19話 義兄と子爵家一家
「うわ~、街に入った時も思いましたけどすごいですね。都会って感じです」
ジェシカはヘメカリス子爵領の領都カリスバウムを。瞳を輝かせて見回した。
「この町の人口はお前が育った村の十倍以上だから、そう見えるだろうな」
一方、都会育ちのカイルザインの瞳には特に何の感慨も浮かんでいない。
ジェシカが生まれ育ったピオス男爵領は、メルズール王国に数ある男爵領の中でも小規模な方で、人口数百人の村がいくつかしかない。総人口は多く見積もっても二千人未満だろう。
対してカイルザインが生まれ育ったゼダン公爵領はメルズール王国の北方に位置し、領都の人口は約百万人。他にもいくつも町があり、村の数は数えきれない程。総人口は三百万人を超える。
そのためジェシカから見るヘメカリス子爵領の領都カリスバウムは、ジェシカから見れば始めて見る都会で、カイルザインからするとただの田舎町だった。
「それでこれから何処に訓練しに行くんですか?」
「街中で訓練はしない。今日は生活必需品とお前の服を買いに行くだけだ」
貴族の令息であるカイルザインは、普通なら買い物のために商店へ赴く事はない。彼にとって買い物とは、屋敷に呼びつけた商人が並べる品から買うものを選ぶ事だからだ。
しかし、この日は自分の顔が知られていない他領である事と、他の騎士団員と同じような格好をしている事を活かして気分転換も兼ねた社会勉強……いわゆる普通の買い物を体験しようと考えていた。
「あ、カイルザイン様、ついでに防具も見ていきませんか? 街ならドワーフの体形にある防具もあるかもしれませんよ!」
「後、ゾルパ殿からジェシカの文字の読み書き用の教本と予備のペンを頼まれています。……よく握り潰してしまうので」
「あ、あはは、勉強につい力が入っちゃって……」
「入れる場所が違うだろう。分かったが、まずは服屋だ」
その気分転換の護衛兼従者として同行しているザックとニコルの提案に頷き、予定に加えるカイルザイン。ジェシカは戸惑った様子で彼等に問いかけた。
「服って、お仕事の報酬には無かったような気がするんですが、良いんですか?」
ジェシカがギルデバランに保証されたのは仕事中の食と住のみだった。しかし、その時とは自分の身分が変わっている事を彼女は失念していた。
「お前はもう一時雇ではなく、俺の従僕だ。みすぼらしい恰好を何時までもさせていては、俺の品格が疑われる。給金とは別に支給するので、遠慮なく受け取れ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「……言っておくが、絹ではなく綿だぞ。もちろん既製品だ」
「はいっ! 十分です!」
ジェシカのあまりの喜びように、いぶかしんで釘を刺したつもりのカイルザインだったが、それは見当外れだった。
「カイルザイン様、村では新しい服は贅沢品です。だいたいは行商人が街で仕入れた古着を買って、それを各家庭で仕立て直して使います」
彼が困惑しているのを察したニコルがそう説明する。彼女の父は小さな村に赴任している衛兵で、騎士団に入隊する前は村人達とほぼ同じ生活をしていたので、暮らしぶりが分かるのだ。
「そうか。ではニコル、店に着いたら服を見繕ってやれ」
「はい」
「よろしくお願いします」
そして寄った服屋では、特に何のトラブルも無くジェシカの服を購入する事が出来た。また、教本を買いに行った本屋やペンを買いに寄った文具店でも同様だ。
店側はカイルザインが貴族である事は気が付かなかったものの、ザックとニコルを見て領主館に滞在している騎士団の団員である事には気が付いたので、丁寧な対応を受ける事が出来た。
しかし、ジェシカ用の防具や騎士団で使う予備のナイフを買いに立ち寄った武具店で思わぬ出会いがあった。
「いらっしゃい、商品は飾ってある物だけだ。オーダーメイドは断って……あん? お嬢ちゃん、ドワーフじゃねぇか。おめぇみたいなガキが何やってんだ?」
武具店のカウンターに座っていたのはドワーフだったのだ。彼はザックとニコルを見た後、カイルザインの後ろにいるジェシカに気が付いて睨むように顔を顰めた。
「……あ、はいっ! あたしドワーフです!」
