逆襲
ロスチャイルド壊滅、第二次世界大戦で、ロスチャイルド家は壊滅したと赤い盾にある。しかしこれも妙な話だ。アメリカとイギリスのマーチャントバンクは生きているし、植民地もそのままだ。確かにロックフェラーやモルガンと比べたら、その力は落ちただろう。しかし、壊滅とはどういうことなのか? そして復活とフランス家とは? ロスチャイルドの大きななぞをはらんでフランス編が描かれることになる。
ルイ・マル監督の兄はジャンフランソワ・マルといい赤い盾一族の「レーマン・ブラザーズ・インターナショナル」である。この銀行は、日露戦争の資金を調達した「クーン・レーブ」商会と合併し、レーマン・コーポレーション]と社名が変わるマーチャントバンカーだ。ルイ=マル監督の一族の稼業は砂糖と鉄鋼業で、1986年にチェルノブイリ原発事故のときもフランスの食品は安全と間違えた報告がなされた。
シュルンベルジェ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7
それをなしたのは「フィガロ」ルイ・マル監督を産んだ母フランソワーズ・ベギンの一族が、フランス最大の砂糖メーカー「ベギン・セイ」の経営者で、この一族と結婚したジャン・ドルメッソンが、フィガロの社長である。死の商人ザハロフとも近かった。フランス最大の石油エネルギー一族「シュルンベルジェ」もフィガロの最高幹部だった。「ル・モンド」は「黒い雨」を酷評し、ムルロア
環礁の核実験を絶賛してきた。マルクスの仲間にグードという一族がいたがシュネーデルと閨閥を結んでいる。この新聞の創刊者ブーブ=メリーはフランス
政府の資金で運営されたAFP通信の理事を務め、その右腕のジャン=ジャック・セルヴァン=シュレーベルはゴールドスミス、ロスチャイルド一族の重
鎮。ル・モンド編集長の弟ジャン=ルイはフランスで原子力建設産業「ブーイグ」のしたに民営化されたテレビ局TF1の重役だった。第二に「ル・モンド
・エンタープライズ」社長フォールーはミッテラン大統領の産業大臣を務め、原子力産業の中枢である建設会社「サン・コバン」の重役。第三は「ル・モンド」編集主幹フォンテーヌは、「インドスエズ銀行」重役、ベトナムとエジプトを侵略したフランス植民地のシンボル。インドスエズ・グループとは1990年代最大の金融グループ。
第四はスペインバンデロス原子炉一号機でタービンが爆発し、第二のチェルノブイリ直前前までいったのがシュネーデルグループの「カンペノン・ベルナール」
副社長ジェラールがサン・コバン一族、サン・コバン重役のフィリップ・マレはスエズ金融の会長、砂糖「ペギン・セイ」重役。オリエント急行,230G蒸気機関車はかつてパリ=オルレアン鉄道に属したものだが、なぜかそこには、ア
ラン・ロスチャイルドが重役でミッテラン大統領の父もいる。イギリスでは鉄道産業に後れを取ったが、オーストラリアではハプスブルグ王朝の指名業者となり、男爵位をもらっていた。1825年資本だけでは暴落に耐えられないと、産業の買収に入ったロスチャイルド・グループだった。まず手始めに狙ったのは第一に製鉄、第二に鉄道第三に水銀だった。この決断がなければ今日のロスチャイルドはないだろう。当然これらを運ぶ鉄道もである。
オーストリア帝国最大のヴィトコヴィッツ製鉄所買収を計画した次男サロモンはフェルディナント皇帝鉄道を開通、製鉄所のほうも手に入れる。フランスのジェームズもパリ随一の金融家になっていたが、パリ=サンジェルマン鉄道、パリ=ヴェルサイユ鉄道、北部鉄道を開通.パリ工業界の鉄道になった。ベルギー、ドイツに抜ける産業の大動脈である。ハイネ、ロッシーニ、メンデルスゾーン、ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・サンド、デュマ、ドラクロワ、バルザック、パリ・ロスチャイルド家は芸術家のサロンだった。
北部鉄道は国営化されたが財政はロスチャイルドのミシュル・ポワシューが握り北部会社は20世紀にあって鉄鋼、機械、石炭、金属、石油、建設、海運、電機、観光、食品まで、フランス全産業を握る。「リオ・チント・ジンク」と「パリ・ロスチャイルド銀行」を持つ北部会社である。
コメディー・フランセーズは日本で言う喜劇ではなく芝居小屋である。ジャック・セレイはフィルピーヌ・ド・ロスチャイルドの夫でありこの小屋の性質がわかる。ユダヤ人はまず資本家とそうでない人に分けなければならない広瀬はロスチャイルド人、ロスチャイルド、モンテフォーレ、ドレフェス、グンツブルグ、がスエズ運河がフランス人レセップスの手で出来た。結局は初のユダヤ人首相ディズべりが非ユダヤ人の名門レセップスからスエズ運河の株をイギリス・ロスチャイルドの手で買ってしまった。そしてロシアを締め出そうとしたのである。
