32話 転生勇者と人魔を統べる義兄の話し合いの結果
「犯罪奴隷の用途……重罪人を人魔に改造するつもり……なんですか?」
「場合によってはな。犯罪奴隷は現在でも危険な採掘作業や土木工事、時には魔物を誘き出すための囮に死ぬまで使われている。その一部に改造するという工程が入るだけだ」
「人魔を増やすために、犯罪奴隷にする人を確保するために権力者が暴走する危険がある!」
「なるほど。確かにその通りだが、それは研究機関の長である俺だけの領分でどうこうする事は出来ない。注意する必要はあるが、具体的な制度は法務関係の文官と話し合う必要がある。最初から排除するのは、研究の幅を狭める」
「確かに、義兄上にだけ訴えても仕方のない危険性でした。すみません。
では、人魔長官の義兄上に問いますが戦いに関わりたくない人魔もいるはずです。そうした人はどうするつもりですか?」
「もちろん、本人の意思を尊重する。脅して従わせるとでも思ったか? 代わりに、戦闘や戦争に関わっても構わないという者を募るだけだ。お前が想定しているより、人魔は多い」
カイルザインによるリヒトとプルモリーの勧誘は失敗した。人魔に関する研究を治療……被害者救済に絞り、新たに人を人魔に改造する事を受け入れたくないリヒト。対して、絞るつもりが無く場合によっては新たに人魔を創り出す事を否定しないカイルザインとの折り合いがつかなかったからだ。
「興味深いけれど、リヒト君が加わらないならあたしも協力できないかな。彼の家庭教師を続けながら、君の所に通うのは難しいだろうし」
「それは残念だ」
「色々面倒そうだしね。君はあたしより色々考えている。応援しているよ」
そして、話し合いを終えたカイルザインは再び屋敷から去って行った。人魔達の研究施設として、王国から与えられた郊外の屋敷に戻るのだという。
部屋に残ったのは、リヒト達とカイルザインが出したコヒ。
(この国でコーヒーが栽培されているなんて知らなかった)
懐かしい香りに、リヒトはふと前世と原作エルナイトサーガに思いを馳せた。
この世界にコーヒーが存在する事は知っていた。だが、主に流通しているのは南の大陸で取り寄せるには時間と金がかかると聞いていた。そして、原作エルナイトサーガではコーヒーは南の大陸との交易の窓口であるグルプラス公爵領をリヒトが訪れるまで描写されなかった。
それがまさかカイルザインが融資した結果、王都で注目を浴びる事になるとは夢にも思わなかった。
「それにしても苦いな、これ」
「うん、苦いね。でも、紅茶とは違うこの香りは気に入ったよ」
カイルザイン達が淹れたコーヒーは話している間に冷めてしまったが、リヒトにとって懐かしい香りがした。
リヒトは前世で葛城理仁だった頃は、特別コーヒーを好んでいた訳ではなかった。しかし、以前は当たり前のように口に出来た物が突然手に入らなくなってしまったからか、つい欲しくなってしまう。
「……僕はミルクと砂糖を入れたのが好きかな」
冷めたコーヒーを飲んで、リヒトはそう呟いた。そして、今回の事件について考える。
原作では描写されていないが、地下で発生したゴブリンキング率いるゴブリンの大群の背後に滅天教団がいたのは確実だ。そして、ゼダン公爵領だけでなくカイルザイン達が討伐したヘメカリス子爵領等他の場所でも同様の事件が起きたのは、これまでの改編の影響だろう。
原作ではゴブリンが地下に巣くっていたのはゼダン公爵領だけ。そして、ゴブリンキングはデーモン化しないでリヒトとアッシュが討伐し、カイルザインは活躍できず、ジャドゥルやゼヴェディルと言った滅天教団の幹部も出なかった。
(それがこの世界では、僕とカイルザインは別々の場所でそれぞれ活躍して、滅天教団の関与が明らかになった。原作ではゼダン公爵領内に留まっていた事件の規模が、メルズール王国全土、そして他の国にまで飛び火している事を考えると……改変した結果、被害が増えているような気が……セオドア・ジャハンの事を考えると、速く退治出来た事を歓迎するべきだろうか?)
