29話 己の分を見誤った寄生虫、癪に障った公爵第一子義兄
セオドアの上半身と下半身が泣き別れにされ、エリオットが討ち取られた。
(ちょっと様子を見過ぎたわね。そろそろ退散しましょう)
「私の実験体兼協力者を、よくもやってくれたわね!」
滅天教団の女幹部、ゼヴェディルは大声で叫びながら、フランベルジュを閃かせる。
「私がこれも力を手に入れる為よと言えば、どんな実験も試させてくれる便利な奴等だったのに!」
「お前、その言動は演技なのか本気なのかどっちだ!?」
炎のように波打つ刃を、ザックは魔力で強化した盾で受け止めて叫び返した。
「この顔が冗談を言っているように見えるの!?」
美貌を怒りで歪めて聞き返すゼヴェディルだが、もちろん演技だった。確かに、彼女にとってセオドアとエリオットは有益な存在だった。
面倒な実験台やゴブリンの糧にする人間の調達も全部やってくれたし、人間の魔物化の研究に嬉々として自分の体を提供してくれた。人間を魔物化させるのに最も適しているのは、肉体の構造が近いゴブリンやオーガーでもなく、再生力に優れたトロールでもなく、デーモンであると分かったのも彼らの協力のおかげだ。
このまま全てがゼヴェディルにとって都合良く進んでいれば、人間のデーモン化の研究を進め、エルフの国とデーモン化したメルズール王国軍の大戦争を起こす事が出来ただろう。
だが、それはセオドアの野望であってゼヴェディルの目標ではない。彼女の望みは世界の滅亡で、そのために辿る道筋は一つではない。そして、研究のデータはもう取ってある。いくつかサンプルや薬品、標本などはジャオハ侯爵領に残っているが……それは人間の手に渡っても構わない。
ここの優れた研究環境を失えば、人間を魔物化する術の完成は数十年……いや、百年は遅れるだろう。だが、たったそれだけだ。寿命の無いデーモンの一種であるゼヴェディルにとって、命を危険にさらしてまで惜しむ時間ではない。
しょせん、セオドアやエリオットはゼヴェディルにとって何匹もいる益虫の内の一匹でしかない。
何より、元々セオドアが勝っても負けても、どちらでも構わないとゼヴェディルは考えていた。
「顔を見ている余裕なんか……あるかっ!」
そうした事情を読み取る洞察力を効かせる余裕もなく、ザックは魔力と体力を引き絞ってゼヴェディルのフランベルジュを押し返す。
そして、すかさず剣で刺突を繰り出すが、ゼヴェディルは翼をはためかせて上空へ下がって距離をとった。
「太古より在る大地よ、衰え崩れ飲み込め! 『流砂――』
「『雷閃』!」
そして魔法を完成させる寸前で、ゾルパが放った雷がゼヴェディルの翼を貫いた。
「ぐぎっ!? くっ、本格的にヤバいわね……」
逃げる前にザックとゾルパを足止めして、背中を撃たれないようにしてから逃げよう。そう考えていたゼヴェディルだが、二人が想像以上に手強い事に今更気が付いた。
(おそらく逃亡を企てている。ここで何としても殺さなければ! くぅっ、歯痒い! せめてここが地上であったなら!)
