10話 お茶会に出席する転生勇者と襲撃を受けるゼダン公爵家別邸
半月をかけて何とか礼儀作法の家庭教師が出した試験に合格したリヒトは、無事ガルトリット辺境伯家の別邸で開かれるお茶会に出席する事が出来た。
ガルトリット辺境伯家は地図上では王都を挟んでゼダン公爵領の反対側に存在する広大な領地を治めている。ただ、その大部分は魔物が多く生息する山や森で、発見されているダンジョンの数も多い。
野鳥や野兎よりもゴブリンやオーク等の魔物の方が多いような土地で、人が生活するには危険な土地だ。
しかしガルトリット辺境伯家はメルズール王家の支援を受けて魔物を間引き、堅牢な城壁に囲われた城塞都市を建造した。そして冒険者ギルドや魔道士ギルドと連携して危険しかなかった土地を、魔物の肉や素材を主な特産品とした豊かな領地へと変えた。
そうした成り立ちの家であるため、敵国との国境がある領地を治めるゼダン公爵家と同じ武を重んじる質実剛健な側面と、冒険者や商人を活用して領地を盛り立てる商魂たくましい側面を持つ。
そのためか、安全な王都に滞在するための別邸は豪華で華やかだった。貴族だけではなく時には商人も招いて特産品を売り込むためだろう。お茶会の会場である庭園では良く世話された草花に、神話や伝説の登場人物の石像が、招待客の目を楽しませている。
「あなたがあのグラフを発見したリヒト殿でしたか。お噂はかねがね」
「王城でのパーティー以来ですね。僕はフリーデル・ネロと申します」
「よろしければ、グラフに着いて書かれていたという古文書についてお話を――」
そんな庭園で、リヒトはフィルローザに会う前に他の参加者やその付き添いで来た父兄に囲まれていた。
このお茶会の主催者はフィルローザとなっているので、招待されているのは彼女と同年代の貴族の令嬢や令息が多いのだが、彼の周りだけ平均年齢が高い。
「グラフが皆さんの役に立って、古文書を発見した両親も喜んでくれていると思います」
そう答えながらリヒトは、半月前の王城でのパーティーを思い出していた。
(フィルローザと二曲目を踊った後よりも凄いな。来年僕が勲章をもらえるかもしれないって話が、何処からか広まったのかな?)
自分の人気ぶりにそう推測するリヒトだったが、それが無くても王家の血を引くゼダン公爵家の一員である彼と縁を結びたい貴族は多い。
リヒトが後継者争いに敗れたとしても、両親はA級冒険者で彼自身も才能に恵まれていると噂されているため、コネクションを作って置いて損はない。特に、まだ他の貴族と強い結びつきが無い子供の内なら猶更だ。
しかし、こうなる事は彼を送り出したヴィレムや付き添いのクランベも予想の内だ。よほどの事が無い限り、これも経験と、護衛兼従者として着ているアッシュと見守っている。
「皆さま、今日は当家のお茶会にお集まりいただき誠にありがとうございます」
だが、そのよほどの事が起る事はなくフィルローザの挨拶が始まった。すると名目上とは言え主催者を無視する事は出来ないため、リヒトの周りに集まっていた父兄達が離れる。ほっと一息ついたリヒトに、アッシュが小さくお疲れと声をかけた。
「大変だったな、大丈夫か?」
「ああ、でもお茶会は始まったばかりだから……」
「それはそうだけど、ここからはお前にとってはご褒美だろ。ほら、来たぜ」
アッシュがそう視線で指すと、主な招待客との挨拶を終えたフィルローザが侍女を連れてこちらに近づいてくるところだった。
「ごきげんよう、リヒト様。そちらの方は?」
優雅に挨拶をしたフィルローザは、一目で執事である事が分かるクランベではなくアッシュに視線を向けた。
「ごきげんよう、フィルローザ嬢。こちらはアッシュ・ダンロード。僕の友人で、今回は護衛兼従者としてついて来てもらいました」
「ダンロードと言うと、ゼダン公爵家の騎士団長を代々務めている騎士の家系の方ですね。お噂はかねがね」
「恐縮です。今は父が騎士団長を務めておりますが、私自身はまだ騎士見習いですらない未熟者です。精一杯務めさせていただきます」
普段の砕けた口調ではなく、騎士らしい礼節を守った態度で一礼するアッシュ。彼がリヒトの味方である事を理解したフィルローザは、「早速ですが、こちらに」と彼も含めて会場の隅へと誘導した。
「あれから調べてみたのですが、記憶を復元する回復魔法について書かれた文献が当家の書庫にある事が判明しました。でも、私の家庭教師や当家の魔道士達は使う事が出来ませんでした」
「そうでしたか。調べてくれてありがとうございます」
早速要件について話し合うがクランベとアッシュ、そしてフィルローザの侍女は付き人や従者らしく黙って控えている。
(今は真面目な話をしているんだ、落ち着け!)
