2話 家督を巡って争う転生勇者義弟と公爵家第一子義兄
エルナイトサーガのラスボスは、大魔王ヴェルシェヴェルガーの復活を目論む滅天教団教祖ザギラだ。しかし、主人公リヒトの前に直接立ちはだかった回数が最も多いのは彼の義兄カイルザインだった。
光以外の魔法と剣の才能に恵まれていたカイルザインは、天才だが傲慢で何よりも残虐な人格の持ち主で主人公のリヒトを見下す嫌なキャラクターだったが、最初から敵だった訳じゃない。
しかし、十二歳になり優れた光魔法の才能を持つリヒトが義父のゼダン公爵に家督を継ぐ後継者候補の一人と認められると、途端に彼に対して嫉妬を剥き出しにした。
だが、リヒトはそんなカイルザインに構わず功績を重ねていった。
古文書を紐解き、使い手が絶え失伝していた魔法を習得し、その方法を広めるきっかけを作った。
領内の地下に大規模なゴブリンの群れが潜んでいる事に気がつき、ゼダン公爵家に仕える騎士や仲間と共に討伐作戦に参加した。
卵を盗まれ怒り暴れるドラゴンに盗人から取り返した卵を返し、それをきっかけにゼダン公爵家の開祖がエンシェントドラゴンと結んでいた盟約を復活させる事が出来た。
また、公爵領内に根を張っていた違法人身売買組織を、メイドで初恋の人のマリーサが犠牲になってしまったものの叩き潰す事にも成功した。
一方、カイルザインは同行したゴブリンの群れ掃討戦でも初陣故に戦功をあげられず、公爵家の後継者候補としての影響力を失いつつあった。
更に、事実上の婚約者だったガルトリット辺境伯家の令嬢フィルローザもリヒトに奪われるのは時間の問題だとみなされていた。
事実上と言うのは、フィルローザとカイルザインの関係は『ゼダン公爵家の次期後継者を、ガルトリット辺境伯の娘の婚約者とする』と両家が約束していたからだ。
カイルザインはフィルローザに熱をあげていたが、彼女にとってカイルザインは政略結婚の相手でしかなく、恋慕の情は欠片も無かった。それどころか、「あの方は私の外見にしか興味が無いのです」と嫌っていた。
そのため、ゼダン公爵家の後継者候補になったリヒトにフィルローザが惹かれ、恋焦がれたとしてもカイルザインは抗議できなかった。文句があるなら、リヒトを蹴落として次期後継者として認められればいいだけだ。
しかし、それが出来ない程カイルザインとリヒトの差は縮まっていた。
そしてリヒトが十五歳になり、貴族の子弟が通う事を義務付けられる王立学校へ入学した年の秋。開催された武闘大会でカイルザインは、伝手を使って手に入れた毒や雇った暗殺者を使ってリヒト抹殺しようと画策。それに失敗すると、審判を買収し汚い手で試合に勝とうとした。
しかし、その邪悪な試みは悉く失敗。カイルザインはゼダン公爵家から廃嫡され、表向きは静養という名目で幽閉される事になった。だが、彼は幽閉される前に逃げ出し、ゼダン公爵家が管理していた『呪われた聖具』の一つ、カオスリングを奪取して行方を眩ませた。
その後、カイルザインは滅天教団四天王の一人、闇と空間、そして時間をも操る強力な魔法を使う魔剣士として幾度となくリヒト一行の前に立ちはだか事になる。ドラゴンゾンビやボーンジャイアントをを駆り、妖魔道士や狂獣騎士、暗黒闘士に堕ちた白銀等の強力な配下を引き連れて。
カイルザインはリヒトにとって最初の強敵であり、ライバル。そしてエルナイトサーガの読者にとっては噛ませ犬的なネタキャラだった。
