9話 滅天教団の企みと、義兄と伯父一家の狩猟
滅天教団はいずれ大魔王ヴェルシェヴェルガーが復活し、この不完全な世界を滅ぼし、全ての人々は次に創られる完全な世界へ生まれ変わる事が出来ると説いている。
そして、信徒達には大魔王復活のためにと教団を裏切る事以外のあらゆる悪事を行う事を推奨している。
盗み、詐欺、脅迫、強盗、殺人、あらゆる犯罪と禁忌が滅天教団では肯定される。
そのため、末端の信徒は滅天教団を利用しているただの犯罪者や、退廃的な快楽を肯定したいだけの不埒な輩、社会に恨みを持つ者達で構成されている。
しかし、そうした末端の信者は滅天教の本拠地に招かれる事はない。彼らが滅天教を利用しているように、滅天教の上層部にとっても彼らは利用できる駒に過ぎないからだ。
本拠地に招かれるのは、本気で世界を自分ごと滅ぼしたいと考えている狂信者か、そのために必要不可欠だと教祖が判断した人材のみだ。
そのため、滅天教の本拠地は常に狂人が集まっている。
「何時、そして何度聞いてもザギラ様のお言葉は胸に染みる。許される事なら、その首を刎ねて持ち帰り、常にお声を聞いていたいぐらいです」
感動のあまり涙を流しているらしい、仮面を被った人物。体の線が分からないだぼついた服を着ており、声も中世的で性別を推測する事が出来ない。
「ああ、やっと終わりましたか。教団設立以来何度同じ儀式を繰り返せば気が済むのやら……これだから死に損ないの糞爺は」
対して仮面の人物の隣に腰かけている男は、仮面の人物とは対照的に外見は常識人に見えた。黒い髪を整え、片眼鏡をして、皴一つないパリッとしたスーツを着こなしている。三十代前後の頭の固い執事か官吏のようだ。
その割に教祖であるザギラに平然と汚い言葉を吐いているが。
「ちょっとディジャデス!? あなた、教祖様に対してなんて事をおっしゃるの!? その首を刎ねて二度と不遜な口がきけないようにしてあげましょうか!?」
「フィンゴラ、あなたも事あるごとに首を刎ねる首を刎ねると、ムシケラのように鬱陶しいですよ。報告書を仕上げる前にぶっ潰してやろうか?」
仮面の人物がフィンゴラ。外見は常識人っぽい男がディジャデス。それぞれ滅天教団四天王に任命され、『黄昏道化』、『殺謀執事』の二つ名で恐れられている。
この二人はもちろん、この場に集った数十人の幹部達の誰一人として正気を保ってはいないし、信仰心を持ち合わせていない者さえいる。
だが、それで問題ない。ザギラが彼らを評価し幹部やそれ以上の地位を与える指針は、全ての生命を殺しつくし世界を滅ぼしてマナに還すためにどれくらい役に立つか、どれほどの実績を積んだのか。その二つだ。
「二人とも、止めよ」
フィンゴラとディジャデスが本格的な殺し合いを始めようとしたその時、ザギラが声を出した。
「同士討ちにはまだ早い。全ての生命を殺し尽くした後にしろ」
「はい、ザギラ様!」
「……クソが」
滅天教団の目的は、世界の滅亡。それにはもちろん信徒や四天王、そして教祖自身も含まれている。例外はない。
信徒の中には「自分だけは生き残ってやる」と考えている者や、実は特定の相手に復讐する事が目的でそのために教団を利用しているだけの者もいる。
しかし、それでもザギラは頓着しない。そうした者達が用済みになって邪魔になったら、自分が殺してマナに還してやればいいだけだからだ。
「計画はどうなっておる?」
「ことごとく失敗いたしましたぁ!」
そんなザギラも、間髪入れずに手をあげてそう答えたフィンゴラには息を飲んだ。
「各国の優秀な冒険者や高い志を持つ青年貴族、清い心を持つ神官、エルフの精霊使いやドワーフの戦士の手によって陰謀は未然に防がれております!
