ある小道具店の日常
『こっちはボチボチやってるが、そっちはどうだ?』
画面に映るのは、金髪を短く刈り込んだ筋肉質の男。
見た目は三十代前半だが、実年齢はそれ以上という事を知っている。
「特に何も無いですよ。いつも通り平和に店番をしていますよ」
木製のレジカウンターに置いた携帯電話に答えを返す。
一応開店営業中ではあるが、お客様の来店なんて週に3度のペースだ。
一日中誰も来ないなんてザラにある。
今日も今日とて恐怖の大王が降臨する事も、天地が引っくり返る事も、強盗もやってくる事も無い平和なものだ。
『そりゃあそうか。日本の警察は優秀だからなぁ』
しみじみと目を細めるのは、かつて暮らしていた事を思い出しているからか。
そんな姿に、以前よりも疲れた様な印象を受けた。
無理も無い、彼が今居る場所はお世辞にも治安が良いとは言えないのだから。
「……やつれていますけれど、体は大丈夫ですか?」
『何とかな。送ってくれた物資が無かったらヤバかったな。マジで助かってる』
送られた言葉は軽いが、籠められた感情と目は本気だ。
日本に住んでいた頃は何が起きても良いようにと鍛えに鍛えていたが、そんな人間でも厳しい場所。
インドア派の自分であれば数日で屍を晒す事になるのは想像に難くない。
『既に独立した身だが何か困った事があったら言ってくれ。後輩が困っているのなら助けになるぜ。……まぁ、現状は俺が助けられているんだけどな』
そう言って苦笑を浮かべながら頬を掻く。
「いえ、こっちからの補給があっても、ほとんど独力で生活基盤を整えているんですから凄い事ですよ」
現地の相方が居るとはいえ、そこは全く見知らぬ地。
医療品などを送ってはいるが、それ以外は着の身着のまま一からのスタート。
聞けば店を開き、定期的な収入源までも確保しているそうだ。
『そこは編み出した“固有技能”のお蔭だ。戦闘用じゃないが、相性もあって身を立てるのには凄い役に立ったな』
「戦闘技能はロマンですけど、安定を取るなら補助や支援が一番ですよねぇ」
『なぁに達観したような事言ってるんだ。まだティーンエイジャーの癖に』
呆れられるが、仕方ない。
確かに英雄願望はあるが、実際に剣やら魔法やらの大立ち回りなんて出来る気がしない。
そんな事より、娯楽や趣味に興じられる安定した生活の方が性に合うのだ。
「いやいや、最近の学生なんてこんなものですって。そういえば、この前――」
そんな風に雑談をしていると、ふと別の声が混じる。
『ちょっとー、どこに居るのー?』
音源は携帯電話から。
どこか遠くで大声を上げるハリのある女性の声は自身も知る相手だ。
探し人は画面に映る夫だろう。
『――っと、いけね。もうこんな時間か』
気が付けば大分話し込んでいたようだ。
時計の短針が1つ進んでいた。
『もう! 今日は久しぶりに朝まで皆で過ごす予定なんだから早めに行こう、って言ったのは貴方でしょ! 遅れたらその分、夜は覚悟してもらうからね!』
彼を探す大声はしっかりと聞き取れた。
それは、彼にとって御褒美であり、死刑宣告にも等しい。
『……すまん。今夜送ってもらう予定の“強壮剤”だが、数は変えずにワンランク上のを頼む』
「……わかりました。どうかご武運を」
そう言葉を交わし通話を切る。
「さて、先輩が干物になる前に用意しないと」
始めはモゲロとすら思っていた新婚生活の惚気。
あんな美人達とイチャイチャするなんてと思っていたが、日に日に乾いてゆく先輩に戦慄したものだ。
ハーレムというのはロマンであるが、存外大変なもののようだ。
だが、それでも幸せそうな先輩に多少の羨望を抱く……事はないな、うん無い。
あれはコミュ力が無ければ無理だ。
貧弱もやしで内向的な自分では、数日で干乾びるか瓦解するかの2つに1つ。
自身が求める安定した生活には程遠い。
「彼女かぁ、まだ当分は独り身でいいかなー」
そう考えていると鈴の音が響く。
“お客様”が来店した合図だ。
●
軋む事無くスームズに開く木製のドア。
備え付けられた鈴が、涼やかな音を響かせる。
他人と関わるのは苦手であるが、仕事は仕事。
培った自身の接客力を発揮する時だ。
「いらっしゃいませ――ぇ?」