「我々はゼダン公爵家に仕える騎士団で、彼女は最近我々の同僚になったジェシカ。正式な騎士叙勲はまだ受けていません」
まだ自分がドワーフであるという自覚が薄いジェシカに代わり、ニコルがそう答えた。
「ガッハッハッハ! 騎士さんかい、それにドワーフに自分がドワーフだって名乗る奴は始めて見たぜ! おおいっ、皆! 珍しい客だぞ!」
ドワーフは笑い出すと、大声で店の奥に向かって呼びかけた。すると、なんだなんだと六人のドワーフが奥から現れた。
最初に一人を入れると七名。男性は四名で全員よく似ていて、髭の整え方ぐらいでしか見分けがつかない。対して女性は全員二十代から十代に見えたため、男性陣の誰かの妻なのか姉や妹なのか、それとも娘か孫かは分からなかった。
「おお、久しぶりのドワーフの客だ。でも冒険者らしくねぇな」
「騎士団だ。領主様の所で滞在してるって噂になっただろう、そこに入ったらしい」
「この国でドワーフの騎士か!? そりゃ珍しい」
「あ、あははは」
始めて見る自分以外のドワーフ達に圧倒され、困惑を誤魔化すように笑う事しかできないジェシカ。
「その久しぶりのドワーフの客に、防具を見繕ってほしい。盾と予備の武器も。それとは別に、ナイフを何本かと手入れ用の道具と油も」
見かねたカイルザインが要件を述べると、ドワーフ達ははっと我に返った様子で頷いた。
「おっと、こいつは失礼。任せときな、坊ちゃん。それで予算は?」
「こいつの防具は三千メル。予備の武器とナイフは含まない」
「よし、任せな。おい、奥にあれがあったろ! とってこいっ!」
最初に応対したドワーフが一行の中で最も偉いのがカイルザインである事を察し、他のドワーフ達に指示を出す。
ちなみに、メルとはメルズール王国の通貨である。
「ところで久々のドワーフの客って、昔はドワーフが多かったのかい?」
その中で、お茶を淹れてきた男性ドワーフにザックが話しかけた。
「まあな。この辺り……領主様の領地には良質な鉄鉱山や銅鉱山があったんだよ」
話しかけられた男性ドワーフも話好きなのか、久しぶりに自分達以外の同族を見た事で浮かれているのか、黄土色のお茶を淹れながらザックの世間話に応じる。
「それで採掘技術者や鍛冶屋のドワーフがあちこちから集まって移住したのさ。俺の爺さんは武器職人で、婆さんは鎧職人。この町で出会って結婚したんだ。良質な鉄で作った武具に、商業ギルドを通じて手に入れたミスリルやアダマンチウムをコーティングして一流の仕事をしていた。
傭兵や冒険者もそれなりに集まった。この店で買った武具で、近くのダンジョンを攻略したり、ギルドで依頼を受けた魔物を討伐したり、賑わったもんだ」
顔をよく見れば皴がない事から若い事が伺える男性ドワーフは、昔を懐かしむように語った。しかし、ふと目を伏せてため息を吐いた。
「だが、爺さんと婆さんが大地に還って俺が本格的に職人として働き始めた頃に、鉄や銅が取れなくなって鉱山が次々に閉山していった。代替わりしたばかりだった領主様と鉱山で働いていたドワーフは次の鉱脈を探したが、見つからないか掘っても採算が取れそうにない鉱脈ばかりだったらしい」
「なるほど。それで景気が悪くなってドワーフ達は新天地へ旅立ったのかい?」
「まあな。鍛冶屋も残っているのは俺達一家が最後だ」
「冒険者や傭兵もかい?」
「鉄が出なくなって武具の原価を上げなきゃならなくなったからな。後、隣の領主様の所でダンジョンが発見されたから、他の所に行ったらしい」
ヘメカリス子爵領が衰退した要因の一つとして、子爵領唯一のダンジョンと領内に出現する魔物や取れる素材に独自性が無かったことが挙げられる。ヘメカリス子爵領のダンジョンや出現する魔物からでなければ採れない素材が無く、他のダンジョンや森や山で代替が可能だった。
そのため、閉山で景気が悪くなったヘメカリス子爵領から冒険者や傭兵達の姿が緩やかに消えていったのだろう。
(そう言えば今の子爵に代替わりしてから人口も減り続けているって話だったな)
ザックはふと、今回の遠征前に調べた滞在する予定の貴族達の情報を思い浮かべた。
