表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【 レコード盤に針を落とす時】   作者: トントン03
23/33

第七章   ―優しさの伝え方―

 第七章


 ―優しさの伝え方―


 未華子は、専門学校へ行く時に使っている紺色の帆布バックを持っていた。高校生が教科書を入れ持ち歩くようなバッグだ。デートの時に持ち歩くおしゃれ感はまったくない。これしか持っていないのだろうか。中身が大して入っていないから、腕の重さでクシャッとなっていた。


「まーた、いいバッグ持ってきたねえ」

 善幸は、バッグについてる汚れを右手の甲でササッと払ってやった。経年の汚れだから勿論落ちやしない。


「触らないでっ!」

 その後、二人は話をすることもなく正面を向き窓越しに外を眺めていた。


 未華子が、こっちを向いた。

「ねえ、お腹空かない?」思い出したかのような問い掛けに、善幸が返事をする。

「そういやあ、腹減ったな……」サトシのことで腹が立っていたから、それだけで満たされていたのだ。

「ブランチじゃなくなったね」善幸の顔をみて彼女が笑った。


 善幸の計画では、ブランチはさくらに連れて行ってもらった外苑のパンケーキ屋を考えていた。洒落た店なんてそこしか知らなかったのだ。

 正午を過ぎると混むので、十一時半には外苑前の駅に着く予定でいた。もしその店に行っていたら、未華子は気づいただろうか、さくらの店のパンケーキと似すぎているということに……。


 善幸はサトシに感謝した。

「ブランチの時間は通過しちゃったからさ、東京駅まで行っちゃおう」計画の変更を未華子に告げた。

「東京駅? 何かあるの?」


 善幸はそれには応えなかった。その態度に不服そうな未華子は、また窓越しの犇めき合って立ち並ぶ家々を目で追っていた。


 善幸がふと思いついたこととは、中学生だった頃に親に連れられ見て回った東京駅の地下街と大丸だった。親が共稼ぎだったこともあり、家族で遊園地や旅行に行ったことは数える程しかない。その記憶の中で、迷路のような地下街で家族みんなで食事をしたことがあった。そこで未華子と一緒に食事をしたい、好きなものを食べさせてあげたいと思ったのだ。

 もう一つ、電車に乗っていて思いついたことがあった。一時間以上待たせてしまった未華子に、お詫びとして気に入ったバッグを買ってあげるということ。この〝私事都合〟の抗えない事由で遅れてしまったことが、却って二人の愉しみを凝縮させてくれそうだ。


 今日は、その後、関内駅から歩いて『港の見える丘公園』へ行き夜景を愉しんだら、親方に「八時までには行けよ」と言われた四ツ谷の四川料理の店へディナーしに行くという明確な目的がある。当ても無く歩きまわり、意味もなく時間を潰していたこれまでの休日の過ごし方とは違う。それも一人じゃない。善幸は、この先の生活のリズムまでもがガラッと変わって行きそうな予感がしてならなかった。


