社畜の奇妙な冒険 第一部 ファントムエクスプレス
ジョジョ展に行ってきました。
全国のジョジョファンに捧げます。
2019年1月2日水曜日。私が現在アルバイトとして勤務しているスーパーは、1月1日から2日まで休業している。正月くらいは家族とゆっくり過ごしなさいという社長の配慮だ。ワークライフバランス。
そういえば、落合陽一さんはワークアズライフという言葉を使って、仕事に対する考え方を語っていたな。
いくらワークライフバランスが実現できるといっても、アルバイトの待遇がいいというわけではない。私が雇ってもらっている会社は、時給は最低賃金を下回っているし、アルバイトは有給休暇を取得できないのだ。パワハラはないので安心して働いているけど、もう少しアルバイトを大切にしてほしいですね。
話がそれてしまった。つまり何がいいたいかというと、今日はバイトが休みなのでどこか遠くに出かけようってことだ。大阪で、荒木飛呂彦原画展が開催されている。特に、荒木先生の作品のなかでも『ジョジョの奇妙な冒険』に焦点を当てているので、巷ではジョジョ展と呼ばれている。わざわざ大坂まで赴いて、ジョジョの世界を楽しもうと思った。日帰りで。
1月2日水曜日、この日は午前8時に目が覚めた。うるさいアラームのせいで、心地よい夢の世界から追い出され現実に戻ってきた。今日も一日が始まる。そういえばジョジョ展に行くんだった。でも体が重い。一週間前に、ローソンであらかじめチケットを買っておいた。14時から15時45分の間に入場しなくてはならない。入場時刻が指定されているのだ。新幹線に乗れば新大阪まで3時間あれば着く。だから遅くても12時の新幹線に乗れば十分間に合う。もう少し寝よう。
午前9時に第二次起床。まだ時間に余裕はあるけど、念のためにそろそろ出発しようか。何かトラブルがあって、新幹線が予定通りに運行しないこともありうる。私は心配性なのだ。普段の生活でも、リュックの中に財布はちゃんとあるだろうか、家の鍵は閉めただろうかなど、些細なことが気になってしかたがない。
早く到着して困ることはない。大阪に行ったことはないから、街歩きをすればいいじゃないか。そう思って、急いで身支度を整えた。朝は寝癖をとるのが面倒だなあ。
今回の旅のお供は司馬遼太郎の『世に棲む日日』の一巻と二巻。昨日はドトールに5時間くらい滞在して、一巻の三分の二を読んだ。移動中に読もう。
家から10分ほど歩いて徳力嵐山口に着いた。モノレールで小倉まで行こう。久しいなあ。運賃がもったいないので、雨のせいで自転車が使い物にならないときにしか利用していない。晴れていれば小倉にだって自転車で移動する。運動不足の私にとってそれはちょうどいい運動になる。
モノレールに揺られて小倉に行くのもいいなあ。そういえば、アナウンスの声はいつ変わったんだろう。新しい声に慣れたせいで、昔のアナウンスの声がどんなものだったのか、まったく思い出せない。高校に進学したら、中学校の友人のことを忘れてしまうのと同じだ。
車窓から眺める景色は昔と変わらない。一番モノレールを利用していた時期は高校生の時だ。家から6キロ離れている位置に高校があったので、雨の日は利用せざるをえない。
晴れていれば、自転車で30分かけて高校まで通学していたなあ。今考えると、高校生の体力ってすごいな。
城野だ。この駅は私が通っていた高校の最寄駅。自転車では30分かかるけど、モノレールなら10分で着いてしまう。ここも変わっていないな。開いているドアからホームの様子をうかがう。あ、あのベンチはもしかすると、もしかするとだけど、高校三年生の時に恋人と一緒に座ったベンチじゃないか。まだあったんだ。思い出に浸っていたら、ドアが閉まってモノレールが動き出した。
