ワーテルロー
ネイサン=ロスチャイルドは伝書鳩が持ってきた情報でナポレオン進軍は確実というと言う事を知って笑った。『スミス』と『ビートルズ』に収集が掛けられた。『スミス』は株の売り買い代替人グループ。モリッシー、ジョニー、アンディ、マイクが各隊長だ。特にアンディとマイクは裏で動く。『ビートルズ』は極秘情報網グループ。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴが各隊長だ。ジョンは戦地情報収集。ポールが早馬隊長。ジョージが高速密輸船船長。リンゴは伝書鳩部隊だ。皆2ダースほどの隊員を率いている。
「ジョンはフランス軍にくっついてくれ。あとは勝敗が決したらいつもの通りの手はずで情報を送ってくれ。モリッシーはウェリントン将軍に戦費を運んでくれ」
イギリスのシティ。ここ金融界でも戦いは始まっていた。歴史的にはナポレオンより重要な戦いが。ネイサン=ロスチャイルドはふと思ったこの先に何があるのか知っているのは自分だけだと。
1815年2月26日。私もついている。ナポレオンは思った。エルバ島はもう彼方だ。ジュアン港に上陸し、パリに進軍するとタヴー元帥やネイ元帥やスルト元帥も従ってきた。ナポレオンは7000にふくれあがった軍隊を元に3月20日パリに入った。
イギリスとプロイセンが合流する前にこれをたたかねばならない。12万4000の兵は整った。ダヴー元帥の手腕だった。ベルギーに進軍することにする。パリ留守番はタヴー元帥。パリを任せられるのは彼しかいなかった。危ないのはスルトの参謀役か? スルトは名指揮官だが前線の野戦専門だ。ベルギーにはイギリスのウェリントン公率いるイギリス・オランダ軍9万5000。ブリュッヒャー率いるプロイセン軍12万。これを各個に撃破するのがナポレオンの基本戦略だ。
6月16日ナポレオンは狂喜した。勝った。イギリス・オランダと合流前のプロイセンに大打撃を与えた。ブリュッヒャー元帥は重傷。グルーシーに3万を任せ追撃命令を出す。だが参謀長クナイゼウの元プロイセン軍は生きていた。ナポレオン敗北の始まりである。
ナポレオン自身は7万2000の兵を率いてベル・アリアランスで6万8000のイギリス・オランダ連合軍と対峙。
6月18日、天候は雨。ナポレオンはネイらの進軍案を退けて大砲の整うのを待つ。イギリス軍は時間稼ぎでプロイセン軍を待ちたかったのでこれで大助かりである。
11時30分イギリス軍右翼にナポレオン軍は襲いかかった。ここから中央へ抜けようというのである。イギリス軍は辛くもこれをしのぎ続けた。
次第に戦闘は全体的に行われ、イギリス軍左翼大混乱。イギリス軍は竜騎兵を突入させ。自陣を整える。フランス軍の猛反撃を受けるが戦線は落ち着いた。
その後戦況は硬直。すると撃破したはずのプロイセン軍が襲いかかってきた。スルト元帥の伝令ミスでナポレオンは貴重な戦力を分散させた。スルトは前線の司令官としては有能でも参謀としては無能だった。グルーシーの部隊は彼の伝令のミスでワーテルローと逆方向に向かっていった。
ネイ元帥が突撃するも戦線は動かず。プロイセン軍とイギリス軍にナポレオンはフランス軍の常勝のシンボル老親衛隊の投入するが撃破される。これでナポレオン軍の士気は下がり、イギリス・オランダ・プロイセン連合軍に蹂躙された。
常勝のシンボル老親衛隊は全滅するまで戦った。投降するように進められても「くそったれ」で通した。
結局ワーテルローでフランス軍は敗北、フランス軍は3万を失い、連合軍も25,000の死傷者を出した。
ジョンはすぐさまポールの部隊まで戦況を報告。ポールは馬12頭を死なせてジョージの元まで戦況を報告。ジョージはすぐさまイギリスに渡ると。リンゴの伝書鳩をとばさせた。
シティではいつものようにネイサンロスチャイルドの動向が皆の注意を払っていた。ポールからの情報で、ネイサンはモリッシーとマーに公債売却指令。シティはどよめいた。公債の大暴落だ。そこでネイサンはアンディとマイクに命じて買いに転じて多くの株を紙屑同然の値段で取得。午後に証券取引所が閉まった時点で、取引所に上場されている全国債のうち62%を取得していたという。その後ナポレオン敗北が報じられて株価が急上昇した事で巨額の利益を得たのである。これにより300万ドルだった自己資産は75億ドル、実に2500倍に増えた。
ナポレオンはセントヘレナに流され事実上の屈辱的な監禁生活の元、死亡した。腐った葡萄酒を飲まされたこともあったらしい。ヒ素で殺されたと言う話もある。
スルトは生き延び1830年の七月革命では革命を支持、王位に就いたルイ=フィリップに重用され戦争大臣に就任して軍の再建に手腕を発揮。1832年には首相にまで登り詰め、1840年にはナポレオンのパリ改葬に立ち会い、1847年にはフランス大元帥の称号を与えられる。82歳で幸福に死んだ。
ダヴーはワーテルローの戦いでの敗戦を知ると、一軍を率いプロイセン軍を打ち破る。連合軍との和平までパリを守り抜いた。王政復古後はすべての役職を剥奪されるが、3年後ようやく元帥号を取り戻し名誉回復が為された。 さらにその4年後、肺結核で死去。ネイと同じ墓地に葬られた。
ネイは銃殺された。
最後の言葉は「兵士諸君、これが最後の命令だ。私が号令を発したらまっすぐ心臓を狙って撃て。私はこの不当な判決に抗議する。私はフランスのために百度戦ったが、一度として祖国に逆らったことはない」
第二次世界大戦のレジスタンスの英雄、パリ・ロスチャイルド家当主ギイ・ロスチャイルドは自伝でこの事実を否定した。しかしロスチャイルド家の家訓は「語るなかれ」
必笑小説。健康のために笑いましょう。ブログ村をクリックしましょう。ロスチャイルド伝説はこのサイトで成り立っています。
http://d.hatena.ne.jp/johonken/