カイルザインという『キャラクター』について思い出したリヒトは、手で顔を覆った。
「倒れる前、思いっきりあいつの手を払った覚えがある。しかも、何か言ってしまった気がする」
原作に出来るだけ沿いつつも原作を改変すると決めたリヒトだったが、自分がすでに原作改変を行ってしまった事に気がついたからだ。
(原作では主人公とカイルザインの関係は、主人公が十二歳になるまで良好だった。それなのに僕は、初対面でやらかしてしまった)
第一印象の良し悪しは重要だ。それに、エルナイトサーガでのカイルザインは謝ったら許してくれるような寛大なキャラクターではなかった。
(頼むから、カイルザインが原作より早く僕を殺そうとする、なんて改変は起きないでくれよ。僕はまだただの六歳児なんだ)
リヒトも、前世の理仁だった頃はカイルザインと言うキャラクターを好んでいた。自分と同じ名前の主人公の次の次ぐらいには、好きなキャラクターだった。
そう、キャラクターだ。あくまでも物語の中の登場人物としては好きだが、将来自分を殺そうとする義理の兄に対しては恐怖と警戒心しか抱けそうにない。
(……カイルザインと仲良くするのは諦めよう。昼間の事は謝るけど、ことさら仲良くしようとはしない。
それで、明日からどうするかな)
エルナイトサーガで物語が本格的に描かれるのはリヒトが十二歳になってからだ。それまでの出来事は数行しか描写されていない。
コミックやアニメでも同様だ。だから、この後六歳のリヒトが十二歳になるまでの六年間やっていた事は漠然としか分かっていない。
(初恋の人のメイドさんとは……まあ、原作程仲良くならなくてもいいよな。『僕』の初恋の人って訳じゃないし。
それよりも最後まで一緒に戦う仲間のアッシュとの関係の方が大事だ)
ゼダン公爵家に仕える騎士の家に生まれた、リヒトと同い年の少年アッシュ。彼はリヒトに仕える騎士として、仲間として、そして何より親友としてエルナイトサーガで活躍したメインキャラだ。戦力的にも絶対に必要な人物である。
(だけど、まずは強くなる事……剣も魔法も勉強も頑張らないと。ゼダン公爵に『後継者候補として相応しい』と認められないと、王立学校に入学を認めてもらえないかもしれない。
それに、滅天教団を原作より早く叩き潰すためには、今からでも出来る努力はしておいた方が良い)
前世の記憶を取り戻した彼だったが、それはリヒトとして生きて来た今までの人生を否定するものではない。
大好きだった実の両親を手にかけた滅天教団に対する怒りは、小さくはなかった。
ゼダン公爵家の養子となったリヒトは、思いつく限りの努力を行った。
家庭教師から得られる知識と技を全て身に着け、エルナイトサーガの原作知識を活用してこっそり魔法も習得した。
同い年の少年であるアッシュ・ダンロードとも出会い、リヒトの模擬戦相手として共に剣を学んでいる。原作では主人公の初恋相手だったメイド見習いのマリーサとも、友達になった。
そして、屋敷に戻った現公爵ヴィレム・ゼダンはリヒトを含めた三人の息子を執務室に呼び出して告げた。
「カイルザイン、タレイル、そしてリヒト。お前達三人の中で、最も優秀な者に家督を譲るものとする」
「お待ちください、父上っ! 私と兄上はともかく、何故リヒト君まで!?」
重々しく告げたヴィレムに向かって、次男のタレイルが食ってかかった。しかし、内心リヒトも彼と同じ事を問い返したかった。
(なんで僕まで!? 俺はまだ九歳だぞ!? 原作よりも三年も早いんだけど!?)