唯一成功したのは、『救災禍炎』に乱入された数年前の冒険者殺しです」
さらに報告を続けるフィンゴラに、ザギラは皴に埋もれかけた目を見開いて叫んだ。
「素晴らしい働きだ、フィンゴラ! その調子で励むのだぞ」
「はは~っ! 身に余る光栄でございます! 次は人間に対して友好的なケンタウロスの部族と地元領主を仲たがいさせる陰謀を企てる予定です!」
「そうかそうか、それは良い。手が足りなければ適当な司祭か『救災禍炎』に手伝わせるといいだろう。
『迅雷亡堕』は企みに向かぬからな」
「『救災禍炎』のクソガキも企みには向かないと思いますがね」
「ディジャデス、そう言うお前はどうなのだ?」
上機嫌でフィンゴラを労うザギラに口を挟んだディジャデスは、自分が問われると片眼鏡の位置を治しながら答えた。
「上手く行っておりません。候補として目をつけていたゼダン公爵領の山賊や奴隷商人が、声をかける前に摘発されてしまいました」
「むぅ。そうか」
フィンゴラの時は喝采したザギラだったが、何故かディジャデスの報告に対しては苦い顔をした。フィンゴラも、肩を震わせ笑い声が漏れるのを抑えている。
フィンゴラは失敗した事を賞賛されるのに対して、ディジャデスの失敗には渋い顔をされる。同じ四天王でも役割が異なるようだが、彼等にとって今更語る事でもないのか誰も説明しない。
「クソ人間共のせいで、苗床になる奴隷を提供して魔物の繁殖を促し、大規模な群れと強力なキングを創り出す計画にも支障が出ています。ゼダン公爵領にゴブリンアークキングを出現させて現地の人間共を滅ぼし、メルズール王国とドリガ帝国の間に巨大な魔物の生息地を作る壮大な計画だったのですが……」
そして滅天教団もまた、原作改変の影響を受けていた。原作ではリヒト達が事件の裏で糸を引いていた彼らの存在を強く敵として意識すると同時に、滅天教団側もリヒト達の存在を強く認識したのだが――。
「報告は以上です」
しかしディジャデスは関わっていないリヒトだけではなく、山賊や奴隷商人を摘発して計画を邪魔した張本人であるカイルザインの名前も報告しなかった。
何故なら山賊団が討伐されるのは珍しい事ではないからだ。それに比べれば奴隷商人が摘発される件数は少ないが、注目するほどではない。
ゼダン公爵家の後継者争いが今年始まったので、功績をあげようと躍起になった公爵家の子弟がたまたま山賊団に目をつけ、奴隷商人にまで捜査の手を伸ばしたのだとディジャデスは考えていた。
その貴族の子弟、カイルザインの年齢から考えれば大人顔負けの活躍であるが、まだ彼が脅威として認識する程ではなかった。
計画通り山賊団と奴隷商人が大規模な犯罪組織に成長してから潰されたのだったら、ディジャデスの意見も変わっただろうけれど。
「しかし、ゼダン公爵領で発見した地下空洞は他で見ない程魔物の育成に適した環境なので、手放すのは惜しい。ゴブリンアークキングは創り出せないでしょうが、計画は続けようと思います。
また、念のために目をつけておいた他の候補地での魔物の養殖を始めたいのですが?」
「いいだろう、好きにするがいい。しかし……そうなると、メルズール王国が平和な期間が長くなりすぎる。どうにかならんか?」
世界滅亡は一日してならず。不完全とはいえフォルトナの親であるマナが創り出したこの世界は、日頃からコツコツと悲劇の種を撒き続けなければ、滅ぼす事は出来ない。
「では、私が王都に出向き視界に入った老若男女の首を無差別に刈り取ってまいりましょう!」
「脳ミソが腐っているのか? 王都にどれだけ強者がいると思っている。我々も無敵ではない事を忘れるな」
