承・少女達は巻き込まれる
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真夏の昼。
全国的な猛暑が予測されると連日のニュースが伝える中でも、都会の街は田舎とはまた違う熱さで人々を苦しめていた。
空から照りつける太陽は勿論、それを人間の知恵が日傘や帽子で遮ろうとも、アスファルトが熱を反射さる上に、何処に行っても人人人。密閉空間のサウナとほぼ変わらないような蒸し暑さ。
様々な暑さが凝縮したといっても差し支えない街で、日焼けた人々の中でも更に褐色の目立つ少女の姿が1つ。
別段彼女が目立っていたのは見事な褐色の肌であったということだけではなく、その服装が奇抜なアロハシャツだったというのもあるのだが。
当の本人はそんなことも気が付かず、自分に向けられる視線に首を傾げていた。
「おやや……。この熱視線。まさか皆ウチの可愛さに潤いを求めていると予想される」
「んなわけあるか阿呆」
的外れな睦月の予想に、すかさずモエが軽いチョップでツッコミを入れる。
昨日の爆発事件以後、睦月とモエはずっと一緒に行動していた。
というより、睦月を心配したモエが彼女を家まで送ったのだが、子は親に似ると言うべきか、霜北家に到着した途端睦月の倍のハイテンションの母親に引っ張られて結局一泊してしまったのだ。
霜北家の異常なまでの歓迎(人生ゲームからレトロゲーム)までをほぼ1日かけて受け入れさせられて、寝不足のモエはやや隈が刻まれた目元を擦りながら大きな欠伸を掻く。
「ふぅぁぁ……」
「うわっ、顔ぶちゃいく。寝不足はお肌の天敵だよ」
「誰と誰の親のせいだと思ってんだっ!」
日常会話がボケとツッコミの少女2人に人々は奇異の目を向けるものの、殆どが一瞬の興味でそのまますぐに通り過ぎてしまう。
それでも見た目を除けば常識のある方だと自覚するモエは視線を浴びるのがやや恥ずかしいようで、気を紛らわせるかのようにポケットから取り出したチューインガムを咀嚼する。
物欲しそうに横で指を咥えていたアロハシャツにも溜息混じりに譲渡すると、睦月はピョンピョン跳ねながらソーダ味のガムを噛み始めた。
楽しげな一時。実際、この時間は良いものだとモエは思う。
しかし、だからこそ対となって昨日の陰惨な記憶が蘇る。
「なぁムツキ。あの爆発さ」
「センセーじゃないよ」
即答だった。
アロハシャツを着て如何にも常軌を逸しているかのような少女が、真っ直ぐな目で此方を見上げていた。
琥珀色の瞳に見据えられてモエの三白眼は一瞬言葉を失って躊躇ぐものの、視線を外しながらも言葉を紡いだ。
「別に本気で疑ってるわけじゃない。でも、私は……」
━━友達であるお前が心配だから。
そう、口に出すことはできたかった。
改めて言う気恥ずかしさとその他の複雑な感情が心を乱してしまう。
そんな自尊心自体を恥ずかしく思っているモエの心情を知って知らずか、彼女の肩に睦月の頭が不意に寄せられた。
「二重の意味でありがと、モエちゃん」
口籠るモエとは遂に、睦月の口から綴られる感謝の言葉は淡白なものだった。
しかし、それ故に分かりやすく、モエの心に深く突き刺さる。
「なんだよ、二重って……」
いつものようにツッコミを返しながら、モエは寄り添う親友の顔を直視できずにいる。
好きな人を疑う相手にどうしてこんな穏やかな顔で礼を言えるのか。
きっと自分には分からない。諦めから来る閉塞感に苛まれながらも、1つの決意を胸にモエは静かに擦り寄った睦月の頭に頬を寄せた。
今、この街で何が起きているかは定かではない。爆弾魔に、更にはヤクザの抗争まで活発化してきて、全てを把握することは人知を超えた力を持つような者以外不可能だろう。
だから、目の前の大切なものだけは絶対に手放さないようにしようと、モエは誓う。