 規則的に耳に響いてくるガタンゴトンという電車の音や、一定の距離間隔で開閉するドアの音を二人は黙って聞いていた。


未華子は沈黙を破った。

「善くんっ、次が東京駅だよ」

 善幸が目を開ける。

「終点だから、慌てなくても大丈夫だよ」

「東京駅で何するの?」

「乗り換えるんだよ。その前に、おまえ、腹減ってるんだろ? 何か食べようぜ。何食べたい?」

「善くんは?」

「おまえに訊いてるの、俺は何でもいいんだよ」

 未華子は、夜は四川料理食べるからパスタがいいという。善幸は、東京駅の地下街で彼女の気に入

る店を探さなければならなかった。

「食べた後は、買い物でもするかあ」

「買い物? 何か買いたいものがあるの?」

「おまえのバッグ」

 未華子はキョトンとしている。

 ドアが開き、善幸がサッサと降りると、未華子が小走りでついて来た。

「あたしのバックを買ってくれるって? このバッグじゃ変だから?」

「そうじゃない。遅れたから、そのお詫びだよ。欲しくないの? 要らないなら買うのやめるけど」

善幸は、素っ気なくそう言った。


 善幸の強みは、先月分の給料袋にまだ手を付けていないことだった。今日はその封筒ごと持ってきている。これだけあれば、未華子の前で恥をかくことはないだろう。

「じゃあいいよ、別にいらないから」

 おおっ、あっさりと来たか、でも想定内。善幸は慮る……。


「そうだよな、好きでもない相手からのプレゼントなんか受け取れないよな。真っ当な言い分だ。偉いぞっ!」

 先に善幸が改札口を出ると、薄汚れた帆布のバッグを胸に抱えこんだ未華子が、すっと善幸の横に並んだ。


「ブランド物を買ってくれるならいいけど……」

 おっと、どの女も侮れないな、更に善幸は慮る。

「もしかして、君……、フロアレディやってなかった?」

「フロアレディって何?」

「知らないの? 黒光りしている大理石の床の上を歩いてる女の子だよ。網タイツ穿いて」

「目的は何? 変なこと?」

「えっ? おまえの変なことって何?」


 ここは確認しながら話を進めなければならないところだ。


「知らない。でも網タイツ穿いてるんでしょ?」

「もしかして、おまえも穿きたいの?」

 話が変な方向に向かっている。

「じゃあ、あたしにバッグと網タイツを買ってくれるんだ?」

「まあ、そういうことになるな。似合うかどうかは見てみないとわからないけど。そのうち確認しに行くからヨロシク。二年前に俺が時々通ってた網タイツの店なんだけどさ、女の子の恰好がバニーガールだったんだよ。バニーガールって、お酒を運んでくるだけで通常お客さんの隣には座らないもんじゃない?」

 未華子は首を横に振った。

「座らないもんなんだけどさ、そこの店は座って話し相手になってくれるんだよ。話す内容は取るに足らない話なんだけど」

「善くんさ、この話も取るに足らないと思うよ」

「違うね。この話の続きを聞けば、俺の凄さが分かると思う」

「俺の凄さ? へえー」

 今、二人は飲食店が立ち並ぶ地下街を歩いている。

未華子は時々喉を鳴らしながら、どの店へ入ろうかと迷っていた。そんな話はやめてくれと言っているようにも窺えた。


 しかし、凄さをわからせてやろうと善幸は、二、三歩スキップ気味に急ぎ、彼女の前にしゃしゃり出た。

「バニーガールの恰好って、お尻に白い大きな〝マリモ〟みたいなのがくっ付いてるよね。それでね、女の子が席を立つ時、俺、それがズレてたから直してあげようと思って摘んだんだよ。そしたら、びょ~んと伸びちゃってさ、吃驚っ。ゴムで留まってたんだな。どこまで伸びるんだろうと思って、それを引っ張ったら手が滑って、パチンッ、『キャー』だって、アッハ。いきなりなもんだから女の子も周りのお客さんも吃驚しちゃってさ。悪ふざけで、その後も四、五回やったら、店内で瞬く間に流行っちゃったんだ。客があっちこっちで真似て、マリモをパチン、パチンって引っ張っては離し、これを繰り返してやんの。客も慣れてくると、ゴムが切れる寸前まで伸ばしてから放すようになって、良い音を出そうと競争しはじめちゃってさ。同時に、女の子たちがキャーキャー悲鳴をあげるもんだから、店長が『お客さーんっ、やめて下さい!』そう言いながら、ボックス席を走り回ってたっけ。女の子たちは逃げ場がなくてパニくってたな。面白かったのはね、尻の大きさによってなんだけど、パーンッと乾いた音系と、ボンッとシャンパンを開けた時のような音があって、その高低差がナチュラルな音律を作りだしてたよ。クラッシックなんて聞きもしないけど、バイオリンとビオラとバスか? その日ね、俺についた子は違った音だった。どんな音だったと思う?」


