナムという世界第三位の食品会社をイギリスに設立。食品業界で手を組んだのが、アラン・グンツブルグ男爵。サスーンを通してロスチャイルドと姻戚
ルイ=ドレフィス銀行副社長、初期にジェームズに金を貸してくれた人物は、ダイヤモンドシンジゲートのセリム・ジルカ。顧問がセリグマン銀行とハンブローズ銀行。「ブリティッシュ・アメリカン・タバコ」は実力者が大物過ぎて買収無理。イギリス最大の企業ICIの株を入手。
ICIhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
ロスチャイルドに影
ロスチャイルドは栄華を極めた。だがそれに反発するグループも出来てきた。ドイツ・オーストリア帝国のクルップなどである。クルップ家はユダヤの豚をきらっていた。
この時代軍需はイギリスの「アームストロング」とフランスの「シュネーデル」が独占勢力だった。ここに世界最初の博覧会でクルップの鋼の砲身が皆の目をひきつけた。こうしてクルップも軍需に参加するようになったのである。
シュネーデル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF
クルップ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%97
デュポン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%9D%E3%83%B3
ザハロフ
http://kotobank.jp/word/%E3%82%B6%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%95
シュコダ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B3%E3%83%80
アルフレッド・ノーベル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB
ここで使われる火薬の方はヨーロッパがノーベルアメリカがデュポンで縄張り協定を結んでいた。ここに戦争狂の男が現れた。名前はザハロフ(非公式なロスチャイルド血族と言われる)、マクシム銃の販売から始まって、ヴィッカーズ
さらにはアームストロングと合併する。
クルップ、アームストロング、シュネーデル、ヴィッカーズ,シュコダ、プティロフという六大メイカーを走り回った男、それがザハロフとノーベルだった。
ライバルのヴィッカーズの信管にクルップのものをつけkpzというイニシャルをつけた。しかもこの砲弾を作るのに、特許料を一シリング三ペンス払うのである。
マクシムとヴィッカーズが合併したのは、ロスチャイルド銀行が株を発行したからだった。
「デビアスの代理人カールマイヤーを獲得して、エジプトで活躍したユダヤ人の大実業家、カールラッセル卿の説明では十分ではない。父親をバックに「ビショップスハイム・ゴールドシュミット協会」にはいって22歳の若さで支配人になった。ユダヤ人移送のヒルシュ男爵のほかにシフとカッセル卿がいたのである。ここ書き直し。
アームストロング砲はどうであろう。ウィリアム・アームストロングが創業、その右腕ジョージ・レンデルがハンナ・ロスチャイルドと結婚した。ここまではロスチャイルドのビジネス。アパルトヘイトとアヘン戦争をやった一族に同情の念はないが、私はこの不思議な一族にある共感を持っている。祖国をなくし、ゲットーに抑えられ、卑しい商売とされた金融王で皮肉にも世界を支配した一族、だがアウシュビッツがそこまで迫っていた。
アームストロング銃は南北戦争で大量に輸入された。ここまではロスチャイルドのビジネスである。銀行としての悪漢ビジネス。戦争狂ザハロフはロシア大公の踊り子に目をつけてビジネスし、クルップとヴィッカーズの大砲がロシアに流れ込んだ。ドイツ・オーストリア戦争でもクルップ社のせいで、死んだドイツ人がいた武器に国境はなかった。
