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【 レコード盤に針を落とす時】   作者: トントン03
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       ―真っ赤な無数の筋―

 ―真っ赤な無数の筋―


 なかなか話そうとしない未華子。待っていたけれど肩透かしを食らった。


「でもね、お母さんのお陰で、お父さんは人格者だってことが分かったの。お母さんは、それを分かっていたから出て行ったんだよ、多分……」

「人格者? 大袈裟な気もするけど。でも、俺、この話の展開について行けるのかなぁ……」


 これは、ドラマの筋書きなどではないのだ。多感な時期の娘を、義父のところに置き去りにし、母親が失踪してしまった。そこにどんな理由があったとしても、まかり通る話ではない。当時、彼女がどんな心境で生活してきたのか、その話を黙々と聞かなければならない、そんな責任感のようなものを抱いた。ただ、彼女が言った〝お母さんは、それを分かっていたから出て行ったんだよ〟って、間を省略し過ぎじゃないか? 態と核心を宙に浮かしたような感じがしてならなかった。


「もう、あたしの頭の中では整理がついた話なの。だから、この話を善くんが聞いても悩ませることは無いから」

「悩まされても一向にかまわないよ。そんなこと気にすんなって」

 未華子は、一旦夜景から善幸の顔へ目を向けた。

 善幸は、夜景を眺めてはいるが、彼女がそれを聞いて安堵した顔になったのが分かった。

「あたしね、お父さんって、高校受験を心配してくれてたんだってこと、当時はわからなかったの。どこの高校を受験するのかを決めるのに、中三になると学校で三者面談ってするよね。お母さんはいないし、お父さんも行けないから先生とあたしだけだったんだよ。お父さんに相談しても分からないだろうしさ。最終的にあたし一人で受験校を決めたんだ」

「そう……」


 善幸は、義理のお父さんに、直接訊いてみたくなった。実の娘をおいて出て行ってしまった母親であり、自分の妻である〝女の人〟のことを今どう思っているのかを。


「お父さんね、年末になってあたしに訊いてきたんだよ『どこ受けるんだ? 受かりそうか? 滑り止めはたくさん受けとけよ』って。今思えば、娘の受験を本人だけに任せっぱなしにしてていいのだろうかと思ったんじゃない。それにしても遅すぎるよね。アドバイスしたいなら、十月頃に訊かなきゃ。言うタイミングを逃しちゃったのかな。一度逃すと、今度現場から帰ってくるのは半月後か一ヶ月後だもんね。気を使って買ってくるお土産も、あたし一人しかいないのにいっぱい買ってくるんだよ。それで、どうでもいいお土産の説明をはじめるの。受験のことを訊きたいくせにさ。かなり心配してたみたい。あたし、それに気づいてあげられなかった。あたしの立場って、極力お父さんの厄介者にならないように、ひっそりと暮らすことなんだと思ってたから……。だから、中学を卒業したら働かなきゃいけない……働かなきゃいけないんだ、って無理やり思い込もうとしてたんだよ。でも、あたしだって、高校ぐらい行きたいじゃない……」

「そりゃそうだろ!」

 共感していることを強く示した。


「でもね、お父さんってさ、出張に行く度に、封筒に〝参考書代〟って書いて、あたしの机の上に置いて行くんだよ。それって、十一月の半ば頃からだったと思う。仕事場で受験生をもつ職人さんからアドバイスでも受けたんじゃない。あたし、お父さんが突如そんなことをはじめたからさ、最初は、今更何のつもり? と思ったの。今から参考書を買ってやりはじめるなんて遅すぎるじゃない。でもねえ、あたし嬉しかった。高校に受かった時も、封筒に〝入学祝い〟って書かれた封筒が机の上に置いてあったんだよ。あたしの眠っているうちに置いて、朝早く現場へ向ったんだね。それを開けた時、ええっ、五万円も! って声出しちゃった。高校に入ってからもね、決まった生活費の他に出張に行く毎に参考書代って書かれた封筒が机の上に置いてあるの。当時は、お小遣いのつもりなのかなと思った。でもね、後から話してくれたんだけど、お父さん、あたしに大学へ行って欲しかったんだって。だから書いてある通り、大学受験のための参考書代だったんだ。高校生だからさ、洋服代とか友だちとの付き合いで全部使っちゃったけどね」彼女はケロッとした顔を覗かせた。

