第1話 「ありふれた日常」
「――こうして私達は、たった一人の英雄によって救われたのです。……とは言っても、まだ皆さんが幼い頃の話ですし、覚えている人は少ないでしょうが」
遠くにぽつんと見える老年の日本史教員が、時代遅れのタブレット端末を見ながら、熱弁を振るっていた。
「怪物……現代では”Extraterrestrial Colonial Humany Organism(地球外来の群体で人を模す生命体)”――略して”E.C.H.O.(エコー)"と呼称される存在ですが、最初それは日本の中国地方に隕石として飛来しました。私もまた、その隕石落下を実際に目撃した一人です。それはまるで、いきなり夜が昼と切り替わったのかと思うほど眩い閃光が——」
「センセー! その話もう5回目でーす!」
「……えー、ごほん」
教員の誤摩化すような咳払いが教室に響いた。
ここは、階段状の扇型講義室だ。座席に着いている者は皆、統一されたデザインの服を纏っている。年の頃は16〜17歳――高校2年生だ。
彼等は自由に席に着きながら(とは言っても、そのほとんどが大体いつも同じ席を選んで座るのだが)、教員の話に耳を傾けている……かあるいは内職に勤しんでいた。
「ともかく。地球外からやってきた侵略者は、凄まじく恐ろしい敵でした。その巨体や重量はもちろんの事ですが、何より――ECHOには、従来兵器がほとんど通用しなかったのです」
老年教師が、タブレットを上へスライドするようになぞった。データを生徒へ一斉送信したのだ。
生徒達がピクリと反応し、内職を行っていた人も一瞬、視線を右上へと向ける。彼等は皆が一様に、網膜投影型端末——通称”Eye-Phone”を身につけていた。
彼等が指を宙に滑らせ、何もないはずの場所をタップする。と、腕輪が動きを感知する。受信したデータが視界に表示させた。それは顕微鏡写真だった。
「彼等はある意味では不死身の存在と言えます。一般的には巨大な人の手を模した形状ですが、その実体はナノマシンに近い微小生物の集合体です」
教員に促されるように次のデータを見る。ざわり、と教室が沸いた。女子の何割かが悲鳴に近い声を上げる。画像ではなく動画のようだ。それは、ECHOに旧来兵器を使用した際のものだった。人間に良く似た手の内部構造が――骨が、肉が、筋繊維が、露出していた。
「銃弾を撃ち込もうが、刃物で切り落とそうが、分離したナノマシンはすぐに元の場所へと戻り、穴や傷を埋めてしまうのです」
ECHOの傷口に赤い煙が集り、まるで巻き戻しのように再生されていく。
「しかし、ECHOの発生から5年後――2022年。人類は、ECHOに対抗する為の武器を手に入れます。それこそが――”Ex-Machina”です」
教員が次の画像を示す。写っているのは、全長6m程の”機人”――『機械仕掛けの巨人』なんて呼ばれる事もある”人型戦車”と、そこへ尊大に寄りかかって立つ男の姿。
「今、生徒さんからも声が上がった通り、EXMです。しかし今日皆さんに覚えてもらいたいのは、機体ではなくそのパイロットです。EXMだけでは人類はECHOに対抗できません……パイロットの持つ特別な”適正”が必要なのですから」
教員は画像内の男を指し示した。
「彼の名は——”新津タツミ”。世界で初めてECHOを”打倒”し、そして約10年に渡りたった一人でECHOから日本を守り抜いた――”英雄”です」
授業でその曖昧な表現が使われる事など、おそらくはこの時、この瞬間、彼に対してだけであろう。
教員の言葉に、睡眠学習に入りかけていた一人の男子生徒が目を覚ました。やや癖っ毛の黒髪が頬に張り付いていた。彼の視線が動き、宙をタップした。