ヘメカリス子爵領は子爵が治める領地の中では平均的な規模で、人口約五千人の領都カリスバウムに、それより小さな町が一つ。そして十以上の村落を治めている。総人口は一万三千人程。
ただ、鉱山が健在だった頃はさらに町が一つあり、総人口は一万八千人を超えていた。おそらく、今も人口減少は緩やかに進んでいるのだろう。
(ジリ貧って奴だな。何か新しい産業を起こさないと、どんどん追い詰められていく。だから今回の調査に盛り上がっているのか)
ザックは直接見てはいないが、ラドフ・ヘメカリス子爵は今回の調査に希望を見出しているようだったと聞いていた。魔物は狩れれば貴重な食料や素材を得る事が出来るが、冒険者や傭兵が減少傾向にあるここでは旨味が少ない。
それよりもマナが安定している土地が増えている事が調査で判明すれば、そこを開拓して農地にし、安定した税収を得る事が可能になる。
農村を新たに造り、町にたむろする職の無い者達から移住者を募れば治安も良くなり、経済にも良い効果を与える。
もちろん農村が一つや二つ増えた程度で、ヘメカリス子爵領がかつての繁栄を取り戻せる訳ではない。だが、衰退を止める足掛かりにはなるかもしれない。何より、何もせず緩やかに衰退する事に堪えられないのだ。
「そう言えば、オーダーメイドを受け付けてないのはあんた達も引っ越すからかい?」
ただ、調査に関してはまだ公にされていないため、ザックは世間話の話題には出さなかった。
「ああ、来月にはここを出る。その先は決まってない。生まれ育った町だから馴染はあるが……ああ、そう言えば最近珍しく良い話題があったな」
(ありゃ? 調査の事はまだ公にされていないはずだったよな?)
ザックは内心首を傾げながらも、顔には出さずに「へぇ、いったい何だい?」と先を促した。
「領主様のご息女の、キリエラ様の婚約が決まったのさ。なんでもお相手は新興の男爵家の令息で、領地も半ば以上開拓中らしい」
「へぇ、そいつは苦労しそうだね」
若いドワーフが言う良い話題とは、ヘメカリス子爵がカイルザインに合わせようとしていた娘の婚約が決まった事だった。
「キリエラ様は今年十九歳でご令嬢としちゃあギリギリの歳だったから、金持ちのボンボンの側妃だか第二夫人に宛がわれそうになったって聞いた相手の令息が、ご領主様を説得されたんだそうだ」
「そうか、そりゃあ良かった」
話を聞きながらザックが横を見ると、先ほどまで店の壁に飾られていた武器を眺めていた金持ちのボンボン……カイルザインが苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
「おっと、話し込んじまったな。粗茶だが飲んでくれ。ほれ、坊主も遠慮するな」
「遠慮した覚えは無い」
湯気を立てる黄土色の液体で注がれたカップを仏頂面で受け取ったカイルザインは、同じようにカップを受け取ったザックに視線を向ける。
こういう時の毒見役も兼ねているザックは、心得たと小さく頷きカップに口をつける。
「うっ!?」
その途端、短く呻いて顔を歪めた。まさか毒かと思ったカイルザインだったが、そうではなかった。
「なんだ、これっ!? 苦甘いっ!? しかもとろみがついてる!?」
初めて口にする風味のお茶に目を丸くするザックに、ドワーフ達は笑い出した。
「それは岩に生える苔を煎じたもんで、爺さん達が生まれ育ったドワーフの国じゃ、モス茶と呼ばれているそうだ」
「これは爺さん達がここで見つけた、ドワーフの国の苔と似た苔で作った模造品だけどね!」
「滋養強壮に良く、二日酔いに効く良い茶だ! 淹れた後冷めにくいから、ゆっくり飲める!」
「そもそも、まだ酒は飲まん」
毒ではないらしいのでカイルザインもカップに口をつけたが、香りも味も喉越しも普段飲む紅茶とは異なるため驚いたが……不味いとは感じなかった。
「風味は、薬草で作った茶に似ている。悪くない。冷える冬には体を温めるのにいいだろう。……今は初夏だが。
これは珍しいのか?」
「ほう、まさか貴族のボンボンの舌に合うとは思わなかった。儂等ぐらいしか作らんから珍しいっちゃ珍しいが、苔は山に行けばいくらでも生えとるよ。茶に出来る苔と出来ない苔を見分けるのは、素人には難しいかもしれんが。
欲しいなら分けてやる。商品を買ってくれたサービスにな」