浮かべた渾身の笑顔は真顔になる。
開かれた扉から入ってきたのは、
「金色の……毛玉?」
大の大人一人が軽く通り抜けられる扉は今や金色の何かで詰まっていた。
わさわさと音を立て、店内に入り込んだのは直径が2メートルを越える金の毛玉だった。
「え? 何これは?」
金の毛玉、略して……イカンイカン、驚いて思考が変なところへ飛んだ。
これまで様々なお客様を目にしたが、これ程に奇天烈な外見なのは初めて……でもないか。
気を取り直して挨拶をする。
「ようこそ“ヨロズ小道具店”へ」
すると金の毛玉は驚いたようにわっさと後ずさる。
見た目はアレだが初めて来店する者は大抵同じような反応をする。
驚いている内に口上を続ける。
ここで黙っていると、先手必勝とばかりに攻撃してくる人の多いこと多いこと。
彼等からすれば、こちらが突然現れたようなものなので、不審者に対する自己防衛の一環という事は理解しているが。
「初めてのお客様の様ですので、簡単なご説明をさせていただきます。ここは貴方の世界とは、また違う世界にある店。戦うための武器や魔法はございませんが、筆や応急薬等といった日常的に使用するちょっとした小物を扱わせていただいています」
「――?」
表情は見えないが、困惑している様子は分かる。
「この店はちょっとした呪いが掛けられていまして、普通ではない小物を必要とする方の前にだけ現れるのです」
「――っ!」
心当たりがあるのか、わさわさとカウンターに迫ってくる。
真っ直ぐ向かってきたあたり、なんらかの方法で視界を確保しているようだ。
あと、毛玉の通り道が目に見える程綺麗になるのは、毎日清掃している身として複雑だ。
「……ぁ! ……ぉ!!」
何かを伝えたいようだが、声が毛玉に篭って聞き取れない。
「あー、すいません。声が篭ってしまい聞き取り辛いんですが」
申し訳ないが、声の高さどころか単語すら分からないのでは意思の疎通は難しい。
「…………」
すると、金の毛玉は静かになり、
「ん? ハサミ?」
ニュッとハサミが生え……いや、ハサミを持った手が伸びてきた。
どこかホラーちっくな光景ではあるが、シミ一つ無い細腕は女性らしさを感じる。
そのままカウンターに置かれたそれは、自身の知るハサミと似た形状だった。
違うところを上げるとするなら、
「素材は鉄じゃなくて合金? あれだ、アダマンティン鉱石に近いのか」
重量も、鉄にしては見た目以上に重い。
5キロ近くはあるだろう、少なくとも頻繁に利用するには重過ぎる。
だが、強度としてはこれ以上の物は無い。
「それに、何かの魔術的加工がされているのか」
軽く探った感じでは、“強固”と“鋭利”か。
目的はハサミの耐久性と切れ味の強化か。
使い易さは度外視して、ハサミとしての性能を高めているようだ。
というか何を切るつもりなのか。
素材と加工からして、ドラゴンの鱗すら容易く切り裂ける性能の筈なのに。
製作に掛かる素材や技術を鑑みるに、製作者の腕前は一流である事が窺えた。
「刃がボロボロだ……」
ハサミを開いて絶句する。
刃が欠ける所ではない、まるで錆びて朽ちたかのようにボロボロだった。
一体何を切ろうとすればこうなるのか。
「えーっと、このハサミの修理ということで宜しいのでしょうか?」
確認すると、毛玉から伸びた手が横に振られる。
どうやら違うようだ。
すると、次にハサミと自身を交互に指差す。
「もしかしてこのハサミで切ればいいんですか? ……よろしいみたいですね」
両の細腕に持ち上げられた毛の一房。
コレをこのハサミで切って欲しいようだ。
よく分からないが、お客様の意図を確かめるには必要な行為か。
「では切らせていただきますね。――ん? おや?」
示されるまま切ろうとするが、上手くいかない。
まるで鉄板を挟んだかのように、ハサミが閉じない。
握り方を変えて両手を使うが、刃は一ミリたりとも進まない。
「あれ? ちゃんと刃の部分で切っている筈――って嘘だろ……」
刃を確かめると、先程まで無事であった箇所は無残にも潰れていた。
「成る程、刃が欠けた原因はこれですか」
黄金色の一房を手に持てば、一本一本がまるで金で出来た糸のようだ。