「それはダメだろ」

「だよね、でも結果的にそれで良かったと思う。今考えると、言葉を交わさないお金の入った封筒だけの受け渡しが、却って誤解を深めない役割りを果たしてたんじゃないかって思うんだあー、あたしの勝手な解釈だけどさ。そのお陰で、目には見えない縛られてた紐がパラっと解けたかのように気が楽になったんだよ」

 それは当人同士でないと理解できない心情なのだろう。

「お母さんが家を出て行った後、お父さんはあたしのことを(厄介者だけどコイツを何とかしてやらないと可愛そう)そんなふうに考えていると思ってた。お金をあたしに放っているような感じを受けた時もあった。でもそれって、とんだ勘違いだったんだよ」


 未華子と義理のお父さんとの関係かあ、話の流れは分かるけど、そこに双方の気持ちの齟齬を含むやり取りを加えると理解するのは難しい。善幸は、眼下に広がる夜景に、灌木に邪魔されて見づらい氷川丸の様子を窺っていた。


「お父さんって……」未華子が言った。


 話のテーマは、一向にお父さんからぶれないでいる。善幸は、彼女がお父さんのことを話し続けることに違和感さえ覚えた。


「何も言わずお金を置いていくだけの人だから、その裏腹な〝想い〟をあたしが理解して受け止めてあげないと気の毒だったんだ。あたしは、お父さんを理解するのに時間を掛け過ぎたの。その分、お父さんを苦しめてしまったんだね。でも、お父さんに、あの時はごめんね、なんて謝らないから。あたしは感謝で返す。そっちの方が嬉しく思ってくれると思うからさ。これ、あたしのやり方なんだ。謝るってね、責任逃れのようなもの。相手の許しを請うってことでしょ? 事によっては卑怯者がすることなんだよ、違う?」


「そうなのかもなあ……。確かに謝る時〝申し訳ございませーん〟とか〝仰る通りです!〟なんて口癖のように言ってる奴いるけど、調子に良さを感じるよな」

「相手が許してくれさえすれば、シメシメって、腹の中でそう思っているんじゃないの? そんなこす狡い人って許せない。そういう人は、あたし、嫌いだから! できるだけ自分で何とかしなきゃいけないんだよ、善くんっ」

 おーい、何で俺で締め括るのよ? と不快感を抱いた善幸は、

「おまえが言うと、孤独感が漂うな……」と言ってしまった。

 この蹴散らすような一言がいけなかったのかもしれない。


「今、あたしが話してたこと、聞いてくれてた?」

 未華子は、善幸を睨んでいる。

「勿論!」と、軽はずみな言動を発してしまった。これもいけなかった。

「善くんって、どういう人だったっけ……。今日の善くん、働いている時とは別人のよう……。あたしの全部を理解してくれとは言わないけど、ある程度考え方とか、価値感って同じじゃないと上手く付き合っていけないと思うんだけど、どう思う?」


 含蓄に富む言葉であっても、話し掛ける相手が表面的で心無い者であればすぐに色褪せてしまう。それに、じっと見つめられながら話していれば、嘘や薄っぺらな心情はすぐ見破られてしまうもの。その程度のことは善幸でも分かっていた。


 善幸が答えないでいると、

「善くんに真剣味がないことが分かったよ。あたしじゃない人の方がいいみたいね……」

「そんなに急ぐなって。おまえさ、仕事している時の俺しか見てないじゃん。それって、一面しか見てないってことなんだよ。真面目そうに見えた? こーの俺のこと」

「見えたよ、違うの?」

「真面目がいいんだ。へー、残念だったな、俺はそんな詰まらない奴じゃないの。カッコつけたがりの世の男どもとは違うのさ。一度、真面目に仕事しているふうの男の日常ってもんを覗いてみたほうがいいんじゃないのか?」