滅天四天王は教団の幹部である『司祭』や『高司祭』の中から、実力と実績が高い物を上から四人選出して決まる。そして、欠員が出れば新たに補充される。
フィンゴラもディジャデスも前任者が討伐された後、ザギラに選ばれ四天王に任命されたに過ぎない。彼らは強力だが無敵でも不死身でもない。
「では、ちまちまと暗殺者の真似事をしろとでも!?」
「このようにフィンゴラには向かない仕事なので、この私にお任せください。少ない労力で、メルズール王国のゴミクズより価値の無い平和をかき乱してご覧に入れましょう」
ヒステリックに叫ぶフィンゴラに対して、ディジャデスは慇懃な態度でザギラにそう提案する。彼はしばらく考え込んだ後、厳かに告げた。
「ではディジャデスよ、お前に任せよう。全ては、完全な世界のために」
「ありがたき幸せ。全ては、ムシケラ共を皆殺しにするために」
「くぅぅっ! 悔しいっ! でも全ては、世界を滅ぼすためにィ!」
王城でのパーティーから半月程が過ぎ、残暑の気配も消えた頃。カイルザインの姿はビスバ侯爵家の別邸にあった。
「カイルザイン、よく来てくれた。ギルデバランも」
「お招きありがとうございます、伯父上」
「お久しぶりです、リジェル様」
伯父のリジェルに泊りがけのパーティーに招かれた彼は、昼の狩猟から参加するために護衛兼お目付け役としてギルデバランとゾルパを連れて出席していた。
「やはりヴィレムは来なかったか。それに……なんと言うか、お茶会の件はすまなかったね」
甥っ子と握手を交わしながら、リジェルはすまなそうな顔をした。ガルトリット辺境伯家の別邸で開かれるお茶会とスケジュールが被ってしまったからだ。
「いえ、お気になさらず。……もとより、私は招待されておりませんので」
しかし、カイルザインは前日までお茶会が開かれること自体知らなかった。彼が魔道士ギルドに通い詰めていたとしても、招待状を送る事も出来たはずなのにガルトリット辺境伯家からは何も無かったのだ。
使用人達の噂話によると、リヒトはフィルローザから直接招待されたというのに。
カイルザインの顔に影が差したのを見て、リジェルは慌てて話題を逸らした。
「そ、そうか。まあ、楽しんで行ってくれ。特に、君の弓の腕には期待しているよ」
「お任せください。大物を仕留めて見せましょう」
「それは頼もしいな。では、私は他のゲストに挨拶があるので、また後で話そう」
そして使用人に案内された部屋で一行は手早く支度を済ませ、庭に出た。
「すっかり騎士団の流儀が身に染みてしまわれましたな。着替えを手伝いに来た使用人が驚いておりましたぞ」
「それは、以前の俺がどうかしていたのだ」
カイルザインが自力で支度を済ませた事を指して言うギルデバランに、カイルザインはそう返した。
「ゼノン公爵家の長子たる俺が、使用人の手を借りなければ身支度も整えられないのは問題だ。戦場にメイドは連れて行けないからな。
お前の隊との演習は、実戦以外でも学ぶことが多かった」
「では、今日はビスバ侯爵様から処世術を学び取らねばなりませんな。ククク、様々な方々が集まっておいでですぞ」
ゾルパが視線で指した方には、カイルザイン達に続いて支度を終えた貴族やその従者達が別邸から庭に出るところだった。
主な招待客は半月前に王城で開かれたパーティーでも見かけた、貴族派の重鎮達だ。しかし、彼等のカイルザインに対する態度は以前よりもよそよそしいものだった。
「彼らの支持と関心を取り戻せと言う事か。伯父上には俺が何歳に見えているのだ? まだ十三歳の小僧に厳しすぎる」