原作でリヒトがゼダン公爵家の後継者争いに加わるのは、彼が十二歳になってからのはずだった。それが何故三年早まったのか。
たしかに、リヒトは原作主人公がしていた以上の努力を重ね、同じ歳の原作主人公より数段以上強くなったはずだ。そうした努力を隠す事は出来なかったため、義父であるヴィレムの耳にも入っていただろう。
だからと言って何故原作より三年早く後継者争いが始まるのか? ゼダン公爵家の後継者争いを始める時期に決まりはない。リヒトの実力の有無で日程が左右されるなんて彼には考えられなかった。
「タレイル、それはリヒトが優秀だからだ。それに、彼は養子だが元はお前達の伯父の息子だ。何の問題がある」
「ですが父上、慣例では後継者は現当主の子から選ぶ決まりのはずです!」
しかし、「原作と違うのは何故ですか」とは口にできないためリヒトが押し黙っている間に、淡々とした口調で息子の問いに答えるヴィレム。
「タレイル、これは現当主である私の決定だ。お前にどれだけ不満があっても、覆る事は無い」
そしてヴィレムがそう告げるとタレイルも諦めたのか肩を落として引き下がった。
(そう言えば、騒いでいるのはタレイルだけで、カイルザインは黙ったままだな。原作では逆に、タレイルの方が黙っていたのに)
リヒトが後継者争いに加わるシーンは、原作ではプロローグの次のシーンだったので、彼もよく覚えていた。
だが、原作と違いカイルザインはヴィレムが「話は以上だ」と言って三人に退出を促しても黙ったままだった。
「リヒト、お前には昨日まで兄として接してきたが、今日から俺とお前はゼダン公爵家を継ぐのに何方が相応しいか争うライバルだ。今日からは慣れ合おうとは思わん。
もっとも、お前にとっては言われるまでもない事だろうがな」
そして、執務室から出ると一方的にそう宣言するとリヒトの返事を待たずにその場から立ち去った。
「はぁ……まったくどうしようか」
執務室前の廊下に残ったのは壁にもたれかかって頭を抱えているタレイルと、原作との差異が生じた事に困惑しているリヒトだけだ。
「あの、タレイル兄上?」
「あ、ああっ。さっきはすまなかったね、リヒト君」
思い悩んでいる様子のタレイルに話しかけると、彼ははっと我に返った様子で佇まいを正した。
「僕は別に君が嫌いだとか、そんなつもりではなくて……ただ、僕の立場が予想より下になりそうだったから、焦ってつい大声を出してしまっただけなんだ」
そして、いつもの柔和そうな顔つきに戻ってそう弁解した。
「あの、それなんですが、何故父上は養子の僕を後継者候補の一人にしてくれたのでしょうか?」
リヒトはカイルザインとは違い、タレイルに対しては殊更警戒していなかった。タレイルはエルナイトサーガでリヒトの敵に回ったことは一度も無い味方……というより、影の薄いキャラクターだった。そして、それ以上に、これまでの三年間でタレイルが穏やかな性格の少年だと分かっているからだ。
「父上の執務室の前で話し込むのもなんだから、歩きながら話そうか。
君には光属性魔法の才能があると前々から分かっていたからね。父上は以前から君を後継者候補の一人……本命にする腹積もりだったはずだよ」
「ゼダン公爵家の開祖が、光属性魔法が得意な魔法剣士だったからですよね」
ゼダン公爵家はアシュトン王国建国時、初代国王を武力でもって支えた武人が興した家柄だ。名将として兵を率い、自らも優れた剣の使い手で魔法の腕も一流。特に光属性魔法が得意で、王国の窮地を幾度も救ったと王国史に記されている。
その影響で、今でもゼダン公爵家では後継者を決める時、光属性魔法が使えるか否かは判断材料の一つになっている。
「それに加えてこの前、カイルザイン兄上との模擬戦で引き分けただろう? それが決定打になったのだと思うよ」
「確かに引き分けましたけど……たったそれだけの事で?」
半月ほど前、リヒトはカイルザインと練習用の木の剣を使って模擬戦を行った。三年前、初対面で彼の手を振り払った故に関係悪化は避けられないと思っていたリヒトだったが、カイルザインは彼の無礼を許すと尊大だが寛大な態度で昨日まで義弟に接してきた。