ゾルパは自身が使える中で、地下空間を崩落させる危険が低く威力が高い攻撃魔法を選んで、急いで呪文を唱える。
その時、ゾルパの視界の隅で上半身だけになったセオドアが空中に飛び上がり、耳まで裂けた口から赤黒い光線を放つのが見えた。
「ゴブリン共!」
僅かに注意がそれた瞬間を突くように、ゼヴェディルが叫ぶ。彼女に魅了されているゴブリンメイジ達がその意思を受けて、攻撃魔法を炸裂させる。自分の足元で。
「な、なんとぉ!?」
百以上の爆炎が術者本人と周りのゴブリンを飲み込み悲鳴が上がる。ゴブリンメイジ達にとっても、初めて唱えた火属性の攻撃魔法だったのだろう。一つ一つは人を焼き殺すには及ばない威力しかなかったが、それによって巻き起こった煙は大量だった。
その煙に紛れ、ゼヴェディルは逃げ出した。全身を魔力で強化して、地下空間の奥に造った隠し部屋の扉と、その奥の壁を体当たりで破る。
(後は逃げ出した言い訳か。万が一ディジャデス様の機嫌を損ねて怒らせたとしても、最悪死ぬだけだけど……もっと人間を弄くりまわしてやりたいから、出来れば生きていたいわね)
そう思いながら、『転移』の魔方陣に飛び込んで術を発動。ゼヴェディルはまんまと逃亡を成功させたのだった。
時間は僅かに撒き戻り――上半身と下半身を切断されたセオドアは、上半身だけで空中に飛び上がった。
「我が魂の澱より生じた闇よ、縁を伝い呪え。『呪撃』」
カイルザインはまず地上に残り、こちらに蹴りかかってくるセオドアの下半身を依り代に、呪詛を試みた。呪が込められた剣でセオドアの下半身の股間を中心で両断すると、セオドアの顔が引きつった。
「チッ、形が変化しすぎて同一の存在ではないとみなされたか」
しかし、呪によってセオドアがダメージを受ける事は無かった。左右で両断されたセオドアの下半身は動くのをやめ、地面に転がる。
「フハハハハ! 君の呪詛ももう私には通用しないようだな!」
舌打ちをしたカイルザインを見て、セオドアは内心安堵しながら高笑いをして勝ち誇った。
「だが、ここまで煩わされるとは思わなかった。どうやら私は甘かったらしい……だからこそ、君は確実に殺させてもらおう!」
セオドアがそう叫ぶと同時に、彼の体が泡立つように変化し、腹が裂け赤い口に変化する。
『いのちぃを、う、奪う白き乙女よ、その涙を、我が前に。『氷結球』!」
そして腹に出来た第二の口から、たどたどしいが呪文が唱えられ攻撃魔法が放たれる。
「うわっ! 危ないっ!」
上空から迫る白い冷気の塊に、ジェシカが転がっていたゴブリンの死体を放り投げた。何かが軋むような音と同時に白い煙が広がり、落ちて来たゴブリンの死体が地面に激突し砕け散った。
(呪文が乱れていた割に威力が高い。魔力で威力を強引に高めているようだな)
そう観察をしながら呪文を唱えたカイルザインは、セオドアの影に向かってナイフを投擲し『影縫い』を仕掛ける。
「フッ」
だが、ナイフは確かにセオドアの影に刺さったにもかかわらず、セオドアの動きを止める事は出来なかった。それどころか、彼が鼻で笑った途端ナイフが影から抜けて地面に落ちてしまった。
これも魔力でゴリ押しして『影縫い』を解除したのか、もしくはデーモン化が進んだ影響で闇魔法に対する抵抗力が上がったのだろう。
「どうします、カイルザイン様!?」
「遠距離戦はこちらが不利だが、もう奴の方から近づく気はなさそうだからな」
人間を止めて第二の口を作ったセオドアの方が、魔力でも同時に詠唱できる魔法の数でも有利だ。また呪詛をかけようにも、依り代になる物を手に入れるのは難しい。