指で遊べば、柔らかくその身を曲げる。
この一本一本がドラゴンの鱗を超える強度というのは驚きだ。
だが、お客様の求める品物が分かった気がする。
「もしや、この毛を断ち切れる刃物をご所望ですか?」
「――っ!!」
合っていた様だ。
喜びによるものか、毛玉がわっさわっさと揺れている。
「わかりました。直ちにご用意いたしましょう」
「――!?」
何やら相当驚いている。
まぁ、これほどの業物を越える一品をあっさり用意できたら俺だって驚く。
はっきり言って、店にコレを超える代物なんて無い。
しかし、たかだか毛を切るのに業物を用意する必要も無い。
店内の陳列棚の一つ、刃物関連の場所から2本のハサミを持ってくる。
形状としては市販されている物と変わりない。
構成する素材はどちらも専門店に行けば揃えられるが、それだけではこの店で売る意味が無い。
「散髪用ではありませんが、切るだけならば問題は無いと思います」
毛玉によく見えるようカウンターに並べる。
「こちらはステンレス鋼です。こちらではポピュラーな合金でして、水に濡れても錆び難いのが特徴です。そしてこちらは少々お高くなりますが、ダマスカス鋼です。異種の金属を積層し鍛造した合金で、耐久性は非常に高く、とにかく長持ちするものが良いというのならばオススメですね」
視線が釘付けになっているのが分かる。
「そして肝心の切れ味ですが、試させて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう確かめれば、どこか震える手で毛の一房を持ち上げる。
「では失礼します」
まずはステンレス鋼。
開いた刃に金糸を乗せ、先とは違って指だけの力で閉じる。
サクリと、やや子気味良い音が聞こえたかと思えば、金の糸はその身を2つに別けていた。
「――!!」
驚きに身を固める毛玉を置いて、切り取られたのは一メートル程の金糸の房。
意外と長かった房に驚きを隠しながらカウンターに乗せる。
「次にダマスカス鋼です」
カウンターに置いた一メートルの金糸の房を半ばで絶つ。
これまたザクッと子気味良い音を立てて金糸は絶たれる。
「どうです? 中々の切れ味でしょう?」
「――っ! ――!!」
果たして、ハサミは2本ともお買い上げとなった。
●
「ほー、それはまた変わった客だったな」
「ええ、本当に。ですが、簡単に解決できる問題で良かったですよ」
毛玉の来店から数日、あれから他のお客が来る事も無く暇な一時が続いた。
「奥さんにお茶の準備をさせてしまってすいません」
「あー気にすんな。向こうの茶葉は入れ方にコツがあってな。それにアイツたっての希望だからな、味の感想の一つでも言ってくれれば十分だ」
久々にこちらに帰ってきた先輩と奥さんが遊びに来たのは、暇を持て余していた自分にとっては絶好の暇潰しになる。
店の裏にある、休憩場兼自宅スペースでお茶会を開く。
お客様? 滅多に来ないし鈴の音で来店が分かるから問題ない。
「ですけど、対価を貰い過ぎたのが心残りですかね」
部屋の片隅に置かれた金の房。
ハサミの切れ味を試した時に残った物だ。
対価として貰った物だ。
「その分、色々サービスしたんだろ? それに、この商売だと価値観なんて曖昧なんだから、お互い満足できる様に擦り合わせる努力をすればそれでいいさ。後から文句を言おうにも、そういう金目当ての輩は二度とこの店には来れないしな」
「そうですけど、やっぱり割り切るのは難しいですね。貰い過ぎるとこっちが騙したみたいで」
毛玉からすれば1銭の価値も無いゴミではあるのだろうが、こちらからすれば途方も無い価値を秘めているのだ。
「そりゃまぁな。神性存在の触媒なんて、こっちで売れば一本単位で幾らの値が付く事か」
少なく見積もっても、一般人が数世代は遊んで暮らせる程だ。
自分達からしても、最新の機材一式を揃えても余りある儲けだ。
「ホント便利だよな。お前の“固有技能”は」
「その分、開発に相応の苦労はしましたからね」
“固有技能”。
それはこの店のオーナーであり師匠から一人前として認められる基準の一つ。
その効果に指定は無く、情熱を注いで編み出したものならば何でも良い。
