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【 レコード盤に針を落とす時】   作者: トントン03
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        ― 満足感って色々あって―

拙作とは言え、酸素の薄くなった池にいる鯉状態です。

 ―満足感って色々あって―


 ある日、善幸は親方が丸々と太った鰹を捌いていた。それを無意識に見ていたら、釘付けになってしまった。なんとも、その包丁捌きがカッコ良かったのだ。親方は、あっという間に鰹を三枚に下ろすと、更に腹と背に割き、その並べられた四つの柵を冷蔵ケースに入れた。

 善幸は、その四つの柵を見て驚愕してしまった。(エッ、あんなにでっかかった鰹が、これっぽっちになっちゃうの?)と思ってしまったのだ。

 親方の後ろには、発泡スチロールの細長い箱に一本ずつ氷でまぶされている鰹が六箱ほど積まれていて、それらの箱にマジックで五~六キロの数値が書かれてあった。

 親方は、箱からもう一本取り出し、同じように出刃の切っ先を胸鰭の下へブスリッ、と差し込み捌きはじめた。一分後、今度は刺身包丁に持ち替え、その柵を引いていった。これは、さっき注文が入った三人分の〝善〟のようだ。しかし、なぜか尾っぽに近い身は大きく残してる。それは我々四人分の賄い用だった。毎日皆の賄いを考えながら、親方は魚を下ろしていたのだ。

 賄い料理はおばちゃんの担当だった。


 盛り付けの段階に入ると、親方は、切り身のボリュームを均等にし、それを真っ白なツマの上に空気を巻き込むようにのせ、また脂の乗りの良さを見せびらかすという、捌き方とはまた別な術を見せつけた。

 この鰹で何人前出来るのだろうかと、手捌きをちらちら盗み見していたら、たったの八人前だった。それに【悠の膳】は刺し身がメインではあるが、それだけではなかったのだ。


 善幸は、出来上がったばかりの三人前の【悠の膳】を目の当たりにし、その見栄え、品数、それに手間を考えれば、二千四百円の設定は決して高くはないと思い直した。 

 お品書きに新メニューの【悠の膳】を追加してからというもの、次第に年配のお客さんが増えはじめた。だが、地元の家族連れは期待していたほど来なかった。周辺は住宅地なので家族連れを取り込んでいかなければ売り上げは上がっていかない。善幸は、椎茸に飾り切りを施しながら、先々の客の入りを気にするようになっていった。


   

 そして、二ヶ月が過ぎた。

 親方は魚を捌きながら、同時に善幸が桂剥きした大根を、リズミカルに千切りする音を聞いているに違いない。偶に善幸の手先をちらっと見ては満足気な表情を浮かべていた。短期間でツマをこれだけ上手に作れるようになったのかあ、と感心しているようにも思えた。

 酒井のおばちゃんと未華子は、板前が辞めていってから親方の疲労具合いや店の売り上げのことを考え、今まで以上に一生懸命働いてくれていた。

 親方は、この二人が勝手にやってしまうことに対し、何も口出しはしなかった。どうやら、指示される前に的確な下準備をやってしまうということなのだろう。その様子は、仲の良い家族が一致団結し苦難を乗り越えようとしている姿に見えた。

 二十三時閉店。未華子は、暖簾を外し、それをレジ台に置くと客席に置いてある備えの醤油、塩、紙ナプキン、爪楊枝を一箇所に集めはじめる。補充と容器の汚れ落としは、明日の早朝にやることになっていた。

 酒井のおばちゃんと手分けし食器類を片付け、最後に店内を掃除して一日の仕事が終わる。厨房内の片付けは親方と善幸の担当だった。


 親方は、七年前に、店の二階のマンションに部屋を借りた。朝が早いので時間を無駄にしないためだとの理由からだった。高齢となった今では、別の意味で救いとなっている。それは、一分で自分の部屋へ戻ることが出来るからだ。その安心感もあって、親方は、これまで働いていた板前が辞めてからは、片付けが終わっても自分の部屋へは戻らず、一人店に残って酒を飲んでいるうちに寝てしまうことが度々あった。 

 それを心配した酒井のおばちゃんは、親方を先に部屋へ戻ったことを確認してから帰るようにしている。

「親方、飲むんだったら、自分の部屋に戻ってから飲まなきゃダメ! 風邪ひくから。それから、飲み過ぎもダメだからね、分かった?」 

 おばちゃんは、キンキンする声で注意を促した。親方は、おばちゃんが余り物でこさえた弁当を持たされ、渋々店から出ていく。これが一日の締め括りになってしまった。


 酒井のおばちゃんは、生魚に限らず鮮度が保てないと思った食材を煮たり焼いたりと家庭料理の域で調理し、弁当にして未華子や善幸にも持たせてくれていた。多分、そうしてやってくれと、親方から頼まれていたのだろう。