「じゃあ、あたし達も飛ぶんですか!?」
「その場合は俺だけだ。経験の無いお前を魔法で飛ばしても、壁や天井にぶつかって墜落するのがオチだからな」
魔法で空を飛ぶこと自体は難しくないが、自由自在に飛行するのは経験が必要だ。姿勢を制御しながら空中で接近戦を行うなんて、初心者には絶対に不可能。
どう考えてもジェシカには荷が重い。
「『雷撃』!」
『『烈風砲』!』
「古の時代より在る大地よ、我が意に従え。『大地操作』!」
空中からセオドアが放った二発の攻撃魔法に対して、カイルザインは地下空間の岩を操作して壁を作って盾にした。しかし、電撃は受け流せたが巨大な風の砲弾は受け止め切れず砕かれてしまう。
「ひゃあっ!? このぉっ!」
破片を防御魔法の『闇纏い』を頼りに壁の破片を受けとめ、即座にセオドアに投げ返すジェシカを見て、カイルザインは彼女が順調に戦士として育っている事を確認した。
それはそれとして、空中戦も分が悪そうだとカイルザインは判断した。セオドアが後どれだけ手数を増やせるか分からないからだ。
「腹に口を作れるのなら、後頭部や背中にも増やせるかもしれん。腕や触手も後数本は生やせるだろう」
「うわ、デタラメですね。でも、だったら何で最初からしないんですか?」
「推測でいいなら出来るが、今は説明している余裕はない」
口は増やせても頭は一つなので魔力の制御力はそのままだからとか、魔力の消耗が大きくなるからとか、単にセオドアが肉体の変異を完全に制御出来ていないだけだとか、色々と推測は出来る。
「『『烈風砲』!」』
しかし、「おしゃべりとは余裕じゃないか」と言わんばかりに、セオドアの攻撃魔法が降り注ぐため、ジェシカに説明する暇は無かった。
再び壁を展開するカイルザインだったが、今度は一発目の『烈風砲』で砕かれてしまい、二発目はその場を駆けだして回避しなければならなかった。
「んぎゃっ!? ああっ!? 『闇纏い』が消えちゃいました!」
避けられなかったジェシカは『烈風砲』の直撃を受けて跳ね飛ばされたが、すぐに立ち上がった。見たところ、大きな怪我をしているようには見えない。
「馬鹿な!? 直撃したはず……なんて強力な防御魔法だ」
セオドアも驚いて呪文を唱えるのを中断しているが、ジェシカがほぼ無傷なのは『闇纏い』だけではなく、彼女が纏っている鎧の性能の高さと、彼女自身の頑丈さも大きい。
そのお陰で、セオドアが次の攻撃魔法を完成させるまで時間が稼げた。
「『『烈風砲』!』」
「カイルザイン様!?」
三度放たれたセオドアの攻撃魔法の前に、長めの呪文を唱え終えたカイルザインは自ら飛び出した。
一発目を足元から出現した影法師に受けさせ、二発目を我が身で受け止める。影法師が引き裂かれるように砕け散り、カイルザインの『闇纏い』が消えて骨の芯まで響く衝撃に胃液がせりあがってくる。
「『憎恨響撃』」
だが、彼が口から吐き出したのは胃液ではなく、呪だった。
「ぐはぁっ!?」
『ぎやぁぁぁ!?』
その途端、セオドアの二つの口から悲鳴と血が迸った。
カイルザインは実体化した自身の影……つまり分身に等しい影法師と、自分自身に受けたダメージを呪によって増幅してセオドアに跳ね返したのだ。
(他の攻撃魔法の倍以上の魔力と、長い呪文詠唱、そして俺自身がダメージを受ける必要がある。その上、対象に対して強い負の感情を持っていなければ発動できない闇魔法。他の呪より強力だが、リヒトぐらいにしか使えないと思っていたが……できれば二度と使いたくないな)
