7話 義兄の初魔法講座と転生勇者に課された試練
メルズール王国には現在、国王派と貴族派の二つの派閥がある。
国王派は文字通り、現国王を頂点とした派閥でヴィレム・ゼダン公爵やガルトリット辺境伯がこの派閥に属している。ビスバ侯爵家も、前当主まではこの派閥の主だった貴族の一人だった。
対して貴族派は、複数の侯爵達を支持する貴族達で構成されている。目的は国王の権力を適度に抑え、自分達の利益を拡大する事だ。
リジェル・ビスバ侯爵が貴族派に鞍替えしたのは、複数の政治的な要因があった。端的に説明するなら、国王派に留まっても割を食うだけで利益にならないと判断し、貴族派に着いたという事になる。
とはいえ、今の派閥構造は五年以内に終わるだろうとリジェルは考えていた。
何故なら、メルズール王家の後継者が決まる時期が迫っているからだ。
メルズール王家の後継者は、実力主義のゼダン公爵家と違い基本は定められた王位継承権の順で決められる。しかし、その基本が守られるとは限らないのが政治の難しいところだ。
王子達の人格や能力、健康状態、貴族達から支持や国民達からの人気等が考慮され、王位継承順位が一位の王子が継承権を放棄し、二位以下の王子が即位した例は王国の歴史では何度もある。
(病弱な第二王子のナザニエル殿下が予想通り王位継承権を放棄されるとして、アレクセイ第一王子派、ドニルーク第三王子派、そしてそれ以外の派閥に分かれる事になるだろう。
王国に、そして我がビスバ侯爵家にとって望ましい未来を手にするためにも、上手く立ち回らなければならない)
貴族には国王から任せられた領地を治める者達以外に、領地を持たず王国政府で政治を司る法衣貴族の二種類が存在し、ビスバ侯爵家は後者だ。そのため、リジェルは領地や領民の事を気にせず政治だけに集中する事が出来る。
「しかし、呼びつけてすまなかったね。フィルローザ嬢と過ごす時間を邪魔するつもりはなかったのだが……」
今日、甥であるカイルザインを呼んだのも政治の一環だった。本当は父のヴィレムも呼んだのだが、彼は来なかった。そして、同じ国王派のガルトリット辺境伯と談笑している。
つまり、リジェルに対して「お前とは距離を置く」と暗に言っているのだ。
(まあ、それは良いだろう。むしろ、ゼダン公爵家が貴族派に着くような事になったら、派閥のバランスが崩れる。国が本格的に割れかねない。……それに、見たくもない顔をこれ以上視界に入れなくて済む)
リジェルもメルズール王国で内紛やクーデターが起きるような事は望んでいなかった。ビスバ侯爵家の権力も、王国あってのものだからだ。
同時に、リジェルは個人的にヴィレムの事を心底嫌っていた。
「いえ、伯父上を待たせるような事をすれば亡き母上も悲しむでしょう」
リジェルがカイルザインを呼んだのは、いざという時彼を自分の味方に引き入れるためだ。
ヴィレムが彼を疎んでいる事は、だいぶ前から気がついていた。そして、養子に引き取った今は亡き兄の忘れ形見の少年をタレイルと同じくらい大切にしている事も。
もしカイルザインがその少年であるリヒトに打ち勝って公爵家の家督を継いだのなら、リジェルは彼と同じ王子を支持する。そうすればビスバ侯爵家はその派閥の頂点に限りなく近いポジションを得る事が出来る。
逆に、カイルザインが後継者争いに敗れたとしたら、彼を養子に迎える。十三歳にして精鋭で知られるゼダン公爵家騎士団と肩を並べる実力に、光以外の魔法に高い才能を持ち、王家の血筋も流れる彼が自分の手元に来れば、ビスバ侯爵家の栄達は間違いない。
「ありがとう、カイル。妹の面影をよく受け継いでいるお前の成長を直接見るのは、私にとって社交シーズン最大の楽しみだ」
そして、伯父として亡き妹の忘れ形見であるカイルザインを愛しているのも本心からだった。政治的な思惑と、彼を愛称で呼び慈しむ愛情は、リジェルの中では矛盾なく両立している。