原作エルナイトサーガでは、ヘメカリス子爵親子、コーヒーを栽培しているケビロス男爵家は殆ど登場していない。何故なら、エルフの国とメルズール王国の戦争でメルズール王国西部に大きな被害が出てしまったからだ。
詳しく経緯を述べると……エルナイトサーガの後半、原作主人公が王立学園を卒業した年に、エルフの国の主戦過激派が国の中枢を乗っ取り、メルズール王国西部に侵略戦争を仕掛けた。
対して、セオドア・ジャハン侯爵が王国を守るためにと徹底した抗戦と、エルフの国への逆侵攻の必要性を主張。エルフの国との交渉を訴える穏健派を無視し、王国西部の諸侯の戦力を纏めると先頭に立って応戦。本格的な戦争へ発展していく。
原作主人公はこの戦争の背後で滅天教団が糸を引いていると考え、王立学園で仲間になったエルフの国の留学生の伝手でエルフの国に潜入。エルフの国に雇われた傭兵部隊を率いているのが変装した滅天教団四天王ではないかと推測する。
だが、その間にメルズール王国では異形の戦士が突如現れ、それらを率いる漆黒の魔法剣士によってセオドア・ジャオハ侯爵が討ち取られ、同時に攻勢に出たエルフの国の軍に攻め込まれ、メルズール王国西部は大きな被害を受けた。この時、ジャオハ侯爵家と軍に参戦していた寄り子の貴族達……ヘメカリス子爵やフェルゼン準男爵、ピオス男爵達がエルフ達によって討ち取られた。
しかし、エルフ達が更に攻勢に出る前に穏健派のエルフ達を原作主人公一行が救出。主戦派を操っていた滅天教団四天王を討ち取る。だが、漆黒の魔導剣士……カイルザインは新たに配下にしたハイエルフの女将軍『堕ちた白銀』と異形の戦士達を連れて姿を消してしまった。
そしてセオドア・ジャオハ侯爵は滅天教団の幹部で、王国のために戦ったのではなく滅天教団の命でエルフの国との戦いを激化させるために挙兵した事、そして異形の戦士達は彼が秘密裏に創り出した魔物化した人間である事、そして用済みになってカイルザインに始末された事が分かった。
エルフの国との戦争を終わらせる事が出来たが、メルズール王国西部はもちろんエルフの国の戦力も大きく疲弊してしまった。四天王の一人を討伐し彼女が持っていた呪われた聖具を手に入れた事を除けば、滅天教団の勝ち戦。原作ではそんなエピソードだった。
そして戦争でヘメカリス子爵やケビロス準男爵は、当主のラドフやマーヴィン、そしてもしかしたら嫡男のフェルゼンが死亡し没落したのだろう。
原作ではエルフの国の軍が彼らの領地に攻め込む前に戦争は終結したが、ただでさえ景気が悪かったヘメカリス子爵家は当主や騎士、徴兵した兵達の死亡や費やした戦費が響き止めを刺す形になったと考えられる。
ケビロス準男爵も、地道に続けていた開拓事業の中心となっていた当主と武勇に優れた嫡男を失えば準貴族としての資格を失いかねない。もしかしたら嫁入りしたキリエラが嫡男を産んでいたかもしれないが……家と事業の存続は難しくなっただろう。
少なくとも、このエピソードの後ヘメカリス子爵やケビロス準男爵の名前が原作で登場した事は、リヒトの記憶にある限りは無い。