苦しむセオドアに追撃する事が出来ない程ダメージを受けたカイルザインは、そう思いながらベルトに仕込んでいた小さな瓶の中身を飲み干した。
「カイルザイン様、大丈夫ですか!?」
「今、ポーションを飲んだ。それより、お前は奴に攻撃を……しているな」
カイルザインが顔を上げると、ジェシカは地面に散らばる自分の頭と同じくらいの大きさの岩をセオドアに向かって投擲していた。カイルザインの呪で苦しむセオドアは、苦し気に呻きながら腕で岩を叩き落としている。
その時、カイルザイン達の後方で歓声が上がった。
「エリオット……くっ、目をかけてやったのに肝心な時に敗れるとは!」
ギルデバランによってエリオットが討ち取られたのだ。討ち取られた腹心に対して顔を歪めて罵るセオドアは、追い詰められた状況を打破するために肉体の変異を進める事を決断した。
カイルザインが推測した通り、セオドアもどれだけ変異できるのか、そして変異後に自身の肉体を制御できるのか把握していない。しかし、背に腹は代えられなかった。
「ガ! ガアアアアア!」
口が耳まで裂け、舌の一部が瘤のように膨らみ赤い宝石のような結晶が発生する。その結晶が光ったかと思うと、赤黒い光線が放たれた。
「死にたくなければ避けろっ!」
カイルザインはポーションがまだ完全に効いていない体を強引に動かして、ジェシカは彼の声に込められた危機感に反応して弾かれたようにその場から逃げた。
その一瞬後、二人が居た場所に赤黒い光線が着弾。光線に触れた部分の岩が溶解し、どす黒く変色する。
「あれは!?」
「魔力の気配からすると、呪だ。どういう仕組みで口から吐いているのかは知らんが、とにかく当たるな!」
もしあの赤黒い呪の光線に当たれば、胴体なら致命傷、手足でも素早く光線に触れた部分を切除しなければ命に係わるだろう。
「忌々しい奴だ、小賢しい真似を……!」
セオドアがそんな呪の光線を放つようになったのは、明らかにカイルザインの呪対策だ。何故なら、呪に呪をかける事は出来ない。呪には『浄化』するか、適切な手順で儀式を行い『呪返し』するしかないからだ。
そのためセオドアは『呪返し』をする余裕を与えず致命的なダメージを与える呪の光線を放てるよう、己の体を変異させたのだろう。
(その分、魔力の消費量は他の攻撃魔法と比べて段違いに多いはず。だが、数発で魔力が切れるという事は無いだろう。……仕方ない、リヒトと決着をつける時まで取っておきたかったが、切り札を幾つか切るか)
切り札はとっておいた方が勝つと言うが、切り札を最期まで温存して死んだらただの間抜けだ。そうカイルザインが思い切ろうとし、セオドアが二発目の呪い光線を放とうとした時、地下空間を無数の爆発が揺るがした。
「ゴブリンが自爆!?」
『ゼヴェディル!? 何のつもりだ!?』
ジェシカだけではなく、セオドアも腹の口から動揺のあまり大声をあげ、ゼヴェディルがいなくなった事で魅了が解けたゴブリン達の悲鳴と煙と砂埃が地下空間を満たす。
「ジェシカっ、足場になれ!」
「はいっ!」
これを好機と見たカイルザインの判断は速かった。切り札を切るのを止め、ジェシカに向かって駆け出す。ジェシカも彼の従僕に就職してからの訓練の成果で、反射的に動く癖がついていた。
だが、その声はセオドアにも聞こえていた。
(勝負を焦ったな! 撃ち落としてやる!)
口内に充填した呪いを、煙の中から飛び出して来た人影に向かって放つ。赤黒い光線は、彼の狙い通り命中し人影を貫いた。
「っ!?」
だが、貫いた人影はカイルザインではなく彼の影法師だった。なら、本人は何処に!?