「それはありがたく受け取るが、ボンボンはやめろ。これでもお忍びだ」
「カイルザイン様、気に入ったんですか!?」
「お前は無理に飲まなくてもいいぞ、ザック。ニコル、ジェシカの防具はどうだ?」
「今、微調整が終わりました」
ニコルの声に続いて奥から出て来たジェシカは、金属の光沢を放つ鱗のような鎧を着ていた。
「ダンジョンで討伐された破城牛の皮に、ここの鉱山で取れた良質の鉄を鍛えた作った鉄片を打ち付けて作ったスケイルメイルだ。兜にはその破城牛の角から削り出した角飾り付き。
板金鎧より軽く、衝撃にも強く、ある程度サイズを調整できるよう魔法をかけてある。着け心地はどうだ、嬢ちゃん?」
「はい、まるで何もつけてないみたいに軽いです!」
スケイルメイルを着て兜を被ったジェシカは、その場で飛び跳ねて見せる。軽快なステップでドスドスミシミシと音を立てる彼女に、ドワーフ達は苦笑いを浮かべた。
「それは多分嬢ちゃんの力が強いからそう感じるだけだと思うが……まあ、動きに支障が無いならいいか」
「凄いね、あんた。じゃあ、この盾も持っていきな。破城牛の頭蓋骨の余った部分とここの鉄にミスリルをコーティングしたバックラーだ。ベルトで腕に装着して使いな」
「うわぁ、カッコいい! ありがとうございます!」
「おい、予算を越えていないか?」
破城牛は討伐難易度Bの魔物で、その皮や骨、そして角は高額で取引されている。それにミスリルは、防具の表面にコーティングする分だけでもかなりの額になる。それに兜や盾もとなると、三千メルなんてとっくに超えているはずだ。
「気にするな、出来た時にはドワーフの冒険者や傭兵が居なくなっていて、買い手が無いまま倉庫の肥やしになっていた物だ。引っ越しに持っていくにも荷物になるから、ここで売れるならありがたい。
後は予備の武器だったな。投げられる手斧か、それとも片手持ちのウォーハンマーなんてどうだ?」
本来ならジェシカに尋ねるべきだが、ドワーフ達は彼女の様子からまだ戦い慣れていない事を察していた。そこで、主導権を持っているらしいカイルザインに尋ねたのだった。
「あの~、あたしは同じメイスだと扱いやすくていいな~って……」
「主な武器と予備の武器が同じだと、応用力が落ちるから却下だ。
どうせ今のお前では武器を狙い通りに投げられんだろうし、片手用でも今から慣れさせておく方がいいか。ウォーハンマーを貰おう」
「毎度あり。こっちの柄はトレント製で、丈夫で魔力を良く通す業物だ。千でどうだ?」
「それでいい」
カイルザインも本人の意見を尊重せず、片手用のウォーハンマーに決めた。そして魔物の解体用にナイフを三本と武具の手入れ用の油と購入し、モス茶を一袋と作り方や淹れる時のコツを聞いて武具店を出た。
そして数歩も歩かないうちに、獣の唸り声に似た音がジェシカから発せられた。
「アハハハ、すみません、お腹が空いて……」
「俺も小腹が空いて来たんで、途中の屋台で何か買っていいですか?」
「ザック、あなたまで何を言っているの。子爵の屋敷に戻ればもっと美味しい物が食べられるわよ」
「分かってないな、ニコル。屋台には屋台の良さがあるんだよ」
「ここに来る途中であった黒パンのサンドイッチの店なら良いだろう。ジェシカのついでに奢ってやる」
「カイルザイン様!?」
「行く先々で金を落とすのも貴族としての嗜みだ。……それに、あの黒いパンがどんな味なのか興味がある」
そしてヘメカリス子爵の屋敷に戻る前に、屋台で軽食を取ったのだった。雑穀から作られた黒パンはカイルザインが食べ慣れた白いパンとは違って硬くて重く、酸味があったが値段の割には悪くない味だった。
そしてその日の夜、カイルザインはヘメカリス子爵一家と晩餐を共にした。
ヘメカリス子爵自慢の養殖事業で育てているマス料理をメインとしたフルコースは、舌の肥えたカイルザインもお世辞抜きで評価した。
対面したヘメカリス子爵家の面々は、当主のラドフに長男のエザク、エルミラ・ヘメカリス第一子爵婦人。彼女がエザクと長女の母親だ。ラドフと同じくらいの年頃の上品な夫人で、エザクは母親似である事が一目でわかる。