そのため二人きりではないのだが、リヒトは気がつくと浮かれそうになるのを自制して彼女と会話を続けていた。
「リヒト様の先生はどうなのですか? たしか、王国でも一二を争う魔道士だと聞いていますが」
「プルモリー先生にも相談しましたが、魔法そのものは知っているけど習得は出来なかったみたいです。メルズール王国の魔道士ギルドにも、使い手はいないそうです」
この世界では、記憶や精神に大きな影響を与える魔法の類は総じて難易度が高い。完全に欠損した四肢や目を再生させるのと同じか、それ以上だと言われている。
闇魔法では感情を操る魔法が初級とされているが、そもそも闇魔法自体が難しい。
その理由はこの世界の医科学、特に脳の機能の解明が進んでいないからだとリヒトは考えていた。経験則で脳が記憶や思考、感覚を司る臓器である事はこの世界の人々も分かってはいるが、脳のどこがどんな機能を司っているのかは理解していない。
それなら葛城理仁の記憶と知識を持つリヒトなら、この世界の人間より簡単に記憶を復元する魔法を使えるのかというと、そうでもない。脳に関しては葛城理仁が生きていた現代日本でも脳について全て解明されていた訳ではないし、葛城理仁は脳の専門家ではなくただのサラリーマンだったからだ。
(それに、この世界の人と地球の人の脳が同じかどうか分からないから、迂闊な事は言えない)
地球人類とこの世界の人間は、種としての成り立ちが異なる。骨格や内臓の種類はだいたい同じだと推測できたが、脳の構造まで同じかどうかは公爵家の書庫にある本やプルモリーや座学の家庭教師のエンフィールドの授業で、そして葛城理仁の知識では分からなかった。
「そうでしたか。神殿になら記憶を復元する魔法を使える方がいるかもしれませんが……」
この世界の主な宗教は、創造主であるマナが各種族から二名ずつ取ったと言われる弟子を主神として信仰している。神殿は基本的に世俗の権力に対して距離を置き、弱者救済などを掲げて布教活動を行っており、その一環で僅かな喜捨や布施を代償に回復魔法で人々を癒している。
「いえ、流石にそこまで大事にするのは……父上達に迷惑がかかるでしょうし」
しかし、リヒトはメルズール王国の大貴族、ゼダン公爵家の三男だ。弱者どころか王国の上流階級の中でもトップクラスの強者であるため、神殿は遠慮なく莫大な喜捨を要求してくる事だろう。
プルモリーを家庭教師に雇う為に魔道士ギルドに寄付した研究費等、既に大金を払ってもらっているリヒトとしては、ヴィレムにそこまでねだるのは気が引けた。
(記憶を復元して原作改変の有力な手掛かりが思い出せるのならそれでもやるべきだろうけど……)
エルナイトサーガの主なエピソードは覚えているし、前世の記憶を思い出した後書き記して隠してある。万が一誰かに見つかっても読まれないよう、この世界には存在しない日本語で。
そのため、思い出せるとしたら物語の大局に直接関わらない小さなエピソードなので、リヒトは記憶の復元を無理に急ぐつもりはなかった。
「それがいいと私も思います。神殿に依頼したら、寄付以外にもリヒト様の入信を条件にするでしょうし……時間をかけて考えてから決めるべきです」
しかし、リヒトが考えていたより貴族にとって宗教は面倒な相手だったようだ。
「ゼダン公爵領の主な神殿はどの宗派だったでしょうか?」
「ええっと、確か――」
「ゼダン公爵領では、メルズール王国に存在する主な宗派全ての神殿がございます」
直ぐに思い出せなかったリヒトに、控えていたクランベが助け舟を出した。
「初代様の『戦場で癒し手を宗派でえり好みする余裕はない』という方針が現在まで取られています。そのため、リヒト様が特定の宗派に肩入れするのは問題があるかもしれません。
それに、残念ながらそれほど光魔法が得意な方はいなかったかと」
光魔法と聞くと神聖なイメージを想起させやすいし、そうした側面があるのは確かだ。しかし、光魔法以外でも回復やアンデッドの浄化、呪の解呪等の魔法は存在する。そのため、神殿に務める聖職者達は自身がもつ魔法の適正に合わせて、魔法を習得している。