「『がはぁっ!?』」
周囲を見回そうとしたセオドアだったが、背後に強い衝撃を受けて動けなくなった。そして、自分の胸元から血に塗れた切っ先が生えている事に気が付き、衝撃に目を見開く。
「勝負を焦ったな、間抜けめ」
セオドアの背後から彼の心臓を貫いたカイルザインは、そう笑いながら左手を掲げた。
「『刃影』。さんざん手こずらせてられたが、これで終わりだ!」
カイルザインの手を、闇が包んで刃を形成する。その刃で彼はセオドアの首を一閃した。
「『カ、カイルザインッ!』」
セオドアは何とか逃げようと身を捩るが、心臓を串刺しにされた状態ではそれは叶わなかった。カイルザインの手によって彼の頭部が跳ねられると、彼の上半身は首を追うように地面に墜落した。
「流石にここまでやれば死ぬだろう」
『刃影』を消したカイルザインは、息を吐くと地面に降りた。
あの時、彼はジェシカを踏み台にして影法師をセオドアの正面に向かって飛ばした。そして、カイルザイン自身はジェシカの横を素通りし、セオドアの真下に回り込んで『飛行』の魔法で空を飛び、背後から彼の心臓を剣で貫いたのだ。
急激に肉体を変化させたセオドアは、下半身を失い上半身だけで浮遊していたために自分に真下という新たな死角が生まれていた事に気が付かなかったのだ。
もっとも、爆発によって下方の視界が遮られていなければセオドアも気が付いただろうが。
「メルズール王国を含めた世界中で暗躍している組織を、利用できると考えたのがそもそもの間違いだ。己の分を見誤ったな」
そう言い捨てて満足したのか、カイルザインは四分割されたセオドアの遺体のうち上半身と左右の下半身を『影倉庫』に収納し、生首は角を掴んで持ち上げた。
「カイルザイン様っ! げほっ! ゴホ無事でげふっ!?」
「……お前の方が大変そうだな」
ゴブリンシャーマン達の攻撃魔法のせいで煙が充満していく一方であるため、ジェシカが咳き込みながら駆け寄ってくる。
「打ち合わせも無いのによく俺に合わせた。良い働きだったぞ」
「はい、ありがとうございます! 影だけ向かってきてカイルザイン様が横を走り抜けていったときは驚きましたけど。ところでその生首はどうするんですか?」
カイルザインはジェシカに答える代わりに、魔法で声を拡声するとセオドアの生首を掲げて宣言した。
『セオドア・ジャオハはこのカイルザイン・ゼダンが討ち取った! ジャオハ侯爵家騎士団は大人しく降伏し捕虜となれ! さもなくば、以降は賊として扱う!』
カイルザインの勝鬨と降伏勧告に、討伐隊は歓声をあげ、まだ抵抗を続けていたジャオハ侯爵家騎士団の団員達は戦意を喪失した。
指揮を執っていた副官は自害を試みたが、フェルゼンによって殴り倒され捕縛され、他の自害を試みようとした団員達も取り押さえられていく。
後はキングを失いゼヴェディルに使い捨てられたゴブリン達だが、こちらは厄介だったゴブリンシャーマンが攻撃魔法で自爆させられており、更に自爆に巻き込まれてゴブリンナイトやジェネラルにも相当な被害が出ていた。
そのため、ほぼ烏合の衆と化しており唯一討伐隊より優れていた数の利も活かせない状態だった。
「そう使うんですね。じゃあ、後はゴブリンを退治すれば終わりですか?」
「とりあえずはな。だが、後始末は面倒な事になりそうだ。伯父上にも動いてもらわなければならんだろう。……まずは窒息する前に出入り口を開けるか」
そしてカイルザインは敵を取り逃がした事を詫びるゾルパとザックの二人と合流し、魔法で閉ざされた地下空間に新しい出入り口を空けたのだった。
ゼダン公爵領とヘメカリス子爵領の地下で蠢いていた滅天教団の陰謀は、こうして未然に防がれた。討伐難易度Aのグレーターデーモンが現れたゼダン公爵領か、それとも敵の数が多かったヘメカリス子爵領か……どちらがより危険だったのかは意見が分かれている。
