承・科学者は捕縛され、愚者は糸に吊られる
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都内、某所。
人も、自動車も、秒単位で現れては消えていく。
常に動き続ける街という生き物の中で、1つ、やけに目立つ存在が制止していた。
道路脇に停車している黒塗りの高級車。
この御時世に法的にも危ういのではないかと人々に心配させる漆黒のマジックミラーの先では、まさか『ヤクザ』が『拳銃』を取り出しているとは誰も予想できないだろう。
「志村さん。まぁ言い訳から聞きましょうか。私達も今日はこのあともう仕事はありませんのでゆっくり聞けますから、焦らずに仰って下さって結構ですよ?」
車の中でも一際目立つ美青年がにこやかに語りだすのは対象的に、対面する白衣の男の顔色は刻々と悪くなっていく。
何しろ、完全密室で逃げの無い他人の車の中で、両サイドに黒服のヤクザが座っている上に、脇腹に拳銃を突きつけられているのだ。
如何に肝が座った戦士でもこの状態にまで追い込まれれば誰だって顔を空色に変える。
「何もすぐ殺すなんてしませんので御安心を。ほら、私共も鬼ではありませんので。ヤクザですが」
一見、にこやかに語る青年の姿はホストと偽って紹介されれば納得してしまうほど整っているのだが、座っているだけだというのに滲み出るカタギを逸脱した作り笑いが空気を凍らせる。
きっと機嫌がどうこうだとかではないのだ。
気に入らない相手だから殺すのではなく、業務に支障を来す可能性がある相手だから処理する。事務的に殺意を生み出せる人間だと対面する志村も理解して、その表情は更に悪くなっていく。
「約束の時刻にきっちり来れたのは評価しますが、私の見間違いでしょうか?志村さん、手ぶらじゃありませんか?」
「え、えと」
「約束の期限の今日までにうちから借りた200万。利息分だけでも返すって約束でしたよね?」
社内の肘掛けに肘を付きながら青年が爽やかに脅しをかける。
見るからに歳下の青年の凄みに、志村は脇腹に拳銃を突きつけられていることも忘れて、ただ脅えていた。
「じゃ、蛇蛾樂さん……」
「私も会長から何故か特別待遇で融資を受けている貴方にこんなことしたくはないんですがね。それでも会長にではなく、私の組から借りてるお金に関してはきちんとしてもらわないと困るんですよ」
涼やかな声で語りかけてくる若いヤクザの言葉が、一言一句冗談ではないと感じ取り、危機感が頂点にまで達した志村の舌が一気に回り始める。
「ち、違うんです!物はあります!!あるんです!ただ、忘れてきただけで!!」
「忘れてきた、ですか。あのねぇ、志村さん」
目の前で慌てふためく中年の白衣の男の姿に、蛇蛾樂はクツクツと笑いを溢して愉快気に肩を震わせ、やがてその双眸から一切の光が消失した。
「極道舐めてるんですか?アナタ」
笑みを消した蛇蛾樂の視線はまるで研ぎ覚まされたナイフのようで。ただただ冷徹に目の前の負債者を見下していた。
「今から貴方を山に埋めるか、海に捨てるか、私達はそのどちらもすぐに実行できるんですよ。人1人が消えることぐらい、この平和ボケした日本でもよくあることです」
長い脚を組み直し、続けて蛇蛾樂の言葉は紡がれる。
「じゃぁ希望的な話をしましょう。マグロ漁船か地下労働。どっちが良いですか?」
「ひっ!!?」
「やだなぁ。冗談ですよ。本気にしないでください」
志村に選択権を与えていたら辺りから口調が柔和に戻ったことからマグロ漁船の下りは冗談だったと安心できたが、それ以前に関してはどうにもそう安安と納得できる威圧感ではなかった。
