公爵令嬢の独白
姉妹の仲が悪いのは古今東西どの時代、どの土地でもよくあるお話ですが、義妹に空気のように扱われた挙句、その義妹の陰謀で婚約者である第2王子殿下との婚約破棄を強要され、更には面汚しと家族の縁を切られた姉はどれくらいいるのでしょうか。
わたくしはサファラス公爵家の長女として、また幼いころから決められていた第2王子殿下の婚約者としての立場からずいぶんと厳しい教育を受けてまいりました。ダンスや王族としての立ち振る舞いのレッスンはもちろんの事、必要な教養として読み書き計算だけではなく国の歴史や流通、経済、政治、果てには各国の流行まで。
その中でも一番辛かったのが、貴族として感情を曝け出さない様にコントロールするレッスンです。
なにを言われても、驚くようなことがあっても、決して表に出さぬよう何事にも動じない精神を鍛えるのだと、それを大義名分に教師や使用人から嫌がらせや暴力等、それはもう口に出すのも憚るほど多岐にわたり様々な事を経験させていただきました。
定規や鞭ではたかれるのは当たり前、水をかけられたり、濡れたまま放置されたり。
一番嫌だったのは、王族となったら大勢の前に出ることが増える、その時に恥ずかしがっていては国の恥になる…と言われ行われた、羞恥心を殺すためのレッスンでしょうか。
これに関しては思い出したくもありません。
最初の頃はあまりの辛さにレッスンから逃げておりましたが、そのたびに酷いお仕置きをされるので、いつしか逃げなくなり、泣かなくなり…最終的にわたくしの心は感情を封印してしまいました。
そうして、感情をさらけ出さない様に教育されたわたくしは、気が付けば「仮面のお嬢様」と呼ばれていました。
その名に恥じず、なにが起ころうと表情筋がピクリとも仕事をしなくなったのがわたくし、シンシア・サファラス公爵令嬢です。いえ、既に縁を切られたので家名は不要ですね。
ただのシンシアです。
婚約破棄を告げられた時でも表情が変わらないわたくしは、婚約者と家族には薄気味わるいと蔑まれ、それなりに可愛がってもらっていたと思っていた陛下や王妃様ですら苦い顔つきをしており、自分の居場所は最初からどこにもなかったんだと改めて実感いたしました。
その後、わたくしは身に覚えのない罪を挙げられ、王都からの追放を言い渡され、かといって公爵領地に住むことも許されず、途方にくれました。
義妹と婚約し、その姉であるわたくしが王都にいることはあの二人にとって気持ちがよろしいものではないのでしょう。
わたくしとしても嫌な思い出しかない王都にいるより田舎で誰の目にも触れることなく過ごしたほうが気が楽というものです。だからと言ってこの仕打ちに思うところがないわけではありませんが。
家を出るときには、お父様が最後の情けとして使用人を1人付けてやろうとおっしゃいましたが、私へ嫌がらせをしていた相手をどうして連れて行きたいと思うでしょう。
人目につかないところでわたくしを処分させるためか、監視する為か分かりませんが、わざわざお父様の思惑に乗りたくはありません。
家を出る際、馬車を借りるお金だけ用立ててほしい旨を伝え、使用人に関しては丁重にお断りさせていただきました。
公爵令嬢とはいえ、屋敷で物心ついたころには味方はおらず、ありとあらゆる嫌がらせを受けていた為、自分の世話位は自分でできるようになりました。
食事すらも準備されないことがありましたので屋敷の外に出る際に護衛の目を盗んで日持ちする食料を買い込み部屋に隠しておりました。
義妹には十分に渡されていたお小遣いや装飾品の類なども、わたくしなどには与えてもらえなかったので趣味の刺繍で作った細工物などを売って工面しておりました。
今にして思えば、わたくしについてた護衛がやる気の無かったおかげでしたね。もっとも護衛の彼は、わたくしに何かあっても知らぬふりをして切り捨てる気だったと思いますが。
第2王子殿下からは義務のように装飾品をいただいたことがありますが、そういったものの管理は両親が行っており、度々義妹が使用して夜会に出ていたことを知っています。
そうでもなくとも国民の税金で賄われたそれを売ることはできませんでしたので、婚約破棄された際に全てお返しいたしました。
