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紙の上の無意識

作者: 天野つばめ

 私の物語の主人公はいつだって君だった。


 卒業式数日前に安請け合いした同窓会実行委員の仕事は、ここ数年ずっと親友の高井弘樹に任せきりだ。それでも、「高校時代は春那が俺の分もやってくれたから」と弘樹は文句一つ言わない。


 今日は同窓会。分厚いメガネを外して、いまだに慣れない手つきでコンタクトをつけた。長く伸ばした髪を巻いて、一張羅に着替えて会場の最寄り駅に向かう。いわゆる「陰キャ」だった学生時代に比べたら、多少は垢抜けたと思う。駅にはもう弘樹がいて、段取りを確認しながら会場に向かった。


「今付き合ってる彼女が春那のファンだって話ってしたっけ?」


「5回くらい聞いた。彼女さんに、ありがとうございますって伝えといてね」


「まあ、俺の方が春那の古参ファンだけどね。聞いてくれよ、この間彼女に友也推しって話したらさあ、弘樹はメガネキャラばっかり好きになるからメガネフェチなの?とか言い出して、伊達メガネかけ始めたんだよね。似合わないからやめてほしいんだけど」


 私は少年漫画雑誌で週刊連載をしている漫画家だ。少年漫画の女性ファンは昔からいたが、私の作品の場合は特に女性ファンが多い。主人公とその周りの人間の関係に「萌え」を感じると、毎日たくさんのファンレターが届く。私の出世作となった前作も女性人気は高い方だったと思う。


 現在の連載作品『Cracker Jack』は野球漫画だ。主人公の天才左投げピッチャー・一樹は学生時代野球部だった弘樹がモデルだ。一樹のチームメイトで親友の友也との深い友情が人気の要因と言われている。ちなみに、友也はメガネをかけている。送られてくるファンアートは2人が一緒に描かれているものが圧倒的に多い。


 野球漫画は先人が数々の名作を生み出してきた。令和の時代に野球漫画で天下を取ることは無謀だと言われたにも関わらず、アニメ化はもちろん、ドラマ化・映画化・舞台化と次々メディア展開し、社会現象になった。


「花房中学校45回生3年D組の同窓会を開会しまーす!」


弘樹が学生時代と変わらないおちゃらけた口調で開会宣言を行った。学ランからスーツになっても、教室から立食パーティー会場に舞台が変わっても、弘樹はみんなの中心で輝いている。もう10年以上の付き合いになる私の自慢の親友だ。


 あの頃に比べたら、少しは弘樹の親友にふさわしい自分になれていると思う。


 人と人とが仲良くなるきっかけなんて案外単純なものだ。席替えのくじ引きの番号一つで運命は簡単に変わる。中学2年の5月、たまたま弘樹の隣の席になった。暇な授業中に、ノートに好きなキャラクターのイラストを描いていたら話しかけられた。


「森崎サン、絵うまいね」


いわゆる「陽キャ」で野球部の弘樹は当時私にとって違う世界の住人だったので、とても驚いた。野球部のマネージャーの美人な彼女がいるイケメンの弘樹が、子どもみたいに短い髪で瓶底メガネのおしゃれに無頓着な私に話しかけた。天変地異でも起こるのかと思った。


 描いていたのは、当時少年誌の看板バトル漫画のサブキャラだった。主人公ベテルギウスの相棒である剣士リゲルは私の最推しだった。


「俺、リゲルが1番好きだわー。森崎サン分かってんね」


ベテルギウスが圧倒的人気を誇っていた中で、同士を見つけて二重に驚いた。私の漫画オタク仲間ですら大多数がベテルギウス派、たまにライバルキャラを推している女子が数人だった。


「俺さあ、いつも主人公よりその相棒とかライバルのキャラばっかり好きになるんだよね」


高井君も漫画読むんだ、という言葉を飲み込んだ。そういえば、クラスの男子はいつも雑誌の回し読みをしていたなと思った。


 偏差値が20違うと会話が成立しないだとか、IQが20違うと友人関係は続かないだとか世間は言う。けれども、学生にとってはスクールカーストが2階級違うことの方が大きな溝になりうる。