南ア第一次ボーア戦争でも、ヴィッカーズが両者に武器を送りつけた。その戦争を徴発したのが殖民大臣チェンバレンであった。デュポン家と閨閥を作ってきた。ロスチャイルドとも直系の閨閥だが、アメリカのデュポン家との関係は不明。ここにもザハロフがいた。彼がデュポン(フランス)を大きくした。デュ
ポンの顧問になり国際的シンジケートを作った。
一方のノーベルはどうだろう。デュポンとは協定を結び、「ノーベル爆薬」「ノーベル産業」ロスチャイルドの手の中で、「モンド社」と合併して、「ICI」を結成した。ノ-ベル爆薬の創立者は「テナント美術館」のテナント、ア
パルトヘイトの一族である。
イギリス海軍大臣レジナルド・マッケンナは「年間八隻の軍艦を建造するクルップ社で準備がある」と宣言。軍事緊張が高まる。ザハロフは財布と女でこれらの人物を動かした。フランスでは「パリ・ユニオン銀行」の大株主となりその金でフランス「エクシオール紙」を買収、新聞界から、好戦宣伝を込み。あのプティロフ工場の資金源を抑えて武器製作に励んだ。はっきり言ってザハロフは馬鹿だった。ロスチャイルドの没落の原因を作ったのである。
ヴィッカースを創業し後継者として選ばれたハーバート・ロレンスという二人の系譜はタージ・マハールの神殿が見える。インド総督に近いということだろう。
実はロスチャイルド家がバックにいたのだ。日露戦争の兵器輸入もヴィッカーズからだった。さらにはアームストロングと合併した。
クルップ、ヴィッカーズ両方からザハロフが利益を収めその融資がロスチャイルドだった。ここで見える現代世界史は兵器輸入先一位がインドであり、それを争うのがイラクである(ストックホルム国際平和研究所'95年)。ヴィッカーズと親しかった「エレトリック・ボート」社が、「ゼネラルダイナミクス」に姿を変え、F-16を50機、日本に輸出。ヴィッカーズの航空部門が「ブリティッシュ・エアロスペース」としてハリヤーを日本に輸出。
現代のザハロフはアドナン・カショーギ、チャーチルの孫ペトリーナと結婚。このペトリーの祖母がクリントンを大統領にさせた民主党の全米議長パメラ・ハリマンになりこの女性はハンナ・ロスチャイルド一族、モルガン・スタンレー社
がサウジにくいこもうとしたときに、アドナン・カショーギと組んだ。ユダヤ嫌いのアラブにモルガンは最適だった。しかし、実際にアラブにくい込めたのは、モルガン・ギャランティ。同じモルガンでも、モルガン・スタンレー、モルガン・ギャランティ(現JPモルガンチェース)、モルガン・グレンフィルの海外向け三社統合は政治のためにならなかった。(モルガン家より)
共産主義であれば虐殺と餓死で単純である。しかしこれだけの閨閥にはマルクスも驚きそうだ。労働者は団結せず、資本家が団結した。無敵である。
ドイツにおける長者番付けビックスリーは、
1、ベルタ・クルップ
2、ヘンケル・フォン・ドンネスブルグ
3、ロスチャイルドとまだ勢力は衰えていなか
った。
二位のドンネスブルグはシレジアの炭鉱で大もうけした男だが、娼館でも有名であった。スパイの秘密基地としてここの娼婦ラ・パイアがもらった金が300万ポンド。ブライヒレーター・ロスチャイルド代理人、パリのアルフォンス・ロスチャイルドがドイツの国債発行の利権者として500万ポンド儲けた。まさに売春業は金の元だ。ロスチャイルドもこの娼館に通った。
ドイツフランクフルト・ロスチャイル商会の資金はゴールドシュミットとディスコント銀行が引き継いだ。娘ばかりでつぶれたそうだ。婿もらえばいいのに。
ドイツ銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%8A%80%E8%A1%8C
ビスマルクは植民地政策を開始、イギリスとの対立はもうさけられなかった。ジーメンスが大西洋横断通信に成功。ヴィルヘルムがインドに海底電線の成功、カールはロシアのぺテルスブルグにジーメンス商会を開業、フリードリッヒが鉄鋼などに使われる溶鉱炉を考案する。これに対してユダヤ側のエミール・ラーテナ
ウは暗殺されるラーテナウ外相の父である。
AGE
http://ja.wikipedia.org/wiki/AEG