わたくしは子供のころお父様の視察に同行した際、仲良くなった男の子に一度だけ連れて行ってもらった国境にある森へ行くことに決めました。森の奥には清らかな湖があり、不思議な力に満ちていたのを覚えています。
あぁ、田舎で暮らすのなら刺繍は出来なくなるのかしら。わたくしの唯一といっていい趣味でしたのに。
今後は何か別の趣味を探したほうが良いかしら…今考えても詮無い事ですわね。全てはあちらについてから考えましょう。
旅立つ日、夜明けとともに家を出ました。いくら夜明けとはいえどこに人の目があるかわかりませんので馬車は屋敷には呼ばず、わたくし自ら馬車の待合所へ向かいました。
なぜか馭者の方が驚いた顔をしておりましたがしょうがありません。普通の公爵令嬢で自ら待合所に来るなどありえないのでしょう。
こちらを見たまま動かなくなってしまった馭者の方によろしくお願いしますと声をかければようやく馬車の扉を開けてくれました。
目的地までは舗装された道ばかりではありません。借り賃の安い馬車は揺れも激しく、私はただひたすら揺れに耐えながら外の景色を眺めて時間を過ごすしかありませんでした。
急いでもらってはおりますが当然すぐ着くはずもなく、日が暮れれば町に入り、馬車を待合所へ停め私は持参した食料を少し食べ、馬車の中で眠りにつきました。
公爵からは馬車を借りるお金しか用意して頂けなかったので、宿に泊まる余裕はなかったのです。
馭者の方は貸し馬車組合の方からお金が出ているのでちゃんとした宿に泊まっていたようです。遠出の時の高額な馬車賃はそういったものも含まれているのですね。勉強になりました。もっとも、今後役に立てるような予定などはありませんけど。
そうして10日間かけて移動し、ついに目的地である森へ到着しました。馭者さんにはここまで運んでくれたことのお礼、彼の思い通りになってあげられない謝罪を伝えると何故だか涙ぐんでしまいましたがなぜでしょう。
旅の途中、何度か不穏な空気を感じ取ったので恐らくお父様・・いえ、サファラス公爵から何かしらの命を受けていたのではないのでしょうか。いくらわたくしが王都追放となった罪人とはいえ、馭者さんまで罪人にするわけにはいきませんでしたので、のらりくらりと躱させていただきました。王都に戻った時、サファラス公爵から何か罰を与えられなければよいのですけど。一応独り言として、考え付く限りの言い訳をお伝えしたのであとは彼が上手くやってくれると信じるのみです。
さて、馭者さんと別れてから森の奥へと進むと、湖の近くに建てられた懐かしい家を見つけました。家というよりは小屋と呼ばれるようなものですが、どうせわたくし一人しか住まないのですし誰かが訪ねてくる予定もありません。生活するのには十分と言えるでしょう。勝手に使ってもいいか悩みましたが、昔案内してもらった男の子の話では、ここを管理していたお方は既に亡くなっており、何年も前から放置されているということでしたので亡くなった方には申し訳ありませんが、使わせていただこうと思います。
わたくしは早速小屋の中に荷物を運ぶことにしました。
小屋の中に入ると、ずっと使われていなかったせいで埃っぽくはありましたが、予想に反して建物自体はまるで傷んでいないようでした。
小屋の中はダイニングキッチン、あとは寝室となる部屋が一部屋という簡素なものでした。有り難いことに家具も一式揃っており、少し掃除をすれば今日から普通に生活できる状態でした。
まずは台所にあるカメを、湖でさっと洗い水を入れました。ありがたいことにカメの底には滑車がついており力の無い女性でも楽に水汲みができるようになっておりました。
水汲みを終えたら寝室です。シーツと布団をベッドから剥がし、布団は家の隣に生えている木の低い枝にかけて干しておきます。
シーツは湖で洗い、同じように木にかけて干します。
何故一介の公爵令嬢がこんなこと出来るのかと言えば、使用人たちのおかげです。
わたくしのベッドにわざとお茶をこぼし、取り替えるといって持ちだし、そこら辺に放置したまま忘れたふりをしたり、水をかけて起こされたりしていたおかげで、自分で布団とシーツを綺麗にする術は自然と身に付いたのです。