きっとそれを無くしてしまったら、汚れた己の手は腐り果ててもう跡形も無くなってしまうと不吉な予感が浮かんだから。
「あんらぁ、昼間からお熱いことでぇ〜。百合?百合なの?真性の百合とかキマシたわ〜」
目を瞑って己の決意に浸っていたモエと、真剣な表情は何処へやら半ば眠りこけていた睦月の耳に、やたらとのんびりとした声が入り込んでくる。
妙に特徴的で聞き覚えのある声に2人揃って前方に目を向けると、確かに其処には見知った顔が『3つ』立ち並んでいた。
1人は、先程のオタクっぽい発言をした張本人である、身長の低い睦月よりも更に一回り小さな女。
その真横にこれまた対象的な典型的なギャルっぽい様相の女が立ち。
最期にその背後で睦月達に背を向けるようにして『白衣の長身の男』が立っていた。
「あっ」
女達の背後に立つ白衣の背中を見るなり、睦月の声が途端に跳ね上がる。白衣の方もその声に露骨に反応して肩を震わせたかと思うと、徐に助走無しで人混みへと全力疾走を開始する。
白衣の男による睦月からの明らかな逃亡だったのだが、
「セーーーーンッセェッッッ!!!」
それを上回る砲弾さながらの睦月のタックルによって白衣の男の逃亡は虚しくも阻止されてしまった。
「ぐぅうぇ!!?」
「あらら」
「ご愁傷様ぁ〜」
「……」
背中に大ダメージを受けて膝から崩れ落ちる白衣の男━━志村だったが、通行人達の視線も集める奇妙な格好の男に、女性陣達はわざわざ手を差し伸べたりはしなかった。
ただ一人ダメージを会えた張本人である睦月だけが、まるで主人見つけた仔犬のように志村の背中にくっついて頬ずりしているのだが。
「センセェ!なんでこんなところにいるのぉ!?仕事は!!?クビ!?やっとウチの専業主夫になってくれる決心を!?」
グリグリィ。グリグリと。わざとではないだろうが、睦月の頬ずりのポイントは数秒前に頭突きが直撃した箇所を的確になぞっており、触れる度に志村の顔面が苦痛に歪む。
「……よーーしっ、霜北ぁ。取り敢えずお前のその阿呆だけが取り柄のしょうもない脳みそを即摘出してホルマリン漬けにしてやるから其処動く━━な」
遂に我慢の限界に達した志村が青冷めた顔で拳を作り、睦月の頭を小突こうとしたその瞬間。
振り向いた志村の視線が、まるで野生の獣のような三白眼と重なり合う。
「……」
三白眼の持ち主はモエであり、路上で取っ組み合う男女の側にいつの間にか近づいていたのだ。
何故自分よりも歳下の少女にガンを飛ばされているか理解し兼ねている志村に対して、モエは冷ややかな視線を送り続けつつも、志村に助け舟でも出すかのように睦月の襟首を掴んで引き剥がす。
危機が去って僅かに安堵して息を吐く志村とは対象的に、引き剥がされて猫のような体制になった睦月はやや不満気に頬を含まらしていたのだが。
「むぅ。何故邪魔をするのですモエさんや」
「路上でお前らみたいなのと同類だと思われたくないからだ」
至極まともな意見を吐きながらも、周りの視線はモエも含めて『奇妙な連中』というレッテルを貼っていた。
そのことをこの場にいる集団の誰よりも理解していたモエは、気を紛らわすのと自分の頬が恥じらいで微かに赤く染まっているのを隠すように、白衣を叩きながら立ち上がる男に視線を向ける。
普段から無駄に怒っているだの不機嫌だの誤解される三白眼の威圧度をより強めながら。
「で、何でこの男が此処に居るんだ。誰か説明してくれないか」
「あ、それはアーシ」
返答は早く、今まで沈黙を貫いてスマホを弄っていたギャル風の女が手を挙げた。
モエはそのギャル風の女のこともあまり良く思っていないのか、怪訝な表情で視線を向けた後、再度背の低い方の少女も含めて声を掛ける。
「戸張と叶。お前ら、其処の駄目な白衣と知り合いだったか?」
「おい、天才に向かって駄目な白衣とは失礼にも」