ここでポグロムがおきユダヤ人が排斥される。ヒルシュ男爵が南北アメリカにユダヤ人を逃がす。でもフランス人も面白くない。ドレフュス大尉に冤罪事件が起きる。16年前にキリスト教徒が集まってロスチャイルド人を倒そうとシンジケートを築いたがあっさり倒産した寒い過去もあった。
エルサレムを目差すシオニストは、ロスチャイルドを盟主にイスラエルをとしかしヨーロッパで大もうけしたロスチャイルド人はそんなのいやだと冷淡だった。ただエドモン・ロスチャイルドは乗り気になった。
ユダヤ人問題によせて
ヨーロッパに住むユダヤ人たちは恐怖の真っ只中にいた。名前を変えるもの、住居を移すものキリスト教に改宗するもの。ポグロムは暴風雨として収まらなかった。1903年年から1905年にかけてルイ=ドレフュスの小麦を積み出すルート、ウクライナのキエフから南部のキシニョフに最も激しいポグロム(ユダヤ人虐殺)が起きた。ちなみにスターリンが餓死者を出したときその穀物販売にあたったのが、ルイ=ドレフュスである。
ウクライナに続けて、ハンガリーとオーストリアの反ユダヤ組織は次第に具体的な行動を取り出した。1905年ロシアの秘密警察によって「シオンの長老の議定書」と名づけられた文書が広まった。ユダヤ人が世界征服を企てているというのである。ばかのあべとヨーロッパ人は信じ込んでしまった。1918年にはポーランドのリヴォフで、翌年にはヴィルナとウクライナとハンガリーで数万人単位のポグロムが起きた。財閥は軍隊や警察を飼いならしていた。貧しいユダヤ
人がロスチャイルド人の代わりに虐待されたのである。
20世紀のポグロムは東ヨーロッパ全土に広がっていった。1919年にはナチ党、イタリアではファシスト党が誕生。しかしロスチャイルド(パリ)はロマノフ家とさえ閨閥を結んでいた。ロシア皇帝のアレクサンドル二世が「人民の意志」に爆発されると、その弟のアレクサンダー三世がポグロム政策を打ち出した。
ロシア革命の直後のことである。
デビアス支配者のジュリアス・ウェルナーという男の息子も皇帝の従兄のミハイル王子の娘アナスターシアと結婚している。ロマノフ家の財宝をなぞの政商アーマンド・ハマーがアメリカのデパートで売ったロマノフ家の財宝はこのルートである。ジュリアス・ウェルナーは「ウェルナー・バイト商会」を築くのだが、これがデビアスの礎石になる。デビアスはロンドン・ロスチャイルドの支配下にある。
ちなみに同名だがロシア革命で生き残ったといわれるアナスターシア王女とは先のアナスターシアとは別人である。しかもイリーナ・ロマノフが結婚したロシア貴族にパリ・ロスチャイルドのジェームズのひ孫マルガレーテが結婚している。怪僧ラスプーチンの後ろ盾のルービンシュタインの一族もロスチャイルドの一族である。そもそも皇后自身ドイツのヘッセン家の出であって、そこはまたロンドンに渡って、最後のインド総督、マウントバッテン卿となったが、このヘッセン家こそ初代ロスチャイルドが御用商人となった家系である。
ユダヤ人アーネスト・カッセル卿は機関銃のマクシムをヴィッカースに合併させ、ヒルシュ男爵のオリエント急行に莫大な資金を投入し、シフと共に日露戦争で日本に融資、五年後にはロシアに投資、北アフリカモロッコ国立銀行をつくり、エジプト開発、セシルローズと接触、メキシコ中央銀行、ヴィッカーズ会長、南米投資、孫娘はヘッセン家のマウントバッテン卿と結婚。
パリ、ジェームス・ロスチャイルドの息子アルフォンス・ロスチャイルドはロシア政府と決別すると言っていたが、それだけではポグロムは収まらない。ロスチャイルドはイスラエル建設へと結ぶ四つの事件があった。
1894年イギリスで小売店「マークス&スペンサー」操業開始、1899年第二次ボーア戦争が始まる、同年パリ、ジェーム・スロスチャイルドの息子エドモン・パレスチナ訪問、1902年レウミ銀行ロンドンに設立。まず100円ショップのごとく1ぺ二ーですむ小売店から始まった「マークス&スペンサー」はイギリス最大の小売チェーンだが、パレスチナの農民の製品だけを売っていた。エドモン・
ロスチャイルドがそれを援助。バクー油田が資金源、ユダヤ人をパレスチナに送り込ミ農民に。同時にマークス&スペンサーでもうける。第二次ボーア戦争でダイヤ利権確立。スエズ運河、オリエント急行、北部鉄道、バクー油田、デビアスなどの金でパレスチナを買い取っていく。1902年レウミ銀行(民族銀行)設立。ロンドン当ナサニエル・ロスチャイルドがシオニスト、ヘルツルに