干している間にお茶にしようと思い、庭へ向かいます。
よく見てみると、庭にはいくつかのハーブが自生しているようで、その中からミントを選び小屋へ戻りました。
お湯を沸かし、ミントの葉を入れてハーブティにします。
お茶の入れ方は淑女としての立ち振る舞いとして学びました。
公爵令嬢としては、使用人に入れさせるのが正しい姿ですが、旦那様と二人きりになった時はあなたが入れるのです、と教師に言われておりました。
お茶を飲みながらこれからどう過ごそうか考えます。
手持ちのお金はほとんどありません。移動時の食料を購入することで全て使ってしまったのです。
家を出るときに自分で買った分の刺繍糸は持ってきましたがほんの僅かです。これで何かを作って売ったとしても微々たるものでしょう。そもそもどこに売りに行けばいいのかしら。
幸い湖が近くにあるのでお水には困りませんし、森の中を散策したらもしかしたらキノコなども見つかるかもしれません。
食事が準備されないことが多かったので外で食べ物を見つけるための知識はなによりも熱心に覚えました。
でもすべては明日です。さすがに連日の移動の疲れがたまっていたのでしょう。眠くてたまらなかったので布団だけ外から持ってくるとそのまま眠ってしまいました。
翌朝、目が覚めるとなんだか小屋の中のいろんなところでキラキラしたものが見えました。
なにかしらと不思議に思いましたが、ひとまずお茶にする為、庭からミントを取って来て昨日と同じようにハーブティを入れました。
食べるものはないのであついお茶を朝食代わりに飲み、寝起きでぼぅっとしていた頭もスッキリして来ると、私はこれからの事を改めて考え始めました。
とりあえず何とかしてお金を手に入れなくてはいけません。ただわたくしには売れるものなど…
そう思ってあたりをきょろきょろ見渡していた時、視界に入る髪の毛に気が付きました。
わたくしの髪の毛はいわゆるプラチナブロンドと呼ばれる色をしておりまして、貴族らしく伸ばしていた為に腰のあたりまであります。
王都にいる間はずっと、髪の毛が目に入るとイラつくだの、目障りなど言われてしまっていた為、あまり自信はありませんが…これは売れるのではないでしょうか。
確かどこかの地域では髪の毛でかつらを作って販売している所があると書物で読んだ気がします。
元々長い髪を伸ばしていることに特に理由はありませんし、ここで暮らすのならば短い方が楽そうなのも確かです。
よし、売ってしまいましょう。問題はどこで買ってくれるかですが…
近くに村がありましたがそこでは無理でしょうか…
とりあえず村に行ってから考えましょうか。馬車で数時間でしたから半日も歩けば着くはずです。
ついでに持ってきたドレスも売れるか確認してまいりましょう。持ち出す許可があったドレスはそんなに高価なものではありませんが多少の値は付けてもらえるはずです。
そうと決まれば、髪の毛はちょっとでも価値が上がるように湖で洗ってから出かけましょう。
髪を洗い、丁寧に梳かしたら着替えて小屋を出ます。朝食は食べていませんが、元々しょっちゅう食事を忘れられていたので少しくらい食べなくても問題はありません。
村へ行く途中に果物が群生している場所がありましたので、森の主に感謝を捧げ少しだけいただきました。休み休み歩みを進め、ようやく村が見えてきました。
あまり大きな村ではありませんが、活気があってとても賑わっています。露天商さんに話を聞きながら、村で唯一という髪結師がいるというお店へ向かいました。
その後のわたくしの話をしましょう。
無事に村で髪を買い取ってもらい、そのお金で作物の苗を買うと、庭に菜園を作りました。
お庭のハーブと、菜園の野菜、湖でとれるお魚がわたくしの普段の食事です。たまにお肉が恋しくなる時がありますが、あまり村には降りたくないので普段は我慢です。たまにわたくしの髪を切ってくださった髪結師さんが様子を見に来てくれるときにお土産で燻製肉を持ってきてくださるのが楽しみになっています。
そうそう、この湖ですが実は精霊の湖と呼ばれていて、たくさんの精霊が暮らしています。