エジソンのGEをヨーロッパに広めた。1900年代には先発のジーメンス社を抜く従業員数。ベルリンからの中央電灯からフランクフルトに遠距離送電を可能にし、AEGの電車はヨーロッパ中に輸出された。
シーメンス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B9
ドイツ財界でジーメンスとGEはシェアの8割を占めた。ラーテナウの資金は「ブライヒレーター商会」「メンデルスゾーン商会」「ウォーバーグ銀行」「ディスコント銀行」があった。
音楽家メンデルスゾーンもユダヤ人だったその一族パウルも有機化合物のアニリンを生み出した今日世界で(95年当時)「アグファ」「コダック」「富士」以外にはフィルムメーカーがいない。デジカメで映画は無理だろう。アグファはシフ一族・ウォーバーグがはっきり握っている。
さて反ロスチャイルド銀行として「ドイツ銀行」「コメルツ銀行」「ドレスナー銀行」ができた。無視できないライバルである。そこへロスチャイルドにロックフェラーが石油のダンピングで攻勢をかけていたこうして三つ巴の戦いになったのである。
ベンツ・フォード・フォルクスワーゲン、自動車の時代がやってきた。
ドイツはディーゼルエンジンの潜水艦を浸水、ルーマニア油田を手に入れたドイツ銀行が、ドイツ石油を設立。期限切れの協定破りのドイツ石油しかしイギリスもインドネシアのドイツ石油を吸収アメリカ進出。バクー油田のほかに脚光を浴
びた。グロズニー石油も独英の資本比率は1:12トルコ石油の紛争解決法も独25%英75%
第一次大戦後に、ミルナー幼稚園カーティスとカーとともにアラビアのロレンスがヴェルサイユ会議に参加。ロレンスはエジプトの諜報機関に配属される。
現代イギリスのMI5、MI6、国防省・国防情報局がある。上流階級に支配されている。MI5のヴィクター・ロスチャイルドでさえ疑われている。これと手を組むのはロイズ。マルコーニ社。結論から言えばこれはロスチャイルドの情報機関なのだ。バクー油田がロスチャイルドの手から離れないように「ICI」にもMI5、MI6と兼職の人が多い。
1919年ロシア革命直後にソ連の銀行「モスクワ・ナロードヌイ銀行」が出来た。ドボノゾフ会長はロスチャイルドびいきで、最大の取引相手はモルガン・
グレンフィル」である。アメリカのモルガンならしないだろう。ICI社に一千万ポンドのクレジットを供与したりした。
ハプスブルグ家から男爵位をいただいたロスチャイルド一族はオーストリア南部鉄道を建設したが、セルビア人の青年にオーストリア・ハプスブルグ男爵を打たれると、オーストリア南部鉄道をイタリアに売って逃げた。
1914年6月15日ペルシャ湾岸利権で英独合意
7月28年開戦
7月30日ロシアがが総動員令
8月8日英軍がエジプトののドイツ軍を攻撃
9月19日英軍ドイツ領南西アフリカに上陸
南ア連邦がイギリス支援軍
11月22日ペルシャからの石油パイプを保護するために バスラを占拠
12月18日イギリスが3C政策の拠点エジプトを保護国 にスエズをフランスから独占
1915年2月3日
トルコがスエズ運河を攻撃し反撃にでる。
4月26日イギリス・フランス・ロシアはイタリアに
職区民治療の見返りに参戦要求。
1916年イギリス・フランス・ロシアがアジアと
トルコの分割秘密協定を調印
5月9日英仏がサイクス・ピコ秘密協定を調印、ロシアも
承認、イタリアも参加
1917年11月2日イギリス外相のバルフォア条約によりユダヤ人国家をパレスティナに建設する考えを打ち出す。
1918年11月11日終戦、死者一千万人、ハプスブルグ家滅亡。
マタハリ、独軍間諜H21殺害さる
MI5にアーサーグレゴリー、恐喝屋、ヨーロッパの重要人物を抑える。バックはザハロフ。
ナチの上層部に食い込み、ヒトラーの極秘情報をチャーチルに送ったドーソンと親しかった。
1922年BBC放送マルコーニ社を母体情報機関の中枢BBCアイザックスは夫がインド総督義弟がマルコーニ支配者。
MI5人事部長ジョン・マリオット「クーンレープ商会」でシフとともに活躍した金融界の大物オットー・ハーマン・カーンの娘婿