 ほんの小さなきっかけで、グランドキャニオンすら飛び越えて私たちはよく話すようになった。集めていた少年漫画を貸すようになった。みんなが弘樹と呼んでいるから私も高井君ではなく弘樹と呼ぶようになり、私も春那と呼ばれるようになった。


「春那ってさあ、イラストすごくうまいじゃん?漫画は描かないわけ?」

「描くよ」


中学生の頃から、インターネットのイラスト・漫画投稿サイトに自作漫画を載せていた。閲覧数もいいね数も全然伸びなかったけれど。オタク仲間の女友達にすら言ってなかったのに、なんで弘樹に正直に言ったのかは、今でも分からない。


「マジで?読みたいんだけど」

「嫌だよ、恥ずかしい」

「絶対馬鹿にしないから!誰にも言わないから!な?俺と春那の仲じゃん?」


そんな風に言われたら断れるわけがない。弘樹は私以外にも似たようなことを言っているけど、私は弘樹の「お願い」に弱いのかもしれない。ずるいなあと思いつつ、私の漫画を見せた。弘樹は食い入るように漫画を読んだ。


「すっげえ面白い!春那天才だろ!絶対プロになれるって」


当時の私は、ネットですら感想をもらったことがなくて、初めて褒めてもらった。嘘やお世辞を言わない弘樹が私の漫画を面白いと言ってくれたことが、世界のすべてが鮮やかになるほど嬉しかった。これが、漫画家を目指すきっかけだった。


 漫画を描くたび、弘樹に見せるようになった。賞に応募したり、出版社に持ち込んだりするようになった。


 弘樹と高校が離れてからも、たびたび会った。弘樹の野球の試合の応援に行くこともあった。私の高校と弘樹の高校が対戦したとき、弘樹を応援したのはここだけの話だ。私の漫画の主人公・一樹が左投げの理由は一番見てきた弘樹が左投げで、その方が描きやすかったからだ。


 高校、大学と野球にいそしむ弘樹は忙しそうだったので、同窓会委員の仕事は全部私がやっていた。弘樹は「俺から誘ったのにごめんな」と言ったけれど、全然苦ではなかった。大学卒業後、弘樹はホワイト企業に就職した。趣味で草野球は続けているらしい。


 一方、私はついに努力が実り少年誌で漫画家としてデビューした。王道バトル漫画で、主人公は左利きの剣士。相棒はメガネのクール系魔術師。弘樹は魔術師推しらしい。結構な人気が出て、多忙を極めることとなった。同窓会実行委員の仕事は、弘樹が全部やってくれるようになった。ちなみに、読者アンケートは女性票が圧倒的に多かった。


 恋愛経験のない私は恋愛描写が得意ではない。なので、ヒロインらしいヒロインは私の作品にはあまり出てこない。けれども、友情描写には自信があった。私と弘樹の友情は、きっと海よりも深い。


「春那~!会いたかった~!」


同窓会で私に駆け寄ってくる中学時代のオタク仲間、亜由美も漫画家としての私を応援してくれている。ちなみに、亜由美はいわゆる腐女子で、ボーイズラブ(BL)同人誌を趣味で出している。結婚して一児の母となっても、趣味は変わらないそうだ。


「『Cracker Jack』いつも読んでるよ~!アンケートも出してるし、単行本も買ってるし、見てよ、公式グッズも買ったの!」


「ありがとう!すっごく嬉しい」


「春那も私の本読んでよ~、って言いたいけど、春那はBL好きじゃないんだっけ?」


「読まないなあ」


「いやあ、公式が最大手って言われる『Cracker Jack』の作者様がこんなにピュアなんて全国の『Cracker Jack』女子が聞いたら驚くだろうねえ」


「え~、それどういう意味~?」


お酒を飲みながら、亜由美に聞く。いわゆるオタク女子ではあったものの、男の子同士の恋愛にはハマらなかったので、その手の話には疎い。


「春那作品の友情っていい意味でBLチックでエモいんだよね。独占欲とか執着とかはあるけど、爛れてなくて綺麗な感じのBLっていうの?そんな感じ。あの空気感は春那にしか出せないよ」