 未華子はそっぽを向いている。


「〝ズンッ〟だって。とても鈍い音だったな。楽器にたとえられなかったよ。慢性便秘症なのかもな」

「そんなことで喜んでるんだ、善くんは……」

「おい、俺は発案者だぞっ、偶然にも、こんな企画モノは誰も考えつかないよ。各省庁のお役人が、この店に一度でも来たとしたら、次の日には職場で大変だ。こっそりと来たその役人がさ、『ノーパン喫茶よりいい店見つけましたけど……。今度、一緒に現地調査へ行きませんか? 課長っ』そう言うと、『そうか、そうかぁ……。で、吉川君、そこの店だけど、予約はできないのか? できれば個室がいいんだがな……』なんて、ヒソヒソ話してんじゃないか」

「お役人って、スケベな人が多いの?」

「向かいのサトシ君と違って、頭の良い人たちばっかりだからな。職場では、毎日企画書とかの書類を作成してるわけだろ? だからさー、こっちの企画モノにも一応触れておこっか、なんて思っちゃうんじゃないの。ストレス解消、大目に見てやれよ。真面目そうな奴ほどスケベだって言うだろ? 仕事が終わって家に帰れば、尊敬されるパパであり理解のある夫でなきゃいけないんだ。それを一生通さないといけないわけよ。バレたら大変。苦しいんだよおー、本人たちも……。今度の国会中継見てみな、大臣たちの後ろでコソコソしてるの、あれ全員ドスケベ。企画力ある者イコールドスケベってこと。これは間違いないんじゃないか? しかしね、ドスケベ自体は悪いことじゃないんだ。ドスケベって言われて、怒る奴が一番質の悪いドスケベ野郎なんだよ。人が見ていないところで何してるか分からない。仕事も誤魔化しながらやってるタイプだよ。上司のご機嫌を取りながらね」

「善くんの妄想も多分に含まれていそうだけど、真実味は感じるね。企画力、調査を兼ねてねぇ……税金を使ってそう」

「遠からず、かもな。自分の懐からは出さないよ、多分。それとね、」続きを話そうとしたら、彼女が、

「もうマリモの続きはいらないから!」と遮った。語尾を強めたので嫌がっているのだろう。それでも、善幸はこの話の完結を目指した。まだこの話は三合目だったのだ。

 取り敢えず、最初は機嫌直しに、

「おまえって、バニー系似合いそうだけど。面接で合格するんじゃない?」

「やらせたいの? お金が無くてもやるつもりなんかないから!」

「そうだよな。でも、あの店長だったら食い下がるんじゃないか、時給は他の女の子の倍出すからなんてさ」

 ここまで言われりゃ、悪い気はしないだろう。澄ました顔をして歩いてはいるが、何も言わないところを見ると、内心は嬉しいと思っているに違いなかった。

「それでさ、一週間後、またその店へ早い時間帯に行ってみたんだ。そしたら店の前で店長が呼び込みしてて……」

 未華子は下を向いて歩いている。善幸は、様子を見ながら話すことにした。

「俺を見るなり、『こないだはありがとう!』って肩叩かれたんだ。店長がニヤニヤしてんのよ、うーん、この前騒がせちゃったもんだから俺の顔を覚えてたんだね。でも、なんで俺にお礼を言ったのか不思議に思わない? 出入り禁止かなと思ってたのにさ」


 彼女の足の運びが速まった。


「俺、店に入るつもりはなかったんだけど、店長が階段を下ったところにいるボーイに『大切なお客様一名ご案内!』って大きな声を出したんだ。大切に扱われたんだぜ。俺、凄くない?」

「それで、気分よくして入ったってわけ?」

「まあいいじゃん。それでね、仕方なく階段を下りていったんだ。そしたらボーイがドアを開けた途端、店内からワイワイガヤガヤの騒音が聞こえてきて、その上からボーイのアナウンスがおっ被さってさ、うるさいのなんのって参ったね。この時間帯、空いてると思ってたから愕いたよ。既にお客さんが三分の二は埋まってたな」