メンジス、インド総督ウェルズリー一族、ヴィッカースに近い。
ガイ・メイナード・リッデルMI5長官候補だったがソ連に対する防諜を全て請け負っていた。原子力産業へ。婦人はベアリング一族。
国防省情報局NO1のマイルズ・フィッツアラン=ハワード。も系図に。
ドイツ銀行がメソポタミアの石油権益すっかりイギリス人のもとに。
ICIとは別にスウェーデンのノーベル産業は生きている。
ICIをそそのかしたレジナルド・マッケンナ蔵相はモルガングレンフィルを通じて戦費をアメリカ・モルガン家から調達。勝利した。莫大な戦費はイングランド銀行とモルガン銀行
に二分される。このときイギリス銀行はまだ民間銀行。
ヴィアン・スミス。モルガン・グレンフィル会長父と伯父がイングランド銀行の総裁。従兄のエドワード・グレンフィルはモルガン・グレンフィルの創業者で、大船舶オーナー、息子のランダル・スミスはモルガン・グレンフィル重役、シェル石油重役、軍需産業ヴィッカース重役。ロスチャイルドとモルガンのうだうだ。
ザハロフは長期戦のため工場のペースを少し落とした。鉄鋼委員会の軍需シンジケートをドイツに手放した。バルカン地方ではギリシャを戦争に巻き込むためロビー活動成功。トルコにヴィッカーズの子会社を作った。トルコの銀行もいくつか買収していつでも戦争が起こるようにした。
和平案は全部出席しつぶした。ヴィッカーズの利益は莫大だった。
タイムスは戦争をあおった。オーナーのハームズワーズ一族は女王一族に近く、となりに住むプリムローゼ家と非常に親しく、その妻はハンナ・ロスチャイルドだった。
ザハロフー妻・スペイン王室ー鉱山王パティーニョの閨閥チャコ戦争でも大稼ぎをした。
図に乗りすぎたロスチャイルド
今日より第二巻である。
アメリカの石油王ロックフェラー、ドイツの鉄鋼王クルップ、フランス実業家ラフィット、ドレッセル銀行家ペリエ、イギリスの保険王ロイズ、オーストリア
の金融王シナなどライバル出現。
ロスチャイルドをつぶすための具体案が出てきた。
「ユダヤ王ロスチャイルドの悲劇」「ユダヤ人の悲劇」
カールマルクスは「ユダヤ人問題によせて」でこの二つを
最後には混同する。ユダヤ人とはお金持ちのブルジョア
なのだ。マルクスにとっては。
ロスチャイルドの失敗。自分の経済にも被害のあるヨーロッパの戦争で荒稼ぎしたこと。ヴェルサイユ条約が過酷過ぎたこと南アのミルナー幼稚園、ライオネス・カーティス、フィリップ・カー、ロバート・ブランド、アラビアのロレンスT・E・ロレンス、ベージル・ザハロフ、"インド総督”ジョージカーソン。彼らは戦勝国もまた犯罪人の鉄則、過酷に悪利を費やしていいのは地元後進資本主義国ではなく力なき植民地の民衆ということを忘れていたか知らなかった。
ヴェルサイユ講和会議と呼ばれるが講和でなく英仏のドイツからの利権の剥奪だった。
公式にはイギリス・フランスの代表者ロイドジョージ主相とクレマンソー首相だったが、イギリス新聞協会のに君臨し、デイリー・メール紙の影のオーナー、エズモンドハームズワーズも出席した。
ザハロフはアーサー・グレゴリーを使いロイドジョージの秘密を得たのだろうか? ザハロフが結婚して見捨てた、エミリーがそこからロイド=ジョージとの関係が深まっていた。不倫だったのだろう。ロイド=ジョージは不戦論から戦争論に急転した。
ホワイトハウスのウィルソンには、ウィリアム・マッカンデュー財務長官という人物が居た。日本銀行総裁に当たる連邦会議長である「アメリカン・ブレジデンシャイン」を持ち準備。モルガンの「USスチール」も特需に貢献した。娘エレ
ノアを大統領息子夫人にした。
ミルナーは類まれなる戦術家だった。クレマンソーに西部戦線の作戦を進言し、勝利に導いた。クレマンソーはロスチャイルドよって首相の座をつかんだ。ドレフィス事件ではドレフィスの側にに着いた。鉱山で暴動が起こると軍隊を差し
伸べた。ジュルジュ・クレマンソーはミシェル・クレマンソーを使っていた。息子と思われる。これがザハロフの南米代理人だった。官房長ジョルジュ・マンデル、改名前の名前はジェロポアム・ロスチャイルドである。