どちらにしても緊張感の晴れない車内で、再び脚を組み直した蛇蛾樂は何処か寂しげな瞳で窓の外の景色を見つめると、独り言のように口を開いた。
「……そうですね。正直な話、もう少し返済を待つことは可能です」
「え!?ほ、本当ですか!?」
蛇蛾樂が口にした突然の助け舟。
志村は露骨に喜んで前のめりになっていたが、その両サイドに座る蛇蛾樂の部下たちは若干の驚きをそれぞれの顔に貼り付けて上司を見据えていた。
そんな部下の様子を感じ取りながらも、蛇蛾樂は肘をついて頬をつきながら薄笑いを浮かべて細くした双眸を志村に向ける。
「そう喜ばないで下さい。ちゃんと条件があるんですから」
「受けます!!」
もはやこの切羽詰まった状況から逸早く抜け出したいのだろう。肝心な条件の内容も聞かずに即答した志村に苦笑しながら、蛇蛾樂は構わずその条件を口にした。
「……志村さん。貴方と組長が交わした『担保の取引』について、私共は何も知らされていません。そのことについてお話を伺いたいんですよ」
実質、国内最大規模の勢力を誇る極道組織『青州会』。
その会長の老人と志村は金の貸し借りする仲になる以前から交流があったそうなのだが、その詳しい経緯は組員さえも知らなかった。
蛇蛾樂も当然のように彼らの交流関係の秘密を知らされないまま、極道の親に言われて志村の面倒を見ることなったのだが、話を聞かされていた当初から興味はあったのだ。
幹部であっても滅多に顔を合わせることすらできない青州会の頭。
そんな相手と一端の貧乏大学講師に何の接点があるというのか。
それを暴くのに、蛇蛾樂は今が絶好の機会だと判断したのだろう。
「そ、それは」
当然のように歯切れを悪くする志村。
露骨に口を開くのを躊躇っているその仕草が、更に蛇蛾樂の好奇心を引き立てた。
「まさか私が親の喉に刃物でもつきつけてると御思いですか? ただの好奇心ですよ。何分、久しくまともに話していませんからね。親に構って欲しい子供心を汲んで頂けませんか?」
清涼な声で強請る蛇蛾樂だったが、細目から垣間見える瞳の色は全く笑っていない。
武闘派からは一線を置き、知略派として有名な青年ヤクザが何か企んでいるかどうかなど志村が見破れる筈もなく。
頭を悩ませ、胃の寿命が高速で減少していくのをひしひしと感じながら、やがて志村は何かを諦めたように額に掌を被せると車内の天井を仰いだ。
「……別の世界ですよ」
緩慢に語られる志村の言葉の意味がすぐには理解できず蛇蛾樂も、社内に同席する2人の組員も同じように訝しげな表情を浮かべる。
脅迫される哀れな子羊から、語り手へと役職を変化させた志村は驚くほど静かな、それでいて目の前にいるヤクザ達とはまた別のものに対する恐れを懐きながら唇を動かして語る。
「私と、貴方がたの組長は同じものを求めているんです。此処とは違う、文字通りの『別世界』を」
その場凌ぎの作り話としてはあまりに奇怪な、彼の物語を。
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全国チェーン系ハンバーガーショップ『テリアワグ』の窓際の席。
世間の学生達の間では夏休み真っ只中のこの日。
つい昨日、見知らぬ少女に簡潔に云えばボコボコにされてしまった不良青年グループのリーダー角であるサカキは、一夜開けてもまだあからさまに苛立ちを顕にしていた。
席の中央で眉間に皺を寄せ、ハンバーガーを貪り食う姿は周りの取り巻きどころか、他の客の視線まで集めてしまう程の不機嫌さだった。
「サカキさん。まだ機嫌悪いんすか?」
丁度サカキと対面している小柄な不良少年が尋ねると、尋ねられたサカキは一段と不機嫌そうな表情で今度は揚げたてのフライドポテトを口に放り投げた。
「悪くねぇよ」
「いやでも明らかに」