原作と違いケビロス男爵領のコヒが注目されているのは、やはりカイルザインの行動の結果だ。遠征に出たカイルザインがヘメカリス子爵領に滞在し、キリエラにコヒの果肉ではなく豆から飲み物を淹れる事を提案。そして、王都で大事件を解決した功績を讃えられた事で、ケビロス男爵は莫大な報奨金を得て社交のために王都に集まった貴族達から注目された。
エルナイトサーガの原作主人公が、グルプラス公爵領で南の大陸から輸入されたコーヒーを飲んだ頃には、この世界のメルズール王国中でケビロス男爵領産のコーヒーが流行している事だろう。
「個人的にはモス茶の方にも興味があったのだけどね。ドワーフの国には行った事が無いから」
「やっぱり先生達エルフとドワーフは気が合わないのか?」
「う~ん、気が合わないと言えば合わないけど……関わる機会が少ないって感じかな。私は何度か会って話したけど、ドワーフの魔道士とはウマが合ったよ。魔道士以外のドワーフとは会った事が無いけど」
「モス茶か……僕も知らなかったな」
そう言いつつも、リヒトが思い浮かべたのはカイルザインが遠征中にスカウトしたと噂のドワーフの女戦士、ジェシカの事だった。
(ジェシカ、ジェシカ……ダメだ、エルナイトサーガに登場したかどうか思い出せない。本宅の部屋に隠しているノートを読み返せば、何か書いてあるかもしれないけれど)
エルナイトサーガに登場するキャラクターの事はだいたい覚えているリヒトだが、ジェシカと言う名前の女ドワーフに覚えは無かった。ただ、前世の記憶が蘇ってから約五年の間に忘れてしまった事もある。
前世の記憶を書き出したノートには何か書かれているかもしれない。
ただ、ジェシカがエルナイトサーガでは名前が出ていない人物と言う可能性も高い。
「お茶も良いけど……俺は、リヒトがあいつの誘いを断ったのは正解だと思う」
コヒを飲み終えたアッシュは、人魔の研究への協力を断ったリヒトの判断を支持した。
「俺は人魔について同情はするけど、リヒトまで神殿に敵視されるのは避けた方が良い」
アッシュはリヒトがカイルザインに協力する事で、彼を非難する神殿勢力にリヒトまで睨まれる事を危惧していた。
「光属性の魔法で人魔の人達を元の人間に戻せるって訳じゃないんだろ?」
「無理だと思う。そんな事が出来るなら、あのゴブリンデーモンキングも僕の魔法でただのゴブリンキングに戻っていたはずだから」
浄化や治癒の魔法は、あくまでも呪を解き、怪我や病気や毒を治す魔法だ。変化してしまった存在を元に戻す魔法ではない。
「完成した卵料理を回復や解呪の魔法で生卵と他の材料に戻す事は出来ない。少なくとも今の技術では」
「可能性があるとすれば時間属性魔法だけど、文献によれば対象の時間を巻き戻す魔法は、巻き戻す時間が長くなればなるほど難しくなるそうだから、無理だろうね」
リヒトの言葉を、プルモリーがそう捕捉する。人魔を簡単に元の人間に戻せるのなら、ゼヴェディルとその配下も研究所に実験体を放置する事は無かっただろう。
原作でも、人魔……異形の戦士達が元の人間に戻る事は無かった。一人も生き残らず討ち死にしている。
(まさか原作通りカイルザインが人魔を部下にするとは思わなかった、そうなった経緯も、カイルザインと人魔達の立場も何もかも違うけど。違うと言えば、これからどうなる……いや、どうするかな?)
