27話 王国貴族の面汚し
ゴブリンデーモンキングが討ち取られ、ゴブリン達の統率は糸が切れたように失われた。
悲鳴をあげて逃げ出そうとして、高台から足を踏み外すゴブリンアーチャー。
逃げ出そうとして仲間同士でぶつかり合い、転倒して無駄に混乱を広げるゴブリンソルジャー。
どうすればいいのか判断できず、立ち尽くすゴブリンナイト。
周囲の同族を従えて逃げ出すために利用しようとして、足を引っ張り合うゴブリンメイジとゴブリンジェネラル。
「なんという事だ! 手塩にかけて育て、強制変異で強化までしてやったと言うのにガキの首一つ取れないとは……!」
グレーターデーモンのジャドゥルもまた、ゴブリンデーモンキングの死に衝撃を受けていた。
「リヒト様や俺の息子をただのガキと侮るからだ!」
「抜かせっ、人間如きがぁ!」
だが、ジャドゥルに動揺する余裕は無かった。プルモリーの援護を受けたグレンとの攻防が続いていたからだ。
「おのれっ、何故だ! 格下のはずなのに、何故貴様を殺せない!?」
怒りと共に繰り出されたグレイブの刃が、グレンの肩の肉を切り裂く。同時に、グレンの長剣の一線が、ジャドゥルの腹を浅く斬る。
それぞれ色の異なる血が流れるが、グレンの傷はプルモリーの回復魔法によって直ぐに塞がる。
「チィッ!」
しかし、ジャドゥルの傷も徐々に塞がっていく。舌打ちをしてグレイブを構え直した時には、血はもう止まっていた。
彼らの戦いを見守る者達も懸命に戦っていた。彼らの戦闘で発生する余派や流れ弾と。
「『冷気の槍』」
「『闇の矢』!」
プルモリーは周囲に気を配っているが、ジャドゥルは当然無頓着に攻撃魔法を放つ。特に、ゴブリンデーモンキングが倒れてからは。
「『魔力障壁』!」
「チクショウッ! これじゃあ割に合わねぇっ!」
騎士や傭兵達は味方を守るために盾を構え、主にジャドゥルが放った攻撃魔法を受け止めていた。
もちろん、グレンとプルモリーを直接援護するのは彼等には不可能だ。ジャドゥルとグレンが地面を蹴るだけで、洞窟の岩がひび割れ、刃がぶつかり合うだけで衝撃波が発生する。特に攻撃する意図はないはずなのに、振り回される被膜の翼や尻尾が岩を削り、破片が礫となって飛び交う。
(離れて見守るだけでも危険が伴う! これがグレーターデーモンと超人の戦いか!)
そう内心驚嘆する騎士達の目には、戦況がどちらに有利なのか判別する事すらできない。
「ぬぅぅ!」
だが、実際には戦況は徐々にグレンとプルモリーの方に傾きつつあった。
(何故だっ!? 何故、儂が追い詰められている!? 儂も付与魔法で自身を強化している! しかも元の身体能力では人間を遥かに上回っているはずなのに! その上、速くしなければこいつ等だけではなくリヒト・ゼダンと他のガキ共を一度に相手しなくてはならなくなる! なのに……理解不能だ! 不条理だ! 理不尽だ!)
