恐
一歩も動けない。
重力による重さにからだが耐えきれず、悲鳴をあげている。だが、それでも恐は地面に膝をつけるわけにはいかない。彼の足はプルプルと震えながらも、その場で必死に立っていた。
「あれ? これは………?」
これはいったいどうしたことだろう。
この能力を使っている大楠は恐が銃殺している。
それなのにこの能力は明らかに彼女の能力。大楠の重力を操る能力のはずである。
魔王城まではあと少しだというのに…………。もう少しでたどり着き、他の敵将のサポートをしてあげるつもりだったのに………。
そして、恐はこの時、1つ失敗を犯した。
必死に前に進むことに集中しすぎていたのだ。全力を出しすぎていた。彼の能力を保ち続けることに集中力を向けていなかった。
「待っとったわ。こん時ば…………!!」
紅葉の発言に恐はハッと気づく。
彼の従えていた百鬼夜行達はまるで時が止まったかのように、動いていない。もともと付喪神でもなく魂のないモノであった恐の百鬼夜行達は、まるで司令塔である恐からの命令信号を受信することができずに命令を待つロボットのようになっている。
「まずい……………!!」
慌てて百鬼夜行達を動かそうとするが、更に重力の負荷がかかり思考が重力へと持っていかれる。
これでは百鬼夜行を動かすのに時間がかかってしまう。
「まさか、これは……おねぇーさん。あの時胸を刺したあの剣に秘密があるんだな?」
「違う。違う。少し違うわ」
そうして、紅葉が懐から取り出したのは小さな人形の折り紙。
それは小さくミニキャラ化された大楠を折った物。
なかなか出来の良い大楠の折り紙となっている。
その折り紙を見せられたことで恐はハッと気づく。
「まさか、そんなことってあるのかい?
人間を折り紙で象ったのかい? それで能力を使うだと!?」
まさか、紅葉の能力が人間の偽物まで作れるとは思ってもいなかったのだろう。
恐は正直、この現状に驚かずにはいられなかった。この状況は明らかに恐が不利な状況。彼はまさに絶体絶命なのだ。
そう、それは紅葉にとってはチャンス。
動けなくなった恐に向かって彼女は走り出す。
まさにもう二度と来ないかもしれないほどの大チャンス。
このチャンスを逃してしまえば、もう恐を撃つことはできない。
連盟同盟に勝利はやってこない。ここで恐を倒さなければ、魔王軍に敗北したも同然なのだ。
これまでに散っていった仲間のため、今でも戦い続けてくれる仲間のために紅葉は最後の大技を放つ。
彼女は走りながら、折紙を折って能力で偽物を召喚した。
「『折紙享楽・心終神竜』」
最後の折紙享楽。紅葉が召喚した紅の竜は一声、空に響き渡るくらいの大きな声で叫ぶ。
そして、宙に浮きながらも恐を目指して飛んでいく。
紅葉もその竜の後を続きながら、剣を持って恐の下へ走る。
一方、その2つの敵を待つだけしかできない恐は、ただ近づいてくる敵達を見ているしかできない。
2人の距離が縮まっていく。それは恐へ舞台の終演を数えているかのように………。
でも、恐は最後まであがき続けるつもりのようだ。
汗をかき、腕の痛みに耐えながら重力による体への負荷がかかる中で彼は腕を動かした。
彼は腕の骨が砕けそうになりながらも、必死に虚空より玩具を取り出す。
「『胡桃割り阿修羅(ウォールナットゥ スプリット アシュラ)』……………」
呼び出されたのは体長が20mもありそうなほど大きな阿修羅像。
その腕に捕らえられれば胡桃どころか頭蓋骨まで砕けそうだ。
だが、さすがの恐もこの重力の重さの中でモノを操ることはできなかったようだ。
胡桃割り阿修羅はその実力を発揮することなく、起動することはなかった。恐による苦し紛れの大技は失敗に終わる。
恐が起動させる前に竜はすでに恐の間合いに入っていたのだ。
「しまっ…………!?」
心臓付近に走る激痛。
恐の体を貫通し、竜は彼の心臓を加えている。そして、竜はそのまま大空へと登っていくと、赤黒き空の向こうへその姿を隠してしまった。