カイルザインに対して警戒しているリヒトにはその態度は、許したように見せかけて何かを企んでいるようにしか見えなかったため、これまで二人の関係は上辺だけの物だったが。
「それだけの事で? じゃないよ。兄上の剣の腕前は、もうゼダン公爵家の騎士団員と互角以上に戦える程だ。魔法も使っていいなら、騎士団長相手でもそうそう負けないだろうね」
「あの人、そんなに強いの!?」
原作通り、才能に胡坐をかいて努力なんてしていないだろうと思い込んでいたカイルザインが、実は実力者だと告げられたリヒトは、思わずタレイルに聞き返した。
「知らなかったのかい? 君の武術や馬術の家庭教師はうちの前騎士団長だから、兄上に関する事を知る機会はあったはずだけど」
「先生やクランベさんから聞いてはいました。でも……立場上、カイルザイン兄上をよく言わないといけないから、褒めているだけかとてっきり……」
リヒトの頭にはエルナイトサーガのカイルザインのイメージが強かったため、彼が少年時代から努力している事がどうしても信じられなかったのだった。
「リヒト君、君はどういう訳か前から兄上を敵視しているよね。兄上も、何故リヒト君に嫌われているのか分からないって、悩んでいたよ」
ただエルナイトサーガの事を知らないタレイル達には、リヒトが理由は不明だがカイルザインを嫌い、敵視していると認識されていた。
「あの人が、僕との事で悩む?」
そのため義兄が自分との関係を修復しようと悩んでいたと言われてリヒトが目を丸くして驚いても、タレイルは殊更疑問には思わなかった。
「ああ、君にとって兄上は生まれつきウマが合わない相手らしいけどね。もっとも、リヒト君が義弟になる前の兄上は確かに努力家ではなかったよ。
兄上が真剣に武術や魔法に打ち込むようになったのは、リヒト君が家庭教師を困らせるほど勉強熱心な事が分かってからだったと思う」
「えっ? 僕の影響ですか!?」
将来の滅天教団、そしてカイルザインとの戦いに備えて、そして原作改変のために今できる事に全力で取り組んだリヒト。その影響で将来敵対する義兄まで強くなったと知って、彼は驚きを隠せなかった。
「兄上もただ君と仲良くなりたかった訳じゃないと思う。父上に君と『仲良くするように』と言いつけられていたから」
「義父さんが兄上にそんな事を……」
そう言えば、エルナイトサーガでもカイルザインは実の父であるヴィレムに強く執着しているらしい描写が、いくつもあった。その理由は本編では明かされなかったが――。
(たしかカイルザインが主役のスピンオフ作品があったけど、どんな内容だったか思い出せない)
前世の記憶について思い出した三年前のあの日から、リヒトは与えられた部屋の机の引き出しの中に前世の様々な出来事や知識、そしてエルナイトサーガについて覚えていること全てを書き記して来た。
しかし、人間は忘れる生き物であり、リヒトも例外ではなかった。
(もしかしたら、そもそも読んでいないかもしれないけど……回復魔法の中には失った記憶を復元する魔法もあるはずだから、それをいつか試してみよう)
そう考えるリヒトだが、やはりカイルザインに直接質問する事や、彼に近しい人物に聞き込みを行うという発想は無かった。
「まあ、その父上がリヒト君を後継者候補の一人だと明言した以上、もう君と仲よくしようとは考えていないと思うけど」
そしてタレイルはリヒトの沈黙をどう解釈したのか、上機嫌で話を続けていた。
「冷静に見えたけど、内心穏やかではなかったはずだよ。フィルローザ嬢の事もあるし」
ガルトリット辺境伯の長女フィルローザ。家同士の取り決めで、彼女はゼダン公爵家の次期当主と婚約する事になっている。
エルナイトサーガでは、そのフィルローザにもカイルザインは強く執着していた。それはこの世界でも同じらしい。
「カイルザイン兄上は、そんなに彼女の事が?」
「それはもう。顔を合わせたのは去年の社交パーティーが初めてだったけれど、屋敷に帰って来てからもしばらく浮かれていたからね。
