一章1話 歩いた先は穴
「この本いいな」
何個かの小説を手に取り、会計をすます。
何事もないただの日常で、いつも通り過ぎるだけの些細な時間だ。
ありがとうございました――
店員の声が遠ざかる。
今日買った小説を、家に帰ったら真っ先に読むのが楽しみだった少年は、
ひょんなことから……
"穴に落ちた"
「は?」
穴は深く、叫ぶ声も自分の落ちてゆく闇に消えてゆく。
一向に地面にたどり着かない中、少年は意識を失った。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
「起きろ少年!」
目が覚めたのは、若い女性の声がきっかけであった。
目を開けた先に見えるのは青々とした空に、白い雲、そして……
「太陽が二つある!?」
そう、ふたつの太陽があるのだ。
目の錯覚でもないし、頭がおかしくなったわけでもない。
なのに何故か、太陽が二個に見えるのだ。
そんな異常事態に戸惑いながらも辺りを見回してみると、
見たことのない街並みの中に、一人佇んでいる女性がいた。
女性は、騎士風の装をしていて、しかし優しい目つきで少年を見ている。
そんな女性は、少年の元気な姿を見た後、こちらに歩み寄り話しかけてきた。
「目が覚めたか? 少年。まったく、こんな場所で寝ているとは……悪い奴らに見つかったらどうするんだ! 今回は私が見つけたからいいものの、今度からは気を付けるように!」
急に大きな声を出されたと思ったら、急なお説教へと変わる。
少年も戸惑いを隠せない様子で、あたりをきょろきょろ見渡す。
「あぁ、自己紹介がまだだったな。 私の名前はユルレイ・テル・レリティアだ。 君は?」
そう言うと彼女は、座り込んでる少年に手を差し伸べ、少年を引っ張り上げて立たせた。
「お、俺は林道叶人って言います。
なんか、色々助けていただいたみたいですみません。ちょっと自分も、
何が起きたかよくわかってなくて、ちょっと戸惑ってるとこなんですよね」
実際、何が起きたかなんてわからない。
林道はため息をついた後、思考を巡らせた。
すると、ユルレイの方から、
「何があったのだ? 私が役に立てるのなら、何でも言ってくれ!
私は騎士だ! 人々の役に立つのが仕事だから、気にせずに言ってくれ」
と、声をかけてくれた。
ユルレイの優さに林道はとてもありがたく思った。
騎士だからって、自分から進んで人助けをする人なんてあまりいないだろう。
そんな善意むき出しの人が話を聞いてくれるというのに、
断っていいものだろうか?
――否!
断る必要もない。
「実は、この世界のことについて俺、全く知らないんですよ……
俺、こことは別の世界で生きてたんですけど、気づいたらここにいて、
どうやって帰ったらいいかも、この先どこに行けばいいかもわからない、
お恥ずかしながら、八方塞がり状態なんですよね……今」
信じてくれるか否かは別として、ユルレイの反応は熱心に聞いてくれてるようだった。
そして、少し考えこんだ後、ユルレイは微笑み、手と手を合わせて喋りだした。
「そうだ! リンドウくん、住む家がないんなら私の家に来ないかい?
今なら大歓迎だよ! 家が見つかる数日の間でもいいからさ、ちょっと雇われてくれない?」
雇われる? それは一緒に暮らそうと言うそういう系の告白ではなく、
働き手が足りないから、自分の家で働いてみないか? と、そういうことなのだろうか。
とてもありがたいが、家で働くってまず何をするのだろうか?
掃除、洗濯、料理……両親共働きの林道は、妹二人のために、全てをこなしてきた。
だから、そういう家事系の仕事なら、どんとこいと構えておくこともできるが、
ここは異世界だ、どんな仕事があるかはわからん。
これはこれで身構えておくべきなのかもしれないな。
「ついて来い。今日は私は休みでな! 私の家に案内してやる!」
そういわれたので、特にやることもなかった林道は、ユルレイについて行くことにしたのだった。