「そりゃ毎回のようにムッキーに話されてたら気になるじゃん?じゃぁ会うじゃん?ねぇ?」
「ねー」
戸張と叶は仲良さげに同意し合い、その様子がまたモエの頭を悩ませた。
そもそもこの2人はモエの友人というわけではないのだ。
正確には睦月の友人。日頃からハイテンションな彼女はただ居るだけで、『噂』として色んな場所に広まり、時折その奇行を目にしようと物好きな連中が集まってくるのだ。
戸張と叶も元はそんな有象無象の一片だったのだが、モエの預かり知らぬところでいつの間にか睦月は交友関係を築いていた。
見た目からして趣味趣向が合うとは思えないこの3人がどのようにして仲良くなったのか、訝しく思いつつも、自分もまた同じようなものだと思うと追求するまでには至らなかった。
「睦月に連絡先聞いてたから先程教室から引っ張り出して来ました~」
「誘拐だ、拉致だ、訴えてやる」
「んなこと言って、実は若い女の子達に絡まれてチョー嬉しいぃんじゃないのぉ?オッサン」
「じゃないのぉ~?」
敵対意識を隠そうともしないモエとは対象的に、叶と戸張は志村を左右から挟むようにして頬を突いて反応を楽しでいる。
歳の離れた異性の肌に直接触れたくはないのか、叶はピンクのスマホカバーの角で、戸張はダブったキーホールダー越しでだったが。
勿論、十以上も歳の離れた少女達にそのような弄られ方をされても偏屈な研究者が喜ぶ筈もなく、無精髭を生やした死んだ魚の目を沈ませて顔色は益々不機嫌になっていく。
「なぁ、帰っていいか。いいよな。いくら払ったら帰らせてくれるんだ……」
「勝手に帰ればいいのに……」
「えぇー!!やだよセンセぇー!!せっかく運命的に会えたのに!」
小声で愚痴を溢すモエと、大声を上げて志村を引き止める睦月。
対して、褐色肌の美少女に抱きつかれようが孤独なマッドサイエンティストは意地でも帰宅する意志を曲げようとはしなかった。
「阿呆か!拉致されたって言ってんだろ!微塵も運命的じゃねぇんだよ!オレは帰ってやることがあるんだよ!!」
「やることって、またあの腕とか脚とか生えてる変な玩具の研究でしょ!!」
それまで、教師と教え子の他愛の無い痴話喧嘩とそれを取り巻いていた情景が、睦月の不可解な言葉を起点としてピタリと時を止める。
時を止めた張本人である睦月は何故皆の表情が凍っているのかよくわかっていない様子だったが、反して正面に立つ志村の額からは滝のような汗が流れていた。
暫しの沈黙を続ける男女を前に、モエの訝しげな三白眼による追求が凍った時を動かし始める。
「腕とか脚の生えた玩具……?なんだそれ?」
「っ、え、え、えと。その」
刻々と威圧度を増して問い詰めてくるモエの視線から逃げる志村だったが、彼に抱きつく睦月は想い人の心中など何処吹く風でペラペラと能弁に語り始める。
「センセェーの部屋に在る変なミニカーだよっ。ホルマリン?とかいう液体が入ってるガラスの瓶の中に入ってて、急に人の腕とか脚とか生えたりしたかと思うと動き出すの!」
「え、キモ」
「志村先生の趣味凄いなぁ」
あまりに荒唐無稽な睦月の証言。
一見いつもの悪ふざけの延長のようにも思えたが、付き合いの長いモエには親友が嘘をついているかいないかぐらい見極めることができた。
それ故に、彼女は足早に志村との距離を詰めると、抱きついていた睦月を引き剥がして、一方的に彼女を庇うように前に立って志村を睨んだ。
「……お前」
「っ」
並の大人でも卒倒しそうなほどの眼力。
しかも、モエの暴力の技量はそこいらの不良を軽く捻ってしまう程だ。
それは昨日の現場を見ていなくとも、しなやかな指に幾重にも巻き付けられたテーピングが見る人に彼女は暴力を奮うことができると告げている。
格闘術の『か』の字も知らない志村からすれば自分の命を脅かす明確な脅威以外の何者でもなかった。
新たに組み合わさった男女2人の間に走る緊迫感。
