こんなにも優しい春乃さんは泣き虫だった
この作品は『事務員さん企画』参加作品です。
本当は『お姉さん』って呼びたいくらいの関口春乃さんは私のセンパイだ。
私は今、雑貨を扱う小さな会社にお勤めしているのだけど、春乃さんは社長の遠い親戚の方で…同じ『関口』なので…皆、センパイの事を『春乃さん』って呼んでいる。
事務仕事を一手に引き受け、社員の健康管理や社屋の保全…挙句の果てにはフォークリフトの運転までして品出しなんかもやってしまう。
とにかく社長を始め社員全員が春乃さんに“おんぶにだっこ”だったので…せめて事務仕事の補助が必要と…私が雇われたわけだ。
その面接も春乃さんにしていただいた。
私が面接の為に始めて会社に訪れた時、春乃さんはヘルメットに軍手に作業着でハンズフリーイヤホンで顧客と会話をしながら事務所に戻ってきたところだった。
私の姿を認めると、少し顔を赤らめて一礼し、手に持っていたクリップボードで応接スペースのソファーを指し示したのだけど、その拍子にペンを取り落としてしまい、私が駆け寄ってペンを拾い、お渡しした。その時のお顔がとても可愛らしくって…「ここで働けたらいいなあ」って、「ご縁があったらいいなあ」って思った。
だから、春乃さんから「来ていただいてもいいですか?」って聞かれて
「はいっ!!」って大声で返事したの!!
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「奏愛ちゃんに来ていただいてもうすぐ1年になるのね。でもいつも言ってるけど…奏愛ちゃんは朝のお掃除はしなくていいのよ。朝のお掃除は私がたまたま会社の近くに住んでいるから暇つぶしにやってるだけなの。奏愛ちゃんにはそういう条件で来ていただいてる訳じゃないんだから」
「はい! それは“耳タコ”ですけど…私も暇つぶしで猫の手をしているだけです」
「そんな若い身空で暇つぶしだなんて!! それに奏愛ちゃんのお家は私よりずっと遠いでしょ?」
「いえいえ 愛車のスーパーカブならあっという間です。あ、でもごめんなさい。私、バスの定期代いただいているんですよね」
「それは全然構わないのよ…いくらスーパーカブだってガソリン代はかかるし維持費だって…」
「それだってトータルしても年間7万くらいで済んでるんですから…ただで乗せてもらってるようなもんです」
「だけどねえ~ 奏愛ちゃんにも給与計算事務やってもらっているからお分かりだと思うけど…うちの会社はそんなにお給料良くないのに…」
確かに…私は特別スキルがある訳ではないからこんなもんだろうけど…“マルチタスク”の春乃さんには不相応に安いと思う。
聞くところによると春乃さんは今野課長と“同期”で…この会社にお勤めしてもう10年になるそうだ。
今は5歳の娘さんがいらっしゃる…でもちょっとイケメンの課長が…こっそり教えてくれた。
「きっと今は上手にしまい込んでいるんだろうけど…若い頃の春乃さんには抑えても抑えてもこぼれ出る色香があって…俺も結構アプローチしたんだけど相手にしてもらえなかったなあ」って
でもこぼれる色香があったって本当かな…
今、事務所の応接スペースを占拠して二人でお弁当を食べているのだけど、ウィンナーとしめじで作ったドングリの帽子の部分(爪楊枝)をつまんでパクン!とついばんだ春乃さんの表情は可愛くはあるけれど…
「ん? 気が付かなくてごめんなさい。おすそ分け…」と私のお弁当に“ドングリ”とウサギリンゴをのせて下さる。
私は…
『春乃さん! そうじゃないんです!! 可愛くて見とれていました。おかずじゃなくあなたを』とは言えるはずもなくおすそ分けを感激してみせた。
「でも…春乃さんはプライベートをどうお過ごしになってるのかしら??」
その疑問は意外と早く解けた。
私の入社1周年のお祝いに…春乃さんがご自分のアパートに私を招待してくれたのだ。
お招きいただいたお部屋はバストイレが別づくりの廊下の無い2DKで洋間の一つが寝室を兼ね、もう一部屋はクローゼットに大きな本棚があって…なんとサーフボードにキャンプ用品や釣り道具まである物置きスペースだった。
意外な趣味とその多さに驚きを隠せない私に春乃さんは
「ひとり住まいだから贅沢に使ってしまっているの。今ではあまり使っていない物も多いのだけど…」とはにかんだ。
ディナーはイタリアンテイストでローストビーフの水玉サラダは可愛く、パエリアは盛り沢山だった。
そして、お食事の後、下さったプレゼントはとても素敵な色合いの手編みのセーターだった。
しかもその柄は…嬉しい事に春乃さんが今着ているセーターと色違いのお揃いだった。
「ふふふ。このあいだふざけて奏愛ちゃんに抱きついて、いたずらしたでしょ? その時、“サイズ”を盗んじゃった」
ワインを片手に…可愛らしい仕草で耳元に囁かれて私は思わずドキドキした。
ワインにも酔っていたのかもしれない。
思わず、
「とっても可愛く盗んじゃうんですね! ひょっとしてカレシのサイズも盗んだ事あります?」と尋ねてしまうと…
春乃さんはワインのグラスをコトリと置いて薄くため息をついた。
「うん! ある! 盗んだサイズで始めて本気でセーター編んで…でも渡すことが出来なくなってほどいて…でもまた編んでしまって…またほどいて…それを何度も繰り返したものだからセーター編むのにすっかり慣れてしまったわ」
「あの…聞いてもいいですか?」
「うん! 大丈夫よ!」春乃さんは力こぶを作ってみせる。
「その…お付き合いしていた方は…ひょっとして亡くなられたんですか?」