それはカイルザインの立場が去年までと今年では異なるからだ。去年までは、ゼダン公爵家の後継者候補は彼とタレイルだけだった。だから、ほぼ確実に後継者になるだろう彼に対して貴族達は愛想良く対応し、友好関係を結ぼうとしていた。
しかし、今年は後継者争いが正式に始まると同時に、養子だったはずのリヒトが候補者に加わった。そのため、他の貴族達はこれまで同様カイルザインとの友好関係を築くか、リヒトに鞍替えするべきか、それとも一旦ゼダン公爵家と離れて様子を見るべきか、考慮しているのだろう。
「リジェル様も今日だけで支持を取り戻せるとまでは考えていないでしょう。まだ社交シーズンは序盤です。粘り強く参りましょう。
狩りならお任せください。良いポイントを知っております」
元々はビスバ侯爵家の令嬢だったカイルザインの母、ローゼリアに仕える侍女の息子であるギルデバランにとって、ここは実家に等しい。侯爵家の狩猟場にも詳しかった。
そしてそれぞれ馬に乗って狩猟を始めた。ただ、リジェルも含めて獲物を狙う事だけに集中している貴族はほぼいない。従者や護衛と共に狩猟場を馬で進みながら、他の貴族と情報交換や世間話に興じるのが貴族の狩猟だ。
「その歳でもう騎士の演習に参加するとは頼もしい。君の活躍を聞いた儂の娘が君にぜひ会ってみたいと言い出して聞かなくてね。どうだろう、会ってくれないかね? できれば二人きりで」
「光栄ですが、私は未熟な若輩者です。ヘメカリス子爵、順序を踏まなければ両家のためになりません」
「いや、確かに、流石はリジェル殿の甥御だ、しっかりしている。そうだな、物事には順序があるな」
ハハハハと笑って誤魔化そうとしているヘメカリス子爵。その汗が浮いた広い額に映る自分の顔が引きつってはいないかと、カイルザインは心配になった。
(こいつは、本気で俺に娘を売り込もうとしているのか、俺から距離を取るよう故意に問題がある貴族を装っているのか、どちらだ?)
公爵や侯爵等の上級貴族の跡継ぎなら、十代前半で複数の婚約者がいる事もそう珍しい事ではない。しかし、カイルザインの場合は跡継ぎになるか不確かであるため、常識的な貴族なら娘との婚約を簡単に進める事は出来ない。
カイルザインがもし公爵家の跡継ぎになれなければ、子爵家の娘の場合五女六女といった生まれた順の遅い娘か庶子でもなければ釣り合わなくなるからだ。
少なくとも、カイルザインは顔も名前も記憶にないヘメカリス子爵の娘の将来に責任を負うつもりはない。
「しかし、時には大胆に動く事も――」
なおも言い募るヘメカリス子爵だったが、カイルザインはその言葉を遮るように弓に矢をつがえると、一気に弦を引き絞って空に向かって放つ。
すると、数秒後には射殺された鳥が落ちて来た。
「お、お見事」
「恐縮です。しかし、伯父上に大物を狩ってみせると見栄を切ってしまったので、鳥一羽では格好がつきません。もう少し獲物を探してみようと思います」
貴族の狩猟では獲物を追い立て貴族の前に誘い出す役目の使用人もいるが、カイルザインはそれを待たずに獲物を狩っていた。
「それはそれは。私もそろそろ獲物の一つも仕留めに行くとしましょう。では、失礼」
その弓の腕を目にしたヘメカリス子爵は、怯んだ様子で話を打ち切ると彼等から離れていった。
「……助かったぞ、ゾルパ」
しかし、仕込みが無いわけではなかった。
「いえいえ、子爵様相手に口を挟めない平民出身の私に出せる助け舟はこれくらいですので」
ヘメカリス子爵との会話の間、ずっと黙って何もしなかったはずのゾルパが小声でそう答えた。
実は都合良く通りがかったあの鳥は、ゾルパが前もって魔法で捕まえ、操っていた獲物だった。子爵がしつこく食い下がったので、話を終わらせるきっかけにするために彼がタイミングを見てカイルザインの上空を飛ばせたのである。