そして第二夫人のベリス・ヘマカリス。彼女は貴族出身ではなく五年前に取引のある商会から迎えた娘で、鱒の養殖事業が軌道に乗ったのは彼女の父親のお陰らしい。そして彼女が産んだ次男や次女がいるが、まだ幼いため晩餐には姿を現さなかった。
そして子爵の長女であるキリエラ・ヘメカリスと初めて対面した。彼女は子爵を縦に伸ばしてスタイルと顔を整えたような女性で、見るからに気が強そうな顔つきをしていたがたしかに美女だった。まだ十九歳のはずだが、長身と鋭い目つきのせいで迫力がある。
「それでカイルザイン様、私の婚約者のフェルゼン・ケビロス様は開拓地で果樹園と養蜂事業を始めていますの。開拓地の気候が、南の大陸の果樹を栽培するのに適している事が判明したのでそれを活かそうというお考えなのです」
外見的な特徴だけでなく、売り込みの強さも父親に似たようだ。
「それは興味深いお話ですが、我が国と南の大陸の国々とは通商条約が結ばれています。今から我が国で栽培しても、本場には敵わないのでは?」
「それが、その果物はこちらの国では需要が無いらしくあまり入ってきていないのです。それで、私達が王国内に適した形に加工して需要を起こそうと考えていますの。
首尾良く行って南の大陸から本場の物が入ってきた時には、関税と運送費の分私達が栽培している物の方が安く売れますし」
「なるほど」
「それで、カイルザイン様には是非融資を――」
「キリエラ、待ちなさい。今は食事中だぞ」
「お父様、邪魔しないでくださいまし」
商魂逞しい娘を止めようとヘメカリス子爵が彼女の声を遮るが、彼女に鋭く言い返されると押し黙ってしまった。
「しかし、私はゼダン公爵家の者ではありますが領地の経営にはまだ関与できる身分にありません。融資の話は、父上に書簡を送り検討していただくしかないかと」
「ですが、カイルザイン様にはご自由にできる資産があると伺っておりますわ」
「……ほう」
カイルザインには父であるヴィレムから、教育費以外にも自由にしていい予算が与えられている。いわゆる小遣いであるが、その額は平民の子供とは桁がいくつも違う。その小遣いの殆どをカイルザインは……武術や魔法の修行や新魔法の開発、勉学に忙しかったので死蔵していた。
十歳の頃から出ている社交界に赴くのに必要な正装や装飾品は、ゼダン公爵家の予算で賄われる物で充分。彼の武具やギルデバラン達の演習にかかる必要経費は、教育費から出ている。そして彼らの給与は、もちろん公爵家の予算だ。
小遣いから出しているのは婚約者候補のフィルマリーへの贈り物や彼女に当てた手紙、貴族派の貴族や侯爵領内での社交や交友に必要な交遊費、そしてジェシカの食費と武具の購入費用ぐらいである。
(そう言えば年々貯まる一方だから、もう少し散財するようにとゾルパに言われたな。それにしてもあいつは俺の家庭教師のはずだが、いつの間に執事の真似事までするようになったのか。
それはともかく、これはいい機会かもしれんな)
「確かにその通りですが、流石に大手の商会や上級貴族の当主に比べれば私が自由にできるのは微々たる額に過ぎませんよ?」
「まあ、ご謙遜を。ビスバ侯爵と深い親交を持つカイルザイン様の名声は、王国の貴族なら知らぬ者はおりませんわ」
キリエラの答えから、カイルザインは彼女の狙いは自分が貯め込んでいる金ではなく、融資したという事実そのものである事を理解した。
新興の男爵家の事業では融資は集まらない。だが、カイルザインが融資したと聞けば商人はどれほど動くか分からないが、多少なら貴族の関心を買えるだろう。
「興味が湧いてきました。晩餐の後で書類をいただけますか?」
「もちろんです。その前に、栽培している果実の一部をデザートとして用意してありますの。是非ご賞味ください」
「なんだと!? 私は聞いていな……いや、今聞いたな、うん」
キリエラに睨まれ、再び黙るヘメカリス子爵。給仕がキリエラの合図に応えて、果物が盛り付けられた皿を並べていく。
「これはベリーに似ていますね」
さらに盛られて出てきたのは、紅くて丸く小さい果物だった。
「名前はコヒと言います。南の大陸では飲み物の材料になっているそうなので、ジュースも試作してみたのですが伝え聞いたものとは全くの別物のようで……今のところ加工は上手く行っていないのです」
