表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【 レコード盤に針を落とす時】   作者: トントン03
30/33

       ―十日町のスナック〖すずらん〗―

 ―十日町のスナック〖すずらん〗―


 如何したらいいのだろう、と善幸が考えていると、未華子は顔を起こし、工事中の橋脚の点滅している方向へ指をさした。

「向こうで、お父さんがこっちを見てる……」

「おい、狡いぞ。お父さんに助けを求めるな。お父さんは人格者なんだろ? そうだとしたら、虐めてないってことぐらい分かってくれるはずだよ」そう善幸が反論した。

「そうかなあ、虐めてると思うかもよ。あたし達が喧嘩しているのを見たら、お父さんはきっと間に入ってくる。『未華子を虐めるな!』って。現場監督特有の怒鳴り方でね。うちのお父さんは、職人さんたちとの揉め事が絶えない中で仕事をしているから、喧嘩には慣れてるみたいだしさ。どうする?」

 この「どうする?」の問い掛けが、善幸にはいまいち飲み込めなかった。

「取り敢えず、現場監督とは二メートルの距離を保って、軽く膝を折っとくよ。けどな、直ぐに逃げられるようにって意味じゃないから」

 これは、的を射た回答だっただろうか。善幸は彼女の前をうろつき、その様子を窺った。

「そう……」

 やはり、そぐわないようだ。

「何か、ご不満なことでもおありで?」控えめに訊いてみる。

「大有りだよ、善くん!」

 急に勢いづき、彼女も立ち上がった。

「ええっ、なになに?」と、善幸はたじろいでしまった。

 彼女が一歩近づき、善幸の腕を掴んだ。

「この場所で、もう少し話がしたいの。だから、座って。寒いのなら今度はあたしが善くんの身体を温めてあげる」

 確かに、未華子の話は中途半端なのは間違いなかった。

彼女は、腕を掴んだ手を離すと、両腕を善幸の背中に回し擦りはじめた。善幸が辺りを見回す。すると、まだ一番端っこのベンチにカップルが座っていた。抱き合っているような姿を見られてはいないだろうか……。


 善幸は腕時計を見た。八時になろうとしている。四ツ谷駅に着いていなきゃならない時間だった。親方から八時までに行けよ、と言われたことが頭を掠めたが、

「そこまで言うなら……わかったよ」

 善幸は、ベンチを温め直すことにした。ホテル内の店だったらラストオーダーは十時半ではないかと思ったのだ。それにしても、今日一日、なんでこんなに時間に追われなければならないのだろう。色々な出来事が重なると、一日ってこんなに長く感じるものなのか、と考えさせられた。

 未華子が革ジャンの襟を立ててくれた。

「最後まで聞いてね、心温まる話だから……」

「その前に、一つだけ訊いておきたいことがあるんだけど」

 再び二人はベンチに座り直した。

「何?」

「庭にある倉庫のことなんだけどさ、」

 善幸が言葉に詰まっていると、

「その溜池で、お父さん達がどんな魚を釣ってたかって話じゃなくて?」と彼女が訊いてきた。

「喰えねえ魚なんか、どうでもいいんだよ。お父さん……、倉庫に鍵を掛けてたんだよね?」

「そうだよ」

 未華子は、取り澄ました顔で答えた。


「鍵ってさ、お父さんが持って行っちゃうの? おまえ、一人で倉庫を開けて見たことある?」

「…………」

「何で答えないんだよっ」

「あたし、話さなかったっけ、鍵は下駄箱の中に入れておくからって、お父さんが言ったこと? 善くんさ、とんでもないことを考えてない?」


 そこは、安易に踏み込んで来られては困るデリケートでプライベートな領域だった。しかし、善幸は「ねえ、とんでも無いことを考えてない?」という彼女の一言で、滑稽とも思える的外れな憶測はさっさと切り捨てることにした。

 善幸は「言っておくけど、俺は、『鍵は下駄箱の中に入れておくから』なんて聞いてねーし、それに、とんでもないことって、たとえば何?」と訊き返してみた。(仕掛けやがったな!)彼女の思惑が判然となった。