「しかし、達成感に欠けるな」
「いえ、カイルザイン様はよくやられている。大人相手に経験を積ませようとするリジェル様の教え方が厳しいので、そうとは思えないかもしれませんが」
鳥の血抜きを魔法で手早く終えたギルデバランが、カイルザインが零した愚痴にそう応えた。
「今回はカイルザイン様の弓の腕を見せ、『侮りがたし』と思わせる事が出来ればそれで十分かと」
「そうではなくてだな、演習の時のように自分で狩った獲物でなければ達成感に欠けると言ったのだ」
「そちらでしたか。獲物を放っているのはゾルパでも、それを射殺しているのはカイルザイン様の弓なのですから、納得してください。貴族の狩猟はそういうものです」
「ヒッヒッヒ、いい気分転換になっているようで安心しましたぞ。ここしばらく煮詰まっておりましたからな」
気分転換と言われたカイルザインはふと、周囲を見回した。まだ緑の残る茂みや草、色づく森の木、そして何より鮮やかな空が視界に映える。
「確かに、気分転換は必要だったな。十日以上魔道士ギルドに通い詰めても時間や空間、闇魔法の奥義どころか、やっと魔法を一つ編み出しただけ。あのまま通い続けても、成果は出せなかっただろう」
書庫で文献を読み漁ったカイルザインだったが、そこに記されている内容は彼にとって理解し難い物ばかりだった。
暗号めいた記方はゾルパの助けもあってすべて解読したし、文の解釈も間違っていないはずだ。ただ単純に、書かれている事の意味が分からなかったのだ。
(物理的に存在せず、何のエネルギーも無いはずの闇を何故刃や盾に出来る? 闇魔法には記憶や感情を操る魔法もあるが、それが関係するのか? しかし記憶も感情も頭の中での話だぞ!? それとも呪か!? 『影縫い』のように呪詛としての側面からアプローチするべきなのか!?)
既にいくつか魔法を習得済みの闇に関する文献でも、カイルザインの理解力を越えた内容が記されていた。
(それに闇魔法と空間魔法には密接な関係があるだと!? 闇と空間に何の関係がある!? いや、そもそも空間とはなんだ!? 空間を歪めて爆破!? 固定!? 限定的な世界創造!? あるはずの無い部屋!?
さっぱり分からん!)
今思い出しても、理解できない。闇と空間に関する文献でもこの有様だったが、時間魔法に関する文献に記されていた内容は、いっそ「まだ暗号が解けていないようです」と言われた方がまだ納得できるものだった。
「カイルザイン様、よほど簡単なものでない限り通常十日程度で魔法を習得する事は不可能なのだが……」
「まあ、カイルザイン様ですからな。文献の内容に関しては、今は「理解できなくても書かれている内容は読んで頭の中に記憶されたのですから、これから時間をかけて紐解けばよろしい」
文献の内容は難解だったが、それを紐解けば必ず魔法として使えるようになる。今理解できなくても試み続ければ一カ月後、半年後、一年後、必ず理解できるようになるだろう。
少しでも早くリヒトが使えない魔法を習得するという目的を達成したとは言い難いが、一つだけでも習得したのなら部分的に成功したとも言える。
「なので、カイルザイン様はそれよりもっと大きな問題を抱えておいでなのです」
「何? それはいったい……カイルザイン様、ラザロ様です」
ゾルパを問いただそうとするギルデバランだったが、視界の隅にこちらに向かってくる馬と従者の一団を目にしてそれを中断した。
「ここにいたのか、カイル。狩りは順調なようだな」
馬に乗っていたのは、青い髪のリジェルによく似たカイルザインより二つから三つほど年上の少年だった。
「ええ、ラザロ兄上はどうです?」