そのため、神殿に務める神官や司祭だからと言って光魔法が使える訳ではない。
「ガルトリット辺境伯領に存在する神殿にも、それほどの光魔法の使い手はいなかったと記憶しています」
フィルローザの視線を受けた彼女の侍女が、意図を読み取ってそう答えた。すると彼女はしばらく考え込むそぶりを見せた後、口を開いた。
「リヒト様、記憶の復元が一刻を争うものでないのですよね? なら……私がその魔法を習得するまで待っていただけませんか?」
「それはっ……嬉しいですが、いいのですか? 大変難しい魔法ですよ?」
「もちろんです。私は、回復魔法が得意ですから」
フィルローザはリヒトに、自信に満ちた微笑みを浮かべて答えた。それは「王国トップクラスの回復魔法の使い手になる」という宣言に等しい。
幼い故の根拠のない過信ともとられかねない申し出だ。だが、リヒトはフィルローザが『聖女』と呼ばれ、失った四肢を再生できるメルズール王国どころか世界でもトップクラスの回復魔法使いになる事を知っている。
「では、よろしくお願いします!」
「ええ、任せてください」
約束を交わし笑顔で握手を交わす二人の背後で、クランベと侍女が微笑ましそうに様子を見ている。二人が交わしたのは「回復魔法を習得して施術する」という約束なので、問題はないと判断したのだろう。
手紙のやり取りやお茶会や読書会等での交流はカイルザインもフィルローザと行っているので、リヒトが贔屓されている訳でもない。
……ただ、そうした交流を経てフィルローザがリヒトとカイルザインに向ける好感度に関しては、大きな差が出来つつあるが。
(リヒト様にはおめでたい事ですが、カイルザイン様には残念な事になるかもしれません。全ては後継者争いの結果次第ではありますが……)
九歳まで世話をした少年と、六歳から世話をしている少年の間で板挟みになっていたクランベだったが、その心労を忘れさせる出来事が起きた。
「ま、魔物だっ! トロールだ、トロールの群れが出たぞ!」
ガルトリット辺境伯家の警備兵の叫びと緊急事態を報せる笛の音、そして野太い獣の咆哮が響いた。
世界全体にいる人類の数に対して魔物の数が一定数下回ると、地面から生えるようにして新たな個体の魔物が出現する。
魔物とは全ての生命を殺し、魂を無に帰す事を目的にフォルトナによって創られた存在だ。
だが、フォルトナは自身が創り出した大魔ヴェルシェヴェルガーと魔物の勝利を妄信してはいなかった。大魔王が人間達に敗れる可能性も彼は考えていた。
そのためフォルトナは世界に仕掛けを施した。魔物の数が減り人間に対して劣勢になった場合、新たな魔物が自動的に補充されるようにしたのだ。
そのせいで人々がどれほど魔物を熱心に退治し、子供を産む前の雌の魔物を駆除して全体の数をいくら減らしても、魔物は根絶やしに出来ない。世界中のどこかで前触れもなく、地面から新たな魔物が生えるからだ。
では、魔物を退治するのは無意味なのかと言うとそうでもない。何故なら、強力な魔物が新たに発生するまでには時間がかかるからだ。ゴブリンや魔蟲、インプと言った最下層の魔物は数が一定数より下回ったらほぼ即座に発生するが、オーガーやトロール、デーモンは新たに出現するまで年単位の時間がかる。そしてサイクロプスやクラーケン等の冒険者ギルドで討伐難易度Aに相当するような魔物は新たな個体が創造されるまで百年はかかる。
そして、エレメタルウルフのように通常の動物がゴブリンや人を食らって魔力を得て変化した魔物は、個体数が減っても直接新たな個体が創られる事はない。それらはフォルトナが直接創造した魔物ではないからだ。
さらに、新たに創造された魔物は魔物同士で世代を重ねた魔物よりも弱い。創造される魔物はその種族の中では最弱の部類の個体だけで、生まれたばかりなので経験も何もつんでいない。