(きっと今頃、焦っているのだろうね)
ジャドゥルが胸の内で何を考えているのか、プルモリーには手に取るように分かった。
戦士ではないプルモリーには、動作から相手の心理を読むのは得意ではない。しかし、相手が唱える呪文の響きや魔力の働き具合から読むのは得意だ。
「マナよ、血の濁り、肉のほつれ、臓腑の毒、骨の軋みを息吹に乗せよ。『浄化の息』」
だから、それまで通りグレンを武具にして戦い続ける。ジャドゥルが致命的な隙を見せるまで。
「かはっ!?」
堪らないのはグレンだ。プルモリーの付与魔法と自身の身体強化によって生じた負荷を、彼女の回復魔法によって強制的に吐き出され、戦わされ続ける。
格上の相手に挑む以上、決死の覚悟は決めていた。だが、死ぬより辛い。しかも、それを後悔する暇もない。
「いい加減に死ねぇ!」
「貴様こそっ!」
痩身のグレーターデーモン、ジャドゥルが振るうグレイブをどう回避し、防御して、攻撃するか。刹那の判断を要求され続ける。意識はそれらに全て費やされるため、他の事は何も考えられない。
だからグレンにはジャドゥルにある焦りは無かった。
「キィエェェェイ!」
奇声を張り上げながらジャドゥルが振るったグレイブを掻い潜り、グレンは滑り込むようにして彼の懐に駆け込み腿を深く切り裂いた。
「イィィィィ!」
だが、それがジャドゥルの狙いだった。片脚に負った深手を無視し、尻尾で地面を叩き、翼をはためかせ、グレンを無視してプルモリーに向かって突進する。
「し、しまった!?」
(馬鹿め!)
背後で響いたグレンの悲鳴に、ジャドゥルの口元が喜悦に歪んだ。片脚が骨まで絶たれ、しばらく使い物にならなくなっても、プルモリーを……デーモン系の魔物の弱点である光属性魔法が使えるリヒトが合流する前に彼女を倒せれば戦況を変える事が出来る。彼はそう確信していた。
「ふはははっ! 王国トップクラスの魔道士もこれで終わりじゃぁ!」
片脚が動かなくなったので身体のバランスが狂っており、普段より鈍い一撃になったが、それでも後衛の魔道士の命を刈り取るには十分。
「マナよ、我が腕にミスリルの輝きを宿せ。『真銀の腕』。どっこいしょっと」
しかし、プルモリーはジャドゥルのグレイブを片腕で弾いた。
「はっ?」
グレイブに受けた衝撃に流され態勢を更に崩すジャドゥル。その彼の視界に移るプルモリーが、どんどん大きくなっていく。
「よ、よ、よっ!」
両腕にミスリルの硬度と特性を付与する強化魔法を唱えたプルモリーの拳が、リズミカルにジャドゥルのがら空きの胴体にめり込む。皮膚が破け、肉が焼け、激痛と衝撃にジャドゥルの意識が遠のく。
「がはぁっ!?」
何故? と言いたげなジャドゥルにプルモリーは答えた。
「一人でフィールドワークに行く事もあるあたしに、格闘戦の心得があるのがそんなに不思議かい? それに、リヒト君の魔力が籠った石を持っていてね」
プルモリーは戦士ではない。だが、パーティーを組んで行動する冒険者でもない。なので、彼女は接近戦も出来るようある程度格闘術や杖術を修めていた。
更に、強化魔法によってミスリルと同じ特性を持った拳の内側に、リヒトが宝石に光属性の魔力を込めて作った魔宝石を握っていた。これによって、プルモリーの拳は一時的に光属性を付与されたミスリル製の武器……聖剣ならぬ聖拳となっていた。
「後は彼――」
意識がもうとうとしたまま仰け反っていたジャドゥルの視界が、急に跳ねた。
「はぁ!」
背後から振るわれたグレンの剣が、ジャドゥルの首を切断したのだ。
(やられた! この儂が! おのれっ、まだリヒト・ゼダンを殺していないのに! ディジャデス様の右腕になれなかった!)