城野より北に行くにつれて、次第に活気があふれた街並みがみえてくる。北九州の南北問題。北区は産業が発達していて、それなりに経済活動が盛んだと思う。たぶん。それに対して、南区は荒れた中学校が多いように思うし、過疎化も進んでいる気がする。菅生中学校より南は畑や田んぼしかない。
午前10時20分に小倉駅に到着した。今から新幹線に乗れば、ちょうどいい時間に新大阪に到着するだろう。階段を下りて改札口にモノスゴカをかざす。
2017年の11月から一週間に一回、若者ワークプラザのお世話になっている。約束の時間に間に合いそうにないときは、モノレールを利用して通っている。そこに行くためには、メーテル像がある通路を道なりに進んでいけばいい。今日は新幹線に乗り換えなので、メーテル像を拝むことはできなかった。
新大阪まで片道13,000円くらい。時給835円とすると、およそ15時間の労働と等しいことになる。往復で30時間。高い。金額を労働時間で換算すると、節約がはかどりそうですね。
10時30分に新大阪行の新幹線が出発するようだ。ナイスタイミング。遅くても14時には目的地に到着できるかな。
高校生の時、寝坊してしまって、遅刻しそうになったことがあった。その日はあいにくの雨だった。晴れの場合、信号無視をしながら自転車のスピードを最大限に高めれば、遅刻の心配はない。しかし雨の場合はモノレールを利用しなければならない。モノレールの運行間隔は10分なので、一本でも乗り遅れてしまえば大変なことになる。駅まで走って、息を切らせながら階段を駆け上がる。間に合った!と思ったが、ドアが閉まって走り去ってしまった。絶望。
あのときの絶望感を、今回の旅で味わうことはなさそうだ。味わいたくない。二枚のチケットを重ねて改札口に通した。そして乗車予定の新幹線が待機しているホームの番号を確認し、あちらこちらを探し回った。
ふう、なんとかみつけられた。ほんの三分でみつかってよかった。もう少し時間がかかっていれば、目の前で新幹線が走り去ってしまうという、最悪の事態になっていた。
こだまかな?名称はわからないけど、とにかく新幹線はまだ発車せずに待機している。自由席は結構すいているな。まだ2日だからな。Uターンラッシュのピークはまだ先かな。
窓側に座る。読書をするので、景色を眺めようなどとは思っていないけど、なんとなく窓側に座った。
昨日読みかけていた本を開く。どこまで読んだのかな。主人公は吉田松陰で、参勤交代の付添人として江戸に留学したところまで読んでいるようだ。
松陰は武士の子供だったが、屋敷が焼けてしまったので農家のような生活をしていた。そして、松陰は吉田家の養子になるのだが、養父がすぐに亡くなり、松陰が吉田家当主となる。しかし当主とはいってもまだ幼いので、生家である杉家で養育されることになる。松陰の一人目の師匠は実父で、学び舎は畑のあぜ道だ。
松陰の二人目の師匠は玉木文之進。山鹿流兵学に精通している。ちなみに、松下村塾を創始したのは松陰ではなく文之進だ。
吉田家の家学は山鹿流兵学。そして、当時の当主にとっての最大の使命は、家学を先代から受け継ぎ、それを子に伝えるということだ。そのため、松陰は家学である山鹿流兵学を学ぶ必要があった。その際に山鹿流兵学の素養があった玉木文之進が松陰の師として抜擢されたのだ。
学習中、松陰は顔がかゆくなり、どうしても我慢できずにかいてしまった。それをみた文之進は、松陰に体罰を与え戒めた。もう少しで殺されてしまいそうな勢いだった。文之進はなぜそこまで怒ったのだろう。
「学問とは藩主、つまり公のためにある。お前は公よりも私を優先して顔をかくのか」
要約するとこんな感じだ。理不尽だ。普通の子供なら、体罰のせいで歪んだ大人になってしまうかもしれない。しかし、松陰は違った。真っすぐかつ誠実で、私よりも公を重んじる男に成長した。友との約束のために脱藩した後には自首をした。黒船襲来時には、鎖国を破りアメリカに渡ろうとしたが、失敗してしまい、自首をする。誠実なんだな。
