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【 レコード盤に針を落とす時】   作者: トントン03
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       ―赤い服を着た赤ちゃん―

 

 ―赤い服を着た赤ちゃん―


「お父さん、黙っておばあちゃんの話を聞いてた。身体から力が抜けて行くのが分かったよ。受話器を落としそうになったから……。そしたら、突然『えっ、大阪だって!』そうお父さんが声を張り上げたもんだから吃驚した。その声は今でも耳に残ってる。あたし、傍で聞いてて、手に取るように内容が分かったの。だから、お父さんが電話を切った後、理由を聞く必要はなかった……」

 善幸は何も言い出せないでいた。


「お母さん……男と大阪に行っちゃったんだ?」問いかけるように訊いてみた。

「それを知って、あたし、自分の部屋に閉じこもっちゃったの……」

「おまえもショックだったろうけど、お父さんは仕事にもいかなきゃいけないし、どうしていいか悩んだだろうなぁ。おまえが中二の時でよかったよ。小学生だったら泣きわめくしかなかったもんな」

「泣き方が違うだけだよ。中学生の場合は、頭から布団を被って泣かなきゃいけないんだ……」

「それに、来年は高校受験だし、精神的に参ったろ?」

「お母さんを許せなかった……」

 未華子は、背筋を伸ばしたままだった。

「わかるよ……」


 善幸は、怒りが込み上げながらもその様子を隠し、彼女の右手を両手で包んであげた。すると、緊張していた彼女の背中が、次第に丸みを帯びていった。


「お父さんね、それ以来、仕事から帰って来ると、『あれ、お母さんはまだ帰って来てないのか?』って言うの。まるで買い物に行ってるみたいに。現場へ向かう時は『未華子、心配するな。お母さんは必ず帰って来る』そう言って、よく親が子供にするように、あたしの頭を撫でてから出ていくんだよ」

 善幸は考え込んでしまった。未華子は兎も角、お父さんは、今、お母さんのことをどう思っているのだろうと……。

「お母さんが居なくなってから、もう五年経つんだよな?」

 そして今、彼女はどのような気持ちを抱きながら日々を送っているのだろうと……。


「うん。でも、お父さんとは仲良くやってるから生活していく上では何の問題もないの。ただね、半年ぐらい前だったかなあ、お父さん、泣いてるの? って思う時があったんだよ」また、彼女が変なことを言い出した。


「お父さんって、現場監督なんだろ、なんで泣くんだよ。現場で職人を怒鳴り散らしているのにさ」

「家に帰って来ると違うのかも。危険を伴う仕事だから、背負ってる責任も重いんだよ。それを下ろせるのが今の家ってことだと思う。あたしね、お父さんがお風呂に入っている時に、着替えを洗濯機の上へ置きにいったの。そしたら、扉の向こうから聞こえてきたんだよ」 

「泣いてる声が?」    

「違う。当たっちゃったんだよ、善くんが……」     

「宝くじ? 鉄砲玉か? おまえさ、頼むからスムーズに話してくれよ。推理しながらの聞き役は疲れるから」

 彼女は話が通るように話し始めた。

「お蕎麦屋さんで、善くんが話してたこと」

「俺が話したことって、ぱっちんマリモショーとローズのことだけだぞ。お父さんとローズが過去に付き合ってた、なんて落ちはやめてくれよな。制作会社から放送作家として誘いがきそうだからさ」

 未華子はクスリともせず、険しい表情を浮かべている。

善幸は笑いをこらえた。

「そうじゃなくて、サチコだよ」

 サチコ……? 善幸は、〝商店街〟にそんな一人娘いたっけかな、と一瞬そっちの方を考えてしまった。が、蕎麦屋で自分が話したことを思い返してみた……。

 あっ、そうだ「おまえのお母さんの名前、サチコじゃねーよな?」なんて言ったことを思い出した。

歌謡番組の名司会者である玉置宏が独特の語り口で、名曲『サチコ』を紹介している光景が善幸の頭に浮かんだ――玉置宏は、ニック・ニューサのボーカルをステージの中央へとリードした。


「えっ、やっぱおまえのお母さんって、サチコだったの? あのニック・ニューサの『サーチコ~、サーチコぉあ~、お~まえーえっえっのお~黒髪ひぃ~』あの『サチコ』か?」

「サチコじゃない!」

「じゃあ、なんだよ、ガッカリさせんなって」

「由紀子だよ……」

「うーん……? ああ、いいよ、いいよ、それでも。ユーキコ~、ユーキコ~ぉああ~、替え歌の良さが出てるぞっ」

 そう歌った後に、善幸は思わず噴き出してしまった。


「そういうことじゃないんだけど……」未華子は笑えなかったようだ。

 どうも善幸の頭の中では、ローズもサチコも由紀子も同じ人物に思えて仕方がなかった。だが、ここで彼女の話を茶化してはいけない。申し訳ないと思いつつも、その気持ちをどう現していいのか分からないでいた。


「でもさ、善くんと話していると、思い出しちゃったあの頃の寂しさを忘れさせてくれるよ。それに、あたしが男の子とこんなに話せるなんて愕き。二人の波長は合ってないって人に言われればそうなんだろうけど、でも、あたし、そう言われてもかまわない」 