「新津、タツミ」
視界に表示された男の姿を見る。彼はまるで揺れる炎のような髪に、整った容姿。咥えタバコ。優れた体格。パイロットスーツの上から、真っ赤な羽織を纏っていた出で立ちをしていた。
その隣には鋼鉄の巨人が立っている。男の羽織と同じような色――緋色に塗りたくられた派手なカラーリング。あれこそが全てのEXMの原型である試作・実験機。
「――”シュウエン”」
ぽつり、男子生徒が零した。その瞬間だった。彼の視界に、にょきっ! と勢いよく女子生徒が生えてきた。女子生徒は彼の目を覗き込み、そこに映る画像を見た。
「うぇっへっへぇ〜……トオルくんも好き? 好きだよねぇ……やっぱいいよねシュウエン! 世界で最初に作られたEXM。このプロトタイプ特有の無骨さ。無限の可能性を感じさせるシンプルなデザイン。それゆえに”表情がなく”――それがまた……たまらないよねぇっ。あ、でもでもぉ、でもただ表情がないわけじゃなくて、その本質は”換装”でいくつにも表情が変わる事こそに――」
ふわふわとした口調で、しかし男子生徒——トオルへと駄弁を垂れ続けるその女子生徒は、話す言葉だけでなく、その外見もまたぶっ飛んでいた。
髪はふわふわ……を通り越して、ぼさぼさのもさもさ。まるで手入れのされていないプードルのようなそれは、彼女の目元をほとんど覆い隠している。
制服の上からはミリタリージャケットに黒の肘・膝サポーター、頭には迷彩柄のヘルメット。彼女はそれらを愛着していた。
「わぁーった、わぁーったから今は黙ってろ……!」
「トオルくん、全然分かってないと思うなぁわたしっ! あのね、シュウエンはっ!」
「だから静かにしろ――って、寄ってくるな!」
トオルの表情は変わらない。しかし本気で嫌がってその毛玉女を引き剥がそうとする。が、離れない。
「うぇっへっへぇ〜。トオルくんにはきぃ〜っちりロボットの良さを学び直す必要があると思うの、わたし」
「テメェ……は・な・れ・ろっ!」
補助記憶装置を取り出すと、トオルの手首をがっちりとホールドしていた。彼女はトオルの腕輪――センサ兼入出力装置にそれを挿入しようとしている。
トオルは過去の彼女の”講義”を思い出し、表情は変わらないものの全力で抵抗する。
「こ、このっ……! きゃぁー、いやぁー、襲われるぅー!」
「よいではないかぁ、よいではないかぁ」
「なんでますます乗り気に!? ていうか、ホントいい加減にしろよ……アイぃいいッ!」
トオルがそう、女生徒――アイの名前を叫んだ時。
「――日並トオル君、逸見アイ君。夫婦漫才なら外でするように」
教員から呆れたように言った。教室にクスクスとした笑い声。トオルが頭を抱える――また巻き添えで注意を食らった、と。
――このセンセーは、静かにさえしてりゃ寝てても文句言わないってぇのにっ……。
ジッとアイを睨みつける。アイは流石に不利を悟ったのか「むぅ〜っ」と唸って顔を引っ込めた。
「え〜、ごほん。実は今日の授業にこの話を持ってきたのには理由があります。今週末はちょうど彼の英雄の命日であり――」
トオルは覚めてしまった眠気にため息を付き、肘を突いて講義の声に耳を傾けた――……
* * *
そうこうしている間に昼休みの到来を示す鐘が鳴る。
「――パイロットにはECHOを倒すための特別な適正が……と、では本日の講義はここまでですね」
教員はそう言うと、黒板に表示していたデータを閉じた。
「ああ、それと。他の先生方からも言われているでしょうが、今日は健康診断……いえ、健康情報の提出日です。皆さん、忘れないように」
教員が口にした注意は、しかし開放感から一気に沸いた生徒達の雑談にかき消されていた。老教員はやれやれ、言った風に去っていった。