結果、過去の兄弟子達の“固有技能”と被るのは許される。
だが、流用するのは許されない。
あくまで、本人の発想と努力を試す為のものだから。
「対象のどんな情報をも数値化して可視化する“ステータス鑑定”か。その気になれば悪用し放題だな」
「そんな事をしたら、師匠に殺されるって分かってて言ってますよね?」
「まーな」
ゲーム等の創作でよく見る“ステータス”。
自分はその再現に拘った。
現実にはハッキリした基準値なんてものは存在しない。
故に、平均値を基準とする事にした。
まずは都会にて何百、何千の日本人の平均を取り、次は外国人の平均を取るために千葉は羽田空港まで何度も通ったものだ。
バイトをしていたのに、交通費だけでみるみる減っていく貯蓄に戦慄したものだ。
だが、お蔭で先日の毛玉のお客様の問題を解決できた。
「で? 確か二十歳の人間の平均を基準値としてんだっけか。そうだとしたら、その神性存在のお客さんの数値はどれ程だったんだ?」
「ある意味個人情報だから詳しくは話せないですが、大体――」
記憶にある数値を話そうとしたら、涼やかな音色が響いた。
来店の合図だ。
「すいません。来客のようですね」
「はは、こうしていると昔を思い出すな。茶が出来るまでまだ時間が掛かるし、ゆっくり待ってるから気にすんな」
スペースを区切る暖簾を潜り、店内へと移動する。
今日はどんなお客様がやってくるのか、楽しみにしながら。
●
「どうもいらっしゃいませ。“ヨロズ小道具店”にようこそ」
店内へと移動すれば一人のお客様が居た。
剣を帯びた少女だった。
鎧のような物は纏っておらず、簡素な布地の服であった。
身長は150センチ弱と低く、癖毛の金髪を肩の辺りでザックリと揃えていた。
そして修羅場を越える者特有である射抜くような鋭い碧眼は、確りと自身を見据えていた。
「えー、今回は何の御入用でしょうか?」
初めて見る姿ではあった。
が、自身の“固有技能”によれば彼女はこれで2度目の来店になる。
「店主よ、この度は久しく。今回は礼と……その、頼み? があってな」
コロコロとしているが落ち着いた声色で彼女は言う。
「先日は助かった。方々に手を出したのだが、何の成果も得られず、ただただ途方に暮れていたのだ」
「いや、まぁ、髪の毛が切れないのは困りますよね」
彼女の正体は、先日来店した金色の毛玉の中身だ。
そしてあの毛玉の正体は髪の毛だ。
「うむ、幾多の魔性共を切り捨てた“勇者”と煽てられていたが、実際には自身の髪の毛一本すら断てぬ未熟者であった」
「……失礼ですが、その腰の剣では駄目だったのですか?」
“ステータス鑑定”で確かめれば、洒落にならない数値が見える。
尋常ではない切れ味は当たり前として、鞘に収まり性能を発揮していない状態にも関わらず、秘められた熱量が理論上の“核融合”に迫る数値を叩き出しているのはどういう事か。
まさかの“常温核融合”とでもいうのか。
「流石の鑑定眼だ。確かに、この“ティルトダイン”は神すら断てる神剣だ。だが、ただ一つだけ、害す事の不可能な存在がある」
「あー、それが“所持者”って事ですか」
何でも切れる剣を持ちながら、自身の髪の毛だけは切る事が出来ない。
さぞかし、もどかしかった事だろう。
「そうだ。最大の障害は自分自身などという、吟遊自身が喰い付きそうな話だ。実情は情けない話だがな」
そう言って自嘲気味に笑う。
考えるのは彼女に対して失礼であるが、人間の体毛というのは髪だけではない。
その他の部位も悲惨な状況であっただろう。
サービスとしてアメニティグッツを無償で提供したが、剃刀や脱毛クリームなどを重点的に選んでいた事から察するに余り有る。
「何はともあれ、お客様の希望に沿えられたようで何よりです。ところで、この店に来られたという事は、また何か御要望が?」
この話をこれ以上続けても、彼女の傷を抉るだけになりそうなので話題を変える。
「あ、ああそうだった。頼み、というのはなんだが……」
「どういう事ですか?」
「――っ」
口ごもる彼女は、意を決したかのように床に座して頭を垂れる。
いわゆる土下座に近い体勢……って土下座!?