ゴブリンを例にするなら、個体数が減った事で新たに産まれるのはただのゴブリンだけで、ゴブリンソルジャーやゴブリンメイジはもちろん、ゴブリンキングと言った上位種が直接創造される事は無いとされている。
そして魔物が新たに出現するのは周囲に人が存在しない、マナが不安定な場所である事がこれまでの経験則で分かっている。
これは魔物が劣勢になった時に発動する仕掛けなので、新たに発生した魔物が人間に直ぐ倒される事を防ぐため。そして魔物の存在自体フォルトナが付け足したもので、マナによって創られた世界にとって異分子であるためだと考えられている。
だから人々は集団で生活し、海域を農業や漁業、狩猟や牧畜のためにマナが安定した土地や海域を利用してきた。
もちろん、王侯貴族が別邸を建てる郊外の土地や狩猟場として利用する森もその例外ではない。そのはずだったが……この日、メルズール王国の王都存在するいくつもの王侯貴族の別邸で、同時に魔物が出現した。
それはゼダン公爵家の別邸も例外ではなかった。
「ヴィレム様っ! デーモンが、レッサーデーモンの群れが敷地内に出現しました!」
その日、三階の自室でくつろいでいたヴィレムは駆け込んで来た使用人の報告を聞くや否や窓を開けて外を確認した。
「ヴオォォォ」
「グオオオオ」
すると、手入れされた庭園の向こうにある運動場にレッサーデーモンが二十匹程出現しているのが見えた。黒山羊の頭部を持ち蝙蝠の翼を背に生やした三メートル前後の生物は、他には存在しない。
状況を確認したヴィレムの行動は速かった。
「レッサーデーモンの布陣は判明しているか?」
「は、はいっ! デーモンが確認できたのは当屋敷の練習場のみです!
「デリッドやプルモリー殿は? 非戦闘員の避難状況はどうなっている?」
「他の者が報告しています。避難の指揮はタレイル様と侍女長が執っております」
使用人に質問を重ねながら、ヴィレムは自室の壁に飾っていた愛用のハルバードを掴むと、刃を包んでいた布を取ると再び窓に向かう。
「結構。後は任せると侍女長とタレイルに伝え、君も避難するように」
そして、使用人の返事を待たず三階の窓から飛び降りた。
魔法で一瞬浮遊して落下の勢いを消すと、魔力で脚力を強化して庭園を一気に駆け抜けると同時に魔法を唱える。
「『魔力障壁』!」
「ヴオオオオオオ!」
同時に、レッサーデーモンが放った無数の攻撃魔法が彼に向かって放たれた。
レッサーと名についてはいるが、冒険者ギルドにおけるレッサーデーモンの討伐難易度はC。素手で鉄を引き裂く怪力と鎧を着ているのと変わらない強靭な肉体に、飛行能力を持つ上に様々な魔法を操る知恵をと魔法に対する耐性を持つ強力な魔物だ。
一匹だけでも兵士数十人を一方的に全滅させ、並みの騎士なら抑えるだけで五人が必要とされる。
それが二十匹以上となれば、発生した直後で戦闘経験を積んでいない個体ばかりでも並みの騎士団や冒険者では相手に出来ない。
「フンッ!」
攻撃魔法によって舞い上がった土煙を裂くようにして投擲されたハルバードの穂先が、レッサーデーモンの一匹の胸板を貫いた。
「ヴオオオオオ!」
地面に倒れてのたうち回る同族に構わず、他のレッサーデーモン達が仕留め損ねた人間を葬るべく二発目の攻撃魔法を唱える。
「戻れ!」
だが、その前にヴィレムが鋭く叫ぶと、レッサーデーモン達が魔法を唱え終わるより速くハルバードが彼の手元に引き戻されていく。
「ヴオォォォ!?」
穂先にレッサーデーモンをつけたまま。
暴れるレッサーデーモン付きのハルバードを握ったヴィレムは、掴みかかろうとするそれを無視して自らの前に掲げる。
「ヴゴヴゴモォォォォ!?」
レッサーデーモンの背に同族が放った攻撃魔法が容赦なく降り注いだ。魔法に対する耐性があると言っても、身体に穴が空いている状態で同族の攻撃魔法をニ十発ほど受けては堪らない。
「やはり、仲間意識は無いか」
同じ場所で同時に発生したため使用人は群れと評したが、レッサーデーモン達は互いを味方同士だとは認識していなかった。ただ同時に同じ場所で発生した同族と言うだけだ。本能に刻み込まれた人間に対する敵意を優先して動いているに過ぎない。