わたくしが小屋で見たキラキラしたものは精霊の足跡のようなものだったらしく、二日目に髪をバッサリ切って小屋へ戻ったわたくしを見て、大層心配させてしまったようで、いきなり目の前に現れたかと思ったら一生懸命短くなった髪の毛と、昔、教育によってつけられたうなじの傷を気にしてくださいました。
それからも精霊たちはわたくしの事を気にかけてくれ、何かとその恩恵を施してくれました。
森で薬草や食料を見つける手助けをしてくれたり、おしゃべりの相手になってくれたり、精霊たちがいてくれるおかげで、一人で寂しいと思っていた暮らしも楽しく過ごすことができています。
そしてつい先日、髪結師さんが来てくれた時に聞いて驚いたのですが、私の祖国…いえ、元祖国が崩壊寸前らしいのです。
わたくしが王都を追放されてしばらくしてから、最初は雨が降らなくなったそうです。その後、雨が降ったと思えば豪雨による大洪水、気温が上がらずに作物は冷害による被害で、収穫は例年の半分以下に落ち込んだとか。今は地震や竜巻等の自然災害も数多く発生しているようで、隣国からの援助でなんとか暮らしているというのです。
ビックリして話を聞いていると精霊たちがくすくす笑っているのに気づきました。もしかして…と思い尋ねてみれば、元祖国は元々天候が荒れやすく災害が起こりやすい土地だったそうで、何年かに一度、必ず大きな被害があるそうなんです。なのにわたくしが生活してた頃は十何年もの間何も無かったと聞けば、彼らの力のおかげだというのです。
昔、この地を訪れた際に精霊たちは、何人かわたくしについて来ていて一緒に王都にいたらしいのです。全く気付きませんでした…。謝罪をすれば、王都は人間の悪意が多すぎて精霊たちにとって毒にしかならず、ずっと眠っていた状態になってしまっていたから気づかなくて当然だと。しかし精霊の力は思っているより強いらしく、眠っている状態でも加護をもたらし、その土地を豊かにするというのです。
しかし今回わたくしが王都追放となったのに合わせ一緒にこちらに帰ってきたそうです。当然精霊がいなくなった土地に加護が与えられるはずもなく、数年の間に起こるはずだった災害も、今全てまとめて降りかかっているとのことでした。
元婚約者も、家族も、両陛下も、平民よりはマシというレベルまで生活水準を下げ、何とか暮らしていると聞きました。
実はここにも何度か王都の人間がやって来ていたそうです。
わたくしが知らないと言えば、精霊たちがこの家にはたどり着けない様に森に結界を張っていると胸を張って言いました。
小さい頭を撫でてあげると気持ちよさそうにしばらくじっとしていましたが、満足したのか外へ遊びに行ってしまいました。
そのまましばらく髪結師さんとお茶を楽しんでいたら、元祖国の事をどう思うか問われました。
正直どうでもいいというか…表情がなくて気持ち悪いとか薄気味わるいとか言われましたが、そういう風に教育しておいて何を勝手な事をおっしゃってるんだろうと常々思っていましたの。
わたくしの持ち物を何でも欲しがる卑しい義妹に、品の欠片も無く暴力的な義母、お母様が亡くなって1年もたたないうちに後妻とわたくしと同い年の義妹を連れてきた恥知らずなお父様。年齢が上がれば教育と称して人の体をいやらしい目で見て触って来るのが何より気持ち悪くていやだった。
わたくしが何を言おうと、何をしようと一切の関心を持たずに自分に都合のいい事しか見ない聞かない元婚約者。第2王子という立場でありながら、権力を笠に着て行う傲慢なふるまいのせいで民衆からの評価がとても低い事にはいつ気が付かれるのでしょうか。
優しい顔をして裏ではわたくしの事を蔑み、疎み、婚約者から脱落させるためだけにわざと厳しい教育を行わせていた両陛下。
友人だと思っていたのに裏切った貴族令嬢の皆さま。
義妹の言うことを真に受けて真実さえ気づかないままわたくしをいつも糾弾していた愚かな貴族令息の皆さま。
あの国には未練の欠片もございません。二度と顔も見たくありませんし会いたくもありません。
わたくしはあの国を離れて初めてまともな人間になれたのですわ。
だからわたくしは笑顔でこう答えるのです。
「自業自得ですね」