「えっ?! そんな事はないわ。たまにご活躍を耳にするし…多分、奥様やお子様がいらっしゃって…素敵なご家庭があって…そんな光景が当たり前のように想像できる方だったから… 私、何か…誤解を与えてしまう様な事言ったかしら?」
「いえ!何も! でも…春乃さんみたいに素敵な方を振ってしまう? なんて…少なくとも会社の男の人は全員!春乃さんのファンですよ! 私、課長からも直接聞きましたもん!『結構アプローチした』って!!」
春乃さんは少し困った顔をした。
「そう言っていただけるのはきっと皆さんが私の本性を知らないから…」
「本性?」
「そう! 私の本性を知る人々から…私は『売女!淫乱!!』と謗られたの」
「酷い!! 春乃さんに向かってそんな事言うなんて!!」
叫ぶ様に怒鳴ってしまった私を春乃さんはギューッと抱きしめた。
「でもそれは本当なの! ずっとずっと昔…十代の頃…僅かなつまらない見栄の為に…私、援交してたの…その時の“パパ”の一人が隼人さん…カレのお父様で…両家の初顔合わせで…お父様の顔を見てさすがに目を疑ったけど…それから両家はいずれも修羅場…実家から放逐された私は…遠縁の社長に拾ってもらったの。あ、もちろん変な意味じゃないのよ。だから、こうして日々暮らしていけるのは社長のおかげ! でも隼人さんとお母様には本当に本当に申し訳なくって」
「『隼人さん』はその時、なんて?」
「カレはね、謝ってくれたの。『親父やおふくろがキミにしたことを許して欲しい』って…」
「だったら!!」
私が言い掛けると春乃さんは首を横に振った。
「カレの事はずっとずっと大切なの! だからカレとカレの家族を傷つける事は絶対にできない!!」
春乃さんに抱かれていた私は春乃さんをギューッとギューッと抱き返して…
ふたりして大泣きした。
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春乃さんの優しさは…悔やんでも悔やみきれない自身の過ちと…それを許してくれた愛する人への消える事の無い想いから沸き起こってくるものなのだろう…でもそれはあまりにも悲し過ぎる…
私は…もう居てもたってもいられなくて…社長に直談判した。
『隼人さんの事をご存じなら連絡先を教えて欲しい! 十年経って…もうすべては遅すぎるかもしれないけれど、せめて春乃さんの気持ちを伝えてあげたいって…』
『奏愛ちゃん! あの二人の事に立ち入ってはいけない。大丈夫! もう時は満ちているから…二人の想いが今も生きているならきっと花開く。私だって…もう十年も待っているんだ。春乃ちゃんをコキ使いながらね』
これが社長の答えだった。
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クリスマス商戦もいよいよたけなわで…うちの会社の倉庫に万載だったクリスマスグッズもドンドン出荷されて行く。
当然、春乃さんも大忙しだ!
「春乃さん~! このサンタ帽。サイズ不良です! ほらっ!ぶかぶか」
私が被ってみせると顔がすっぽり隠れる覆面状態! これが春乃さんに大ウケして、春乃さん、ヘルメットの上にサンタ帽を被ってフォークリフトに乗り込んだ。
「男前だなあ~」
うっとりとその勇姿に見とれていると真っ赤な薔薇の大きな花束がその向こうに見えた。
目を凝らすと…社長の隣に本当の“男前”が居た。今のご時世には珍しい三つ揃えにネクタイだ。
そして社長が指さした先は…ヘルメットにサンタ帽
凄い!!
ドラマだ!!
真っ赤な薔薇の花束が…真っ赤なサンタ帽へ近付いて行く…
「春ちゃん!」
そう声掛けられて、サンタ帽の背中がピクン!動く。
そして…春乃さんはバックミラーでその人を確認したのだろう…
ズルズルと座席を滑り降りて振り返り、呆然とカレを見る。
「隼人さん!どうして!!…」
「ずいぶん待たせて申し訳なかったけど…春ちゃんの願い通り、両親は嘆く事なく旅立ったよ。いや、嘆かれた事が一つあった。独身のオレには子供を持つことはできなかったからね」
ウィンクしてみせたその人は疑いようも無く春乃さんの想い人だ!!
「お別れしてから10年よ!! 私が…あなたの事など忘れて結婚しているとは考えなかったの?!」
「オレは自惚れ屋だからそんな事は微塵も考えなかった」
「私は下衆で汚い最低な女よ!よりによってあなたのお父さんの下でよがったんだから」
「あんなつまらないオヤジの相手をしてくれて本当に申し訳なかった!!」
春乃さんはヘルメットを取り、サンタ帽を握りしめた。
「私はナッパ服。あなたは三つ揃い。あまりに不釣り合いだわ」
「これか? 早く脱ぎ捨ててキミとサーフィンしたい!キャンプしたい! そして満天の星空の下、夜伽をしたい!!」
「バカ!! 寒空の下、独りで死んじまえ!!」
ふてくされるようにそっぽを向く春乃さんを隼人さんは捉まえて、背中から深く深く抱きしめ囁いた。
「本当に…ごめん…」
「死んでしまうくらい…」
春乃さんがポツリとつぶやく。
「死んでしまうくらいずっと!ずっと!!ずっと!!!辛くて!!寂しかったんだからね!!!」
そう叫んでクルリと隼人さんへ向き直り、体をぶつけるように縋り付いて春乃さんは大泣きした。
私はスマホで決定的瞬間を撮っていたのだけれど、もらい泣きしてしまって…ブレないように手の震えを必死で止めた。
だって!! この映像は絶対に披露宴で流してやるんだから!!!
おめでとう!! 春乃さん!!!
せっかく書くのならハッピーエンドというか、幸せの始まりのような物語にしたかったのです(#^.^#)
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