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プロローグ2・天使は臨む

◇━◇━◇━◇━◇


 子供の頃の記憶。忘れもしない、忘れられない心傷(トラウマ)

 毎日話すような友人の口から告げられた、とりとめのない一言。


(やまと)ってさ。個性無いよな。なんか地味」


 その言葉を聞いた当時は何も感じなかったのだが、年を取るにつれてその言葉は『重み』となって青年の身体に重く圧し掛かった。

 大した努力もせず、ただのうのうと生きる日々。学業も運動も全て平均的。身長と体重が、新聞に掲載されていた同い年の全国平均値とびた一文変わらず一致していたのを見た時は流石に目を疑った。

 無個性。その言葉の意味に、来栖(くるす)(やまと)という青年は永遠に囚われ続ける。




「ヤマトちゃーん!ママのマチェーテ風デスクリムゾンスパゲッティ、あがったわよ!」

「えっ、あ、は、はい!」


 大学の講義終わりの週3のアルバイト。

 田舎からの上京を許してくれた両親は毎月十分な額の仕送りを送ってくれるが、自立心を鍛える一貫として二ヵ月ほど前から小遣い稼ぎを始めた。

 業務内容は、多くのビルが立ち並ぶ東京という街に似つかわしい洒落た小料理屋での接客仕事だ。

 小料理屋と看板にあるものの、内装は紫を基調としたネオン一色だし、店主はオカマバーのゴリゴリニューハーフママにしか見えない見た目だ。客層は疲れたサラリーマンに若いヤクザなど偏っている。

 そんな濃い客層を相手に仕事をしてきたせいか、倭も少しずつではあるがコンプレックスであった人見知りを軽減できるようになってきたのだが。


「お、お待たせしました。ママのマチェーテ風デスクリムゾンスパゲッティです」

「あっ!?」


 注文されたものを持ってきた筈が、何故か客であるサラリーマン風の男に睨まれる倭。

 その表情は完全に強張っており、弱々しい垂れ目の奥で黒の双眸が行き場を探すように彷徨っている。ようは飲んだくれて顔を真っ赤にした中年オヤジに完全にビビッていたのだ。


「あ、あの。その」

「なんだぁガキィ……ひくっ。何見てんだぁコラァ!!」

「ひぃぃぃぃいいいいい!!?」


 胸ぐらを掴むなどの直接的な迷惑行為はしていないが、酔った成人男性が酒臭い口で暴言を吐いてくる姿を間近で見るのは実際相当な身体的ストレスになる。

 それに加えて倭はアルバイトをするのもこの職場が初体験であり、厄介な客の対応にもまだ慣れていなかった。

 涙を目尻に浮かべ、必死にカウンターに向けて助けを求めて視線を送るアルバイトを見兼ねてか、別の客の対応をしたいた店長が苦笑交じりに助け舟を出す。


「ちょっと霜北さん。うちの可愛い坊や虐めたら承知しないわよ?」

「んだよぉ!!ママまで俺の敵か!!俺の味方は何処にもいないのか!?」


 完全に飲み過ぎだと判る異常なテンションで声を荒げながらも、涙目になった酔っぱらいは再び元居た席に戻って座り直した。

 場が落ち着いても倭は依然オロオロと心中落ち着けてはいなかったが、代わりにコップ一杯の水を持ったママが暴れていた客の近くまで脚を向ける。


「もぉー。新しい仕事決まったって30分前まで上機嫌ではしゃいでたのは何処の何方様よ?娘さんも、もうすぐハワイから帰って来るんでしょ?」


 常連客である男の愚痴を毎回聞いてあげていたのだろう。親しい口調で飲んだくれの背中を摩って介抱してやる店長だったが、当の中年客の双眸は暗くハイライトのないものに変わっていた。