「BLは読んだことないからいまいち分からないなあ。どの辺が?」


「『Cracker Jack』だと、友也が一樹の一番になりたがるところとか。基本的に相棒の眼鏡くんが主人公君のことめっちゃ好きな感じがしてエモい。主人公君も相棒君のことは好きそうな感じはある。ほらリアルでもさ、強すぎる友情と恋の境目って結構曖昧じゃん?」


既婚者の亜由美の恋愛論は妙に説得力があった。


 少年漫画の主人公はかっこよくなくてはならない。だから、私が今まで出会った中で一番かっこいい男の子の弘樹をモデルにした。私の男友達は弘樹だけだ。弘樹が、野球に真剣で、優しくて魅力的な男性でよかった。私は弘樹の親友だから、相棒役はなんとなく美化した自分をモデルにしている。


 亜由美から貴重な読者の生の声を聞けて感謝している。なのに、モヤモヤとした感情が私の中に渦巻いている。私は、私が分からない。


「ねえ、弘樹ぃ、ウチとこのあと二人で飲まなぁい?」


甘ったるい声で女子が弘樹を誘惑していた。気持ち悪い。


「いや俺、彼女いるし」


別れればいいのに。


 私ははっとした。今、何を考えていた?自分の中に生まれた感情に名前をつけるのならばなんといえばいいのだろう。これがもし、漫画のワンシーンならどう解釈するだろう。


 旧友の女子が弘樹に対して抜け駆けしようとしていることに憤りを感じている。私だって、同窓会の後は弘樹と二人で飲みたいのに。弘樹が誘いを断ってくれたことは嬉しいけれど、その理由が恋人であるということが嫌だ。ああ、この感情は「嫉妬」だ。


 今更気づいた。私はずっと弘樹が好きだったんだ。


 私をモデルにしたキャラクターが弘樹に愛されることに、仄暗い優越感を抱いていた。友也をはじめとする主人公の相棒たちが主人公に対して抱く感情が恋愛感情に似ているのは当たり前だ。だって、私は弘樹に恋をしているから。そして、一樹をはじめとする主人公から親友への感情が恋に似ているのは、私の願望である。絶対叶わないと分かっているから無意識に感情をベタで塗りつぶしたけれど、私は弘樹の恋人になりたかった。


「おい、春那。二次会、12人参加だって」


弘樹の声で我に返ったけれど、気づいてしまったから弘樹と普通に話せない。この人をずっと見つめていたい。私のものにしたい。


「お前、顔赤くね?幹事なのに飲み過ぎだろ」


「大丈夫。赤くなりやすいだけで、そんなに酔ってないから」


 顔が赤くなっていたことを指摘されて、ひやりとした。お酒の場で良かった。もし素面だったら、きっとこの気持ちがばれていた。


 弘樹は私の一番の理解者だと思っていた。でも、この気持ちだけは、まだ知られたくない。私は弘樹の一番の理解者でいるつもりで、弘樹をモデルにしたキャラクターを何人も生んだ。でも、弘樹が私を女性としてどう思っているか、今この瞬間一番知りたいことが分からない。ねえ弘樹、もし彼女と別れたら、私は「アリ」ですか?


 このあとの二次会、どんな顔をして弘樹と話せばいいんだろう。私はこの先、弘樹に対してどんな気持ちを抱きながら連載を続ければいいんだろう。原稿に無意識に投影し続けた、私の恋心と妄想は、気づくことで壊れてしまうかもしれない。


 私の物語の主人公はいつだって君だった。



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