「先に言ったら?」

「言わねーよっ」

 そんなことを今更言えるはずもない。

 恬淡として、未華子は橋脚の尖った灯りに目を向けている。

 そして、

「お父さん、どうして興味のない釣りをしようとしたのか、あたし、変に疑ってたんだね、あの頃……。訊きもしないでさ」

「なら、訊けばよかったじゃん」

「お互いに会話をしないっていうか、会話が無いわけじゃない。するとね、まさぐるようにお父さんの日常を観察してしまうの。あたしの鋭い観察力が発揮されちゃったみたい」

「発揮しすぎるのも問題だったってことだよな。勘繰り過ぎると、疑いが晴れた後でも、それが頭から離れなくなる場合もあるんじゃないか。普段の会話が無いのがいけなかったんだよ」

「お父さんとあたしって、言わない訊かないの関係だったじゃない、これってコミュニケーションが取れてないと思われるかもしれないけど、訊かない方がいい場合だってあると思う……」 

「俺は、そんなの無いと思うけど?」

「でもね、お父さんが釣りをはじめたのが切っ掛けで、あたし、お父さんのすべてが分かったような気がしたの。お父さんのことを、さっき人格者だって言ったじゃない、」

「ちょっと待った、義理のお父さんなんだぜ、すべてが分かるなんてこと、ありえるかよ。血が繋がっていても、すれ違いなんてしょっちゅうあるもんじゃん。親子喧嘩に、兄弟喧嘩、田舎の方では分家本家で揉めてたりさー」

「あたしがそう思ったんだから、いいじゃない。あたしね、今のお父さん、凄い人だと思ってる!」


 未華子の気分を損ねてしまった。また言い合いに発展しそうだ。善幸はやり返すような言い方は止めて、「怒るなって。どう思おうがおまえの自由。それでいいだろ?」と話の流れに棹をさした。

 この一言で、多少機嫌が直ったようだ。

「お母さんが……、男の人のところへ行っちゃったじゃない、その後、お父さんと二人きりになったことで、日常生活がガラッと変わってしまったの」

「ほーい、待てって、あ、ぶ、ねえー、あぶねー、聞き逃すところだったよ。おまえの作り話じゃないよな? その〝お母さんが男の人のところへ行っちゃった〟ってとこ?」 

 善幸は改めて思った。彼女は、まさしく一流の語り部だったのだと。


「どうなんだろう……。これって、直接〝本人〟の口から確かめないといけないことなんだよね、きっと……」

「何か事情があったんだよ」そうとしか言えなかった。

「お母さんが出て言った後はね、日を増すごとに、あたし、赤の他人と一緒に暮らすことになったんだっていう意識が高まっていったの。その思いが強くなっていって、暫くの間、お父さんに話しかけられなかった。お父さんも、あたしとどう接していいのか困惑してたみたい……」

「血の繋がりって、そんな時に露わになるもんなんだね……」

「あたしね、先が見通せない暗い夜道を一人で歩かされているような気がして、とても心細かった……。お父さんにね、背後から声掛けられると、突然襲われるような気がして怖くてならなかったの。その時、身体を屈めてしまう、そんなあたしの姿を見て、お父さん……ショックを受けたみたい。それからというもの、出て行ったお母さんのことと、そんな精神不安定状態だったあたしのこと、この二つの悩みがお父さんを苦しめていったんだよ」

 善幸は、彼女の顔を見れないでいた。


「お父さんね、家に帰ってくると、服も着替えずにテレビの前に座ったままで動こうとしなかった。その理由は、お父さんと仲良しになってから分かったの。あっそうだったんだってね。お父さんって無口だからさあ……あたしが分かってあげなきゃいけなかったんだよ。お父さんが動く時ってね、『ビールでも飲もうかなあ……』とか『風呂でも入るかなあ……』そんな独り言をいってから立ち上がるの。あたしが台所で食器を洗っている時に、お父さんが何も言わず後ろに立ってたら、あたし……声を上げちゃったかもしれない。お父さんが冷蔵庫からビールを出そうとしただけでね。今となっては〝家に帰ったら急な行動は慎む〟それを守ろうとしていたお父さんの滑稽な姿が笑えるんだけどさ。その頃は、あたし、お父さんもどっかへ行っちゃえ! って思ったよ。もう一人でいいから! って。お金をたくさん置いてってくれないと困るけどさ」

