第2章 (3)
紅哀の滝駅は改札が片側だけ。短いホームに線路があって、その向こうは畑と荒地だ。舗装路のない眺めは、飽きなかった。
冷えた朝で、鳥のさえずりもなくシーンと静まっていた。コーヒーを飲んで息を吐く、はぁという音が耳に響くくらい音がなかった。寒いので足踏みをしたかったが、この静寂を乱すのがもったいなく、羽祐はじっと固まったまま荒地群を見ていた。
10分ほど佇んでいると、遠くからかすかに、リズミカルな音が聞こえてきた。それはだんだんと大きくなり、すぐにはっきりと聞こえるようになった。
羽祐は小部屋に入ってレインコートを脱ぎ、帽子とマフラーをはずした。本日一番列車の到着。仕事の始まりだ。
いつも一番列車では乗降がなく、単に運転士と挨拶するだけだった。しかしこの日は登山客が降り、始発駅の切符を受け取った。
丸花鉄道の沿線には、登山家に知られた山などない。しかしこのところ、気ままなトレッキングで訪れる者が多かった。その人たちは、田舎道や低山を楽しむのだった。
駅舎から出た自動販売機でペットボトルのお茶を買った男は、また改札に戻ってきた。
「ここ、ハムスターの駅長がいるって聞いたんだけど」
小部屋の中に目を向けながら、男が言う。
「今まだ寝ていまして、出勤していないんです」
羽祐がすまなそうに言った。
「そうだよねぇ。夜行性だもんね。ウチはフェレット飼ってて小動物好きだからさぁ、ちょっと見てみたいなと思ったんだけど…。帰りは違う駅から乗るって行程だからなぁ。また今度だね」
男は片手を上げて去ろうとした。
「あの、どの駅から乗られて、何時くらいの列車でお帰りでしょうか。だいたいでいいのですが」
「え、そうだなぁ、川岸野って駅を3時ちょっとすぎに出るやつを予定してるんだけど」
「了解です。川岸野でしたら帰りもここを通りますので、ホームで駅長と立っております」
「ホント。じゃあぜひともそれに乗らないと」
男は笑顔で去っていった。
羽祐の方も、ひと仕事やり遂げた気持ちになって顔が緩んだ。なにしろ羽祐にとっていちばん重要な仕事は、丸花鉄道を好きになってもらう、ということなのだ。そのために駅長ともどもがんばっているのだ。
羽祐は忘れないように、部屋のホワイトボードに記した。