 その姿はとても旅行帰りの家族と再会できる父親だと説明されても納得のできる姿ではなかった。

 やがて沈鬱な表情を変えずに差し出された水を煽るように飲み干し、男の血色の悪い唇が店の空気を更に悪くする話を切り出したのだった。


「離婚、するんだってさ。こっちの言い分も聞かないでさ」


 男の覇気の籠っていない言葉に店内は更に暗くなっていく。騒動を片耳で聞いていた他の客達でさえもこんな状況に出くわしてしまったばつの悪さに顔を顰めていく。

 酔っていてはそんなことも気がつかないのか、場の空気などお構い無しで男は自分の内に秘められた闇を言葉として紡ぐ。


「俺の仕事の内容聞いてさ、踏ん切りがついたんだと。エリート女弁護士様は汚い仕事をする男は嫌なんだとよ」

「霜北さん……」

「……悪ぃママ。俺帰るわ。お勘定頼む」



 結局、後味を悪くしたままいつも色んな意味で場を騒がせる常連客である霜北は、珍しいことに最後は場を完全にシラけさせて店を後にしたのだった。






 それから約一時間後。オカマかニューハーフか誰も知らないある意味性別不明なママが営む小料理屋ミカエルの裏口では、今正に勤務を終えたばかりの倭の姿があった。

 店の裏の路地に停められた原付バイクを両手で押して、夜の東京の街に足を踏み入れていく。地元の田舎であればとっくに誰もが寝静まって鈴虫の音ぐらいしか聞こえないものだったが、流石に日本の首都ともなれば虫の声を容易に掻き消す勢いで人と自動車が行き交う騒音が鳴りやむ気配は全く無い。

 眠らない街。誰かがこの囲炉仔町を表現したのを覚えている。ある程度住み慣れて来るとその喩の意味はすぐにでも理解することができた。

 朝は会社員や学生が歩いている道を、夜になると派手な格好をした若者や堅気ではない雰囲気の大人達が埋め尽くしていく。

 異常な世界だ。そう思ってしまうのは自分が未だこの街に溶け込めていないからだろうか。

 心中に焦りにも似た疑問を抱きながら、倭はヘルメットを被ってガス欠寸前の原付バイクで騒がしい夜の世界を飛び出した。


 とても言葉では言い表せれない色の数々が現れては通り過ぎていく。実際にはバイクに乗った倭が色々なものを置き去りに通り過ぎているだけなのだが、風に乗って走る彼からするとまるで全てに置いていかれているような錯覚を覚えるのだ。

 それは置いて行かれるばかりだった人生観故か。答えは一々言葉にせずとも判ってはいたが、ヘルメット越しに見る世界を憂鬱に思いながら倭は気だるげに口を開く。


「誰も僕を見ていないよな……」


 バイクで移動しながら呟いた少年の独り言は誰の耳にも止まらずに夜の風へと溶け込んでいく。

 少年の心にぽっかりと空いた穴を通り過ぎて。


 

 倭の住んでいるアパートの大家が管理している駐車場は、アパートから徒歩10分の少し離れた場所にあった。

 もう少し近くの駐車場を借りることも考えたが、入居者はもれなく駐車代無料との誘惑には勝てず、結局毎日バイクを停めては人気のない道のりを歩いている。

 この辺りはありていに云えば昔ながらの住宅街で、昭和感溢れる古き良き木造建築の一軒家が幾つも並んでいる。

 そんな中に一軒だけ他の住宅と比べて頭一つ巨大な倭の住むアパートは浮いていると云えば浮いていたが、木造建築という点では他と同じだったので異様という程ではなかった。


 いつも感じているとはいえ、喧騒を抜け出した後に訪れる唐突な静けさに呑まれると、もはや都市部のあの賑わいが恋しくなってくる程だ。それこそこの東京という魔都では異様と形容してもいいだろう。

 建物ごとに明かりは付けられているものの、この時間に外に出ている者など外飼いされている犬ぐらいで、日が沈んでから近隣の住民達が外に出ているところを見るのは滅多に無い。

 夜だから、と一言で済ますことはできるが倭はそのより明確な理由を知っていた。


「ヤクザに爆弾魔……そりゃ誰も家から出たくなくなるよね」



 最近、世間を賑わせるホット且つ陰惨な事件の噂。

 ━━片方は連日噂になっている関東系極道組織、青州会の跡目問題から起きている小規模な抗争。

 ━━もう片方は無差別無規則に発生する謎の爆発騒ぎ。

 今や囲炉仔区を中心に起きるこの二大騒動は全国にまで広まっているらしく、実際その街に住む者からすれば毎夜恐怖に苛まれてしまって迷惑極まりないのが実情だ。

 ヤクザの抗争か、爆発か。市民をそのどちらにも巻き込ませるわけにはいかず、毎夜注意喚起を促すパトカーのサイレン音が鳴り響き、だというのに気が付けば誰かが犠牲になっている。