セオドアが原作開始前に死に、その悪事が明らかになってジャハン侯爵家が取り潰しになった。約四年前に記憶が戻ったリヒトにも出来なかった事をカイルザインはやり遂げた。
その影響で、エルナイトサーガ後半で起きたエルフの国とメルズール王国の戦争はこの世界では大きく様相を変えるだろう。エルフの国に巣くっている滅天教団の四天王や信徒は健在だから、原作通り過激派がメルズール王国に攻め込もうとする可能性は高い。
だが、それにメルズール王国側で呼応して戦争を激化させようとするセオドア・ジャオハは既に討ち取られている。ジャオハ侯爵家の代わりに王国西部を纏める中心的な貴族はまだ存在しないから、滅天教団が彼の代わりを探すのも難しいはずだ。
仮にエルフの国が大陸西部に攻め込んで来るとしたら、応戦するのは直轄地を守るメルズール王国軍になるだろう。
そして、今の状況を考えればカイルザインが原作のように滅天教団四天王になる事は考えられない。だから、滅天教団の行動も原作とは異なるはずだ。今回の一件のように。
それを今から予想するのは困難だ。今後の出来事を注意深く観察し、警戒する事が必要だろう。
しかし、リヒトにはもっと差し迫った問題もある。
「それにしてもリヒト君、このままだとカイルザイン君に負けるんじゃないかい?」
「そうなんですよね。今日、改めてそう感じました」
ゼダン公爵家の家督争いは、今回の一件でもリヒトはカイルザインとの差を縮める事が出来なかったのだ。
「感じました、じゃないぜ。ゴブリンデーモンキングを倒したお陰で地元じゃあ並んだけど、王都じゃ差が広まってないか?」
アッシュが評したように、リヒトは今回の事件を解決した事でゼダン公爵領内、特にデビス村では公爵領を救ったとしてカイルザインに並ぶか、僅かにリードするほど評価されている。だが、ゼダン公爵領の外……特にメルズール王国西部では王国の危機を救ったカイルザインの方が英雄視されている。
事件解決の後、周囲に及ぼした影響でもカイルザイン達の方が大きく、更に授与した勲章もリヒトは学術的貢献を評価する金月勲章だが、カイルザインは戦功を評価する金鷲勲章。王国北部の雄であるゼダン公爵家の嫡男としてどちらが相応しいと他の貴族達が考えているかは明らかだ。
貴族以外にもカイルザイン一行の活躍を吟遊詩人達は歌にし、王都で人気の脚本家が歌劇にして上演する予定だという。……彼の伯父のリジェル・ビスパ侯爵がそうなるよう工作した訳でもないのに。
吟遊詩人や劇団がゼダン公爵領内でも興行を行えば、領民達の支持も再びカイルザインがリードする事になるだろう。
「ヴィレム君に頼んで、君も吟遊詩人に歌わせて、脚本家に歌劇を書かせたらどうだい?」
「無理だろ、家のお館様はそうした裏工作は苦手なはずだ」
プルモリーに、アッシュはため息を吐きながらそう主家の現当主を評する。実際、歴代のゼダン公爵家当主は政治工作を苦手としていた。ヴィレムは歴代の当主と比べるとマシな部類だが、それでも巧とは言えない。
アッシュが持っているイメージでは吟遊詩人や劇団を使った情報操作等、思いついても実行できないイメージがあった。
……実際には吟遊詩人に変装した密偵を王国内やドリガ帝国に放つなどしているので、吟遊詩人には伝手があるのだが。
「いや、ゼダン公爵領内の吟遊詩人はもう歌ってくれている。劇団も……でも王都の方が芸能は盛んだから」
「それにやっぱり活躍が派手だったからね。カイルザイン君が討伐隊で使った闇魔法の数々……あたしも見て見たかったな」
「こうなったらリヒト、ソロバンをもっと大々的にアピールするしかないんじゃないか?」
「いや、ソロバンじゃ追いつけるとは思えないけど」
リヒトが演習に出る前に仕込んだ手、それはこの世界には無かったソロバンの開発だった。この世界の人々の多くは計算を暗算か筆算で行っていた。昔は計算尺と言う、葛城理仁が生きた地球にも存在した計算尺と似た計算機が存在したが、数百年前には廃れており使っている人は殆どいない。
