第2章 (4)
その日、昼に駅長を迎えに行き、15時15分着の列車に合わせてホームに立っていた。早朝に話をしたトレッキングの男が開いたドアから手を振り、またゆっくり来ますと羽祐に言った。そしてドアが閉まり、列車はゆっくり去っていった。残念ながら、駅長はお家にこもって出てこなかった。
その一件で改札の業務はできなかったが、降車した数人の客は顔見知りで、ちゃんと改札に切符を置いていってくれていた。さらにもう一つ、切符の横にリンゴがあった。
「ヨシさんだな」
呟きながら駅の外を見まわしたが、人の影はなかった。ヨシさんというおばあちゃんは、ときおり羽祐と駅長に差し入れをしてくれるのだ。さり気なく置いていってくれるのがヨシさんらしいなと、羽祐は思った。
ちょうどチーをしに出てきた駅長に、小さく切ったリンゴを差し出した。駅長はサッと素早く受け取ると、頬袋に入れずにそのまま食べだした。美味しいという意思表示だ。
駅の周囲に音はなく、駅長を見ていると、シャリシャリと食べる音が聞こえてくるようだった。羽祐は駅長が食べ終わってもそもそと小屋に入っていくまで、じっと見つめていた。
「トレッキングかぁ」
羽祐は、また呟く。音がなく、人もいないので、頭に思ったことを呟くクセが、なんとなくついてしまった。
せっかくこんなに自然の豊かな場所に住んでいるのだから、それに触れない手はないと思ってはいた。しかしいつでも手軽に触れられるとなると、どうも先延ばししてしまう。この日に山歩き、と断定しないと、ずっと触れないことになりそうだ。
「よし、今度の休みに行ってみよう」
羽祐は今度、ちょっと大きめの声で呟いたのだった。