「神すら見捨てた我が醜態を救ってくれたあの奇跡の品物の数々。対価が私の髪の一房というのは、奇跡の対価として余りにも不釣合いにてあまつさえ不義理に尽きる! だが私が持つは古銭のみ、他にこの恩に匹敵する品物を持っていない。故に! 私自身を対価として店主に差し出したい! 雑用でも奴隷でも何でもいい! 好きに使ってくれ!!」
「え、えぇ……」
まさかの展開に思考が追いつかない。
「と、とりあえず、頭を上げてもらえませんか? その持っている古銭とやらの価値によっては話が変わりますし」
その言葉は、時間を稼ぐためのものだ。
古銭を確かめる少しの間に必死に頭を回転させて状況を打開策を打たねば。
万が一値打ち物であるのなら、それで手を打てばいい。
「……わかった」
しばし考え、頭を上げた彼女は一枚の金貨を床に置く。
できれば立ち上がってもらいたいのだが。
「私が持つのはこの1枚のみ。我が故郷の貨幣で最高額の金貨ではあるが、二百年も前に滅んでしまったし、金の含有率自体も近年の金貨に劣るため、価値はそれ程でもないのだ」
「そうなんですか。とりあえず、確かめさせていただきますね」
彼女の傍に寄って金貨を手に取る。
“ステータス鑑定”を掛ければ、金の含有率は確かに低い。
歴史的な価値はありそうだが、こちらの世界では関係無い。
「確かに、金銭的価値は低そうですね」
「そうだろう、そうだろう」
なんで満足げに頷いているんですかねぇ。
「ですが、魔術や錬金術の触媒としての価値はかなり高いですね」
「……は?」
満足げな表情が凍りつく。
「この金貨、神性存在の加護を受けているでしょう? これがまた高位術式の触媒になるんですよ。こちらの世界だと神性存在に纏わる物品は希少ですからね。これ一つで先日お売りした品物一式以上の価値がありますよ」
「なん……だと……」
まるで予想外だといわんばかりに驚愕している。
喜ばしい事ではないのか?