青髪の少年はラザロ・ビスバ。リジェルの長子で、カイルザインにとって従妹に当たるビスバ侯爵家の跡取りだ。
「私の方は野兎が一羽だけさ。
それより聞いたぞ、カイル。君の義弟は今日、ガルトリット辺境伯家主催のお茶会に出席しているそうじゃないか」
「……それについては、いくつか相談に乗っていただきたい事があります」
そして、カイルザインの恋愛アドバイザーだ。
去年顔合わせでフィルローザに一目ぼれしたカイルザインは、彼女の気を惹くにはどうするべきか必死に考えた。だが、自力では答えが出なかった。日頃から頼りにしているギルデバランやゾルパに相談しても、王侯貴族と平民では恋愛観に大きな違いがあるため、要領を得ない。
当時のカイルザインの身近にいる人物で最も相談相手に適していたのはタレイルだったが、プライドの高いカイルザインは弟、それも一応フィルローザを取り合うライバルでもある彼に弱みを見せる事が出来なかった。
そこでカイルザインが頼ったのが年上で第二夫人まで婚約者が決まっており、社交的な従兄のラザロだった。
彼なら王都の最先端の流行にも明るく、カイルザインとフィルローザの不安定な立場も理解していると考えたからだ。
「なるほど……噂で聞いていた以上にフィルローザ嬢は君の義弟が気に入ったようだな。まあ、気にする事は無い。年下の少年を可愛く感じているだけだろう」
「そうでしょうか?」
「そうだとも。子犬や子猫と同じさ。時間が経てば、あの年頃の令嬢は年下の子供なんて相手にしなくなる。貴族の令嬢が瞳を潤ませて見つめるのは、自分より年上で大人の男子さ」
ちなみに、フィルローザにペンを贈るようカイルザインに勧めたのも、贈る手紙の文面に着いて流行りの常套句を教えたのもラザロである。
「でも、自分が招待もされていないお茶会に義弟が出席しているのを気にするなと言うも無理か。じゃあ、食事用のナイフを彼女に贈ってはどうだろう?」
「食事用のナイフを、ですか? それはもしや、貴族の令息が婚約者に短剣を贈る事と何か関係が?」
「ああ、それを真似たお遊びさ。今年の夏頃から王都で流行り始めていてね。これなら婚約者候補以上に仲を進められない君達でも問題ないだろう」
もちろん、ラザロもフィルローザに着いて詳しくは知らない。既に婚約者がいるラザロが、従兄弟達の婚約者候補の令嬢と必要以上に接触するのは外聞が悪いからだ。
だから、彼のアドバイスはフィルローザではなく、王都にいる貴族の令嬢の関心を得るためのもので、それなら妥当な内容だった。
フィルローザが他の令嬢達と比べて強いコンプレックスを抱えており、生まれつきメルズール王国で「美少女」とされる特徴が揃っていたために外見を褒められるのに慣れきっている事をラザロが知っていたら、アドバイスの内容を変えていただろう。
「確かに、食事用のナイフなら……ありがとうございます。屋敷に戻ったら早速商人を呼んで贈るナイフを選ぶ事にします」
「力に成れてよかったよ。まあ、父上としてはカイルにはもっとルルリシアと仲良くなって欲しいだろうけど」
「ルルリシアは……好かれるのは嬉しいのですが……」
ラザロが名前を出した彼の末の妹を思い浮かべて、カイルザインは言葉を濁した。二歳年下の美少女に一目ぼれしたカイルザインだったが、七歳年下の従妹は妹のような存在としか思えなかった。
その時、笛と太鼓の音が響く。主猟場を管理している狩猟番が、獲物を誘き出したのだ。
「おっと、こっちに来るようだな。カイル、どちらが仕留めるか勝負と行こう」
「兄上相手でも負けませんよ」
互いに矢を弓に番える二人の前方に、茂みからイノシシが飛び出て来た。今日初めて目にする大物の出現に、カイルザインの口角が上がる。