「悪くねぇつってんだろ!!」
怒声は突然に。
一度怒れば小柄な不良少年もそれ以上追求しようとはせず、またサカキの意図とせずに周囲の客達も自然と口を噤む。
一時の静寂に心地良さなど微塵も感じず、頭の中に疼き回る忌まわしい昨日の記憶にサカキは舌打ちをする。
「チッ。この胸糞悪ぃ気分も全部あのメスガキのせいだ。なんだアイツっアイツアイツアイツ!!女の癖に変な柔道使いやがって!!というか柔道なのか!?なんだあれ!?というか柔道の適宜ってなんだ!!」
「いや知らないっすよ?」
「柔道か?」
「空手ではねぇわな。サカキさん転げてたし」
「うるっせぇよ!!」
取り巻きの軽口も相まって苛立ちは最大限に達し。
今日のところは適当に知り合いの女でも侍らせてホテルにでも篭もろうかとスマートフォンを弄っていると、ふとサカキの端末が意図しないタイミングで振動する。
振動は今話題のソーシャルネットワークサービスの1つである“ボール”の無料通話機能であり、通話を要求して来ているのはサカキにとって全く知らないアカウントからだった。
不機嫌なサカキでなくとも不審に思う着信。その理由はその他にもあり、送信主のアカウントのプロフィールを確認してみると、何も無かったのだ。
アイコンも初期表示のまま、プロフィールの文章も皆無、勿論位置情報や誕生日など細部も全く記されていない。
見れば見るほど不信感は拭えなかったが、わざわざこのタイミングで自分に掛けてくるのは偶然とは思えない。
世界は自分中心に回っているとさえ考えているサカキは一種の確信を懐いてすらいて、取り巻きの不安そうな視線も顧みずに通話ボタンをスライドしてスマートフォンを右耳に当てた。
「誰だ」
第一声から威風堂々と正体不明の通話相手に声を掛けたサカキだったが、作ったばかりの強張った表情は電話相手の『奇怪な音声』を耳にした途端、再度苛立ちによって崩れることとなる。
『サカキ ジュンイチロウ ダナ』
合成音声。その名称自体を知らずとも、耳元から漏れ出す音が作られた声だとすぐに解る不自然な発音と音。
耳元から入り込んでくる歪な音にサカキは苛立ちをやはり感じて、テーブルの隅に置いていたシェイクをストローで啜りながら同じ問を投げる。
「おい聞こえなかったのか。こっちが誰だって訊いてやってんだよ。ふざけたこと抜かしてるとてめぇの家燃やしててめぇの妹か姉貴を今日までにしゃぶりつくしてやってもいいんだぜ?」
度重なる憤怒の連続で低俗極まりない下品な脅しをかけるサカキ。
自身では最高にキマっていると自負していたが、周りの取り巻きたちは皆ドン引きしていて、電話越しの相手も思わず失笑を零していた。
『ゲヒンナ オトコダ コレガコノマチノシチョウノムスコカ』
「ッ!?」
刹那、電話越しの声によってサカキの表情が強制的に変換させられる。
名前を知っている程度なら何もおかしくは無い。ボールのプロフィールには下の名前しか載せていなかったが、そこから知る方法ならいくらでもある。
しかし、父親の職業を知っている相手からの電話とは思っておらず、サカキの頬に一滴の汗が流れた。
「……なんだ、お前」
彼にしては珍しい、感情に任せたものではない慎重な言葉選びに周りの取り巻き達も徐々に異常事態だと視線を合わせ始める。
スマートフォン越しの相手はそれさえも見えているかのような愉快気な口振りで、サカキの問には答えず要件を口にしたのだ。
『カマエルコトハナイ。キミニ、キミタチニスコシテツダッテホシイコトガアルダケ。ソシテソレハ、キミタチノヤリタイコトデモアル……ハズサ』
機械的に、造られた声は造られた言葉を発し続ける。
淡々と、粛々と。サカキの人生を予定された未来への布石とする為に。