くるくると回転する視界に移る人間達を、地面を、天井を、そして空気すら憎いとジャドゥルは睨みつ呪った。
(だが、儂を殺した事でこの世界は一歩滅びに近づいた! いずれ発生する新たなグレーターデーモンよ、儂の代わりに大魔王を復活させ、この不完全な世界に完全な滅びを――)
世界を呪い、全ての滅びを未来に託したジャドゥルの意識は彼の首が地面に落下する前に途切れた。
「彼にかけるついでに、あたし自身にも同じ付与魔法をかけていたからだよ。それに、君達デーモンは付与魔法の類が苦手な個体が多い。元の身体能力が人間より高いから、付与魔法より攻撃魔法の習熟に時間をかけた方が効率的だからだろうけど。
その攻撃魔法もグレン君が頑張ってくれたおかげで、君は長い呪文を唱える事が……もう聞こえていないならいいか」
「でしょうね。冥土の土産には十分でしょう」
ジャドゥルの首が落ち、胴体が地面に倒れても再生せず、動かなくなるのを確認してからグレンは口を開いた。
「それと、魔力が残っているならゴブリンの掃討を手伝ってもらいますよ。この死骸は部下に確保させるので」
グレーターデーモンは生きている間は脅威だが、死ねば貴重な素材の山だ。更に、それだけではなくジャドゥルは最初人の姿に化けており、しかもリヒトを狙っていた。
原作を知らないグレンの目から見ても、ジャドゥルがただのグレーターデーモンではない事は明らかだ。その謎を少しでも調べるため、魔力が残存している死体を保存するのは当然の事だった。
こうして原作では滅天教団四天王となったカイルザインの部下だったジャドゥルは、『殺謀執事』ディジャデスの部下として原作よりも五年以上速く命を落としたのだった。
主だった脅威を討ち取り、残るはゴブリンの掃討となったゼダン公爵領の討伐隊と異なり、ヘメカリス子爵領地下の討伐隊の戦いは新たな局面を迎えていた。
「カイルザイン君、聞き間違いでなければ君は私を寄生虫だと言ったのか?」
「耳が悪いのか? ああ、寄生虫には耳が無いのか。それは悪かったな」
血が流れる右手を抱えるようにして立つセオドア・ジャオハを、カイルザインは近寄ってくるゴブリンを斬り捨てながら嗤った。
その背後、崩れた出入り口付側では、ヘメカリス子爵とその嫡男のエザクを背後に逃がしたギルデバランが、その勢いに乗ってジャオハ侯爵家騎士団に切りかかった。
「ぬおおおおっ!」
魔力で強化された剣の一閃を防ごうと掲げた盾ごと胴体を袈裟斬りにし、返す刀でその横にいた騎士の脇腹を薙ぐ。
「貴様ぁっ!?」
激高したジャオハ侯爵家騎士団の団員が切りかかってくるが、ギルデバランは二合剣を合わせただけで彼の態勢を崩して返り討ちにした。
「な、何が起こっている?」
ルペルとフェルゼンに討伐隊の陣の中央まで逃がされたヘメカリス子爵親子は、事態の変化について行けず呆然としていた。
「ヘメカリス子爵、ご指示をっ! 討伐隊の総指揮官であるあなたの指揮が、今必要なのです!」
ルペルの言葉に、子爵本人ではなく息子のエザクがまず我に返った。周囲を見回すと、ジャオハ侯爵家騎士団やゴブリンに対して優勢に立ち向かっているのは、カイルザインとギルデバラン率いるゼダン公爵家騎士団のみ。他の『果て無き道』や『暁の旋風』等の冒険者達や衛兵達は、応戦しつつも動揺のせいか動きが鈍い。
「父上っ! 指揮を!」
「あ、ああっ。各員、奮戦せよ! 責任は総指揮官である私が取る!」
息子に叱咤され、ヘメカリス子爵は反射的にそう叫んでいた。具体的な指示の無いお粗末な指揮だが、それで事態を把握しきれていなかった討伐隊の面々の迷いは吹っ切れた。
『おうっ!』
「よっしゃっ! 侯爵家の騎士でも構う事はねぇ!」
「やっちまえ!」
衛兵達は声を揃えて弓を引き絞り、冒険者達は連携してジャオハ侯爵家騎士団に立ち向かっていく。
何故なら、ヘメカリス子爵が号令を発した事で、責任の所在がはっきりしたからだ。集められた衛兵や各地の貴族に仕える騎士達は、「これで何かあっても子爵の責任だ」と安心して戦う事が出来るからだ。
「あははははははは! もう人間に変装するのは終わりにしましょうか。元の姿の方が動きやすいから」
ゼヴェディルはけたたましい笑い声をあげながら、真の姿を現した。側頭部からは二対の短い角が、背中からは一対の被膜の翼が、そして腰から鞭のようにしなる尻尾が生える。しかし、ジャドゥルのようなグレーターデーモンと違い肌の色は変わらない。
「ほほぅ。あの女は淫魔、サキュバスだったか」
「それってなんですか? デーモンの親戚?」
「デーモンの一種で、人間に化け様々な生物を魅了する事が出来る魔物だ。姿が女の場合はサキュバス、男の場合はインキュバスと呼ばれる」
「大正解! でも、知っていたからってどうにかなるかしらねぇ!?」
ゼヴェディルはそう笑うとフランベルジュを指揮棒のように振るい、ゴブリン達の一部をゾルパ達に差し向けた。
(適当なタイミングで逃げるか。いや、もう少し様子を見ておこうかしら?)