 ここは自分の立場を嵩上げしておく必要があった。

「どんな日常なの?」怪訝そうな顔つきで訊いてきた。

「おまえじゃ到底想像することの出来ない日常さ。そんなんじゃ、他の男に騙されるぞっ、真面目な女の子ほど騙されやすいって言うだろ?」

「勿体ぶらなくていいから」不安げな顔を覗かせた。


「以前ね、務めてた会社にも仕事振りは真面目だけど、実はその正体ってさ……。あぶねーんだよおーっ、頭の中じゃ何考えてんのか分からないんだっ、何かにつけ病的なほど根に持つ嫌な奴だったりさ。家に帰ると、それが露わになったりしてな。ああ、奥さんが可哀想だ。気の毒で胸が苦しくなってきた。人間ってさ、人に見られている時と見られてない時って違うものなんだよ、男も女も……。で、おまえは、どうなんだ?」逆に訊いてみた。


「真面目って、色々あってさ、だから……」


「いいからいいから。おまえがそうであったとしても、俺はなんとも思わないし、愕きもしない。そこまで俺が悠然と構えていられるのは、人間が出来ている証拠? って、ことなのかもな。だから大丈夫だよ。この先ずうっと付き合っていけると思うよ」


 見ると、未華子は浮かない顔をしていた。


 善幸は、憂いを一つでも取り除いてやろうと言葉を継いだ。 

「あれれ、馬鹿だなあ、そんなことで悩む必要はないって。大なり小なり誰にでもあることさ。おまえが誤った道に進まないように、俺様が見守っててやるからさ」

 そう言ってしまった後、嵩上げし過ぎた感が否めなかった。


「なんか、ペテン師のようにも聞こるけど……」

 そう言うと、未華子は斑のない夜空を見上げた。


風は何処にいるのだろう。動かない別な夜景を、善幸は見ている。どうやら、この丘は、動くもの全てが目障りだと言っているかのように思えた。水平方向には、星のように遠くに見える灯りが六つ点滅している。静けさが夜景の画質を高めていた。


漫ろに当たった冷気が口許を引き締めた。善幸は、寂たるこのエリアを見渡し、辺りに潜んでいる“動物”の息づかいを確認してみた。

 5メートルほど離れている左隣のベンチには、身体を寄せ合っている大学生らしきカップルがいた。二人は、まったり状態で、夜景を眺める暇もなさそうだ。自分たちの世界にどっぷりと浸かっている。しかし、自分たちの話し声は絶対に聞こえているはず。言い合いをしているこっちの様子を窺いながら、尚以って体をくねらせ擦りつけ合っているお隣さんは、とても温かそうに思えた。


 善幸は首を回し、今度は右隣のベンチを確認する。なるほど……。目を逸らしてはいるが、耳を立てているようだ。〝静寂〟も、この寒さを凌ぐ術を心得ているようだった。


 善幸は、左右の〝静寂〟にベールを下ろし正面を向いた。

 ……突如、湾から聞こえて来た固有の初期微動、ドックン、ドックン……。山下公園の向こう側にあるはずの観覧車を、急斜面の岩肌から屹立する雑木林が阻む。多分、観覧車から、こんもりと盛り上がった湾に光彩を放っているのだろう。湾に映るそれは躍動し色を変えて行く――。


 幾通りもの光彩を眺めているうちに、湾へ真っ赤な無数の筋が差し込む瞬間を見てしまった。大河に合流する支流のようだ。ドックン、ドックンの耳鳴りが高鳴ってきた。それは、この丘を離れた後も、きっと止むこと無く聞こえてくるに違いない。


 未華子が、二人の静寂を破った。

「ねえ、善くん……」

「なに?」

          ―つづく―

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