つまり、烏合の衆だ。
「なら、恐れるに足らん」
ハルバードを一振りして用済みになったレッサーデーモンの死体を引き抜き、駆けだそうとしたヴィレムの横を何者かが走り抜けた。
「ぬおおおおっ!」
前ゼダン公爵家騎士団長のデリッドだ。鎧を装着する間を惜しんだのか、剣と盾だけ持った彼は雄々しくレッサーデーモンの群れに切り込んでいく。
レッサーデーモンは単身突撃してきた老人に向かって、岩も砕く拳を無造作に振り下ろす。だが、デリッドはそれを盾で弾き返すと、剣を振るってバランスを崩したレッサーデーモンの腹を深々と切り裂く。
「グヴォオオオオオオ!」
どす黒い血を腹から噴き出しながらも、レッサーデーモンは動きを止めない。蹴りで彼を撥ね飛ばして距離を取ろうとする。
「ぬんっ!」
だが、素早く体勢を戻したデリッドはレッサーデーモンの蹴りを盾で受け止め、剣を素早く翻しその胸の中心を貫いて止めを刺した。
その隙に他のレッサーデーモンがデリッドを囲んで襲い掛かろうとするが――。
「デリッド、腕は衰えていないな」
そうはさせまいと前に出たヴィレムのハルバードの穂先がレッサーデーモンの首を貫き、刃が腹部を両断して蹴散らしていく。
「いやいや、儂は歳をとりました。若い頃ならヴィレム様にお下がりください、ここは私だけで充分ですと言えたのですが……」
そう言いながらも、剣を構え直すデリッドからは疲れは見られない。
「ヴィレム様と前団長に続けっ!」
そこに二十人程の騎士達と数人の魔道士が駆けつけてきた。騎士はレッサーデーモン一匹に対して二人一組で戦いを挑み、魔道士は離れた位置から魔法を唱える。
「マナよ、白き極炎の魔弾となって我が敵を打て」
だが魔道士達が呪文を唱え終わる前に、彼等の更に後ろから放たれた白く輝く弾丸が騎士を避け、とっさに逃げようとするレッサーデーモン達を追いかけてその頭部を打ち砕く。
「う~ん、この魔法はまだまだ改良が必要か。呪文を唱えるのに時間がかかるし、魔力の消費が大きすぎる」
庭園の中から現れたプルモリーは、レッサーデーモンを全滅させた戦果を誇る様子もなくそうため息を吐いた。
レッサーデーモンは討伐難易度Cの強力な魔物で、並みの騎士や魔道士では一匹倒すのにも命がけの相手だ。しかし、ゼダン公爵家の戦闘要員達にとってはそうでもない。
兄のザリフトと比べ圧倒的に才能で劣っていたヴィレムだが、B級冒険者相当の実力は持っている。愛用のハルバードは彼の言葉に反応して手元に戻るマジックアイテムで、レッサーデーモンの頑強な肉体も簡単に貫き、両断する事が出来た。
また、前騎士団長のデリッドは老いた今もB級、そして彼の元部下や引退後に叙勲した騎士達はC級冒険者相当の実力を持つ。彼らにとってレッサーデーモンは、油断せず連携して戦えばまず負けない程度の相手でしかない。
そして、メルズール王国でも一二を争う魔道士であるプルモリーなら、レッサーデーモンに魔法に対する耐性があっても攻撃魔法で一掃する事が可能だ。
ドリガ帝国に対する守りとしてデリッドの息子の現騎士団長や騎士団の大部分等、全ての戦力を王都に連れて来る事が出来なくても、ゼダン公爵家は王都にいる貴族家の中でもトップクラスの戦力を保有している。レッサーデーモン十数匹程度ではビクともしない。
「ちょっと出しゃばりすぎたかな? 謝った方がいい?」
「いえ、事態を迅速に収束させる事が最優先です。ご助力感謝します、プルモリー殿」
「三人一組で敷地内を索敵! 念のために王城と衛兵の詰め所に報告! 魔道士ギルドにも調査の依頼を――」
「ああ、調査はあたしがやりたい。珍しいというか、今まで聞いた事が無い規模の魔物の発生だったから」
見える範囲のレッサーデーモンが全滅した事で、ヴィレム達は事後処理に移った。その結果敷地内にレッサーデーモンの生き残りやその他の魔物がいなければ、避難しているタレイルや使用人達も外に出られるようになるだろう。
「ヴオオオオオ!」