しかし、ゼヴェディルは内心では冷静に逃げる準備を進めていた。
サキュバスは冒険者ギルドでは討伐難易度Bの魔物で、しかも強みは他者を魅了する能力だ。純粋な戦闘能力では、討伐難易度Aのグレーターデーモンより一段以上弱い。その彼女が滅天教団でジャドゥルに匹敵する幹部にまでなれたのは、戦闘力ではなく狡猾さと魔物としての本能を抑えて人間に長時間付き合える人格、そして研究者としての成果の高さによるものだった。
(セオドアがカイルザインを殺せればいいけれど、あいつが負けたら私とゴブリンじゃあ戦っても無駄だろうし……何が何でも殺せって命令じゃなかったから、逃げても構わないでしょうし)
ゼヴェディルは、リヒトの抹殺のために自ら武器を取って戦ったジャドゥル程、カイルザインを殺す事に拘っていなかった。彼女の計算で勝率が七割以上なら、それなりに危険を冒してもディジャデスの命令を遂行しようとしただろう。しかし、七割未満だったら撤退を選ぶ。
それに本来の目的だった、「増やしたゴブリンでヘメカリス子爵領や周辺の貴族領を滅ぼす」を達成する事は、ゴブリンキングを倒された事で絶対に達成する事は出来ない。
それでもこの戦いに勝つ事で世界を滅ぼす事に大きく貢献できるなら、ゼヴェディルも命を懸けて戦っただろう。しかし、彼女にはこの一件で世界全体がどうこうなるとは彼女には思えなかった。
人間はメルズール王国以外にも、ドリガ帝国やエルフの国、ドワーフの国、それ以外の国、そしてここ以外の大陸、島に腐るほどいるのだから。
とはいえ、滅天教団の幹部がさっさと尻尾を巻いて逃げては格好がつかない。
「紅く燃える力の象徴よ! 我がマナを代償に弾けよ! 『爆裂火球』!」
「っ! 命を奪う白き乙女よっ! その涙を我が前に! 『氷結球』!」
ゼヴェディルは地面から飛び立つと、何人か目ぼしい人間を殺してからにしようと『爆裂火球』を放った。しかし、ゾルパは咄嗟に唱えた『氷結球』でそれを撃ち落とし、衝撃と共にお互いを打ち消し合う。
「地下で炎、それも『爆裂火球』とは流石滅天教団の走狗。自分が生き埋めになる危険も厭わぬとは、呆れ果てる!」
「あはははっ! やりますね! でも、生き埋めになった程度で私が死ぬはずないでしょう? お前ら人間とは違う!」
ゾルパはジェシカやザックに守られながら、表面上は高揚し冷静さを失っているように見えるゼヴェディルを睨んで警戒していた。
(淫魔には魅了の力があるはず。詳細は知らないが、仕掛けられれば直ぐに解かなければならない。だが、そのようが見られない。……もしやゴブリンを魅了するのに手いっぱいで、新たに仕掛けられないのか?)