(そう、カイルのここ最近の成長は目覚ましい。先ほどフィルローザ嬢を弁護したのもそうだ。あくまでもリヒト君の我儘のせいで彼女は悪くないと私に言っている。以前のカイルならできなかった事だ)
成長のきっかけは、やはりあの少年だろうと、リジェルは二曲目をフィルローザと踊っているリヒトへ視線を向けた。
リジェル自身はリヒトに対して、現時点では悪感情は抱いていなかった。彼は甥っ子のライバルではあるが、それ以前に子供だ。カイルザインの成長のきっかけになってくれた事、そしてグラフを発見してくれた事に感謝してもいいぐらいだ。
むしろ、リヒトの実父であるザリフトの方が憎らしい。しかし、死人をいくら憎んでも意味は無いので、彼はその憎しみの矛先をヴィレムに向ける。
「そうだ、今度郊外の別邸で泊りがけのパーティーを催すのだが、カイルも来ると良い。息子達も喜ぶだろう」
なお、リジェルも流石に将来養子にしたカイルザインをビスバ侯爵家の跡取りに、とまでは考えていない。カイルザインより年上の彼の長男はこのパーティーに出席していて、今は婚約者とダンスを楽しんでいる。
「ルルシアも君に会うのをカイル兄さまに会いたいと言ってきかなくてね」
カイルザインを養子にした後の想定としてリジェルが企んでいるのは、彼にとって従妹にあたる末の娘の婿にした後で戦功をあげさせ、新たに貴族として独立できるよう画策する事だ。
「私も従兄弟達と会いたく思います。是非参加させてください」
そしてカイルザインも、頼りになる親類としてこの伯父を慕っていた。
今から約四年前、ゼダン公爵家に引き取られ葛城理仁だった頃の記憶と知識を取り戻したリヒトに初めて魔法の授業を行ったのは、当時九歳のカイルザインだった。
「いいか、リヒト。この世界は全てマナ……魔力によってできている」
何故そうなったのかというと、ヴィレムがリヒトの魔法の家庭教師になる事を依頼した魔道士の到着が予定より遅れ、困っていた時にカイルザインが「ならば、俺が教えましょう」と手をあげたからだ。
当時ヴィレムの言いつけに従ってリヒトの良い義兄になろうとしていたカイルザインは、リヒトと打ち解ける良い機会だと考えたのだろう。
ゼダン公爵家には当時から彼の家庭教師だったゾルパを始めとした魔道士達がいたが、彼の事情を知っていたため遠慮した。
しかし、肝心のリヒトが何も知らなかった。そのため彼は何か目的でもあるのかとカイルザインを疑い、当初は警戒を緩めようとしなかった。
「お前が着ている服も、足元の地面も、呼吸している空気も、クランベが淹れた茶も、そして俺やお前自身も、その根源はマナだ。
ただ、何故そうなのかは座学の家庭教師が教える事だから、詳しくは語らん」
だが、そんなリヒトの態度を気にしていないようにカイルザインは授業を続けた。
授業を行っている場所は屋敷の敷地内にある屋外練習場で、先日リヒトの専属になった執事のクランベが花瓶に生けた花に薪を用意して控えている。
「そのマナを操作するのが魔法だが、魔法を習得するにあたって重要な要素が二つある。それは『属性』と『系統』だ」
そう言いながらカイルザインは腕を伸ばした。
「まずは属性。これは地、水、火、風の基本的な四属性。加えて闇、そして――」
カイルザインが言葉を進める度に、掌の上に指先程の大きさの小石、水の玉、火、何故か緑色の風、黒い球体が現れる。
「そして――マナよ、集まり照らせ――光だ」
そして最後に、淡く光る球体が出現する。
「それに属性に変化する前の純粋な魔力、純魔力。これが基本的な『属性』だ」
厳密に言えば、他に時間と空間の属性も存在する。エルナイトサーガで滅天教団四天王となったカイルザイン自身が使っていた。
しかし、この時のカイルザインは使えなかったため希少な魔物や神話や伝説の登場人物しか使えない属性について、これから魔法を学ぶリヒトに説明する必要を感じなかったのだろう。言及する事はなかった。