しかし、事後処理の難しさは明らかにヘメカリス子爵領で起きた事件の方が上だった。
ゼダン公爵領のデビス村周辺の地下で起きた事件は、あくまでもゼダン公爵領内部の問題だ。他の貴族家は関わっていない。
対してヘメカリス子爵領の通称ゴブリンブッシュの地下で起きた事件には、裏に滅天教団だけではなくジャオハ侯爵家当主代理のセオドア・ジャオハと、同公爵家に仕えるエリオット・ジャハナムが関わっていた。しかも、複数の貴族家から派遣された騎士や衛兵、地元の冒険者や神官達で結成された討伐隊の面々がそれを見ている。
なかった事にはできない。
事後処理に当たり、名目上の責任者となったのはラドフ・ヘメカリス子爵だった。事件は彼の領地で起き、彼の名前で結成された討伐隊が解決した事件なので彼の存在は外せない。
しかし、実際に現地で事後処理の指揮を執ったのはカイルザイン・ゼダンと彼の腹心達だった。
彼らはゴブリンの残党の掃討を終えると、捕虜にしたジャオハ侯爵家騎士団の生き残りを尋問。その後、情報を纏めると身体能力に優れた冒険者や傭兵専用の牢や枷が揃うまで、毒薬と呪いによって身体能力を奪って拘束。彼らの世話をヘメカリス子爵と彼らの親類になるケビロス準男爵に任せると、カイルザイン一行は子爵領を出立。
そして、当主代理と騎士団長が討ち取られた事をまだ把握していないジャオハ侯爵領を正面から訪問。同時に、王都にいる伯父のリジェル・ビスバ侯爵と連絡を取り、セオドア・ジャオハの陰謀を王国政府に報せた。
ジャオハ侯爵家に残っているセオドアの母や配下が証拠の破棄や隠匿、そして逃走をしない内に確保する事に成功。セオドアやエリオットが隠していた陰謀に関する証拠以外にも、ジャオハ侯爵領の町に築かれていた滅天教団の隠し教会に、人間のデーモン化の研究を行う為に造り狩られていた公爵家の施設、そして謀殺されたカルザイ・ジャオハを『発見』するに至ったのだった。
踏み込む前から、そこからは不気味な気配が蟠っていた。
古い砦を改修した、騎士団の詰め所の一つ。ただし、最近では使われておらず様々な物資を備蓄する倉庫となっており管理人が住み込みで働いている。地上部分は、その通りだった。
「せ~の、どりゃぁぁぁ!」
「彼女が居れば、うちの隊は扉を破るのに苦労しなくて済みますね」
魔力で強化したタックルで壁に擬装された隠し扉を破ったジェシカに続いて入りながら、ルペルはそう呟いた。
「あぁぁぁぁぁ!」
しかし、隠し扉の向こうは地下に続く階段だったため、ジェシカは壁の残骸をソリ代わりに地下に向かって滑っていった。
「地下に潜んでいる連中に突入がばれたな。急ぐぞ」
「はっ!」
詰所の地下には、砦とし砦として建設された当時に造られた隠し通路や隠し部屋を利用した表向きにはできない研究施設があった。
「これはこれは……ここまで胸糞が悪くなる光景はこのゾルパ、久しぶりに目にしましたぞ」
その研究施設を目にしたゾルパは、そう評した。
「な、なんだ!? お前達は!?」
「見張りは何をしている!? 何故警報が鳴らない!?」
「痛い目を見たくなければ、大人しく投稿しろ!」
騒ぐ魔道士達を突入したギルデバラン達が次々に拘束していく。ここに居た魔道士達は攻撃魔法が得意ではないのか、混乱するばかりで次々に叩きのめされ拘束されていく。
「予想していたよりも大規模に人間の魔物化の研究を行っていたようだな」
カイルザインがそう言って見回したのは、セオドアの隠し研究施設だ。ここではゼヴェディル達滅天教団の信徒と、セオドアが雇った魔道士達が人間を魔物化させる研究を行っていた。
一見しただけでは使い方が分からない研究器具に、様々な薬品、情報を書き留めたメモや巻物がデタラメに置かれているように見える。
そして、カプセルに満たされた液体の中に浮かび、壁際に設置された牢の中で枷を嵌められた異形がいた。
『うぅ、誰だ?』
「殺シテ……クレ……殺シテ……クレ……」