だが、生憎まだ非常事態は終わっていなかった。
「馬鹿な……これほど早く同じ魔物が再び発生するとはっ!」
驚愕するデリッドの前で、レッサーデーモンが禍々しい産声をあげながら地面から生えて来る。しかも、先ほどの倍以上の数に増えていた。
「それだけじゃないよ。凄い事になってる」
好奇心を抑えられず瞳を輝かせるプルモリーの視線の先には、黒山羊とは異なる形状の頭を持つ魔物の姿があった。
山羊に似た捻じれた角に紅い三つの目、鋭い牙が生えた口を持つ赤い肌の有翼の魔物、デーモンが五匹いた。
『ニンゲン? ニンゲンがいるぞ! ザコ共! ニンゲンを殺すのを手伝え!』
『いや、あのニンゲン共は俺が殺す! 俺の言う事を聞け、ザコ共!』
デーモンはレッサーデーモンの上位種で、魔力を高めたレッサーデーモンが進化する事でなる魔物だ。直接発生する事は無いとされている。……今までの常識では。
「プルモリー殿、引き続き助力願えるか?」
そう問うヴィレムの顔には余裕が無い。デーモンの討伐難易度はB。ヴィレムでも一度に相手を出来るのは一匹だけだ。それが五匹、しかもレッサーデーモン達が数匹ずつデーモンに従う素振りを見せており、もう烏合の衆ではなくなってしまった。
「もちろんだよ、ヴィレム君。興味深い標本になりそうだ」
そう言うと、プルモリーは歌うように呪文を唱えだした。それに気がついたのか、デーモン達がそれぞれ号令をかけ、レッサーデーモンを彼女にけしかける。
「プルモリー殿と魔道士達を守れ! レッサーデーモンを近づけるな!」
それに対してヴィレムとデリッドを先頭に、騎士達が立ち塞がる。ゼダン公爵家別邸での戦いは激しさを増していった。
その頃タレイルは、別邸の地下にあるワインセラーの更に地下に作られた隠し部屋に、使用人達と非難していた。
(こんな時、兄上やリヒト君なら外で父上達と一緒に戦うのだろうけど……)
カイルザインやリヒトなら、レッサーデーモン相手でも足手まといにはならないだろう。しかし、タレイルは兄や義弟より自分が弱い事を自覚していた。
剣や魔法の授業を疎かにしている訳ではない。ただ、兄や義弟のように優れていないだけだ。
だからレッサーデーモンが現れたと聞いた時、すぐに隠し部屋へ避難するよう使用人や別邸の警備兵に命じ、誘導した。
「や、やはり冒険者ギルドに救援を求めに行った方が良いのではないでしょうか?」
その警備兵の一人が、青い顔をしてそう提案した。しかし、タレイルは即座に首を横に振った。
「それは危険だからやめておこう。もし外でレッサーデーモンに遭遇したら、僕達じゃ抵抗できない」
別邸の警備兵達はゼダン公爵領から派遣された将兵ではなく、平和な王都で雇われた者達だ。身元は確かだが、実力は平均的な兵士の域を出ず、魔力も操作できない。
レッサーデーモンに見つかれば、一矢報いる事も出来ずあっさり殺されてしまうだろう。今、地上に出れば足手まといにしかならない。
「不安かもしれないが、ここは王都でも指折りの安全地帯だ。屋敷が吹き飛ばされてもビクともしない造りに、空気を浄化するマジックアイテムと、二ヵ月分の非常食と水が備蓄してある。
冒険者ギルドや王城まで救援を求めに走るより、ここにいた方が安全だし、父上達もその方が安心して戦える」
そう説くと警備兵は落ち着いたのか、「差し出がましい事を申しました」と言って提案を引っ込めた。
「いや、いいんだ。今日は兄上達やリヒト君はいないけど、プルモリー殿やデリッドがいる。父上だって今頃ハルバードを振り回して奮戦しているはずだ。
きっとすぐ後片付けで忙しくなるだろうから、今の内に休んでおかないと体が持たないよ」
そうタレイルが言うと、隠し部屋に避難している皆の緊張と不安が緩んだ。
(退治するのに時間がかかっているけど、まさか……いやいや、父上達がレッサーデーモンにやられるはずがない。きっと大丈夫さ)
彼自身は不安を抱えていたが、それを表に出さずのんびりしているように見せるのも、彼が出来る事の一つだった。