ドイツの植民地・領地はフランス、デンマーク、ベルギー、ポーランド、チェコスロバキアに虫取られ軍備を制限された。だがドイツの復讐の軍備は革命後のソ連で行われていた。これはE・H・カーの「独ソ関係史」にでてくる。
賠償金は二年決済二百億マルク、第二次大戦でも同じことをやれば日本の核戦争で地球はなくなっていたであろう。ウォーバーグ、ロスチャイルド直系のこの銀行も怒った。というかロスチャイルド直系にしては冷たすぎる。WWⅡの戦後ウォーバーグの名を取り戻すのに援助ひとつしない。
「ユナイテッド・ハーヴェイ・スチール」ヴィッカースとアームストロング、シュネーデル、カーネギー財閥(実質的にはUSスチール)クルップが、後の枢軸国日本・イタリアに兵器を持ち込んだ。
ミュンヘンに「ドイツ労働者党設立党員番号7番アドルフ・ヒトラー」
イタリアでファシスト党結成。新聞記者上がりのムッソリーニが組織した。
イギリス軍需大臣にウィリアム・ウィアーソー、クラフト家をはさむロスチャイルド一族でマルコーニ社国際海軍部門でNO1、造船から穀物まで回した男である。アリーン・ロスチャイルドの息子がフィリップ・サッスーンである。もう一人のウィアーは航空大臣である。ICIの事業に没頭していた。タイタニック号で沈没しかけてきたホワイトスター汽船をキュナード汽船に合体させた。ヴェルサイユ条約ではビーティー提督と大々的な軍事協力。「ウィアー・グループ」の大手機械メーカーガイがイギリスに君臨している。大株主が「リオ・チントジンク」、会長ウィアーは「ロスチャイルド・ホールディングス」の副会長。
ビーティ提督とは、インド総督のカーゾン卿一族。さてシカゴの「マーシャルデパート」の一族である。(その孫娘はやがてグレンフィル家と結婚。シカゴのカポネの世界である。アメリカのデパートはホントにユダヤ系のなわばりだと「モルガン家」にもある。
今世紀アメリカ最大のデパートがロスチャイルド資本に動かされて居たのは間違いない。「フィールド・リーター商会」手を組んだパートナーがリーヴァイ・リーターだったのだから。
インド総督カーゾン卿、ヴェルサイユ会議のイギリス外相。デパート王シュトラウスはニューヨーク。中西部シカゴでは「マーシャルフィールド」である。ロスチャイルドの貴金属を売りさばいていた。またリーター家はアメリカ中西部の穀
物を支配。「コンティネンタルグレイン」が成功したのはシカゴ開業以来であり。世界最大の穀物取引所は今もシカゴにある。
クレイトン・ヤイター、アーマンド・ハマーがここの実力者
もうひとつの穀物商社「ブンゲ」もリーター家がオランダ人だから進出できたのである
あからさまなユダヤ人迫害が始まる。ラーテナウス外相が、暗殺される。クルップ=ジーメンスの反ユダヤ主義にとってAEG(GE)は許されない敵だった。ソ連で不買協定を破ってバクー油田もロスチャイルドが独占した。ドイツの信じられ
ないインフレ。ウォーバーグも狙われた。「ライヒスバンク」で顧問を務め戦後賠償を担当していた。彼は逃げなかった。
「カリガリ博士」「ドクトルマブセ」精神病者の独裁者の姿を描く。「ドクトルマブセ」ユダヤ人映画監督フリッツラング。
ヒットラー、ミュンヘン一揆失敗「わが闘争」執筆。ルーデンドルフ将軍がナチスと行動をともにした。
ルーデンドルフ将軍はドイツ銀行と親しかった。「ジーメンス電力」だけでなく「マンネスマン製鋼」を育てていた。会長はジーメンス
イギリスの映画「スキャンダル」アスター男爵の別荘を使いはじめる。元ネタは政界スキャンダル。陸軍大臣プロヒューモがソ連の二重スパイ、キーラと情事を重ねていた。マクラミン首相は退陣。
映画テレビ界は後でまとめることにする
ヨーロッパで最大の企業IGファルベンがドイツに誕生。ロスチャイルドの敗北が始まる。「アグファ」「BASF」「バイエル」「ヘキスト」が加わって
IGファルベン設立元ノーベル産業「ダイナミット社」と提携。スウェーデンのノーベルトラストは露骨に介入。IGファルベン、フラフトをナチスNO2のゲーリングへ。パンシェミア・ゴートン商会、ナチスIGファルベンに介入「ヘルマン・ゲーリング製鉄」設立。ロスチャイルドと二重に介入するノーベルトラスト。