ゾルパもある程度使う事が出来る闇魔法は、精神に影響を与える事が出来る。彼はそれを主に尋問(拷問)に使ってきたが、逆に精神を鎮静させ混乱や錯乱等の状態異常を鎮める事も可能だ。そのため、ゾルパはゼヴェディルが魅了を仕掛けてきた時のために備えなければならず、思うように動きが取れないでいた。
だが、その結果ゼヴェディルの攻撃魔法をほぼ防ぐことに成功した。
「『雷撃槍』! 私が寄生虫だと!? どうやら君はヘメカリス子爵によほど肩入れしたいと見える!」
一方、セオドアはカイルザインに対して魔法を唱え、剣を抜いた。繰り返し寄生虫呼ばわりされた事がよほど気に入らなかったのか、その顔は怒りに歪んでいる。彼が被っていた貴族然とした仮面は、剥がれ落ちてしまったようだ。
「『魔力障壁』! 肩入れも何も客観的な事実だが、自覚は無いのか?」
ゴブリン達を巻き込んで放たれた電撃の槍を防ぎつつ、カイルザインはセオドアに向かって間合いを詰めた。
「なら教えてやる。貴様が先ほど語った野望を、侯爵家が持つ政治力や財力で叶えようとせず、貴様は陰謀を持って叶えようとした」
そう言いながら力強い踏み込みと同時に、魔力で強化した四肢と剣で突きを放つ。狙うのは鳩尾、それを避けられても腕を戻して連続で突き続ける。
「ぐっ!? がっ!? それの――!」
苛烈な攻めを防ぎきる事が出来ず、セオドアの脇腹や二の腕に傷が刻まれていく。しかし、彼はカイルザインから逃げるどころか、逆に自ら踏み込んで反撃を試みる。
「何が悪い!?」
「だから貴様は寄生虫だというのだ」
カウンターを仕掛けて来たセオドアの刺突を、カイルザインは隠し持っていたナイフで逸らして回避した。
「ギャゲ!?」
そして隙ありとでも思ったのか、近づいて来ていたゴブリンソルジャーが振るった槍を掻い潜って胸倉を掴み上げ、セオドアに向かって放り投げる。
「寄り子の貴族の一族と領民を滅ぼして領地を手に入れる事の、何処が国のためだ? 良好な関係を維持している同盟国相手に戦争を起こそうとする事の何処に益がある!?」
「正論と綺麗ごとだけでは、何も為せない!」
言葉とともに投げつけられたゴブリンソルジャーを、セオドアは左拳で叩き落とし、右手に握った剣でカイルザインに切りかかる。
「その通りだ。だが、限度というものがある!」
だが、カイルザインはセオドアの視界がゴブリンソルジャーで遮られた瞬間、『影航』でゴブリンソルジャーの影に入り、彼の懐に入り込んでいた。
「グアアアアア!? 私の、私の腕がァァァ!?」
そして、振るった剣でセオドアの右腕を半ばから切断した。剣を握ったままの彼の右腕が、地面に落ちる。
「そもそも貴様が憂いているのは、国でもジャオハ侯爵家でもなく自分自身だ。だから自分達以外を食い散らかしてでも自分の地位を高めようとする。
貴様こそ、宿主を害し死に至らしめる寄生虫だ」
緩やかに衰退していく領地を何とかしようと手を尽くしているヘメカリス子爵は、寄り親であるジャオハ侯爵家に何度も援助を求めていたはずだ。その甲斐なく領地の状況を好転できていない事を指して、セオドアは「足手まといの寄生虫」と評したのかもしれない。
しかし、カイルザインに言わせればヘメカリス子爵の行動は常識的なものだ。苦しい状況に陥った下級貴族が寄り親の大貴族を頼るのは当然の事で、それに応えるのが大貴族の甲斐性だ。その代償に大貴族は寄り子を率いて政治力や発言力を高め、他の大貴族と駆け引きを行う事が出来る。