 先に、親方を店から追い出した後、いつものように三人揃って店を出る。

店の前に並べた自転車三台が縦列で走り出す。酒井のおばちゃんを先頭に善幸、そして未華子の順だ。途中、おばちゃんが、「お疲れさまあ~、二人とも気を付けて帰ってねえ―」と二人に声を掛けると、ガードの真下へ向かってタイヤが転がって行った。下り坂から上り坂になると、勢いが途絶え、おばちゃんは自転車を下りて押して行く。二人はそれを見送ってから走り出す。

 善幸は、途中、赤信号で止まる度に後ろを振り返る。未華子が従いて来ているかを確認するためだ。その時、他愛もない会話を交わした。


 二人は、別れる信号機の手前で、いつも片足をついた。左の脇道を行けば未華子の家がある。その距離は五十メートル程だった。男同士だったら、「じゃあな」と言って速度を落とさず走り去ってしまうところだが、彼女が一旦止まってしまうものだから、善幸も止まらざるを得ないのだ。


 ある日のことだった。いつものように未華子が、「お疲れさま」と言うと、いつものように「じゃあな」と言って、善幸は走り出そうとした。

 すると、

「ちょっと……」未華子が呼び止めた。

「なに?」善幸が振り返った。

 何か困ったことでもあるのだろうか。

「あたし、再来週の月曜日、学校が休みなんだあ……」

「ふーん、で?」

 善幸は、そもそも口数が少ないので、人と話をする時、このような不用意な言葉を発してしまい会話が途切れることがよくある。相手に不快感を与えてしまうことさえあった。

愛想のない返事をされた未華子は困った顔をしている。でも、善幸とこの二ヶ月半の間一緒に働いてきたので、善幸の性格も分かってきたし、何かと戸惑わせる会話には慣れっこになっているようだ。

めげることもなく、未華子は話し続けた。

「善くんさ、休みの日って何してるの?」

 月曜日は店も休みだった。

「別に……。部屋でゴロゴロしてるよ。最近、外をぶらついて、気になる店があれば入って食べたりすることがあるかな」

「気になる店? どんな店が気になるの? それ、あたしも気になるなあ……。どの辺行くのお~」と、粘り気のある訊き方をしてきた。

「まあ、新宿とか銀座とかだけど」

「へえ、銀座に行くんだ?」

「店には〝一見さんお断り〟なんて書いてなかったからな」

 銀座が余りにも不似合いなようで、未華子は苦笑している。

「善くん一人で?」

 未華子は、あの日の〝衝立て事件〟を切っ掛けに、二歳年上の善幸のことを「善くん」と呼ぶようになっていた。彼女にとっては、二年という歳の差をイコール以下にしてしまうほどの事件だったのだろう。

「月曜日が休みだからさ、友だちを誘うことも出来ないしな。それに、気軽に誘えるような友だちもいないし。あれ、俺って友だちいるのかな……」

 溜息をついた善幸を見て、未華子が本気で笑っている。でも、善幸は気にならなかった。

「じゃあさ、可哀想だから再来週の月曜日、あたしが付き合ってあげるよ。その代わり美味しいご飯ご馳走してよね?」

「ああ、別にいいよ。〝可哀想〟だけ余計だけどな」

 普段、こんな会話をしたことがない二人だった。何とも、思い掛けない話がいとも簡単に纏まってしまったのだ。

 善幸は、未華子と別れた後、とてもいい気分になり、遠回りにはなるがコンビニに寄って缶ビール三本とスナック菓子を買って帰ることにした。


 善幸の住み処は、二階建ての襤褸アパートの二○一号室。ドアを開け、直ぐにビールを冷凍庫へぶっこんだ。風呂上がりに、窓を開けて空を見る。星が見えるような見えないような……。瞬く間に身体の熱が奪われていく。そこへ、冷え切ったビールを流し込んでやった。


 朝昼晩の食事代は、親方が出してくれているのと一緒だった。毎日のように旬の刺身が出るし、帰りに持たされる酒井のおばちゃんの弁当も美味しかった。最近、おばちゃんに「善くん、太ったんじゃない?」と言われたことがある。そう言われると、ズボンがキツくなった気がする。もしかしたら、これまでの人生の中で、今が一番良い食生活をしているんじゃないかと思えてきた。太ったのはきっとその所為だ。

 他にも気づいたことがあった。それは、一人住まいのアパート代を払えば、他にほとんど金はかからないということ。新聞はとっていないし、店で働く時間が長いので寝るだけの部屋になっていたのだ。そのため光熱費も以前と比べ半分以下になった。

 ちゃぶ台の上にある給料袋の中身を引っ張り出してみた。先々月からの残っている紙幣は、最初の給料袋に纏めて入れていた。引っ張り出してみたら、十枚以上の万札が出てきた。それを見て驚いてしまった。金を貯めるつもりもないのに、いつの間にか貯まっていたからだ。労せずして得た金のよう。この時、善幸は今まで感じたことのない爽快な満足感を覚えた。

 店の給料は、これまで勤めていた会社の給料と比較すれば二割くらい安い。けれど、食事付きで親方も酒井のおばちゃんも良い人だし、仕事環境は家族的で温かみに包まれていた。多少給料が少なくとも不満などあるはずもなかった。

                                ―つづく―

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