ゲッペルスの妻マグダはギュンター・クバントと別れ、再婚で事業家だった。ダイムラー・ベンツの大株主。BMWの株を大幅に購入。BMWはBFW(航空機)と社名を変えてきた。メッサーシュミットのメーカー
パルファメト協定、ドイツ最大の映画会社ウーファがハリウッドに支配された。ウーファはルーデンドルフ将軍が、ドイツ銀行のシュタウス頭取と作った会社。
旧友に後年ヒットラーの経済相ヤルマール・シャハトがいた。また、ヴュルンテンブルグ連合銀行の頭取バウスバックとも僚友だった。ウーファの作品自体は、
需要に載りエロティシズムに走っていたが。
ゲッペルスによって「ヒットラー青年クヴェックス」が作られる。ナチス初の宣伝映画だった。レニ・リーフェンタールは「民族の祭典」によって1936年のベルリン・オリンピックを描いた。ナチスによる第三帝国が明らかに映し出されていた。ハリウッドではさんざんだったがレニ・リーフェンタールは戦後もうまく立ち回った。
ナチスは音楽も利用したリヒャルト・ワグナー、リヒャルト・ストラウス。ナチス党員ヘルベルト・フォン・カラヤン、リスト。バイロイト音楽祭の創始者がワグナーである。「ニーべルングの指輪」はこの音楽祭のシンボルであり、ナチスの世界征服のシンボルだった。この日にオーストリア首相が暗殺され
今日は不眠症退治のため徹夜するのでたっぷりと楽しもう。ヒトラーが二ーベルングを見て、世界制覇を夢見るところからだった。ワグナーは最初からユダヤ人嫌いではなかった。ユダヤ人音楽家と接し、その高い自尊心からたぶん嫉妬心として反ユダヤに代わったのである。「タンホイザー」「ローエングリン」「ニーブルリングの指輪」「パルジバル」
ワグナーは大作曲家リストの娘コジマを射止めた。息子ジークフリートは46歳で、まだ18歳のヴィニーフレート・ウィリアムズを花嫁に迎えたが彼女は皮肉にもヒトラーの愛人に8なってしまう。私はこの世で最もつらいことのひと
つに女にもてないこととしているがこのジークフリストの心境やいかに。初期にヒットラーを育てたのは音楽界であった。ピアノ製造業者べヒルンシュタインの邸宅が彼の滞在場所だった。
時代は「カリガリ博士」の公開の時代。ユダヤも反抗した。このころヒットラーの挫折1933年のミュンヘン一揆であるが、オーストラリアのインスブルックに逃げ込んだゲーリングの病床を見舞うのがジークフリート夫妻だった。ジークフリートとは何ものだろう。ヴィニフレートはそのうち獄中のヒットラーに差し入れを始めた。
ヒトラーはワーグナーから鷲をナチスのシンボルとした。この時代の音楽人でトスカ二ー二は反ナチ、フルトヴェングラーは親ナチだったが途中で反ナチ
になった。ユダヤ人虐殺で目覚めたのである。ナチス記念日の「意思の勝利」で指揮を拒否、反ナチス的作品「画家マチス」をベルリン・ハーモニーで初演した。ドイツ音楽局の副総裁と枢密顧問官を辞任した。
音楽局総裁リヒャルト・シュトラウスは息子の嫁にユダヤ人を迎えながら親ナチだった。が、最後は音楽局総裁辞任の惨めな末路をたどった。ワルツ王ヨハン・シュトラウス家とは別家である。1939年にこちらは、非アーリア系の人種として全財産を奪われた。
ユダヤ人指揮者ワルターは、不遇の日々を送った。その第一が、末娘グレーテが夫に殺害されるということだった。
カラヤンは二度もナチ入りするほどの熱心ぶりな親ナチで順調な生活をおくり出世した。ナチスから国家指揮者を命じられ音楽局の総裁だった。
あと親ナチ的分子としてはピアニストのワルター・ギーゼ・キング、ヴィルヘルム・バックハウス、指揮者カール・ベルト
マーラーは反ナチである。彼の妹の娘はヴァイオリニストだったがアウシュビッツ収容所で死んだ。いとこのカール・フィリップもだ。
アルマ・ロゼーはアウシュビッツで指揮棒を振ったが毒殺された。
ワグナー家にも反ナチの娘が居た。フリーデリントである。トスカニーニは温かく彼女を養女として迎えた。
オズワルト・モズレー第一次世界大戦直後の1920年に大金持ちのシンシアと結婚、この父親がインド総督ジョージ・カーゾン卿だった。後にイギリス・ファ