「二人のことだからね、俺もそう思ってる」

「ほんとに? どうなんだろう……」

「おまえはどう思ってるかは知らないけど、人と人との絆の強さって、付き合った時間に比例するものでもないと思ってるんだけど?」

 未華子は肩を押し付けてきた。


「でね、湯船に浸かって、蚊の鳴くような声で歌ってたの、お父さん……」

「ユッ、キコ~ってか?」

 善幸は、名前を口に出すのもやっとな息遣いで歌ってみた。


「そんな感じ……。聞いててさ、お父さんは今でもお母さんのことが好きなんだってことがわかった」

「じゃないと、おまえのことをこんなに大切に考えてくれなかったよな」

「それは違う。お父さんは、そんな人じゃない! そういう人だったら、あたしは好きにはならない」

 未華子の言う「お父さんは、そんな人じゃない!」には、看過できない意味合いがあるように思えた。

 しかし善幸は、

「お父さんの話はさ、また今度聞くよ。それより、お母さんは大阪に行ったきりなの? 居所はわかってるの?」と母親の話へ戻した。


 善幸は、先ほどから時間が気になっていた。この後、大急ぎで四ツ谷の店へ行かなければならないからだった。


「そのことなんだけど、お母さんが家を出て行ってから一年くらい経ったある日、あたし、電車の中で見かけたの」

「じゃあ、大阪に行ったって言うのは、嘘だったってことじゃん!」

 母親は、身内にも平気で嘘をついていたのだ。収まり掛けた怒りがまた込み上げてきた。


 善幸は、彼女の言い辛いことを口にしてしまった。

「お母さん、男と一緒にいたんだろ、違う?」

「男の人はいなかった」

「男の人はいなかったって? じゃあ、誰がいたの?」

 言いづらそうだった。


「赤ちゃんを、抱っこしてた……」

ええーっ、おまえの母親、やってくれるじゃねーか! しかし、その愕きもすぐに消えた。

「お母さん、元気そうだった?」とソフトに訊いてみた。

「お母さん、優先席に座ってた。抱っこ紐で固定された赤ちゃんのおでこに唇をつけて、首が固定されていない頭を手で支えながら小声で話し掛けてた。赤ちゃんは安心したような顔をしてて、すやすや寝てたみたい。一つドアを挟んだ座席から見てたんだけど、お母さんのおっぱいが以前より大きく感じたな……。赤ちゃんに気を取られてるみたいで、あたしには気づかなかったと思う。もし、お母さんが気づいたとしたら、すぐに隣の車両へ移動したんじゃないかな」

「逃げたりするもんかっ、俺は、近寄っていって声を掛けるべきだったと思うぞ」

「その時は、お昼前に期末試験が終わって帰る途中だったんだよ。お母さんはね、こんな時間帯にあたしが電車に乗ってるなんて思わないもん……。声を掛けたりなんかしたら愕いちゃうじゃない。『高校受験、あんた失敗したの?』なんてさ。でも、あたしが高校に受かったかどうかなんて、そもそも心配なんかしてないと思う」

「たとえそうであったとしても、それはもういいじゃんよ! その時、声掛けてれば何かが変わったかもしれないよ」

「変わらない、絶対!」未華子はきっぱりと言った。

「どうして?」


「……赤ちゃんがいるんだよっ」


 その表情から、彼女は自分自身のことよりお母さんを苦しめたくなかった、そうっとしておきたかったのだと思った。

 善幸は、もし、お父さんにこの話をしたら、どう思うだろうと推し測ってみるが見当もつかなかった。

「お父さんに話したの?」

「話せる訳ないでしょ!」

 彼女は、ふくれっ面になった。

「だよなぁ……」

 彼女は、そのことを未だに言えないでいるのだ。帰って来るのを待ち続けているお父さんに申し訳なくて仕方がないのだろ。


「お母さんね、椅子から立ち上がったの。働いていたスナックの最寄り駅の一つ手前の駅で降りようとしてるんだよ」

「その店って〝女の園〟だっけ? 一つ手前かあ……。やっぱりな、相手はそのスナックの常連客だったんじゃねーか。そんな近くに住んでたんだあ。そのうち、どっかでバッタリなんてことは考えなかったのかな。お父さんは偶にしか帰ってこないから大丈夫かとは思うけど、おまえが近くにいるんだからさ。お母さん、バカだよ。でも、赤ん坊に罪はないんだよなあ……」

「お母さん、赤ちゃんを大切そうに抱えてドアが開くのを待ってた。外はまだ小雨が降ってたの。傘を持ってないのかなと思って座席を見たら、置きっぱなしの傘があるじゃない。だから、あたし『お母さんっ、傘忘れてるよ!』って声を掛けようと腰を浮かしたんだけど、やっぱり声は掛けられなかった……。お母さん、ドアが閉まった後に気づいたみたいでさ、その時の諦め顔を今でも憶えてる。赤ちゃんね、真っ赤な服を着てた。女の子なんだね」

 善幸は、彼女が着ているダウンジャケットの色を確認してしまった。

「あたし、椅子から立ち上がって、閉まったドアの窓に顔をくっ付けるようにして、ホームを歩いているお母さんの後ろ姿を見えなくなるまで眺めてたの。抱いてる赤ちゃんの真っ赤な服が印象的だった……」

「そうだったんだ……」



 赤い服を着た赤ちゃん。彼女の母親は派手好き。そして、自己主張が強そうで自分勝手な女。先駆け的な〝未華子〟という名前は、きっと母親が付けたに違いなかった。


       ―つづく―

次で最後になります。何名かの方が読んでくださっているお蔭で、最後まで書き上げることが出来そうです。感謝申し上げます。

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