「罪は罪である。男児は罪を犯してにげかくれするようなことがあってはならない」
これは、鎖国を破って自首したさいに、名主は迷惑がって松陰を逃がそうとするのだが、そのときに松陰が名主に向かって主張した言葉だ。
一巻を読み終えたときには、広島あたりに到着していた。小学校低学年くらいの男の子と、父親らしき中年男性が乗車して、私の二つ前の席に座った。母親はどこだろう。男の子は、窓の外を向いて泣き叫んでいる。
「おかあさーん、寂しいよ」
女性が新幹線の外にいて、窓越しに男の子に手を振っている。母親だろうか。しかし、これはいったいどんな状況なんだ。どうして母親と男の子は離れ離れにならなくてはならないんだ。いろんな可能性を考えたけど、書くのはやめておこう。
岡山で駅弁を買った。一番安いのを買ったんだけど、千円くらいしたよ。それにしても、岡山と小倉はとても距離があるんだな。三年の後期に受講した国家賠償法の先生は、こんなに遠いところからうちの大学まで来ていたんだな。疲れているはずなのに、いつも丁寧な授業をしてくれた。居眠りしてごめんなさい。
駅弁を食べていると、「川の流れのように」のメロディが流れた。その後、各駅の到着予定時刻を告げるアナウンスがされた。
「新大阪に到着する予定時刻は、16時20分です」
なにーッ‼16時20分だとッ!?私は10時30分発の新幹線に乗った。あらかじめ調べておいたことだが、3時間あれば小倉から新大阪まで行けるそうだ。遅れを考慮しても14時には到着できると見積もっていた。しかし16時20分に到着するとはどういうことだ?6時間もかかっているじゃあないか!私が購入したジョジョ展のチケットには、指定された入場時刻が記載されている。14時から15時45分の間に入場しなくてはならない。間に合わないじゃあないか!
間違いない。これはスタンド攻撃だ!乗客全員がスタンド攻撃を受けているぞッ!しかし、どんな能力なんだ。新幹線を各駅に、強制的に停車させる能力だろうか。目的は何だ。私はスタンド使いではないので、この事態に対処することはできない。チケットは18時入場のものをオーソンで買いなおそう。
16時20分に新大阪に到着。今から急いだって間に合わない。事前に購入したチケットは、ただの紙切れになった。
18時まで1時間40分もあるので、ゆっくりと大阪の町を楽しむことができそうだ。しかし今回はジョジョの旅なので、大阪を観光するつもりはなかった。
新大阪に到着したら、まずはエンジョイエコカードを購入した。600円(祝日価格)で大阪の地下鉄やバスなど、公共交通機関を利用し放題なのだ。地下鉄の御堂筋線に乗り、なんばを目指した。
ここがNMB48の拠点なのか。天神以上に人が多いところだし、高層ビルも多い。本当に少子高齢化や人口減少が顕在化しているのか疑念が生じるほど、とにかく人が多かった。
なんばではジョジョフィギュア展が開催されており、また、商店街にあるローソンはジョジョとコラボして、オーソンとして期間限定で営業している。まずはフィギュア展に行こう。
フィギュア展はマルイという商業施設で催されていた。別に丸くはなく、建物の外観は長方形だ。会場はそのビルの7階だった。エスカレーターで7階まで上がり、一歩を踏み出す。大阪に来て、最初に私を歓迎してくれたのはブチャラティチームだった。ジョルノたちの等身大パネルが目の前にあった。一緒に写真を撮りたかったけど、1人だったし、見知らぬ人に撮影を頼むのが恥ずかしかったから諦めた。
撮影スポットの隣にガラスケースがたくさんあって、その中にフィギュアが飾られていた。荒木先生の絵に負けないくらい、フィギュアにも迫力があるなあ。一部から八部までのキャラクターが勢揃いだ。フィギュアを眺めながら、そのキャラクターの言葉や活躍に思いを馳せていると、小学生くらいの男の子の嬉しそうな声が聞こえた。