その中心に居る睦月は不安気にモエの背中に手を添えた。
「も、モエちゃん……」
不安気な声色。それは普段の睦月を知る者からすれば考えられないほどに悲しげな、覇気の乏しいものだった。
それを耳にしたことによって冷静さを取り戻したのだろう。肩を震わせて背後に振り返ってムツキの顔を確認するモエの表情は、とっくに数分前までの少しだけ大人びた少女のそれに戻っていた。
「睦月……あ、あたし」
自分でも予想外な程、一時の激情に呑まれてしまっていた。
志村に対する不信感で己を見失っていたことにモエが取り乱していると、不意に背後の気配が消えていた。
「あ、逃げた」
戸張の発言通り、4人の少女の視線の先には、あからさまに運動不足なのがバレバレな不格好な走り方で白衣の男が全力疾走しているのが見えた。
人混みに紛れていったものの、速度は遅く、きっとモエが本気で追いかければ追いつくことは可能だっただろう。
しかし、一回り以上歳上である成人男性の無様な逃亡姿を目にしてしまうと、もはや呆れ返って真面目に追いかけるのも馬鹿らしくなってモエはそれ以上問い詰めることを辞めた。
「……睦月、改めて訊くけど、アレの何処が良いんだ?」
「……ウチも流石にアレはどうかと思う」
少女達の哀れみに満ちた視線を背中に浴びながら志村の姿は人混みへと消えていく。
都会に取り残された少女達がさてこれからどうしようかと意見を出し合うよりも早く、その中の1人であった戸張が自分の足元に何か置かれていることに気がついてそれを拾い上げる。
「何これー?こんなのあったけー?志村先生の忘れ物ー?」
気の抜けた脳天気な声の主の手に握られてきたのは、有名ブランドのマークが記載された大きめのスポーツバックだった。
見た目通りの重量が内包されているのか、小柄な戸張は両手で持ち上げていたのにも関わらず危なっかしくゆらゆらと揺れる。
そもそもスポーツとはまるで無縁の生活を送っているあの不健康な科学者にはまるで似つかわしく無い物体だ。
「おっ?おぉっ?」
気の抜けた声でありながら余裕の無さそうな表情でぐらつき始める戸張。
悪い予感がして逸早く走り出すモエだったが、その予感が的中するのも早く、バランスを崩した戸張とスポーツバックはそのまま近くのベンチに激突する。
といっても、スポーツバックを間に挟み込んだため衝撃はバックに吸収され戸張に怪我はなかったのだが、スポーツバックの方から嫌な音が響いた。
それはまるで『ガラス』が勢い良く砕け散ったかのような破裂音で、戸張を守るクッションとなったスポーツバックからは絶え間なく謎の透明な液体が染み出し始めている。
「いてて。何入れてたのセンセェー……━━ひっ!!?」
間一髪中から漏れ出してくる液体に触れずに済んだ戸張はそれでもなお気の抜けた表情を崩さなかったのだが、一瞬肩を震わせたかと思うと、脅えた表情に一変して叶の背後まで駆け込んで行く。
「え、咲?どした?」
唯一この中で戸張のことを下の名前で呼ぶ叶が問いかけたのだが、戸張の脅えた表情は変わらず、震えた指でベンチの上に放置されたびしょ濡れのスポーツバックを指差していた。
その口が紡いだのだ。幽霊か宇宙人でも見たかのような、瞳孔の開き切った瞳で。
「う、うご、動いた。た、たぶん、人間の……手」
友人の証言に叶はただ首を傾げるのみ。
対して、少し離れた場所でスポーツバックを観察していたムツキとモエは言葉を交わさずとも互いの心中が同じであることを察したかのように、ゆっくりと頷きを返した。
「な、なぁ睦月。あれってさっき言ってた……」
「た、たぶんね。モエちゃん」
少女4人と、騒ぎを聞きつけた数人の野次馬。
人々の視線を集めながら、正体不明の存在を内包したスポーツバックは徐々に蠢き始める。
開きかけたチャックの隙間から、『生み出したばかり』の赤い瞳を覗かせながら。