 彼女が悲しげな目をして笑った。


「そりゃ勝手すぎるだろ。でも気の毒だったな、お父さん……。家に帰って来ても、おまえのお陰で休みなのに休めないし、ずっと現場で泊まってた方が気が楽だったんじゃないのか?」

「あたしもそう思ったよ。帰って来なければいいのに、何で帰って来るんだよっ、て……。でもね、お父さん、家に帰って来たかったんだよ。地下街でへぎそば食べてた時さ、新潟に住んでたって言ったじゃない、お父さんとお母さんが再婚する前は、お母さんの実家の近くに住んでたの。そこでお母さんはお父さんと知り合った、十日町のスナック〝すずらん〟でね。愕いた?」


 その類の愕きには今日一日で慣らされてはきたけれど、スナックが『すずらん』だったことから、母親が居なくなった後に、未華子が庭に植えたスズランの意味を理解することができた。

 それは玄関ドアから道路までの踏み石の両側に植えられていて、「春になると、釣鐘状で白い小さな花模様の絨毯がここに出来上がるの」と彼女が言い、「その頃に見に来てね」そう自慢気に話していたスズランの花……。

 今朝、クルミ姉さんに教えてもらった花言葉『幸せの再来』、それにもう一つ『巧まざる優しさ』が善幸の頭を掠めた。


「昨日、おまえが出した宿題はやってきたよ、スズランの花言葉。もしかして、おまえのお母さんって、そのスナックで働いてた、なんてことはないよな?」

「ピンポーン!」彼女は人差し指を立てた。

「それ、嘘じゃないよな?」 

「当時、お父さんの現場がその近くにあってさ、お父さんね、十日町に三年いたんだよ。周辺には信濃川とその支流もたくさんあるから、新たに掛ける橋と古い橋の改修工事で大変だったみたい。仕事が終わると、宿の近くのスナックで飲んでた。そのスナックが〝すずらん〟だった、と言うわけ。あたし、よく店に顔を出してたんだー。お店のママも良い人だったから、居てもいいって言ってくれたの。家に一人で居るのはとても不安だったんだよ。まだ小学生だったんだから」


 大人の恋愛物語の序章のつもりなのだろうか。善幸は、頷きながら聞いている。

「お父さんね、その店のカウンターの端っこに座って静かに飲んでたの。そのくらいしか楽しみがなかったんじゃない。趣味なんて一つも持ってないんだからさ。時々、柄の悪そうなお客さんに向ける強張ったあたしの顔を見ては微笑んでいたのを憶えてる。お父さんね、『また、お会いしましたね、お嬢さん』そう言って、いつもあたしがカウンターに座っている隣の席に座るようになったんだよ。その後、『はい、これ』って、あたしにマーブルチョコレートをくれるの。あたしね、それでおはじきして店が終わるまで遊んでた」

「お父さん、子供の扱い方、慣れてそうじゃん」

「今考えると、お父さんって子供好きなんだね。スーパーで一緒に買い物しているとさ、カートに乗せた幼い子供にいつも微笑んでたから」

「そうなんだ、意外だね」


 中年の男が、飲み屋で働いている女と知り合い意気投合した。その女には子供がいて、エイッ、ヤアーッで一緒になった。そんな話はどこにでも転がっていそうだ。さして珍しい話ではない。

 だが、今でもお母さんの帰りを待っているお父さんと未華子……。彼女は、願いを叶えるため庭にスズランを植えた。スズランを増やし続けていけば、お母さんはきっと帰ってくる、そんな強い想いが彼女から伝わってきた。花言葉の二つの内の一つ『幸せの再来』が、これで解けた。


「俺に宿題を出したスズランの花言葉、そしておまえが庭に植えたスズラン。小学生の頃、十日町のスナック〝すずらん〟で、今のお父さんとお母さんが出会った。遡って行くと、そう言うことになるな。作り話のようだよ……」