「すごいっ」
それを見てリヒトは息を飲んだ。カイルザインがして見せたのは、初歩的な魔法を属性の数だけ同時に使用したものだ。だが、前世の記憶が蘇ったばかりのリヒトにとってこの世界の魔法はどんなものでも驚きに満ちており、警戒している相手が唱えた魔法であっても感心せずにはいられなかった。
「あ、兄上、何故風が緑色なのですか? それに光の魔法を使う前にだけ呪文を唱えたのは何故ですか?」
そのため、つい好奇心に負けて質問をしてしまった。
「風はお前が見やすいように色を付けただけだ。光だけ呪文を唱えたのは、俺が光の属性が苦手だからだ。
授業を続けるぞ」
それまで黙り込んでいたリヒトが口を開いた事に、内心気を良くしたカイルザインは授業を進めた。
「次に『系統』。これは魔法を使う目的、用途の事だ。
対象を殺傷もしくは破壊するための攻撃魔法、逆に対象を癒し修復する回復魔法、戦闘ではなく日常生活の役に立つ生活魔法、存在しないものを見せる幻覚魔法、攻撃を防ぐ防御魔法、数えきれない程存在する」
今度はクランベが用意した花瓶に生けられた花を飛び出した小石が打ち、水の玉がその花を包んだと思うと元通りに修復し、火が薪に火をつけ、緑色の風が広がってリヒトから見える空を一面緑色に染めた。
そして闇は円形に広がると、小さな光にぶつかって同時に消滅する。
「だが、系統は属性と違い決まった形はない。巨大な火の玉を作る魔法は敵に放てば攻撃魔法だが、集めたゴミを燃やすのに使えば生活魔法と言い張る事も出来る。
そして魔法を学ぶ上で重要なのは、まず自分の得意不得意を知る事だ」
「得意不得意ですか?」
「そうだ。あらゆる存在に魔力は宿っている。だが、魔法が使える程多くの魔力を持つのはドラゴンや精霊、魔物を除けば人間……俺達人種、エルフ、ドワーフ、獣人等だ。
エルフは水と風、ドワーフは土と火と得意な属性が少数の例外を除けば種族的に決まっている。対して、俺達人種は決まっていない」
「だから自分が得意な属性を知って、その属性の魔法を学ぶのが良いという事ですね」
この頃になると、リヒトは魔法が楽しすぎてカイルザインを警戒するどころではなくなっていた。瞳を輝かせて彼の授業を楽しみ質問を重ねる。
「その通りだ。学ぶ系統については得意な属性を知った後、魔法で何をしたいのかを考えてから決めればいい。
ではまず、地面の土を操る魔法からやってみろ」
「何故土からなのですか?」
「それは土が最も習得が簡単で、そして魔力の消費を抑えられる属性だからだ」
そう言うと、カイルザインは魔法で地面を操作し、リヒトの胸辺りまで盛り上げて見せた。
「魔法を使えば無から新たに炎や水を創り出す事が出来るが、既に存在している物を魔法で操る方が簡単で、必要な魔力も少なくて済む。
そして土は、屋内や水上でなければ何処にでもある。さらに風と違い、見る事も触れる事も簡単だ。イメージしやすい」
そして自分で作った土の塊に向かって、魔法で放った小さな火の玉を打つ。しかし、火の玉は土の表面を焼いただけで消えてしまった。
「このように物理的に存在するので、攻撃にも防御にも使いやすい。土を塊にしてぶつければ攻撃になるし、壁にすれば矢も、そして今やって見せたようにだいたいの攻撃魔法も防げる」
「実用的ですね」
「そう言う事だ。
次に簡単なのは水と風だ。水は触れる事も見る事も出来るが、水辺の近くでもない限り纏まった量を調達できない。風……空気は水中や地中でもない限り何処にでもあるが、見る事が出来ず形が無いためイメージがしにくい」
カイルザインはそう言うと、今度は花を生けた花瓶から水を、その辺りの空気を操って小さなつむじ風を作って見せる。
そして水の玉とつむじ風を土の塊にぶつけるが、土の塊は崩れなかった。