 はっきりと言えば異常なのだが、今現在、夜の街を防犯装備無しで闊歩する倭の心情には一寸の恐怖心も生まれてはいなかった。

 異常も慣れれば日常。危機を正しく危機だと認識していても、野性を離れてから数千年、殆どの人類は『まさか自分の命が狙われることなどないだろう』と人生を楽観視しているのが常なのだ。

 その証拠に倭は直前になるまで気付けなかった。

 自分のアパートのすぐ近く。二、三匹の蛾が群がって一定の間隔で点滅する橙の街灯の目下。

 

 首筋を刃物らしき凶器で斬られ、全身血塗れになって地面に項垂れる男の存在に。



「……えっ」


 数秒経って現状を理解したとき、それまで真っ当な日常を歩んできた筈の青年が漏らしたのは、そんなあっけない感想(こえ)だった。

 現実を理解してもまず足は暫く動き出さなかった。第一発見者、自分がまず初めに疑われる、警察と救急車どちらを先に呼ぶべきか。

 様々な疑問が頭に浮かんでは消えることなく脳内に停留して思考力を刻々と蝕んでいかれるのを感じながら、倭は確かに聞いた。

 道路上に項垂れる男の身体が僅かに動き、夜の静寂の中に微かな呼吸音が紛れ込んだ音を。


「っ!!だ、大丈夫ですか!?」


 生きていると判れば男に向かって急いで脚を踏み出す倭。

 近づけな近づくほど嗅いだことのある血液の金属臭は強くなったが、吐き気を催すのを必死に堪え倭は震える手で携帯を握り絞める。


「えっとえっと。警察は110で、きゅ、救急車は……救急車は何処に電話すれば来てくれるんだっけ!?うわぁ!!電話したことないからわからないよぉ!!」


 混乱した倭の声は大声と呼べる域に達しており、いくら人気が無いといっても騒ぎを聞きつけた近隣住民がやって来るのも時間の問題だろう。

 まともな判断能力を無くした彼からすれば第三者の手をすぐにでも借りたかっただろうが、それまで項垂れているだけだった男がそれを許しはしなかった。


「落ち着け……」

「ひっ!?生きてる!?」


 驚き猫のように背後に飛び退る倭の目の前では、今にも消え入りそうな肩呼吸を続ける血塗れの男の姿がある。

 そうして間近で男の姿を見て、倭は気が付く。

 辺りが暗かったり流暢な日本語を喋ったりで最初は気が付かなかったが、血塗れの男は街灯を反射させるほどの眩しい色の金髪と透き通った青色の双眸をしており、どうみても日本人ではない出で立ちをしていた。

 一見西洋人のイメージに近しい見た目のようにも思えたが、何処か言葉では言い表せない浮世離れした雰囲気を醸し出している。

 更に加えて男の全身に付着した血液が益々男の存在を現実離れしたものへと昇華させていた。


「少年……今は、何時、だ……?」

「い、今?今……は夜の10時頃ですけど……」


 自分の命が失われるかもしれない今、何故助けを求めるよりも先に時間なんかを気にするのか。

 そう疑問を懐きながらも腕時計を確認して律儀に言葉を返す倭の傍らで、男はどんどん顔を青白くさせていきながら紫色の唇で言葉を紡ぐ。


「10時……か」


 今にも死にそうな状況で時間がなんだと言うのか。

 答えを明確に口にしないまま血塗れの男は静かに納得すると、今にも落ちそうな瞼を必死に堪えて倭に手を伸ばす。

 男の手には勿論噴出したばかりの血液が大量に付着していたが、助けを求めるように伸ばされた手を倭は自身が血で汚れることも気にせず反射的に取ってしまう。

 血塗れの男の焦点の合っていない双眸からして視力もまともに機能していないのだろうが、他者に振られた瞬間、一瞬目を見開いて色素の薄い瞳青の瞳を向ける。

 

「君に……名前も知らない、君に、頼みたいことがある……」


 男は内ポケットの中から血塗れの手で、何か数字と住所が書かれたメモ用紙を取り出すと、それを突き付けるように倭へと差し出した。

 