「みてー!シーザーがいる!」
それに対して「本当だねえ」と父親が優しく相槌を打つ。
シーザー・アントニオ・ツェペリは『ジョジョの奇妙な冒険 第二部 戦闘潮流』の登場する波紋の戦士だ。シャボン玉と波紋を組み合わせるという、トリッキーな戦闘スタイルを持っている。シーザーの、最後に放ったツェペリ家の勇ましさを象徴するあの言葉は今でも忘れられない。
30分くらい滞在して、人間讃歌を体現したシーザーや花京院、そしてブチャラティのことを考えた。フィクションとはいえ、彼らの言葉や生き様に触れると、心の底から熱い思いがこみ上げてくる。フィギュアを眺めるだけでこんなに胸が熱くなったのだ。原画をみてしまえば、胸が熱くなりすぎて蒸発してしまうかもしれない。
マルイをあとにして、オーソンに向けて走った。時間がもったいないので、移動はダッシュだ。商店街のなかはあまりにも人が多すぎて、走ることはできなかった。一分一秒でも時間を無駄にしたくなかったので、行き交う人々を押しのけて、可能な限り歩くスピードを上げた。
オーソンだ!本当にオーソンだ。LOWSONのLがなくなってOWSONになっている。オーソンは『ジョジョの奇妙な冒険 第四部 ダイヤモンドは砕けない』の舞台である杜王町で営業しているコンビニだ。
殺人鬼を倒し、平穏を取り戻した杜王町のオーソンで、主人公である仗助が友達とたむろしている場面がある。その際、億泰(声はコナンの高木刑事を担当している高木渉さん)が
「露伴がデパートで万引きして捕まったらしいぜ」という信頼性が皆無の情報を仗助と康一に伝えている。その光景がありありと思い出される。
オーソンの中は、ジョジョコーナーが設けられているくらいで、ほかはローソンと変わらない。「覚悟はいいか?俺はできている」と「だが断る」のセリフが印刷されたタオルが販売されていたが、びっくりするほど高かったので購入は控えた。予定通り、ジョジョ展のチケットだけを購入して、オーソンをあとにした。
再び地下鉄御堂筋線を利用して本町で降りた。そこで中央線に乗り換え、大阪港を目指した。今この列車に乗っている人もジョジョ展を楽しみにしていて、今か今かと大阪港に到着するのを待ちわびているのだろうか。
ジョジョ展の会場は大阪文化館だ。大阪港から10分ほど歩いたところにある。会場のお隣は海遊館という世界的にも有名な水族館だ。私はこれまでに、二回しか水族館を訪れたことがない。なので、海遊館に行ってみたいという衝動に駆られたが、なんとか抑え込んだ。
海遊館の入口付近は、たくさんの電球で飾りつけられていて、とっても綺麗だった。小倉のイルミネーションといい勝負だ。
青く光る大きな鯨のオブジェの周りには、家族写真を撮影している人々でいっぱいだ。羨ましいなあ。
問題を一切抱えておらず、順風満帆な家族というのは存在しないと思っている。大なり小なり、家族という集団に問題はつきものだ。大切なのは、問題にどのように向き合うかである。抱えている問題に善処して、そこにいるだけで安心できるような家庭をつくりあげようという強い意志があれば、きっとその家族はうまくやっていける。私の両親にその強い意志はなかった。複雑な気持ちになりながら海遊館をあとにした。
大阪文化館に到着。入口の近くにはジョジョ展のポスターが掲載されていた。ザ・ワールドの模様が刻まれた月を背景に、ディオがあぐらをかいている。荒木先生は背景を描くときに失敗したといっていたが、ファン目線では百点満点だ。決して満足せず、さらなる高みを目指そうとする姿勢は、声優の神谷浩史さんと似ている。これがプロフェッショナルか。
ポスターの前でジョジョ立ちをして写真撮影しているファンをあとにして、私は会場に向かった。18時入場開始で、現在は17時50分。長い行列ができていた。私の後ろに並んだのは一組のカップルだった。