そこで、リヒトは公爵家のお抱え職人にソロバンのアイディアとイメージ図を持ち込み、作ってもらったのだ。……主に、日々難しくなる家庭教師が出す数学の課題を計算するために。
その後、出来上がったソロバンの試作品を見て、これを広めればグラフ程ではないが評価されるのではないかと考え、公爵家と取引がある商会と協力して広める事にしたのだ。
プルモリーや魔道士達には、ソロバンそのものではなくリヒトが職人にソロバンのイメージを伝えるのに使った光魔法の『投影』の方が評価されたが。
「何でだ? ソロバンのお陰で俺は算術の成績が上がったんだぜ」
「ソロバンはあくまでも物、商品だからだよ。評価されない訳じゃないと思うけど……大きく開いたカイルザインとの差を詰められる程じゃない」
リヒトとカイルザインの評価が同程度だったら、ソロバンの評価でリヒトが選ばれる可能性がある。リヒトも武功を上げているし、義父のヴィレムも彼を贔屓している。だが、演習に出る前の予想より大きな差が二人の間にはある。
「うん、あたしが若い頃に使っていた計算尺よりソロバンは使いやすいよね。でも、確かにセオドア・ジャオハ討伐より評価されるとは思えないね」
「そうか……じゃあ、カイルザインを支持しない奴らと組むのはどうだ?」
「カイルザイン君を支持しない勢力と言うと、神殿関係だね」
「それは僕には無理かな」
神殿が訴える人魔の速やかな救済……出来るだけ苦痛の少ない死を与える事に、リヒトの価値観では同意できなかった。
それに、味方に付けても神殿は建前では俗世と距離を置いているのでゼダン公爵家の家督争いに有利になるかは怪しいところだ。
「でも、このままじゃカイルザインに勝てないぞ。都合良く滅天教団が事件を起こして、それを解決でもしない限り」
「そうだね。その時はタニアとミーシャを連れて冒険者にでもなろうかな。プルモリー先生もどうですか?」
「構わないよ」
タニアとミーシャは今現在もリヒト所有の奴隷のままだ。本来ならゴブリンデーモンキング討伐の功績で充分報いてもらったとして、奴隷の身分から解放する事が出来る。しかし、元奴隷のメイド見習いと公爵令息所有の奴隷だと、後者の方が安全だ。
二人を奴隷の身分から解放するのは、メイドとして十分な技術が身に着くまでは延期した方がいいと執事のクランベから助言されている。
「おいっ!? 俺だけ置いて行くなよ!」
一人冒険者に誘われなかったアッシュが抗議するが、リヒトは苦笑いをして言った。
「だって、ダンロード男爵家の一人息子を誘う訳にはいかないだろ、男爵令息?」
「うぐっ!? はぁ……その通りなんだよなぁ。別に親父も貴族になりたかった訳じゃないだろうに……」
がっくりと肩を落とすアッシュ。突然騎士爵から男爵になって、アッシュ達ダンロード家は大変な目に遭っていた。主であるヴィレムから援助があるので、貴族としての体裁を整える事は出来たが、礼儀作法や様々な知識は金を払っただけでは身についてくれない。王立学校に通う義務が発生したアッシュは、今から勉強に取り組まなければならなくなり、毎日のように頭を抱えている。
「まあ、確かにリヒトなら冒険者になってもすぐ身を立てそうだけどな」
「もちろん本気じゃないけどね」
カイルザインにゼダン公爵家の家督が渡るという事は、婚約者候補のフィルローザと彼が結婚するという事だ。それはリヒトにとって受け入れがたい事だった。
リヒト達との会談を終えたカイルザインは、ギルデバランとゾルパを連れて王国が用意した人魔研究のための施設……ジャオハ侯爵家が所有していた狩猟場と別荘に向かう為に馬車に乗っていた。
「なかなか実りある交渉だったな。人魔の優位性を示すと、人魔に改造するために使う犯罪奴隷を増やすために司法が恣意的な判決を下すかもしれないか。リヒトの指摘は尤もだ」
意見が合わない奴との会話もするものだなと、馬車の車内でカイルザインは頷いていた。
「今回の遠征、終わってみればカイルザイン様がより優位になる結果でしたね」