「さらに、そのままでは攻撃や防御に使い難い。水は氷に、風は纏めて刃や壁にするような工夫が必要になる。
そして火は小さくても攻撃魔法として使えるが、存在する場所が限られる上に、操っても火元から動かすとすぐ消える。無から創造しなければ使い物にならない。基本の属性の中で最も難しく必要な魔力が多い」
「それに、防御魔法として使い辛いという事でしょうか?」
「そうだ。分かって来たな」
上機嫌でリヒトの質問に答えるカイルザインだったが、不意にクランベが咳払いをした。授業内容が攻撃魔法や防御魔法……実戦に関する事に偏り過ぎていると、釘を刺しているのだろう。
「フン。ともあれ、自分にとって得意な属性と苦手な属性を見極めろ。その属性によって用途にも向き不向きがある。
お前は俺ほどではないが魔力も多い。しかし、時間は有限だ。お前はこれから魔法だけではなく剣や弓、馬術、貴族としての教養も身に着けなければならないのだから、効率よく学べ」
「はいっ! それで質問ですが……どうすれば魔法が使えるようになるでしょうか?」
当時のリヒトはまだ魔法を使う事が出来なかった。魔法とは「体内の魔力を操作、制御して世界を一部作り変える技術」というエルナイトサーガの設定は知っているが、知っているだけで魔力を理解している訳ではなかったからだ。
「言葉で説明するのは難しいな」
そして魔力を扱う感覚はこの世界の住人にとっても説明し憎いものだった。特に、カイルザインのような天才にとって魔力を扱うのは、手足を動かすのと変わらない。当り前のこと過ぎて、すぐには言葉に出来ない。
「よし、手を出せ。手を握った状態で俺が魔法を使えば、感覚を伝えられるかもしれん」
「はいっ!」
リヒトはカイルザインに言われるままに手を差し出した。
あれから約三年。リヒトの魔法の腕は格段に上がった。
『ウォォォン!』
「マナよっ、輝く群れとなって我が敵を穿てっ! 『光の散弾』!」
王都の魔道士ギルドの演習場の一角。リヒトは大人と同じくらいの背丈のゴーレムが振り回す腕を掻い潜り、懐に潜り込んで攻撃魔法を唱えた。
『ウォォォォン!』
無数の光の散弾がゴーレムの胸部を打ったが、ゴーレムが装着している鉄板に弾かれてしまう。
「うわぁっ!?」
そのため、リヒトは再びゴーレムの腕を掻い潜って距離をとるしかなかった。
「ほれほれ、そんな事じゃ合格はやれないぞ~。もっと距離を詰めて、さっさとあたしが作ったゴーレムをぶっ壊せ」
その様子をクランベが淹れた紅茶を飲みながら監督しているのは、一見すると何処にでもいそうな女魔術師だ。
見習い魔道士が着ていそうな地味なローブを着て、髪も手入れしていないのか毛先があちこち跳ねている。やぼったい眼鏡をかけた顔からは、覇気はまったく感じられない。
先端がとがった長い耳を見なければ、彼女の事をエルフだと見抜く者はいないだろう。
「プルモリー師匠っ! 攻撃には使いませんから盾を装備してはダメですか!?」
彼女がリヒトの魔法の家庭教師、プルモリー・アグナス・カラトだった。見た目はまるで魔術師ギルドの事務員だが、これでもメルズール王国のギルドでトップクラスの魔道士である。
「ダメ」
「じゃあ、せめて魔力で身体強化をしてもいいですか!?」
「もちろんダ~メ。非武装で身体強化もせず、接近した状態で魔法だけでゴーレムを倒すのが試験だからね。合格しないと演習参加の許可は下りないぞ~。カイルザイン君には追い付けないぞ~」
グラフの発見という功績をあげたリヒトだったが、あれは両親が手に入れた古文書の内容を覚えていただけだと彼は主張していた。そのため大人達から見ると、彼が今後も何か発明や大発見をすると過度に期待する事は出来ない。
そこで彼の剣の師匠のデリッドはリヒトと孫のアッシュを、来年から騎士団の演習に参加させるようヴィレムに願い出た。カイルザインがギルデバランの分隊と演習に出たのと同じ事を狙ったのだ。