「この、場所に。大切なモノがあるんだ……それを、引き取って欲しい……」

「も、モノって、引き取る?な、何をですか!?」

「……行けばわかる……頼む、時間が、無い」


 言いたいことを言った後、男の呼吸が徐々に浅くなっていく。酸素を循環させるというより、その呼吸はもはや肺の中に溜まった空気を絞りカスのように吐き出すだけになっていた。


「ちょ、ちょっと!ちょっと!!」


 男の命が目に見えて尽きていくのを感じ取った倭は必死になって男の身体を揺さぶるが、もはや反応は無く糸の切れた人形のように揺れるだけ。

 死んでいた。もう何をしても手遅れな現実を見るのは倭にとって初めての経験だった。

 どうすればいいのかわからない。それが素直な感情で、誰かに判断を任せたいと内心人生最大の混乱に飲み込まれつつあった時、右手に握られてきたのは先程渡されたばかりの血染めのメモ用紙だった。

 




 

◇━◇━◇━◇━◇


 1時間後、海洋コンテナ群近辺。


 

 朝から昼間まで学生をして、夕方から夜までアルバイトに勤しんだ身体に鞭を打ち、名も知らない外国人の為に倭はバイクを走らせた。

 ガソリン代もタダではないと苦学生らしい悩みを胸に懐きながらも、その瞳に此処まで来た後悔の色は無い。

 人の死を見た。信じられない光景に絶句し、一般的な良心を持つ青年は普通に心を痛めた。

 目の前で人が朽ちていく様子に嗚咽と慟哭を繰り返し、やがて彼は見ず知らずのまま死んでいた男の為にバイクを走らせる。

 血塗れのメモ用紙に記された場所。行ったこともない海に山積みにされているあるコンテナの元へ。



「これ、か」


 入ってみれば、捜し物は難なく見つけることができた。

 入り口で警備員に止められるかとも思ったが、たまたま警備員はトイレに行っていたのか、不在だったおかげで監視カメラの隙間を縫うだけで施設の中に入ることは容易だったのだ。

 巨大なコンテナの山達を通り過ぎて行き、倭はすぐに目的の識別番号のコンテナの前で立ち止まる。


 間違いない。そう思ってコンテナを開くために取っ手に手を掛けた倭だったが、其処からすぐに扉を開くことは出来なかった。

 混乱した頭のまま、殆ど考えずに此処まで来た。

 そのせいもあって、コンテナの中に何が入っているのか、殆ど考えずに此処まで来てしまった。

 十中八九厄介事に巻き込まれる。

 嫌な予感は革新として気弱な少年の心を病ませていくが、同時に全く別の感情も生み出し始めていた。


 再び頭の中に甦るのは名前知らない男の死に際の記憶。自らが息絶えようとするその瞬間に、男は倭にこのコンテナの中身を頼んだのだ。

 男の思いを無碍にはしたくない。ただ、背負い込むのには勇気がある。

 

「……頑張れ、負けるな……っ」


 震えた声で自分自身に言い聞かせ、青年は重たい扉を精一杯の力を込めて外側に開く。

 低い音を立てて開く扉。コンテナの中は当然ながら明かりなど付けられてはおらず、中に溜まっていた生暖かい空気が外に漏れ出すのを倭はまず最初に感じた。


 それから暫くして、気が付く。

 一見空っぽの様に見えたコンテナの内部。予想よりも遥かに広いその中に、何かが居る。座っている。

 現在進行形で恐怖と緊張に襲われ続けている倭の目の前で、それは月の光を浴びてその姿を顕にする。

 銀の短い髪。飾り気皆無の白い服。日本人らしからぬ中性的な顔の作りに、しなやかな四肢。

 どれを取っても常人離れした美しさを醸し出していたが、何よりも倭の不安を増長させたのは、その存在の背中から生えている()()のせいだった。



「翼……?」


 

 辛うじて漏れ出した倭の言葉が全てを物語っていた。

 コンテナの内部。其処にはまるで倭を待っていたかのように、奥で体育座りをする性別の判断が付かない人影が存在し、━━その背中からは、巨大な銀翼が生えていた。



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