このような中でイギリス外交の砂漠の三枚舌が生まれた。ひとつはアラブ人にマクホマン書簡で、パレスチナをアラブ人へと、ここで活躍したのがアラビアのロレンスだったが、映画どおりではないようである。もうひとつはサイクス・ピコ条約で、イギリスとフランスの共同支配、最後は1917年11月12日のバルフォア宣言である。確かに系図の書き方によってこれらはロスチャイルドの例の系図に納まる。しかし外交官や諜報機関が上流階級を示すのなら、もはや系図に載らないのがおかしいのである。バルフォア宣言のみが果たされた。ライオネル・ウオ
ルター・ロスチャイルド宛である。1920年にハガナーという軍事組織によって対アラブとの直接戦争が始まった。この兵器はシュネーデルなのかヴィッカーズであろう。「イスラエル航空工業」社長アル・シュウィーマーにも注目。イランコントラ事件でもその名を知らしめた。ロッキード事件で暗躍して殺された宝石商、ニコラス・デュークとの関係が疑われてきた。デュークはデューク東郷ではないがMI6長官メンジスの機関に属しスイスの銀行クレディスイスの口座をイラン・コントラ事件に使っていた。クレディ・スイスはロスチャイルドが作った銀行でありMI6のメンジスも系図に名を連ねる。1952年後のヘブライ大学建設。ペルシャにパーレビーを送り込んで、独裁王国を作らせた。ここに「アングロ・ペルシャ石油」とイギリスの植民地であることを知らせる会社を使い。イランに改名す社名も「アングロ・イラニアン石油」に変え、クーデターで二代目パーレヴィーを王位につかせると「ブリティッシュ・ペトロリアム」となった。
こんにちの「B・P」の前身だろう。
こうした利権の中で二大機関が誕生したパレスチナと南ア、ロンドンのレウミ銀行連動するその名もユダヤ機関であり、現地での警備から世界的な農業輸出、ニューヨークでの資金調達まで行ういわば臨時政府であった。一方同じ年(1927年)に南アで誕生したのが中央販売機構CSOである。くしくもナチスのユダヤ人圧迫で、イスラエルにユダヤ人のダイヤ職人が流れ込んで出来た。ダイヤは美術品だけでなく工業品でもある。それをロスチャイルドが支配した。南アのアパルトヘイトはそのままにユダヤ人のみが解放されたのである。
南アのダイヤはかなりのものがベルギーのアントワープに流されて加工されるが、最高級品はニューヨークで、小粒なものはインドで、イスラエルはメレという半カラット以下のダイヤを加工してきたが最近は高級品にも手を伸ばす。「イスラエル・ユニオン銀行」はレウミ銀行に株を50%握られている。副会長のバーナード・ウェイリーコーエンは直系のロスチャイルド一族。
ダイヤの取引には書類やサインはない。
マザル
ただこの言葉だけで終わってしまう。
スタンダード石油にもリベートでは契約書はなかった。イスラエルの三大ダイヤ業者がシュニッツアー、トビアス、パズで、闇の中の信頼関係だろう。
日本に流入してくるダイヤは南アがそれを全部握りデビアスがそれを支配する。
イスラエルから見れば主な輸出工業品の3分の一をダイヤが占める。
ダイヤ支配者オッペンハイマーはロスチャイルドと組んで独占を守ろうとした。デビアスの子会社ダイヤモンド貿易社が、世界の販売網を独占して行き、チャーター社がダイヤ採掘業者を抑え、ボールト社がダイヤ加工機械メーカーを支配していった。1929年以後、イスラエル建国グループは資金面で充実した作業に入り、1936年には本格的な武力闘争に入った。世界ユダヤ人会議をこの都市に設立し、ロンドンの議会を動かし王立調査委員会を設置した。パレスチナ全土でユ
ダヤ人テロ組織イルグンの活動に対するアラブ人の怒りを考えると、王立委員会は「中立的立場」からパレスチナのユダヤ人国家設立を発表した。その発表者ピール卿は南ア最強のバークレイズ銀行の重役を勤め、デビアスの資金を動かしていた。妹がダイヤ王のチャールズ・ゴールドマンと結婚していた。子会社バークレイズ・ディスコント銀行はコンチネンタル・グレインの海運業を動かしデビアス重役の現代のエドモン・ロスチャイルドの支配下にあった。レウミ銀行、ユニオン銀行、バークレイズ銀行のほかにマークス&スペンサー一族のイスラエル・ファースト・インターナショナル銀行がありこの銀行の会長マーカス・シーフはマークス&スペンサーのマークス家と結婚していたがリトアニア移民の猛烈な
シオニストで、母親が国際女性シオニスト協会を開き後年、その会長にデビアス重役婦人ナディーヌ・ロスチャイルドが就任した。当人はイギリス・イスラエル商工会議所の会頭を勤めながらロスチャイルド銀行の重役に座っていた
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