もちろん、その前に家畜や生け捕りにした魔物を使ってリヒトに命を奪う経験をさせ、慣れさせてからだが。
しかし、ヴィレムは首を縦に振らなかった。何故なら、リヒトがまだ本格的な攻撃魔法を習得していなかったからだ。
とはいえ、攻撃魔法とはつまり「相手にダメージを与えられる魔法」という意味だ。役三年前にカイルザインが言ったように、土の塊や小さな火を相手にぶつければそれも攻撃魔法と言える。
だが、万が一の事態に陥った場合、そんな低威力の攻撃魔法で切り抜けるのは難しい。
「剣も弓矢も、何なら格闘術でも君は実戦で通用するレベルだとデリッド君は言っていたから、不安なのは魔法だけだ。
だから、魔道士が致命的に苦手な接近戦であたしの特製ゴーレムを倒せば、万が一の事態でも対処できるって証明になる」
そこで、プルモリーはリヒトの試験相手として得意の魔法でゴーレムを創り上げた。人間並みの俊敏性に、程よい怪力、そして人体と似た手応えらしい薪藁を参考にした体に、鎧代わりの鉄片を装着した特製ゴーレムだ。
『うおん! うおんっ! うおんうおんうおん!』
「でもっ、ちょっと試験がきつすぎると思います!」
狂ったように拳を振り回し、蹴りを放つ特製ゴーレムから逃げ回りながら抗議の声をあげるリヒト。
「普通の魔道士や他の貴族の子弟は、この試験に合格しているんですか!?」
「そんな訳ないだろ。普通のボンボンが同じ条件でこの試験を受けたら、とっくにボコボコにされて虫の息さ。あたしの技術を舐めるなよ」
「ええっ!? そんなに!?」
プルモリーが先ほど言ったように、多くの魔道士は接近戦を致命的に苦手としている。それは魔法の発動には呪文を唱え、特定の動作をする必要があるからだ。
魔法とは体内に宿る魔力で世界を僅かに創り変える技だが、呪文を唱え、手で印を結ぶ事で体内の魔力を体外へ発する必要がある。
必要とする呪文の長さや動作の大きさは、術者の技量によって短く、そして小さくできるが……完全に無詠唱無動作で魔法を行使できるのは伝説や神話に登場する大魔道士や勇者、聖人に聖女ぐらいのものだ。
ちなみに騎士は特定の魔法に集中して研鑽を積み、短い呪文と小さな動作で発動できるようにしている。
「じゃあ、やっぱりこのゴーレムが強すぎるんじゃないですか!? それに、さっきから何度も攻撃魔法を当てているのに倒れる様子がない!」
唸り声をあげながらゴーレムが振りかぶる拳を右に回避したリヒトは、今度は火の玉をぶつけるがゴーレムの体を構成する藁の表面が焦げただけだった。
「それはお前が足りないからだ。そのゴーレムは師匠として弟子を思う愛の鞭なのだから、遠慮なくその身で噛み締めていいんだぞ? ちゃんと急所は外すように仕込んであるし、回復魔法もかけてやるから」
「謹んで辞退します!」
リヒトの魔法の授業は二回目からプルモリーが屋敷にやって来たので、カイルザインではなく彼女が行っている。だが、プルモリーの魔法の教え方はカイルザイン以上に実践を重視していた。その上、彼女は基本的に自身の研究と研鑽にしか興味関心が無い。
自身の容姿やファッション……それどころか睡眠や食事にかける時間があるなら、魔導書を一秒でも長く読んでいたい。そんな性格の持ち主だ。
そんなプルモリーがリヒトの授業に熱を入れるようになったのは、彼が他人には無いユニークな発想と光属性への適正を持つ珍しい体質の持ち主だからだ。
前者はリヒトというよりも、前世の葛城理仁がアニメや漫画、ゲームに親しんで得た物だが。
(足りない……攻撃魔法の威力か? それとも手数? いや、この人の事だから、『工夫が足りない』という意味かもしれない)
これまでに知ったプルモリーの性格からそう判断したリヒトは、ふとそう考えた。
(きっとそうだ。そう言えば、先生は『魔法を使って倒せ』とは言っているけど、『攻撃魔法を使って』とは一言も言っていなかった!)