リヒト君も、今年の社交シーズンになれば顔を合わせる事になるはずだ。果たして彼女は僕の義姉になるか、義妹になるのか……」
話しながら遠い目で見つめる彼に、リヒトはふと気になって尋ねた。
「タレイル兄上が競争に勝てば、兄上の正妻になるのではないですか?」
すると、タレイルは苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「それは無理だよ。僕は兄上より剣も魔法もずっと下さ。君のように光属性魔法の才能も無いし。
僕も頑張っていない訳じゃないけど……僕は父上に呼ばれなくてもおかしくなかった。今日いなかった弟妹達のようにね」
ゼダン公爵家には、カイルザインとタレイル以外にもヴィレムの実子が存在する。後継者を実力で選ぶ慣習に乗っ取れば、彼等にも競争に参加する権利があるはずだ。
しかし、次期当主をいつまでも決めないままでは政治的に問題が生じる。末子が競争に参加できる年齢に育つまで待つことはできない。
そのため、長子がある程度の年齢になった段階で競争に参加するに足る実力がなく、見込みがないと判断された者は排除される。彼らは最初から競争に参加する事も出来無いのだ。
「そっちの方が気楽かもしれないけどね。家督を継げないだけで、公爵家の一員である事に違いはないから」
ただ、そう言って笑うタレイルの言うように、後継者争いから排除されても迫害される訳ではない。
将来は家臣としてゼダン公爵家に仕えるもよし、騎士や魔法使い、文官として国やギルドに就職するもよし。女子なら公爵家と縁を結びたい相手はいくらでもいるし、男子でも縁があれば他の貴族家に婿入りする道もある。
「でも、タレイル兄上はさっき自分の立場が予想より落ちるって嘆いていませんでしたか?」
「そうなんだよ。圧倒的な差があっても、後継者争いに参加したってだけで箔が付くからね。兄上に勝てなくても、公爵領内の町の代官には成れる。運が良ければ、他の家に婿入りしたり、文官になって王都で働く事も出来る。
でも三番手となるとどうなるか……はぁ」
「気を落とさないでください、タレイル兄上。それに、まだ僕がタレイル兄上に勝てるとは限らないじゃないですか」
「九歳でカイルザイン兄上と引き分けるリヒト君に僕が勝てる訳ないよ。学問なら自信はあるけど……うちは武門の家だからね。どうしても武功の方が重要視される。
もし君が家督を継ぐことになったら僕の事も頼むよ、リヒト君」
「あははは、気が早いですよ、兄上」
冗談めかして、しかし割と真剣な目で頼み込んで来るタレイルに苦笑いを返しながら、リヒトは新たに産まれた原作との差異と、それによって起こる今後の展開の変化に思いをはせていた。
ヴィレムの執務室前から立ち去ったカイルザインは、しばらく屋敷の廊下を歩いてからふと背後を振り返って呟いた。
「タレイルはリヒトに着いたか」
いつも自分の後ろをついて歩いていた腹違いの弟の姿が無い事の意味を悟って、カイルザインは鼻を鳴らした。
タレイルは顔つき通り柔和で穏やかな性格の少年だが、実は計算高い性格である事をカイルザインは知っていた。
おそらく、彼はリヒトの方が次期ゼダン公爵になる可能性が高いと踏んで、今頃は彼に取り入っている事だろう。
「まあいい」
しかし、カイルザインはそんなタレイルの性格を嫌ってはいなかった。貴族としては必要な資質であり、自分には無いものを持っていると、むしろ認めていた。
今は手のひらを返して自分から離れたが、自分の方が優勢だと見ればまた手の平を返して戻ってくるだろう。
「リヒトめ……」
カイルザインにとって問題なのは、リヒトだ。
父から彼と「仲良くするように」と言いつけられてからこの三年間、良い兄になろうとカイルザインなりに努力してきた。義弟と共通の話題を作るために、そして兄の威厳を保つために、真剣に武術や魔法の修練に打ち込んだ。
「奴が幼いながら鬼気迫る勢いで勉学に打ち込み、武術や魔法を修めようとするのは亡き伯父上の仇を取りたいがためだと俺は思い込んでいた」