求められた援助の分、寄り子を利用する事が出来ないのならそれは寄り親の大貴族の政治力がお粗末なだけだ。
「アァァァァ!」
「そもそもヘメカリス子爵のどこが足手まといだ? 貴様のバカげた陰謀を止めるために子爵が集めた討伐隊を見て、同じ事が言えるのか?」
半ばから先が無い右腕を抱き抱えて悲鳴を上げるセオドアから距離を取ったまま、カイルザインは今もゴブリンやジャオハ侯爵家騎士団と戦っている討伐隊を指して尋ねた。
ヘメカリス子爵が集めた討伐隊は、彼だけの力によるものではない。
苦しい財政の中維持してきた衛兵、騎士団、関係を維持してきた領内の神殿や魔道士ギルドから集めた神官や魔道士、そして依頼で集まった冒険者まではラドフ・ヘメカリス個人と子爵家の力と言えるかもしれない。カイルザインを含めた他の貴族家から参加している面々は違う。
「エザク・ヘメカリスが陰謀を暴く手がかりを手に入れ、ラドフ・ヘメカリス子爵がその政治力と日々の社交によって培われ、維持してきた他の貴族家との繋がりの結果集まった討伐隊。その一人である俺に利き腕を斬り飛ばされた貴様に、大きな口を利く資格はあるのか?」
そう問いかけても、セオドアは悲鳴を上げ続け情けない姿をさらしている。カイルザインは数秒経っても変わらない彼に苛立つと、舌打ちをしてさらに続けた。
「下手な芝居は止めろ。間がもたん」
「アァァァ――何故気が付いた?」
悲鳴を上げるのを止めたセオドアは、右腕を抱えるのを辞めるとスッと立ち上がった。
「止めを刺そうと、もしくは生け捕りにしようと近づいて来たら不意を突いて殺すつもりだったのだが」
その右腕の切断面からは出血が止まり、鞭を思わせる触手が何本も生えて蠢き出し、左腕は太く肥大化して皮膚は鱗状に変化した。そして指からはナイフのように鋭い鉤爪が伸びる。
「フンッ、あれだけ分かりやすく殺気を出していれば何かあると警戒して当然だろう。……化け物に変異するとは予想外だったがな」
「そうか。勉強になったよ」
セオドアは、血だまりのように紅く染まった眼球でカイルザインを睨むと、口元を歪めて笑った。
「ゼヴェディルが言ったように、滅天教団とは昔からの付き合いでね。彼女達はゴブリンの養殖以外にも、様々な事業を行って来た。その中には魔物のように人間を変異させ強化するものがあってね。今まで多くの実験台を提供してきた。……例えば、不出来な腹違いの兄や、その愛人役に仕立て上げたメイドをね」
行方不明のカルザイやその愛人は、カイルザインの予想通り、そして予想以上に悲惨な方法で始末されていたようだ。
「難しい研究事業だったが、ゼヴェディルのお陰で最近ようやく安定した成果を出せるようになってね。それで早速自分の体に施術したという訳だ。
身体が変異するまで力を発揮するのは今日が初めてだが……クククッ、中々良い気分だ」
セオドアが放つ異様な気配に恐怖したのか、ゼヴェディルに魅了されているはずのゴブリン達さえ動きを止めている。しかし、カイルザインの顔に浮かんでいたのは二つの感情だった。
「超人にでもなったつもりか? 馬鹿め、貴様はその腐った性根に相応しい存在になり下がっただけだ。だから……この俺の手で殺してやろう! 王国貴族の面汚しめ!」
セオドアに対する嫌悪と、強敵との戦いに臨む悦び。高まる戦意に胸を高鳴らせ、カイルザインは肥大した腕を振り上げるセオドアに立ち向かった。