「うぐっ………………」
だが、これで終わりではない。恐の心臓が奪われようが、次の第2波である紅葉の抜刀が待っているのだ。
血を吐きながら虚ろな目をしている恐の目が紅葉の目と合う。
しかし、慈悲の心はない。この少年は今までに何人も何人も殺し、人の記憶を弄んできた大悪党。大楠の仇なのだ。
不思議と疲れがふっとんで周囲に目が向かない。
紅葉の目はまっすぐ、彼の首に向いていた。
心臓は竜が奪って消えたので、殺すなら首だ。首を切り落とすしかない。
叫びながら怒りを込めた一撃を彼女は恐に放つつもりなのだ。
そして、彼女は剣を握ると彼の首を跳ねる前に一言別れの言葉を小さな声で彼に呟いた。
「…………さよなら。」
「これにて閉幕か。……はは!!」
恐の視界に写っているのは上下が反転している空。
まるで空が落ちてくるような感覚に恐は襲われていた。
だが、そんな時間はすぐに終わり、コロンと地面に首が転がる。
ふと見ると目の前では百鬼夜行達が主人の敗北により能力が解除されて、砂のように風に舞いながら消えていく。
「(余の無敵の軍団が消えていく。余の舞台が終演を迎えている)」
正義の軍団だったはずなのに…………。彼の奴隷達であったはずなのに…………。彼も彼の百鬼夜行達も消えていく。
あんな人間の娘に負けて消えていく。正義は勝つはずなのに………。
お客さんがまた舞台の再開を待っていてくれるはずなのに…………。
魔王軍最強の十悪時代の生き残りの1人である恐が消えていく。
彼の視界はだんだんとゆっくりとぼやけてきた。
「(嗚呼、余は死ぬのか)」
でも、死ぬのは怖くない。ただ、あの世であいつらには会いたくない。
数えてもないくらい昔の嫌な記憶だ。普通の人間だった頃の嫌な記憶。彼はそれを走馬灯のように思い出してしまった。
「(走馬灯が両親なんて最悪だな。最期ならそうだな………)」
彼は瞳を閉じて暗い暗い暗闇を見る。
しかし、そこは暗闇ではない。スポットライトに照らされた大きな劇場。
「(最期くらいは、広い広い劇場で…………。スポットライトに照らされながら余の台本で………余が監督の舞台をなりやまない拍手と一緒に幕を閉じたかった……………なぁ)」
彼の耳には、聞こえるはずのない広々とした劇場からの拍手喝采の音が聞こえ続けていた……………。
百鬼夜行達が完全に消えたので、紅葉は折紙の能力を解除する。
傷だらけでふらふらと倒れそうになりながらも、紅葉は地面に尻を着けて座った。
「ふぅ…………」
小さなため息が自然に紅葉の口から吐き出される。
もう大楠の声を聞くことはできない。彼女の活躍を見ることもできない。
恐との戦いは終わり、無事に紅葉も生きている。
他の同盟連盟のもとへと恐を行かせなかったし、恐を討伐もできた。
だが、紅葉はまったく嬉しさという感情がわかない。
「大楠ちゃん…………」
彼女を失った悲しみが今になってドッとこみ上げてきたのだ。
紅葉はそんな感情を必死に抑え込みながら、自分の折紙を見つめる。
それは紅葉が大楠を象った折紙人形。彼女はその折紙人形を両手で握ったまま語りかける。
「大楠ちゃん。今は先に進まなね。魔王ば討つために………」
折紙からは何の声も聞こえない。
彼女は声を求めてなどいなかった。彼女は先に進む勇気が欲しかったのだ。
彼女はゆっくりと立ち上がり、この戦場でまだ生きている連盟同盟達のもとへと歩いていく。
『あとは任せたわ』
その時、彼女には風と共に空から空耳のように声が聞こえたような気がした。
まるですぐそばで彼女を見守ってくれるかのようだ。もちろん、その声が現実か想像かは分からない。
ただ、紅葉はなにもない空を見上げた後、うつむいたまま歩いていく。
地面にポタリと滴を落としながら…………。
魔崩叡者霊興大戦ラスバルム(東)
百鬼夜行:被害不明。敵将:恐討伐
連盟同盟:150人の戦死者。70人の負傷者。
王レベル:大楠巳汝死亡。