「出会いがスナックじゃいけない? 健全さがないように思われるかもしれないけど、大人だからね。お母さんから聞いてはいないけど、あたしの本当の父親も、スナックで知り合った人なんだと思う」

 これまで話には出てこなかった本当のお父さん、ここに善幸は疑問を感じた。


「一つ訊いていい?」

 善幸は、これを訊けば、未華子の身の上話で愕くようなことは、もうなくなるのではないかと思ったのだ。

「一つ訊いていい? が多いね、善くんは。なに?」

「おまえの母親ってさ、水商売の仕事しかやってこなかったの?」

「なんでそんなことを訊くの?」

「他の仕事がなかったのかなと思ってさ」

 本心は、おまえの母親って男好きなんだろ? 善幸はそう訊きたかったのだ。しかし、そんなこと、言えるはずもなかった。


「十日町っていう所は豪雪地帯なんだよ。仕事といっても、スキーシーズンならホテルや旅館の求人はあるけど、泊まり込みじゃないとダメなの。朝が早いんだよ。まだ除雪車も通らないから。それに、あたし、小学生だったし、家に一人で一週間もいられないでしょ?」

 この話だけで、十日町の情景が頭の中に浮かんできた。


「善くんね、あっちは東京のように職を探すのって簡単じゃないんだよ。スキーで来るお客さん目当ての仕事だって、シーズンオフは何か別な仕事を探さなきゃならないでしょ。豪雪地帯で母子家庭が生きていくのは大変なんだよ。お母さんが近くのスナックで働けたのが幸運なくらい。でもね、母親がスナックで働いてるってことがクラスの友達に知れ渡るとさ、皆口を利いてくれなくなったよ。無視された。だから友達はいなかったの……」

「俺がいたら親友になってやったのにな」

「そう? 虐める方じゃないの、善くんは……」

 未華子は、心許なく辺りを照らしている水銀灯を眺めている。


「そう言われると、否定できないかも、なーんてね。でもさ、高校生より小学生の方が、虐め方に遠慮がないから残酷かもな。俺はね、虐めたこともないし、虐められたこともなかった。何もしない相手を、いつまでも虐め続けている神経が俺にはわからなかったよ。苛めってさ、常態化してしまうと悪気が無くなっていくんだな。その後、更なる刺激を求めエスカレートさせていく。質が悪いのは、やってる連中って終わりを知らないということ。残酷さはそこにあるんだよ。田舎の中学校は、小学校からそのまま上がっていくから、ほとんど虐める側のメンバーは同じだろ? だから、虐められる方とすれば、また地獄の日々が始まるってわけだ。よっぽど良い担任の先生に当たらない限り、虐めが無くなることはないんだよ」


「そうなんだろうね。幸いに、あたしの場合は中学へ入学すると同時に今の家へ引っ越して来たから助かったの。あそこの中学校に入っていたら、あたし、どうなっていたんだろう……。今考えると恐ろしくなるよ。でもね、今のお父さんが居るから大丈夫だったんじゃないかと思う。だって、あたし、中学に上がって虐められたら直ぐにお父さんに相談しちゃうだろうから。お父さん、きっと仕事を休んで学校へ殴り込みに行くだろうな。虐めた子の家にも行って親の前で、その子にとことん説教するんじゃない!」未華子は、拳を握り締めた。


 その口調から、善幸はお父さんとの今現在の信頼関係の強さを感じた。

「今のお父さんは兎も角、おまえの話ってさ、実の父親が女房子供を捨てて好きな女のところへ行っちゃう話と、好きな男が現れると、いとも簡単に家庭を切り捨てて、そっちへ行っちゃう実の母親の話だもんなあー。普通さ、どっちかなのによおー、どっちもって、ありえなくね?」

「当事者のあたしに訊いてるの?」

「おまえの実の親たちにだよ! 誰が子供を守ってやるんだ? 自分勝手というか無責任すぎるだろっ、おまえの実の親って、どっちも最低だな!」

 最後の一言は余計だった。

     ―つづく―

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