「た、確かめさせてもらって良いか?」
「え? ええ、お返しします」
呆然とする彼女に返せば、表裏を確かめる。
そして、
「――ふんっ!!」
指圧で粉砕した。
「ちょっ――お客様ぁ!?」
「アア、ナンテ事ダ、力加減ヲ間違エテ貴重ナ硬貨ヲ砕イテシマッター。コレデハ身ヲ売ルシカナイナー」
演技が下手というか大根にも程がないか。
「今『ふんっ』って――」
「事故だ」
「いや、明らかに――」
「事、故、だ」
「はい、悲しい事故でしたね」
くっそ、気迫に負けた。
というか、こうしてまで身を売ろうとしているのか分からない。
「いやぁあのですね。この世界では人身売買は――」
「丁度いいじゃないか。バイトも居なかったし用心棒も兼ねて雇うのは有りだろ」
この場に新たな声が加わる。
それは休憩室に居た筈の先輩だった。
「お嬢さんの事情は分からないが、人手が増えるのは店にとってもプラスだしな。客が来ないとはいえ、やる事は結構あるしな。それに、悪意を持つ人間は店の扉を見つける事さえできないから、そういう意味では信用できるだろ」
「先輩……」
独立したとはいえ、かつてはこの店で20年以上は働いていた大ベテランだ。
店の状況はお見通しのようだ。
「師匠が居ればまた話は違うんだが、今居ないんだろ?」
「ええ、『ちょっと世界旅行行ってくる』って書置きを残したのがちょうど2年前の今頃ですね」
世界旅行は世界旅行でも“異”世界旅行だ。
何百年と生きている存在からすれば2年3年程度は、2泊3日の誤差みたいなものだ。
色々言いたい事はあるが、そういう人だと諦めた。
「護身術を習得しているからって1人じゃ何かと危険だ。実力はあるようだから用心棒としては最適だろ。今ここに来ている俺の嫁だって用心棒兼バイトとしてここに居たんだし」
先輩のいう事は最もだ。
この店の利用者は、異世界の住人ばかりだ。
人に仇なす存在が跋扈している場合が多く、理知的な者より乱暴な者の方が多い。
怪しい存在に対して攻撃的になるのは仕方ないだろう。
「それに給金については問題ないだろ?」
「彼女の髪……ですか」
その道のオークションに掛ければ、彼女の給金を払うのに支障はない。
悪いが、いざという時は彼女から新しく貰えばいい。
「そうですね。突然の事で面食らいましたが、こちらとしては人手が増えるのはありがたい事です」
彼女に向かって手を差し出す。
「……良いのか?」
「はい、貴女さえ良ければこの店の従業員として働きませんか?」
伸ばした手を彼女は縋る様に掴む。
「ああ! よろしく頼む!」
どこか安心したような笑みを浮かべた。
何とか一段落着いたと、ホッと息を吐いていると。
「よぉっし! そしたら、そのざんばら髪を整えなくちゃな! 折角、女の子に生まれたんだ。綺麗に整えてやんよぉ! おぉい、俺のお客だ! 風呂場まで案内してやってくれ!」
「あら、お客さん? ってあらあら可愛らしいお客さんだこと」
店の奥に掛けた呼び声に女性が顔を出す。
先輩の嫁さんだ。
嫁さんは異世界の住人であるので、地球で言う人とは少し違う。
精々、耳が犬の様な獣耳なのと、腰の付け根から尻尾が伸びている程度だ。
犬の獣人というものらしい。
この店の住み込みバイトの経験者であるので、間取りの案内は必要ない。
勝手知ったる他人の家だ。
「え? え?」
少女は突然の出来事に混乱する。
「あー、先輩は髪を整える理髪師でして、腕は確かなので安心して良いですよ」
「え? りはつ……え?」
「さーて、お嬢さん。ちょっと道具の準備をするから、嫁とカタログを読んで待っててくれ。気に入ったのがあればじゃんじゃん言ってくれよ」
「カタ……え?」
「それじゃ、こっちよ。足元に気をつけてね」
先輩の嫁さんは少女の手を優しくとると、エスコートする。
「え……えぇー?」
混乱の極地に至った少女は、抵抗も無く風呂場へと連れて行かれた。
●
「で、彼女を離した理由はなんです?」
「なんだ気付いてたのか」
「常に常備しているのに道具の準備なんて要らないでしょう」
「馬っ鹿、そんな事はないぞ。まぁ今回はそういう意味もあるがな」
表情を一転、真剣なものに変える。
「で、お嬢さんの事情だが――気付いたか?」
「落ち着いた今となったらですかね」
先は動揺して気付かなかったが、落ち着いて思い返せば分かる。
「お嬢さんのステータスはどうなっていた?」