「ブギィィィ!」
二人目掛けて駆け出すイノシシ。カイルザインとラザロは同時に矢を放った。
「ブギッ!?」
ラザロの矢がイノシシの額を貫く。彼がやったと歓声をあげようとした時、イノシシが現れた茂みからさらなる獣が現れた。
「グオオオオオオオ!」
赤錆色の肌をした筋肉に覆われた二メートル強の巨体を持つ魔物、オーガーだ。
「グオギャ!?」
だが、そのオーガーの鳩尾にカイルザインが放った矢が貫き、地面に倒れた。
「流石は兄上。ですが、獲物の大きさは私の方が上ですね」
「な、なんでオーガーが? カイル、もしかして見えていたのか?」
「いいえ。矢を放つ直前に、殺気と魔物の気配が茂みの奥からしたので、とっさに狙いをずらしました。急所に当たったのは偶然です」
倒れ伏したまま動かないオーガーを、唖然とした様子で見つめるラザロ。彼に受け答えしながら、カイルザインは念のためにゾルパへ視線を送る。まさか彼がカイルザインに手柄を建てさせるため、闇魔法でオーガーを誘導したのではないかと思ったのだ。
だが、その意図が伝わったのだろう、ゾルパは首を横に振った。
「いったい何故オーガーが狩猟場に? 群れから逸れた個体が迷い込んだのか? それともダンジョンでも出現したのか?」
オーガーはポピュラーな魔物だが、管理された狩猟場で隠れ潜み続けられる存在ではない。狂暴で知能が低く、自身の痕跡を消すという発想が無い。もし狩猟場に迷い込んでも、数日中に使用人が気づくか襲われるかして存在が判明していなければおかしい。
ここが狩猟場の端なら迷い込んだ直後のオーガーと遭遇したとも考えられるが、そうではない。
「ラザロ様、恐れながらリジェル様にこの件を報告し、他の貴族の方々や使用人を避難させるべきかと」
「っ! そ、そうだな。その通りだ。おい、お前達!」
ギルデバランに進言されたラザロは我に返ると、慌てた様子で引き連れていた使用人と護衛に指示を出す。
たしなみとして剣や魔法を習い、それぞれ護衛を引き連れている貴族達だが、狩猟の対象に魔物は含まれていない。特にオーガーのような危険な魔物が出没したとなれば、それが退治された後でも今日の狩猟はこれでお開きだろう。
しかし、庭番達が非常事態を告げる笛が風に乗って響いて来た。続いて、猛獣のような咆哮と悲鳴も。
「どうやら、魔物はオーガー一匹ではなかったようですな」
「そんなっ!? どうすればいい!? 衛兵の詰め所も冒険者ギルドもここから遠いのに!?」
「ゾルパ、分かるか?」
「お任せを」
ゾルパは獲物と誤認されるのを防ぐために手元に置いておいた使い魔の鳥を空に放つと、周囲の状況をざっと探る。
「ラザロ様はリジェル様と合流してください。ここから西に馬を走らせれば直ぐに見つかるはずです。
我々は急いで別邸に戻るべきかと」
使い魔の目を通して状況を見たゾルパの進言は、主であるカイルザインの安全を優先し、いち早く安全な場所に避難させようとしているように聞こえた。
「別邸にか? 何故だ?」
「オーガーの群れに襲撃を受けております。急いで救援に向かわなければ、全滅の危険もあるかと」
しかし、実際には別邸の方が危険地帯だった。
「そ、そんなっ!? 別邸には母上やアリエッテ達が、ルルシアもいるのに!」
「では、速やかに救援に参りましょう。行くぞっ!」
カイルザインは親しい親戚達を助けなければという使命感と……それを上回る戦闘に対する高揚感に口角を上げて馬を走らせた。
しかし彼等はこの時気がついていなかった。魔物が出現しているのはビスバ侯爵家の別邸と狩猟場だけではなかった事を。