シスト連合の幹部を勤める彼は、シンシアとともに政界に走った。
モズレー卿は第一次大戦で疲れきった国民がイギリス史上初めて労働党内閣になったとき、迷わず労働党の元に走り、貧民を放置し、軍需産業ヴィッカーズ
や南ア、インド侵略に走る政府を攻撃した。ファシズムとは第二次世界大戦でヒットラーやムッソリーニの全体主義とみなされているが、本来はローマ時代の司
法官が権威の象徴とした木の束"ファッショ”からきたもので、横暴な支配者や資本家を倒す正義をさした。鉱山労働者のストライキには強い支持政策をだし、1929年妻シンシアも労働党の下院議員に当選し、失業問題に取り組んだ。しかし1932年イタリアを訪れてムッソリーニに感銘をうけるいと「イギリス・ファシスト運動」という国民的な活動を起こしたのである。
モズレーは議会に業を煮やし「イギリス・ファシスト連合」を創設。正義の独裁政治だけが、経済問題を解決できることを主張しだした。イギリス国内でもフ
ァシスト運動が成果をあげ、ロスチャイルド達上流階級の人間は追い詰められていった。
ところがドイツでファシストの暴力的猛威がモズレーに疑念をいだかせ、多くの党員が離れていこうとしたためユダヤ財閥批判により、国内に亀裂を持たせよう
とした。少なからず動揺はあったが政治的権力を握れないので本家ドイツと手を組み1936年「イギリス・ファシスト・ナチス連合」と名前を変えた。妻シンシアが1933年に亡くなっていたのでモズレーは総統ヒットラーのもとでダイアナと再婚した。ダイアナの叔母がロスチャイルド直系だった。ロスチャイルドの中から反ロスチャイルドがでたのである。またそのマリー・アン・フリードレンダ=フルドーの養女マグタまでゲッペルスと結婚してしまった。
ヨーロッパ最大企業「IGファルベン」が「アグファ」(ロスチャイルド系だが飲み込まれるフリードレンダーからでたメンデルスゾーン設立)「バイエル」「ヘキスト」「BASF」を合併して成立。初代会長デュースべルクが全ドイツ工業連盟の総裁に推薦。ドイツ全土が保守合同に。「ダイナミット社」(元アルフレッド・ノーベル社)を中心にノーベルが両国を操る。
これに対抗したのがICIイギリスの「ノーベル産業」「モンド社」「ブリティッシュ染料」「ユナイテッド・アルカリ」の四社の合併で、グッケンハイム=ロスチャイルド一族のアルフレット=モンドが初代社長就任。ティッセンがクルップに対抗してライン製鋼・ゲルゼンキルヘン製鋼などを吸収した合同製鋼を設立し、トップに躍り出た。ジーメンスードイツ銀行ーマンネスマンー合同鉄鋼ーティッセンの大合同が起きる。
ドイツ銀行が金融界をのみこませる。
イギリスでは、第一次対戦前に通貨1ポンドが4・86ドルを保っていたが、戦争後に3・5ドルまで暴落したため、金本位制に戻し、金価格を必要以上
に大きくする交換レートを要求。南アの金塊を握るロスチャイルド財閥はこの機会に世界的に富を膨張させた。
ヴィッカースはアームストロングと合併航空機のスーパーマリーン社を吸収してスピット・ファイアをうみだす。
ロスチャイルド家葉ディスコント銀行を失う。ドイツ銀行に合併されてしまった。
オーストリア最大の銀行クレディタンシュタルト取り付け騒ぎで1931年崩壊。当主はルイス・ロスチャイルド余波を受家、崩壊したのはダルムシュタット銀行、頭取がヤコブ・ゴールドシュミット。
実は第一次世界大戦によりロスチャイルド銀行もダメージを受けて自らが育てたモルガン家の力を借りて立ち直っていた。
クレディシュタンシュタルトはイギリスとフランスのロスチャイルド家が金貨三千シリングを送って直ちに復活。余波を受けて崩壊した銀行より相対的に力が増す。
1932年ナチス選挙で第一党に。実業界ナチスと接触に。すでにドイツクルップ家の四代目のグレタの夫グスタフ・クルップがドイツ工業連盟の総裁に。IGファルベンもユダヤ人に理解のあったデュースブルグは去り、火薬原料の開発でノーベル賞を受けたカールボッシュがその責に着いた。
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