「ふむ……」
試しに食べたコヒの実は甘酸っぱく、味もラズベリーに似ているように感じた。中心の種を口から出すと、豆のように見えた。
「これは豆か? ……この果物を加工して作る飲み物は、実を絞って作るジュースではなくこの豆を使うのでは?」
「豆を? なるほど。そうかもしれませんわね。早速料理長に試してみましょう」
何気なく思いついた事をそのまま口に出しただけだったが、キリエラは試してみるつもりのようだ。
そして晩餐の後彼女から渡された書類に目を通し、キリエラのプレゼンの続きを受けたカイルザインは、結局彼女が嫁入りするケビロス男爵家の事業に融資する事に決めた。
次の日の午前中から昼過ぎまで、カイルザイン達はヘメカリス子爵家の騎士達と合同訓練を行った。
ヘメカリス子爵家に仕える騎士達は、騎士としては平均的な練度だった。
「昨日から父や姉がすみません。私もこの体たらくで……」
そして、エザク・ヘメカリスは武術では素人が少し齧った程度で、魔法は生活魔法や補助魔法しか使えないという弱さだった。
ヘメカリス子爵家騎士団の演習場の隅に設置された椅子に座り込み、額に浮いた汗をハンカチで拭くエザクの言葉にカイルザインは答えた。
「お気になさらず。我がゼダン公爵家は武門故に私も武術を好みますが、貴族の子弟が皆強い必要はありませんよ」
実際、貴族の子弟でも剣を含めた武術や魔法が得意でない者は少なくない。乗馬や狩猟は社交で使うが、実際に敵と剣を交え、攻撃魔法や回復魔法を唱える機会は普通に暮らす分には無いからだ。
もちろん、いざという時は将兵を指揮して王国のために戦うのが貴族の在り方だ。しかし、それは必ずしも最前線に立つ事を意味しない。指揮を軍師や武官を自身の代行にして、自分は安全なところにいても法律上は構わない。
実際、カイルザインの伯父のリジェル・ビスバやその息子のラザロフも剣も魔法も得意ではない。
「いえ、領地を治める貴族である以上強いに越した事はありません。お恥ずかしい限りです」
ただ、エザクの言う通り法衣貴族のビスバ侯爵家とは違い、領地を治める貴族にとって力は重要だ。この世界には人間を心から憎悪し、容易く人間の命を奪う事が出来る魔物が跋扈し、文字通り一騎当千の力を持つ超人的な冒険者や傭兵が存在している。
そのため、貴族達は武術を修め魔法を学ぶ。そうする事で領民を安心させ、統治を安定させる事が出来るのだ。
「我が子爵領は金で私達の武力の無さを補う事が出来る程、豊かではありませんから。
それと、私に敬語を使う事はありません。まだ家督を継いでいない以上私はカイルザイン殿と同じ、貴族の子弟でしかありませんから」
「ですが――」
「実を言うと、カイルザイン殿に敬語を使われると具合が悪くて。私があなたより勝っているのは、歳と身長と体重ぐらいのものですから」
断ろうとしたカイルザインだったが、重ねて敬語を使わないよう言われたため、口調を変える事にした。
「では、遠慮なく。今回の調査はエザク殿が主導していると聞いている。調査を行うきっかけになったゴブリンや魔蟲の出現率低下に気が付いたのも、エザク殿だと。
自領の事を普段から知り尽くし、つぶさに観察していなければ気がつけない事だ。領主としての資質と気構えは十分あるように思えるが?」
「それは、まあ……書類仕事と生活魔法は得意だから」
「俺は書類仕事がそこまで得意ではない。俺より勝っている事が一つ増えたな、エザク殿」
「ははは、その内歳と体重以外は追いこされそうだけれどね」
エザクが笑い、雰囲気が軽くなった事を見て取ったカイルザインは昨日から気になっている事を尋ねた。
「ところで話は変わるが、今夜来るというジャオハ侯爵代行のセオドア殿とはどういった方だろうか? 生憎、俺は直接話した事が無いので噂でしか知らないのだ」
本来は昨夜の晩餐で尋ねようと思っていたのだが、キリエラのプレゼンの方に興味が移ってしまい、つい忘れていたのだ。
「ああ、セオドア殿は御父上の現侯爵が病に倒れてから、領主代行として忙しくされているから、社交シーズンにも王都にあまり顔を出さない方だからね。
セオドア殿は――」