「ワンダの巨像は深いゲームなんだよ」
「そうなんだ。私やったことないからネタバレはやめてね」
「今年はキングダムハーツが楽しみだね」
楽しそうに会話をしている。私の両親がこんな風に楽しそうに会話をしているところなんて、一度もみたことがない。
それにしても、趣味を共有できる人がそばにいれば、人生は豊かで楽しいものになりそうだ。
入場開始。心拍数が上がってきた。年末に過労死するくらい働いても、精神が崩壊しなかったのは、この瞬間を楽しみにしていたからだ。
入場してから、最初に触れたのは荒木先生のジョジョに込めている思いだ。先生の言葉を刻んだパネルが壁にかけられている。
「時代によって支持される価値観や考え方は変化します。しかし『人間讃歌』は時代・地域を問わず普遍的なものだと思います。そう信じているからこそ、人間讃歌をテーマにしてジョジョを描いてきましたし、これからも描いていきます」
こんな感じだったかな。貴重なお言葉だったので、メモをしておけばよかった。
この言葉に触れたとき、私はフィギュア展で出会った男の子のことを思い出した。今からおよそ30年前、1987年に連載がスタートした。それから30年がたった今日においても、小学生にも読まれ続けているのは、ジョジョには人を引きつける魅力があるからだろう。その魅力というのが「人間讃歌」である。つまり、人間讃歌は時代・地域・性別その他諸々を問わず支持される普遍的なものなのだ。
荒木先生は人間讃歌を「神様や機械ではなく、人間こそが一番」という言葉で説明している。私は、「どんな状況でも自分の信じる道を貫こうとする精神のすばらしさ。人間の生きることのすばらしさ」という風に解釈している。
通路を進んでいくと、おびただしい数の原画が、額縁に入れられて壁にかけられている。ファンのなかでも人気がある場面の原画がたくさんあった。「アリーヴェデルチ」や「だが断る」はもちろん、承太郎とディオがスタンドで拳をぶつけ合う場面もあって、ワクワクが止まらなかった。
二つ目のフロアでは、荒木先生が作品を作るためにしている努力が集結していた。なんと、40年以上継続して、話題になった映画のおもしろさを分析し、ノートにまとめているというのだ。成功している人は外からみえないところでコツコツと努力を積み重ねているんだね。
ジョジョ展の最後のフロアでは、荒木先生のインタビュー映像が上映されていた。この人がたった一人で、ブチャラティなど魅力的なキャラクターを生み出したんだな。
映し出された映像の正面には、荒木先生がジョジョ展のために描いた等身大パネルが並べられていた。
まだ六部の途中までしか読んでいないので、誰なのかわからないキャラクターも描かれていた。一人ひとりのキャラクターの絵には凄みがあって、圧倒される。荒木先生のジョジョに対する思いがなんとなく、肌で感じて伝わったような気がする。
一時間くらい見学したな。ネタバレになるような原画はスルーしたので、十分楽しめたとはいえなかった。
おみやげはどうしよう。あ、ジョジョ展限定のクッキーがある。スタープラチナとザ・ワールドの絵がクッキーに描かれている。このクッキーを日頃お世話になっている人にプレゼントしよう。喜んでくれるかな。
今回の旅で、私は荒木先生のジョジョという作品に込めた思いを感じることができた。それと同時に、私の精神は少し大きくなったように思う。しかし、黄金の精神にはまだほど遠い。
ファンになってまだ浅いですが、ジョジョ展に行ったことでさらにジョジョについて知りたい、考えたいと思うようになりました。
それから、やはり「人間讃歌」って普遍的なものなんですよね。
実際、私もジョジョのテーマである人間讃歌に引きつけられ、大阪まで行ってきましたからね。
次回は「社畜の奇妙な冒険 第二部 就活潮流」。