「あぁ〜、お腹すいちゃったよぉ〜わたし。トオルくんっ、ご飯たーべよっ?」
アイがにへらぁとした笑顔を浮かべて弁当箱を二つ持ってくる。いそいそとそれを広げる彼女。その姿を見ているとふと気になり、尋ねていた。
「アイ……お前ちゃんと健康情報、提出したよな?」
「……あぁっ!? 忘れてたよ、わたしぃっ!?」
「お馬鹿」
でこぴん。
「あうちっ!」
アイがおでこを摩り、それからわたわたと腕輪を操作した。
現行法において、健康診断というものは存在しない。代わりに腕輪に自動で蓄積されていく身体情報を定期的に提出する事が義務付けられるようになっていた。
「もぉー、そんなデコピンしなくっても〜いいと思うなぁ、わたし。大した事じゃないんだし……」
「その”大した事ない”のをやれてなかったのは、ど・こ・の・ど・い・つ・だ」
「痛い痛い痛い(いひゃいいひゃいいひゃい)ぃ〜! お鼻、摘まないで(つままないひ)ぇ〜!」
反省の様子が見えないアイ。大げさにため息を吐いた。
「なんだったら、添付するデータが間違ってないか、俺が確認してやろうか? 数値まできっちりな」
「うひゃいっ!? と、トオルくんっ! そういうのよくないと思うなわたしっ!」
「嫌なら、余計な口叩いてないで、さっさとやれ」
「はいぃ〜!」
腕輪が保持している身体データには、脈拍数、呼吸数といったバイオリズムの他にも、体温の推移や、リングの振られ方から算出した体重、身長、座高、それからスリーサイズなんかも含まれている。
つまり、見られると自分の事が丸裸になってしまうわけだ。
「そ〜っ」
「シャァ〜ッ!」
「わかったって。見ないから、さっさと送信しろ」
ちなみに集められたデータは文部科学省(会社員なんかは厚生労働省だが)によって保管され、病気の予防・早期発見などに使われる。
逆に悪用すれば、その人物がその日どこで何をして、一日に何時間寝て、何を食べて……なんてことまで分かってしまう”かもしれない”という事で反対の意見も出たようだが――今では国民の義務として、当たり前に受け入れられていた。
実際、これのお陰で命が助かった人は大勢いるのだ。
……にしても、とトオルは思った。
「アイ、お前にも羞恥心とかあったんだな」
「酷いよぅっ!? これでも女の子なんだよぅ、わたし!?」
「いやでもお前、この間言ってなかったけ? 好みタイプはシュウエンみたいな機人だって」
「そ、それはっ……確かにそれは言ったけどぉ、それはあの、その、その通りだけどぉ〜……!」
わたわたと手を振り回す彼女。トオルは「はっはっは」と笑いながら言う。
「安心しろ、例え世界の全てがお前のロボフィリアを否定しても、俺だけはお前を肯定してやるさ。幼馴染みだしな」
「ぅ〜〜っ! ぅ〜〜〜〜っ!」
彼女は声にならない呻きを出しながら迷彩柄のウエストポーチから工具(なぜそんな物を持ち歩いている)を取り出し振り上げたので、トオルも「わかったわかった」と両手を上げる。
「ところで今日はどんな弁当なんだ?」
「あっ、今日のお弁当はねぇ……」
「ふぅ……バカは扱いやすくて助かる」
「聞こえてるよ!?」
そんな事を言い合いながら、二人はいつものように、昔のアニメのロボットを模したキャラ弁を摘む。と、アイがふとトオルに尋ねた。
「あ、そぉーだトオルくんっ、今週末、暇かなぁ〜? ちょっと行きたい所あるんだぁ〜」
――今週末、か。
トオルは思い、しかし、
「どーせまたロボット関連だろ。付き合ってやるさ。特別に」
と、いつものように答えた。
それは、高校2年生になって1ヶ月が過ぎた、5月のある日の事だった。