そう自分に問うが、予想はついているのだろう。
「そうですね。種族が“半神半人”は変わらずですが、称号欄にあった“元神命の勇者”が消えて、“亡命者”と“無神論者”が増えていましたね」
「やっぱりそうか……」
自身の“ステータス鑑定”は完成後も研鑽を積み重ねてバージョンアップを繰り返している。
結果、称号や特異技能等の名前の意味を読み取る事ができるようになった。
「“神命の勇者”は、神に指名された存在。それが“元”になっていたのは――」
「お嬢さんが言っていた『神すら見捨てた我が醜態』って部分か。毛玉が勇者なんてのは、その神サマの美意識的に無理だったんだろうな」
地球の神話でも美醜によるイザコザは多い。
残念な事に、彼女の神はそういう存在だった。
“亡命者”については言わずもがな、彼女の選択に因るものだ。
「“無神論者”は……、彼女自身が神を否定したんでしょうね」
「だろうな。思いつく所だと、身奇麗になった所で神サマがよりを戻そうとしたんだろうな。結構美人だったし」
「で、彼女がそれを否定したと」
言動を思い返せば、不器用というか真っ直ぐな少女だ。
理由はどうあれ自身ではどうしようもない困難に、手を差し伸べるどころか振り払って貶めるような相手だ、性格を考慮すればよりを戻すのは難しい。
「半分とはいえ、自力で神格に至っていますからね。あちらからすれば自らの地位を脅かす存在に見えたんでしょうね」
“ステータス鑑定”によれば、至った原因は数多くの感謝と尊敬によるもの。
彼女の積み重ねた努力の結果だ。
「そもそも、彼女の髪が切れなかったのも、その神の祝福が原因ですしね」
「祝福か。具体的には?」
「彼女の世界の存在は、彼女を害することが出来ないというものですよ。一見すれば最高の護りですが、悪意や善意関係なしです。どんな鉱石で刃物を作ろうとも、どんなに進んだ技術でも、その世界の存在というだけで産毛一本傷つけられません」
その結果があの毛玉だ。
女性としては、あんな姿にされるのは屈辱でしかないだろう。
その時点で神の性根が窺える。
「なるほど、だから軽い再生魔術を掛けただけのハサミで切れたんだな。彼女の世界由来の道具ではないから」
「祝福については気にしなくてもいいでしょう。恐らく、この店が彼女の世界に繋がる事は、二度とありませんでしょうし」
ある意味、厄介者を自分の世界から追い出したのだ。
帰って来れないように向こうが細工をする筈だ。
「それもそうか。なら考えるのはこれからの事だな。このままバイトとして働くか、別世界に移住するか。お嬢さんの選択次第だが、それまでは頼んだぞ」
「まぁ、そうなりますよね。先輩の所で受け入れる選択もありましたけど、結果としてこちらで受け入れる事を決めたのは自分ですし」
現在、オーナーが不在のこの店で決定権を持つのは自身のみ。
先輩は昔働いていたとはいえ、今は独立した経営者であるため頼れない。
暫くは用心棒を兼ねたバイトとして扱うが、いつかは彼女の将来を考える必要があるだろう。
何時の事かは分からないが、それが結果として彼女を保護した自身の責任だ。
「俺も嫁の事で随分悩んだし、相談はいつでも受け付けるぞ。さて、これ以上待たせると夕飯に間に合わなくなるし、そろそろ行くか」
話は着いたと、先輩は自宅スペースへと向かう。
常に持ち歩いている、理容道具を取りに行くのだろう。
「見たところ髪質も痛んでいたし、この俺の“固有技能”の“グルーミング”で整えるとしよう。効果は嫁の故郷でも折り紙つきなんだぜ」
「開発の為に動物喫茶や動物園に通い詰めでしたもんね」
格好良いことを言っているが、プロレベルの理容技能は副産物に過ぎない。
実際は動物好きが高じた結果だ。
その証拠に、獣人が住まう嫁さんの異世界に一も二もなく移住を決定した。
まぁ本人が幸せそうなのでとやかくいう事ではないが。
「嫁も付いているし、お嬢さんについては任せておけ。お前は閉店までどうするか、ちょっと考えてみろ」
そう言い残して先輩は暖簾の向こうに消える。
店内に残るのは自身一人だけ。
「『どうするか』、かぁ。……とりあえず、彼女が移住を決めた時の為に気風に合う世界をピックアップしておこうかな」
カウンターに置いてある顧客リストから、世界を幾つか抜き出していく。
そうして出来たリストが彼女との新婚旅行に使われるなど、この時はまだ知らなかった。