牢の中に繋がれている異形は比較的人間に近かった。顔だけは人のままだが首から下が歪んでいる者や、四肢が他の動物の部位に近い物に入れ替わっている者、そして異形のデーモンにしか見えない者もいた。
『…………』
対して、カプセルの中で液体に浮かんでいる異形は、上半身だけの女や、身体が不自然に肥大した赤子等、自力で生命活動を続けるのが困難に見える。
「ま、待ってくれっ! 我々は脅されて無理やり働かされていただけなんだ! だからどうか――」
「どうか見逃してくれとでも言いたいのか、この野郎!」
その時、魔道士の一人が叫び出したが、それを遮ってザックが拳を振り上げる。
「ザック、投降した連中にあまり手荒な事をするな」
そうカイルザインが言うと、ザックは拳を止め、魔道士はほっと安堵し縋るような眼差しをカイルザインに向けた。
「こいつらは貴重な情報源にして労働力だ。用積みになるまでは活かしておく必要がある。無論、本当に脅されていたのなら考慮してやるが……偽証だった場合は殴り殺された方がマシだったと思える目に合わせてやる」
だが、カイルザインがそう続けると魔道士は震え出した。
「それで、滅天教団の信徒はどなたかな? 素直に吐かなければ、頭の中を弄ってしまうぞぉ」
「ヒィ!? ゼ、ゼヴェディル様や彼女が連れてきた連中なら、しばらく前からいない!」
一先ず気分が落ち着いたのか、ゾルパが震え出した魔道士の頭に手を置いて尋ねると、彼は悲鳴のような口調で話し出した。
「しばらく?」
「一週間ほど前からです! 突然、しばらく留守にすると……我々はゼヴェディル様……ゼヴェディル達より立場が下だったので、詳しく聞く事が出来なかった!」
「ほぅ、連中はここから何か持ち出したのか?」
「い、いや、我々が知っている限りでは何も……」
今から一週間前は、ゴブリンブッシュの地下でカイルザインがセオドアを討ち取った日だ。おそらく、ゼヴェディルは逃走に成功した後滅天教団の自分の部下達を引き上げさせたのだろう。
「それにしてはこの研究所を放置していくのは妙だが……」
犯罪組織が情報を隠蔽するため施設ごと全てを処分するのは、珍しくも無い。ゼヴェディルが引き上げさせた部下は、恐らく人間に化けたデーモンだろう。彼等なら、攻撃魔法を何発か放つだけでここを更地に出来たはずだ。
「奴等にとっては態々処分するほども無いという事だろう」
カイルザインはゾルパにそう言うと、置かれている書類を手に取った。……何が書かれているのか、訳が分からない。カイルザインにも意味が分からない専門用語が多く使われているせいだ。
この書類を解読し、人間の魔物化に関する研究を理解するにはかなりの時間と労力を必要とすると、ゼヴェディルは判断したのだろう。……そもそも、理解したところで人道から外れる研究だ。メルズール王国には有効利用などできないと考えたのかもしれない。
「もしくは、ただの嫌がらせだな」
「なるほど、趣味の悪い事ですな」
「これが嫌がらせ、ですか?」
嫌がらせと評するカイルザインに、ゾルパは頷いたが魔道士達の見張りをザックと交代したニコルは首を傾げた。
「これからは人間に化けたデーモンだけではなく、魔物化する人間も恐れなければならない。そう思わせたいのだろう。
もしくは、俺達にここを処分させて後味の悪い思いをさせたかったのかもしれん」
カイルザインにそう言われて、ニコルも理解した。確かに、これは嫌がらせだと。策という程の作意や手間は欠けられておらず、成果も期待していない。相手を不快にさせられれば十分で、逆に効果がまったく無くても構わない。
「だが、嫌がらせをそのまま受けるのは気に食わない。癪に障る。
おい、話は出来るか?」
『……それは、俺に言っているのか?』
突然話しかけられた牢に繋がれている実験体の男は、四つの瞳に戸惑いを浮かべて聞き返した。