「ここは、コヒーショップ、あそこは中華かあ……」未華子が呟いている。キョロキョロ辺りの店を覗くようにして見ていた。

 

「それで、ひとり、ボックスに座って周りを見回してたらさ、バランスが悪いんだよ。この前とは違ってたんだ」

 不思議と、未華子はこれに反応した。

「バランスが悪いって何が?」

 興味が湧かない話でもしっかりと聞いているようだ。彼女のこの問い掛けが話の堰を切った。

「マリモだよ、マ、リ、モ」と言うと、彼女は不快な顔つきになった。しかし、善幸はお構いなく話していく。

「マリモの大きさがさ、ふた回りデカくなってて毛の生えた丸いクッションのようなものに変わってたんだ。それがカッコ悪いのよ、天井で点滅している五色のスポットライトとミラーボールの所為で、白いマリモが鮮やかな肌色に変化する時があってさ、離れたところから見ると、尻がポッカリと破けてるように見えるんだ。まあ、それはそれで偶然のエロさが効いてて良い演出になってはいるんだけど、ただ大きさが不自然なんだよねー、『これ、掴んで下さい』って催促してるようで。店長は、お客さんに対して分かり易い楽しみ方を考えたんだろうけど、楽しいのは最初だけで次第に白けてきちゃうと思ったね。どうして大きさを変えたのかを、店を出るときに店長に訊いてみたらさ、高齢者のためだって言ってた。女の子が腰を振るとなかなか掴みづらいんだって」


「お年寄りも来るんだあ……」と、未華子は不思議がっていた。


「大概お年寄りは帽子を被って来るんだよ。わかり易いやね。俺が行ったときも、五、六人はいたかな。この高齢者の人数、無視はできないと思ったんじゃないの? そんでさ、店長は家に帰って実験したんだって。研究熱心っていうか、まあ責任者だからねえ~」

「実験? どんな?」

 未華子が話に喰いついて来た。

「マリモを持ち帰ってかみさんに付けさせたらしい。そして、八十近い自分の父親の顔の前で尻を振らせたんだって。ところがね、かみさんが年寄り相手にムキになっちゃってさ、掴まれたら負けだと思ったのか、高速で尻を振りはじめたらしいんだ」

「お年寄り相手に真剣勝負? で、お爺さん掴めたの?」

「三分間やったけどダメだったって。かみさんは勝負に勝って大喜びしてたってさ。お爺さんはね、若い頃剣道をやってたらしいんだ。もし、かみさんの尻に紙風船を付けさせて、丸めた新聞紙を持たせたら勝てたんじゃないかって、店長が言ってた」

「奥さんがそんなに大喜びしたら、お爺さんの気分を害したんじゃない?」

「入れ歯をガタガタさせている爺さんの顔が目に浮かぶだろ? 嫁と舅との間に確執があるのかもよ? 車椅子生活をしているらしいから、現状では体力的、立場的にいっても嫁の方が上だ。虐め放題ってか? 店長の嫁はん、見えないところで、爺さんをぶん殴っていそうだな」

「かわいそう……。痣は〝どうらん〟で隠せるからね。でも、酷い嫁だね」彼女は、この話を鵜呑みにして聞いている。


「決着が付いた後、爺さんね、気分が悪くなって寝込んでしまったらしい。マリモの残像の所為だと思うけど」

「お爺さん、目が回ってしまったんだね。一度くらい勝たせてあげればよかったのに……」

 彼女とは笑いのツボが違うようだ。


「ねえ、善くん、お店見つけてくれてる?」

 彼女は、なかなか気に入った店が見つからないようだ。

「おまえが入りたいと思う店でいいって」

 未華子の歩くスピードが速まった。

                             ―つづく―


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