「ホッホッホ、ゼヴェディルと言うサキュバスを取り逃がしたのは口惜しいが……。セオドアとの戦いで切り札を温存したまま勝利した手並みは流石かと」
カイルザインはゴブリンキングやセオドア・ジャオハの討伐に際して、『刃影』等の新開発した闇魔法や習得しても実戦では使った事が無い呪を使用した。だが、それらの魔法は対リヒト用の奥の手ではなかった。
光属性に高い適性を持つリヒトに闇魔法で対抗するのは相性が悪く、呪も彼ならすぐに浄化してしまう可能性が高いからだ。
リヒトに対する切り札となりえるのは、空間魔法と時間魔法、そして光魔法でも解けない闇魔法だ。
「そう褒めるな。確かに奥の手は使わなかったが、そもそもまだ足りない。特に、時間魔法が」
しかし、カイルザインもまだ対リヒト用の切り札を揃え切れていなかった。
(俺が強くなった分、リヒトやアッシュも強くなったと想定するべきだ。聞くところによると、あの奴隷も購入直後より強くなったそうだからな。姉の方は格闘士、妹の方は魔道士か。ゾルパの目が正しかった分、厄介だな。王立学園の生徒で対抗できる生徒に充ては無い。
早急に訓練を施し対抗できる人魔を育てなければ)
カイルザインはスカウトしたジェシカなら、タニアやミーシャに対抗できる……いや、経験を積み装備を整えれば二人に勝てると確信していた。だが、他の貴族の子弟には難しいと考えていた。
去年の今頃と比べて、リヒトとアッシュは数段以上強くなっている。同世代の貴族の子弟のトップ層も超えているはずだ。
カイルザイン自身もそうだという自信はある。だが、去年は「他の生徒の中から素質のある者を見出し鍛えれば対抗できる」と考えていたが、今では「いくら鍛えても足手まといになるのではないか?」と考えるようになった。
「勲章授与を祝う夜会に、フィルローザ嬢を誘う催し物や利用する店選びと予定はいくらでもあるのだがな」
「既に名声は高めたのですから、去年よりも社交は抑えて良いのでは? フィルローザ嬢を誘うのは……カイルザイン様の活躍を題材にした歌劇が良いのでは? あの劇場の貴賓席では、一流のシェフが腕を振るった料理を楽しむ事が出来ると聞いています」
催し物と食事、両方を一度に抑える事が出来る。そう提案するギルデバランだったか、カイルザインや渋面を浮かべた。
「ギルデバラン、流石に自分の活躍を演じる歌劇を彼女と見るのは俺でも気不味い」
「では、フィルローザ嬢が自主的にあの歌劇を見る事を期待して、誘うのは他の催し物にしますか?」
「……いや、やはり俺が誘おう」
フィルローザの自主性に期待する事や、チケットだけ送りつけるのは違う気がする。かといって、リヒトが誘うはずはない。有名な劇団が演じているので、もしかしたらフィルローザの家族や友人が彼女を誘うかもしれないが、確実ではない。
そもそも、想い人に自分の活躍を知って欲しくない訳ではない。
「……その時はニコルを借りるぞ。侍女として、俺が自慢話に終始しないよう見張らせる」
カイルザインにとって兄同然の従兄、ラザロフ・ビスパ曰く。自慢話ばかりする男は女性に飽きられる。カイルザインは彼の教えを去年同様信用していた。
「そう言えば、フィルローザ嬢の事をジェシカが気にしていましたぞ」
「ジェシカが?」
ゾルパの言葉にカイルザインが怪訝そうに聞き返す。ギルデバランは、まさか彼女がカイルザインに身分を越えた関心を持っているのではないかと思い、顔を顰めた。
「ええ、あのカイルザイン様が夢中になる婚約者候補とは、どれほどの女傑なのかと」
だが、続くゾルパの言葉に思わず噴き出した。
「ハハハ! 間違ってはおりませんな、去年はブラッドトロールと戦うリヒト様やアッシュの救援に駆けつけた、同世代のご令嬢の中では抜きんでた胆力をお持ちの方だ!」
「……あいつは俺が全てを強さだけで評価しているとでも思っているのか?」
そう言うカイルザインだが、ジェシカから見るとそう思えても無理はないかもしれないと彼自身も思った。