引っかけられたと思いつつも、リヒトは即興で思いついた『光の散弾』や見様見真似の『火球』ではなく、それまでプルモリーから教えられた魔法を使ってゴーレムを倒す方法を短い時間で考えた。
「マナよ、起き上がれ! 『土塁』!」
リヒトはまず、ゴーレムの足元の地面を盛り上げた。
『うぉんっ!?』
足場の急激な変化に対応できず、ゴーレムが仰向けに転倒する。しかし、人間並みの俊敏さを持つゴーレムは即座に起き上がろうとするが――。
「マナよ、盾となれ! 『魔力障壁』!」
倒れたゴーレムを蓋のように上から抑える形で創った魔力の壁に押さえつけられ、身動きが取れなくなる。
「万物の根源たるマナよ、大地より湧き出る清き水よ!」
そして倒れたままのゴーレムの周りに湧水を出現させ、全身を水に浸す。
「我が前に現れよ、極寒! 『氷結』!」
そして、冷気を発生させる魔法を発動。全身の藁が水を吸っていたゴーレムは氷つき、活動を停止した。
「ふぅ……どうです、先生? 合格はもらえますか?」
ゴーレムが動かないのを確かめてから『魔力障壁』を解いたリヒトがそう尋ねると、プルモリーは表情に乏しい顔に小さな笑みを浮かべた。
「ああ、合格だよ。魔法の用途は千差万別。刃を放つ魔法も、人に向かって放ては攻撃魔法だけど、野菜を切るのに使えば生活魔法。発想次第でどうとでもなる。戦闘なんて何があるか分からないのだから、頭は柔らかくしないと生き残れない。
よくやったね」
「ありがとうございます、先生」
こうしてリヒトは演習に参加する許可を得たのだった。
(人殺しは気が進まないけれど、演習に出ないとゴブリンキング編やドラゴンの卵泥棒編を解決できないからな。僕が解決しないでも、この世界のカイルザインがやりそうだけど。
それにしても、カイルザインか)
「おめでとうございます、リヒト様」
ふと義兄の事を思い出すと、クランベが飲み物の入ったコップを差し出した。
「ありがとう、クランベ」
水筒に入っていた手作りのスポーツドリンクの酸味と甘みが、運動後の体に染みわたる。このレシピもリヒトが考案――正確には子供の頃運動部だった葛城理仁のために前世の母が作ってくれたレシピ――したものだ。
「この調子でフィルローザ様に招待されたお茶会までに、礼儀作法の補習も合格できるよう頑張りましょう」
昨夜、フィルローザと二曲続けて踊った事で、リヒトはヴィレムから説教を受け、お茶会に出席するための条件として礼儀作法の家庭教師が出す試験に再度合格する事を約束させられていた。
社交界デビュー当日のやらかしは大目に見られるとはいっても、それはその場に限っての事。パーティーが終わって家に帰った時には、その特権は消え去っているのだ。
「……うん」
スポーツドリンクが急に苦くなったように感じられたが、仕方がない事だと納得する。
(それはともかく……結局、あの人の授業は正しかった。土は使いやすい。
あの授業をきっかけに、カイルザインに歩み寄っていればあいつも変えられたのかな?)
当時のリヒトがカイルザインに対して警戒を解いたのは最初の授業だけで、次の日には以前と同じように仲良くなる事を諦めて心を閉ざし、警戒していた。
そして今ではカイルザインもリヒトに対して心を閉ざしている。もっとも、彼等が仲の良い義兄弟に成れたとしてもそれは後継者争いが始まるまでの、つかの間の間だけだっただろうけれど。
その短い時間でカイルザインの、エルナイトサーガの滅天教団四天王の一人になるような邪悪な性根を変える事が出来たかは分からない。
(それとも、もう変わっているのかな? 少なくともカイルザインのお陰でマリーサが死ぬ原因になる違法人身売買組織が結成される事は無くなりそうだ)
「そう言えばリヒト君、君は本当にゼダン公爵家の後継者になりたいのかね?」
喉を潤して一心地着いたリヒトに、プルモリーが前から気になっていた事を尋ねた。
「なりたいです。僕はゼダン公爵の後継者になりたい」
何故なら、原作の流れに沿いながらより良い結果に改変するという目標のためには、カイルザインがなりたがっているゼダン公爵家の後継者になる必要があるからだ。
プルモリーが命を落とす展開を改変するためにも。