A級冒険者だった伯父夫婦は、依頼のためにリヒトを家に残して魔物が数多く生息する森に赴いたまま、行方不明となった。遺体は発見されなかったが、他の冒険者達によって遺品が発見されたため死亡したとされている。
A級冒険者は、超人中の超人。国が亡びるような天変地異が起きても、そう簡単に事故死するなんてことはあり得ない。だから伝説に語られるような強大な魔物、もしくは叔父夫婦以上の腕の持ち主に殺されたのだと推測された。
その推測に思い至れば、実の両親の仇を取るために両親以上の力が欲しいとリヒトが考えても無理はない。そうカイルザインは思い込んでいたのだが……違った。
「奴の狙いはゼダン公爵家の家督だったのだ。それなら、奴が俺を異様に敵視していた理由も分かる。誰に何を吹き込まれたのかは知らんが……奴は本気だ」
カイルザインは半月前にリヒトと行った模擬戦から、そう確信していた。
義理の兄弟となってから一向に関係が改善しない義弟。彼が熱心に打ち込んでいる剣の稽古を自分がつけてやる事で、関係改善のきっかけになるのではないかと考えて行った模擬戦。
リヒトの家庭教師である前騎士団長の指導下で行われた、練習用の木剣で行われた試合は実戦さながらの激しさだった。
三歳年下のはずのリヒトの剣は粗削りだったが速く、何より鋭かった。だが、カイルザインが驚いたのは彼の剣に込められた殺気と敵意だ。
(あの凄まじい気迫。まるで俺を倒す……殺すべき敵としてみているとしか思えなかった)
カイルザインは一度だが、実戦を経験している。相手は家庭教師の魔道士が生け捕りにしたゴブリンで、いざという時助けに入れるよう騎士達が控えている状況でだが、彼はその時本物の殺気を体験した。
カイルザインはあの時のゴブリンよりも鋭い殺気を、リヒトの剣から感じていた。
あの模擬戦で、カイルザインはリヒトと引き分けた。全力で戦って、十二歳の彼は九歳の義弟に勝てなかったのだ。
もし剣だけではなく魔法も使っていたら、カイルザインが勝っていただろう。リヒトにも魔法の、特に光魔法の才能があるが、年齢的にまだ実戦的な魔法は習っていないはずだからだ。
(魔法か。そう言えば、魔法について教えてやった時だけは俺に対する警戒心が緩んでいたな)
リヒトが義弟になったばかりの頃、既に初級の魔法を習得していたカイルザインはそれを彼に見せた事があった。
地面を僅かに盛り上げる魔法や、コップ一杯分の水をスライムのように操る魔法、そよ風を起こす魔法。そうした初歩的な、日常生活でも使いどころのない魔法をリヒトは瞳を輝かせてみていた。
(いや、もう過去の事だ。俺はなんとしても奴に勝たねばならん。ゼダン公爵家の家督も、フィルローザも、全てを手に入れる!)
そう決意を新たにしたリヒトは、自室の扉を開けた。
「カイルザイン様、お待ちしておりました」
「それで、お館様のお話はやはり後継者に関する事でしたかな?」
平民の家一棟より広い部屋には、二人の男がいた。
「ギルデバラン、その通りだ」
「やはり……リヒト様が加わるとは予想外だ」
二十代半ばの獅子の鬣を思わせる豊かな髪をした彫りの深い顔立ちの美丈夫は、ギルデバラン。今は亡きカイルザインの母が嫁入りする際に同行した使用人夫婦の息子で、今はゼダン公爵家騎士団の分隊長を務める彼の武の師匠だ。
「なに、リヒト様が加わったところでカイルザイン様の優勢に変わりはありますまい」
「そんな事はないぞ、ゾルパ」
ゾルパと呼ばれたのは、顎髭を伸ばした蛇を思わせる顔つきの年齢不詳の男で、ヴィレムが当主になる前からゼダン公爵家に仕えているお抱え魔道士。今はカイルザインの魔法の家庭教師を務めている。
「リヒトの才能は本物だ。剣でも魔法でも、強敵になるだろう」
この二人とカイルザインは、彼が真剣に武と魔法に打ち込むようになってからの三年で、家族よりも強い信頼関係で結ばれた師弟であり、主従である。
「何より、父上は伯父上の忘れ形見であるリヒトを好んでおられる。疎まれている俺とは違ってな」
だからこそ、カイルザインは自身の窮状を打ち明けた。